-AFRAID- 不穏分子 3

現代/世田谷/夏海


風街かざまにファイルを送信できたか」


電話を終えた夏海なつみが湯川に尋ねる。


「はい」湯川は丸眼鏡を弄りながら、もう片方の手でラップトップのキーボードを叩く。「公用車もあと一〇分程度でこの場所に到着します。彼女も丁度その位に到着するかと」


 風街を除いた特課の面子はとあるショッピングモールの屋外駐車場に陣取り、次第に渋滞しつつある国道を眺めながら、合流予定の政府要人らの到着を待っていた。


「この渋滞の中で、そんなに早く?」


「既に公用車は降り、バイクを使い移動しているとのことです」


 空には夕焼けが差し掛かりつつあり、屋外駐車場が面している国道は車で溢れかえっている。


「失踪事件と未来からの侵略者の情報収集から打って変わってお偉いさんの護衛とは。しかし、水谷委員長に逆に助けられる形になってしまったな」白雄は呟くと、煙草をふかした。「護衛とはいえ、空では我々も役に立つまい」


 待機する特課の背後、駐車場の後方では数人の自衛官が忙しなく蠢いていた。そして群れの中央には一機のCH47輸送ヘリが手下に世話をさせる女王アリのように鎮座し、その特徴的な胴体を夕日によって煌めかせている。


 ショッピングモールの駐車場入り口にも迷彩服に身を包んだ自衛官二人が陣取り、敷地一帯の所有権を主張していた。もっとも遠くから聞こえる散発的な銃声や上空を飛行する見たこともない飛行兵器、そして首都圏の方に見える数本の黒煙などを目の当たりにしてもなお呑気に買い物に来ようとする人間は今の所誰も見ていない。


「政府機関のデータセンターがメイン・第一バックアップ共にPWCSの手に落ちたようです。データ消去率は二七%、重要情報の殆どは敵に渡ったと理解して問題ないでしょう」続く湯川の報告に、夏海は思わず息を飲んだ。


「何ですって!」村主が声を荒げた。「つまり、我々警視庁のデータも敵に渡ったってこと?」


「そう考えたほうがいいと思う。注意しなきゃいけないのは、敵は物理的にデータセンターを占拠したんじゃなく、高度なハッキング技術でシステムそのものを掌握してしまったってことだ」湯川はそう言うと、唐突に自身のラップトップを閉じ、本体を地面に叩きつけた。


「ちょっと、湯川君!?」同僚の常軌を逸した行動に、思わず村主が後ずさる。当の湯川は一心不乱にラップトップを何度も踏み潰し、挙句の果てには拾い上げて無茶苦茶に引き千切り、粉々にした。

唖然とする一行の中で、湯川は激しく胸を上下させながら、「警視庁のシステムに自動アクセスした際、敵にこのPCの存在を気付かれてしまった」と告げた。


「気づかれた? アクセスしただけでか?」


「そうです」白雄の問いに、湯川は即答した。「敵は警視庁のシステムの前面に遮蔽されたファイアウォールを展開していたようです。私がアクセスしたことで、ファイアウォールがこのPCのMACアドレスやIPはもちろん、さらには脆弱部分までを探知し、どういう仕組みかは分からないが——このPCにクラックツールを植え付け、バックドアをこじ開けた」


「クラックツール?」


「ウィルスと思ってもらって相違ありません。中のデータを覗き見たり、遠隔操作を行ったり——正確に、どういった機能を持つものかは分かりません。感染してから十秒程で気付いたので被害は少ないと思われますが、最悪この場所を敵が突き止めた可能性もあります。特課の活動内容とこちらの位置情報を敵が結びつけたとしたら、間違いなく敵は我々を追ってくるでしょう。敵は物理的な戦闘能力も現代の遥かに上を行きますが、我々が最も注意すべきは敵の驚異的な電子戦闘能力です。このままでは日本のみならず、中国やアメリカといった大国までもが、軍事行動に入る前に全システムをPWCSに掌握されてしまう恐れがある……現状、電波を発信して、ネットに繋がる全ての機器がPWCSの配下に落ちてしまう危険性がある、ということだと思います」


「……夏海、どう思う」沈黙した空気に割り込んだのは白雄だった。


「私はあくまで諸君を鼓舞し、国益に繋がる行動を取るまでだ」夏海は即答しつつも、敢えて自分の考えを言おうとはしなかった。



 およそ十分後、三台のバイクが路側帯を猛スピードで駆け抜け、警備する自衛官に手で何か合図を送ると、ショッピングモールの駐車場へと入ってきた。


 来たか——夏海は口を固く結び、やがて後部座席から降り、ヘルメットを取った三人の元へと歩み寄る。


 見るからに屈強な運転手達と違い、その三人はバイクに二人乗りするには些か拍子抜けするような外見だった。三人とも髪は薄く、額の皺は深く刻まれ、体つきもだらしない——そしてそのうち、一番後部座席に似合わないと思われる容姿の男に、夏海は近寄った。


「水谷委員長、ご無事で」


夏海と頭一つ分差異のある身長、出っ張った腹部。年齢は五十代、あるいは六十前半といったところだろうか。


「諸君こそ、この一大事の中、わざわざの対応感謝する」公安委員会委員長の肩書きを持つこの男——水谷浩二郎は外見に似合わない低い声でそう述べた。


「官邸から逃げ出せたのはあなた達だけなのですか?」


水谷の背後で、眉間に皺を寄せながら護衛の人間と喋る二人の高官はいずれも現内閣の要職に就く大臣だ。


「閣僚という意味だともう少し居る筈だが、行方は分からない」水谷の視線が首都圏の方へと向けられる。「官邸その他主要政府機関の入退室システムに障害が発生し、現在相当数の人間が外に出られないでいる」


水谷の視線が逸れているのをいいことに、夏海は我慢を解き、ありったけの苦渋の表情を浮かべた。


「……よく普及している、ICカードを使ったものですか」


「そうだ。総理はワシントンでの日米首脳会談のお陰で安否の確認は取れているが、名前を挙げるだけでも膨大な数の政府関係者、主要企業の重役達が霞が関で足止めを食らい、恐らく既にPWCSの人質となってしまっているだろう」


そう言って、水谷は額につく汗を拭った。


「それはそうと委員長、今すぐ携帯の電源を切って、物理的に破壊してください」夏海が切り出す。「もちろん護衛達の通信機器も——現状電波を発する全ての機器が、PWCSの制御下に入る恐れがあると、うちの主任分析官が」


水谷の視線が首都圏の方向から、夏海の背後で屯する特課の人間達、そして脇に打ち捨てられたラップトップと携帯端末の無残な残骸へと移る。


「他の機動班との連絡が取れなくなるぞ、良いのか」


「先ほど全ての電子機器を破壊するよう機動班にメッセージを送りました。PWCSに検閲されなければ、無事届いたメールを見て彼らは状況を察し、しかるべき判断を自分で下すでしょう。人員も単独ではなく、二名ずつを派遣しておりますし、判断の精度を問題視すべきではないかと」


「なら良いが、あくまでも有事の際、戻って来るべきは下呂だ。確かに北海道、そして神戸への派遣を認めたのは私だが、国家の存続が掛かっている時に、優秀なスタッフに地方で呑気に探偵ごっこをやらせるほど私は甘くないぞ」


夏海は少し間を置き、目を泳がせた。


「……これ以上情報が出てこないと判断したら、戻ってくる筈です。それに、申し上げた通り鹿野絵昊と燠継士についての情報収集がここにきてようやく実を結びつつあるのです。何よりそれこそが我々特課が設立された理由でもあるのですよ」


「……『調停者レギュレイターズ予言プロスペクト』か」


水谷はそう言うと、深い溜息を吐いた。



 通称『調停者の予言』として知られるそれは、三年前に『調停者』を名乗る人物から来た一通のメールに対して命名されたものだ。


 どこから調べ上げたのだろう、公安の特定部署における通達用メールアドレスに対し、そのメールは届いていた。


 日時こそ分からないものの、およそ三年後にあるとされる未来から日本に対する大規模な侵略行為。そして、その信憑性を証明する為、送信日時から三ヶ月以内に起こる主要な出来事の羅列——メールにはそれらの情報が記載されていた。


 程なくして米国の大統領が突然の心臓発作により倒れ、国内有数のメガバンクで大規模なシステム障害が発生し——そして、それらは全てメールの本文にて予言されていた。


 ただの偶然ではないだろうか? 或いは、メールの差出人が仕組んだ事象?


 それらの疑いは、続く大小様々な事象に対する予言の的中率が一〇〇パーセントだったことで敢えなく瓦解した。


 超常的な事象である為、公安、そしてその背後に控える日本政府の対応は困難を極めた。結論として出たのが、既に国内で機密団体とされている公安部に課を秘密裏に新設し、本件の調査を担当させる一方で国内軍備を増強し、かつ同盟国との情報共有だった。


 新設された公安特課はメールの文章から判明している僅かな情報を頼りに、まずはメールの送信者を辿る為に調査を開始する。


 程なくして捜査線上に浮かび上がった一つの事件があった。


 とある地方都市で起きた失踪事件。何の変哲もないように見受けられていたこの事件だが、公安特課の目に留まったのには理由があった。


『調停者の予言』の送信元となる端末を辿ったところ、端末こそ見つからなかったものの——最後に信号が消えた場所は、行方不明となった少女、つまり鹿野絵昊かのえそらが住むアパートの前だったのだ。


 鹿野絵昊がメールの送信者であるという確固たる証拠はなかったものの、彼女は既に行方をくらませており、当時彼女と懇意にしていた少年からも収集できる情報は皆無に等しく、また事件への関わりもないことが判明した。


 アパートの住人も、彼女以外には八〇代の老人一人が住むのみの寂れた場所であったことから、送信者の特定は困難を極め、次第に特課の役割もこの件から徐々に本来の公安の職務である政府反乱分子の対応に変化していき、担当する職員は風街理恵の一名のみになってしまったのだが——。


 だが、夏海には引っかかるところがあった。


『調停者の予言』に記されていた未来からの侵略行為からは、それがある、というただ一点のみしか判明していなかった。


 というのも、その他の部分については高度に暗号化されており、公安特課の分析力をもってしても、現時点での解読には成功していない。


 未来からの侵略があるという情報を提供しただけで、果たしてどの程度の対策が可能だろうか。仮にも相手は技術力、軍事力でも勝ると思われる未来の軍事組織の筈だ、現代の軍事力だけで防衛することは不可能だろう。


 おそらく暗号化されている部分には侵略に対する対策方法が記されているのではないだろうか? だとすれば、何故鹿野絵昊は侵略に対する対策部分を高度に暗号化して送ったのだろうか?


 そういった疑問もあり、望みは薄いにしろ——元恋人である燠継士おきけいじが上京するのを機に、風街理恵を彼から直接情報収集をする為に、学生の身分に偽装させ、彼の通う大学に潜入させていた。


 同時に他の特課の人間を使い、必要ないと思われる部分隅々まで鹿野絵昊に関する情報を調べた結果——彼女の経歴が恐ろしいほど巧妙に、仮にも警察機構の中でも有数のサイバー犯罪対応能力を持った公安を数年に渡り騙すことが出来るレベルで——改竄されているということを突き止めるに至ったのだ。


 全てが遅すぎた、とはまだ言えない。侵略は開始されてしまったが、まだ打つ手は有る——水谷と夏海の意見は一致していた筈だ。


「……委員長、軍事力では役に立ちませんが、先程お伝えした通り、鹿野絵昊に関しても新たな情報が入りつつあります。何か突破口のヒントを見つけるよう、尽力します」


「くれぐれも無駄のないようにな」水谷はそう告げると、「地方派遣組以外の特課は全員揃ったか? 揃い次第下呂へと向かおうと思うが」と訊ねた。


「風街がもう間もなく到着すると思われます。それで全て揃います」


「分かった」夏海の回答に、水谷は頷いた。「そういえば、こちらの情報が筒抜けになっている可能性があると言っていたな。下呂に直接向かうのではなく、ルートを変えた方が良さそうだな」


「仰る通りです。中継地点の候補としては自衛隊と連携する必要がありますが、名古屋の高蔵寺分屯基地が濃厚だと思います。既に手配中です」


高蔵寺分屯基地は名古屋市から北東に二〇キロ程進んだ所にある駐屯地であり、主に航空機の補給体制を整えている。


「ヘリの航続距離を考えると、丁度その辺りで補給をする必要がどちらにせよありそうだな」水谷はそう告げると、夏海の耳元に顔を寄せ、「自衛隊はこの際何の役にも立たん。さらに言えば、我々が下呂に到着したからといって、それは避難であり、対抗ではないのだ」と囁いた。


「委員長は、もう打つ手はないと仰りたいのですか」


夏海の棘のある口調に対し、水谷は何も言わずに夏海から目を逸らすと、遠い目で首都圏の方角を見つめた。夏海もつられて同じ方角に顔を向ける。


 空は夕焼けに染まり、東の方角からは夜の闇が空を黒く塗りつぶす機会を伺っていた。


 長い一日がようやく終わるのだ——首都を占拠されるという前代未聞の大損害を日本にもたらした上で。


 間もなく、周囲の喧騒を掻き分けて遠方からけたたましいエンジンの音が鳴り響き、路側帯から一台の大型バイクが歩道に乗り上げると、そのまま駐車場へと突っ込んできた。


 風街が到着したようだ。夏海は水谷に目配せをすると、バイクを停めて降り立った彼女の元へと駆け寄った。

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