群馬編3話 行動記録

 浅間山の西側は常に人通りが多い。生成されたエスカレータの上を、山岳信仰の巡礼者の列のように人の列が途切れなく続いている。「エスカレータは歩かないで」と書かれた看板があちこちにあるが、ほとんどの場所で列の右側は歩く人のために空けられている。

 自動改札がたまにエスカレータを移動に使う事もある。この場合、人間の倍ほどの幅がある機体がエスカレータを塞ぐため、人間は当然止まらざるを得ず、そこから後ろ側は人間が二列に並ぶようになる。

 青目先生とニジョーはそのような列に二人で並んで、浅間山の山頂付近へ向かっていた。四段上には自動改札の姿がある。平たい頭部をぐるぐると回転させながら、周囲の様子を伺っている。

 横浜駅の発達でエスカレータが主要交通路となったこの時代、長野では山脈に寄り添うように小都市群が生成されていた。これらの都市群と関東平野をつなぐ主要経路のひとつが、この浅間山の西側斜面だ。いったん山頂付近までエスカレータで上り、そのまま目的地ゆきのエスカレータを下れば、任意の場所に移動することができる。

「ワタシはこの群馬ではヨソ者ですからね。単独で変な動きをすると駅員の方に怪しまれるでしょう。ここで名の知られた先生がいれば、ぐーっと行動の自由度が増すわけです」

 というニジョーの意見に従って同行することになった青目先生だったが、こうも大勢の人間がいる場所では、彼同様に見た目の怪しい人間は一杯いる。よほど目立つ事をしないのであれば、問題なかったのではないか。

 青目先生の考えをよそに、ニジョーはコンテナを抱えて、目をギョロギョロさせて周囲の地形を見ている。医者が人体のどこに臓器があるのかを把握しているように、彼はこの駅構造のどこにスイカネット・ノード(と彼が呼ぶもの)があるのかが見えているのだろうか、と思う。青目先生が見るこのエスカレータ畑は、ただの流れの無秩序な黒い川のようにしか見えない。

 斜度を調整するようにあちこちに設けられた小さな踊り場では、何人もの売り子が窮屈そうに居座って、駅弁やその他の日用品を売っているのが見える。無許可で営業をしている者を見つけて、怒鳴りつける駅員の姿も見える。自分の持ち場が、気まぐれにやってきた自動改札に押しのけられて、すごすごと退散する者もいる。

「噴火に備えるとなると、当然この通路を封鎖する必要があるわけだな」

 と青目先生は小声でささやく。

「その通りです。ワタシも今その方法を考えているところです。自動改札を動かして封鎖できれば一番良いのですが、今のワタシの技術ではそれが難しいので、スイカネットを介してあのあたりの電光板の表示を……」

 とニジョーがよく通る声で喋り、周囲の人間が変な目でこちらを見てくる。そのうち一人の中年女性が隣りにいる青目先生の存在に気づき、ぺこりと頭を下げる。昔診た患者の誰かだろうか、と思って頭を下げ返す。

 すぐ近くにいる自動改札は、会話の内容に関心がないのか、それとも理解していないのか、相変わらず細い首をぐるぐると回し続けている。そのうちネジのようにぼろんと首が落ちてしまうのではないだろうか、と青目先生は思う。

 エスカレータが山頂付近に近づくと、天井がない場所が徐々に増えてくる。パンダ・グラフの黒い部分だ。空は曇天で青天井は見えないが、今のところ雨は降りそうにない。


 自動改札が人間の言語を理解しているのかどうか、というのは、エキナカの知識人の間でも謎とされている。彼らは人間の言語を女性の声で喋るが、それはあらかじめ入力されている言葉を機械的に読み上げているだけだ。

 人間がエキナカのルールに反する行動をすれば、その者に Suika 不正認定の宣告を下し、駅外に排除する。彼らの行動は基本的にそれだけなので、言語まで理解する必要がないともいえる。

 ただこのルールがそこまで精密ではない。たとえば「エキナカで住民に対し暴力行為を行うと追放」というルールがあるが、どこまでが暴力行為にあたるかは住民の間でも不明瞭だった。統計的に検証した例がないからだ。

「親や先生の言うことを聞かないと、自動改札はそれを記録している」と教えている学校もあるという。真偽はともかく、教育的な効果は確実だろう。

「人の一生の行いは Suika に記録されている。人が死ぬと冥界の自動改札がその記録を評価し、天国に行く者と地獄に落ちる者に分けられる」と説く宗教者もいる。


「少なくとも位置情報は記録されてますよ」

 とニジョーは言う。二人は山頂付近の、外の見える場所で駅弁を食べながら休んでいた。

 浅間山も山頂付近になると、地面のちょっとした丘の上にあちこち自然の地面が露出して、ちょっとした駅孔を形成している。山の様子は、今のところ普段と違いはない。

「正確にはスイカネットに位置情報の履歴が蓄積されていて、自分の Suika を認証すれば見ることが出来ます。これは簡単ですので、やり方を覚えれば先生にも出来ますよ」

「知らなかったな」

「Suika の詳細な仕様はまだ分からない事が多いんですよ。仕様書も現存していませんし」

「仕様書?」青目先生は焼き饅頭を食べながら言った。「そんなものがあるのか」

「噂では、初期の時代にあったと言われてますよ。Suika は、少なくともある程度の部分は、人間が設計したものですし」

「それは知ってるが」

 少なくとも、人体の仕様書といったものは、医学の歴史の上で一度も存在しなかった。人類の持っている医学知識は、あくまで解剖と観察により知見を積み重ねた結果である。

「ワタシの位置情報履歴はこんな感じですよ。ご覧になりますか」

 と言って、端末の黒い画面にいくつかのコマンドを打ち込む。ぱっとウィンドウが開き、本州全体の地図が表示される。

「これがワタシの、生まれてから今までの行動記録です。いや正確には Suika を入れてからなので、二十年ほどですが」

 といって、地図の上に緑色の曲線が表示された。生まれは京都の中心部で、子供の頃はやたらと近畿と中国地方を動き回り、20歳からしばらく京都に落ち着いて、最近(おそらく娘が六歳になった頃)東側に足を伸ばして、群馬まで辿り着いたという事らしい。

「ずいぶん派手に歩き回ってるのだな」

「若い頃に岡山に行ったのはいい勉強になりましたよ。瀬戸大橋のあたりは駅構造が細いし新しいので、スイカネット・ノードが見つけやすいんです。物理的な場所がわかると、色々やりやすいですからね」

 というと、ニジョーは端末をくるりと回して青目先生に渡した。

「先生の分も見てみましょうか。ここにタッチして Suika 認証をして、それからこういうコマンドを打ち込んでください」

 指示されたとおりにキーを叩くが、ウィンドウが出て表示されたのは日本地図ではなく、等高線がいくつか走った山岳地帯だった。人生の期間はこの青年の三倍ほどあるはずだが、その地図の縮尺は彼の十分の一ほどでしかない。

「うはあ、先生の行動範囲はずいぶん狭いですねえ」

 と彼は嫌味たらしく口角を上げる。

 言われてみると自分はこの群馬周辺からほとんど動いたことはない。こうして浅間山の周りを回るだけでも、彼の人生にとってはちょっとした小旅行だ。仕事の都合で長く家を空けられないという事もあったが、そもそもこの世界――横浜駅と呼ばれるひとつの建築物――の内部の別の場所に行くという事にそこまで深い興味を持てなかったせいもある。

 興味深い人間はいるのかもしれないが、彼自身が有名であるせいで、人間のほうがこちらにやってくるのだ。自分で歩き回る必要はない。


 このニジョーというギョロ目の青年が群馬に現れたのは、一年前の事だ。

 人の往来の多いこの嬬恋で、他所者よそものが長時間居座るのは珍しいことではない。目の青い人間がいるという噂を聞いて、わざわざ会いに来る者も多い。

 ただこのニジョーという若者が珍しかったのは、青目先生に会いに来た目的が、その物珍しい外見でも、医者としての技術でもなく、彼の持っている言語の知識にある、という点だった。

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