第17話 山賊

悲鳴が消えたあとしばらく静寂がつづいた。目の前には大きくヒビの入ったドアに、打ち込まれた金属ネジ。そしてその向こうには、休止状態に入っている自動改札と、見張りの男が置いていった長銃が落ちている。

 逃げるなら今だろうか。だが、このガラスを人が通れる大きさに破るとなると相当な音が鳴り、べつの誰かが来るかもしれない。なるべくトラブルに巻き込まれずにこの村を抜けて、42番出口に向いたかった。

 しかしヒロトが考えあぐねていると、ドアは何の前触れもなくするすると開いた。

「…?」

 状況が飲み込めずに一瞬とまどったが、ひとまずカバンを拾ってドアに挟まれた密室を抜けだした。自動改札は休止状態のまま、通り抜けるヒロトに何の反応もしなかった。落ちている電気ポンプ銃を拾うべきかどうか少し迷ったが、持ってみると細身のわりに案外ずっしりと重い。使い方もよくわからないので、それはそこに放置していくことにした。そもそも対人用の武器がこの先必要になるとは思えない。

 周囲を見回したが、監視カメラのようなものはない。位置情報はスイカネットに取得されているはずだが、村人がその情報を利用できるかどうかは分からない。ひとまず村人に出くわさないようにこの村を抜けることにした。

 山岳地帯で蜘蛛の巣のように連絡通路を伸ばし続けるこの谷のなかでも、二条ケイハから受け取った端末は常に最新の地図情報を表示していた。早朝とはいえすでに歩き出している村人は多い。見張りの男が自動改札に連れていかれたという話は、すでに村のあちこちに広がっているようだった。

 小規模な村だからおそらくよそ者の姿は目立つ。ヒロトはなるべく村の中心部を避けて、大回りする形で谷の反対側に位置する42番出口の方向に進むことにした。

「ここを抜ければ、とりあえず村からは出られる」

 端末の地図がそう示す経路を曲がり角から確認するが、自動改札が一台座っているだけだ。人の気配はない。ヒロトは歩き出した。

「…誰?」

 ふいに自動改札から子供の声が聞こえた。だがそれは自動改札の声ではなかった。改札の背後で、十歳ほどの少年がひとり座っていた。

「誰?わるいやつ?」

 少年はヒロトを見て言った。

「違う。おれはわるいやつじゃない。ただの通りすがりの観光客だ」

 見ると、自動改札の足元には、コップに入った水と、水色の小さな厚紙が一枚置かれていた。しゃがんで見てみると、厚紙には地名や数字が細かく書き込まれている。なにかのお札のようだ。

「何をしているんだ?」

「何って… おいのりだよ」

「お祈り?」

「わるいやつがお母さんをさらって行ったんだ。だから改札さまに、わるいやつをやっつけて、お母さんを返してくれるようにお願いしてる」

 少年の顔には見覚えがあった。さっき自動改札に連れていかれた、見張りの男にどこか面影が似ている。

「おじさんは警察員の人?」

「警察員?」

「村長が言ってたよ。松本の警察に、わるいやつらの退治をお願いしたんだって」

 松本は甲府同様、盆地に層状の横浜駅が発達した階層都市だ。ケイハの端末を見ると相当に大規模な都市で、警察員組織もかなり充実しているのだろう。だが、ここからはかなり遠い。

「ここに警察はいないのか」

「昔はいたんだって。でも、わるいやつらが来て、いなくなった。でも、ちゃんと大人の言うことを聞いていい子にしていれば、改札さまがわるいやつらを横浜駅から追い出してくれる、ってお父さんが言ってる」

 ヒロトは自動改札の顔を見上げた。その機体はずいぶん色褪せており、全身の関節の部分は塗装がすり減っていた。かなりの年代ものらしい。今でも動くのかどうかは分からない。体にはホコリひとつ付いていないが、それは日々の仕事というよりも村人の甲斐甲斐しい手入れの表れだろう。

 ヒロトは少年と自動改札をしばらく交互に見て、それから言った。

「なあ。この近くで、山賊たち、わるいやつらが集まってるような場所はないか? できれば連絡通路の途中にある場所がいいんだが」

 と言ってヒロトは端末の地図を見せた。少年は

「いつもはお山のほうにいるけど、ここにあいつらのアジトのひとつがあるって」

 と、地図上の一点を指した。村から少し離れ、いくらか高いところに、かなり長い連絡通路が生えている。確かにここなら、村の様子を監視できそうだ。

「わるいやつらはどのくらい来るんだ? 何人くらいここに来る?」

「一週間に一回くらいいるよ。いつもいっぱいいる。百人くらいだと思う」

「案内してもらえるか」


 山賊たちのアジトは、山脈を東から西へ向けて、数キロほどにわたって橋脚もなく伸びる連絡通路の中にあった。通常のコンクリートでは耐えられるはずもない、構造遺伝界によって補強された横浜駅だから可能な構造だ。

 ヒロトは構造遺伝界キャンセラーを取り出した。これまでの作業の中でずいぶんコンクリートの崩し方には慣れてきたが、これは今までよりもずっと精密さが要求される作業だった。

 山賊のアジトを内部に含む連絡通路の床を、通路の横幅いっぱい、長さ一メートルほどに渡ってキャンセラーを照射し、構造遺伝界を消し去っていった。

「何をしているの?」

 連絡通路の入り口の部分で見ている少年が話しかけた。

「危ないから近寄るなよ。そこで待ってな」

 しばらく照射をつづけると、床は脆くなり、ほとんど支持の役割を果たさなくなった。これでこの連絡通路は、壁と天井だけで支えられている形になる。歩くと連絡通路全体がわずかに揺れているのが分かる。長さを一メートルと広めにとったのは、数日中に構造遺伝界が回復する分を考慮してだ。もちろんこの幅が適切なのかどうかはわからない。

 ずいぶん長時間キャンセラーを照射し、バッテリーの残りは30%を切った。

「これでいい。村の大人たちに伝えてくれ。しばらく絶対にこのあたりに近づくな、と」

「何があるの?」

「うまくいけば、次にやつらがこのアジトに押し寄せると、その重みに耐えられずに連絡通路が折れる」

「…連絡通路が? 折れる?」

 少年は意味が分からないようだった。かく言うヒロトも、連絡通路を折るという映像的なイメージがきちんと湧いていなかった。数日前にネップシャマイから「津軽海峡を横断しようと伸びた横浜駅が、自重に耐え切れずに落ちる」という話を聞いていているだけだった。

「まあ、とにかく折れるんだよ。そうなると、通路が落ちて谷底にぶつかる。いくら横浜駅でも、この高さから落ちれば窓ガラスとか色々壊れるだろう。そうなった時、直接壊したのは山賊たちという事になって、自動改札が動き出して山賊たちを一網打尽にしてくれる。…いや、事故の場合は扱いが違うかもしれないが。ちゃんと壊れるかどうかも分からん。まあ賭けだな。といっても負けても失うものはない」

 少年はヒロトが何を言っているのか分からない、という顔をしていた。

「とにかく。次にわるいやつらが来るまで、絶対このアジトに近づくな。村の大人たちにもそう言うんだ。わかったか?」

「…うん。わかった」

「いい子にしていれば、きっと改札さまが動き出して悪いやつをやっつけてくれる、ってことだ。じゃ、おれはもう行くから、元気でな」

 そう言ってヒロトは少年と別れた。

 歩き出してから、照射が不十分だったのではないか、あるいは掘りすぎて勝手に崩れたりしないだろうか、谷底にも横浜駅があったがそこの住民が被害を受けたりしないだろうか、などと色々なことが心配になりはじめた。だが考えても仕方ないことだった。


ヒロトは木曽谷を抜け、最後の上り坂に向かった。かつて御嶽山としてその名を知られていた孤立峰は、富士山と同様に何層ものエスカレーターと天井が折り重なって、自然状態よりも標高を増していた。彼の最後の目的地はその山頂付近、層状構造となった横浜駅の下に、長年にわたって人目に触れることなく埋もれていた。

「息が苦しいな」

 とつぶやいた。標高はすでに3000メートルを超え、空気が薄くなりはじめていた。太陽光も雨も届かず気温変動の少ない横浜駅層状構造の下でも、気圧だけは律儀に自然界の都合に合わせて動いていた。

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