第四章 ~『ブルース銀行の頭取』~


 ブルース地区は石造りの建物が広がり、薄暗い霧に覆われた街だった。山田とイリスは視界の悪い霧の中を、腕を組んで歩いている。


「視界が悪いのではっきりとは分かりませんが、随分と空地が多いですね」

「土地は戦争のおかげで値崩れしても、住宅価格は高いままだからな……」

「土地の持ち主はいるのでしょうか?」

「霧で分かりづらいが、住人はいるようだぞ」


 空地には冒険者が持ち歩くような寝袋に包まる住人の姿があった。土地だけ購入し、そこに野宿するのが、ブルース地区の貧困層の生活だった。


「そろそろ目的地ですね」


 イリスの視線の先には周囲の建物よりも一際大きな建物が立っていた。建物にはブルース地区最大の商業銀行であるブルース銀行の表札が掲げられている。


 商業銀行は投資銀行の対義語として使われる単語で、一般人が銀行と聞けばまず思い浮かぶのがこちらだ。個人や法人を顧客とした預金や融資を中心業務としており、他にも金融商品の販売なども行っている。


「行くぞ。準備はいいか?」

「旦那様と一緒なら私はいつでも大丈夫です」


 山田は石扉を押してブルース銀行へと足を踏み入れる。広がった視界の先には、恰幅の良い男が待ち構えていた。


「ブルース銀行へ、ようこそいらっしゃいました。私が頭取のジルコと申します」

「エスティア王国の山田と嫁のイリスだ」

「存じ上げておりますとも。さぁ、どうぞこちらに」


 石畳の廊下を歩き、山田たちは応接間へと通される。歴代の頭取の肖像画が飾られた部屋、その中央に設置された椅子に腰かけると、その対面に座ったジルコは山田たちのために紅茶を入れる。


「どうぞ、私の自慢の紅茶です」

「いただこう」


 山田は出された紅茶に口を付ける。隣のイリスも美味しそうに紅茶を啜っていた。


「私の淹れた紅茶より美味しいです……」

「俺はイリスの淹れた紅茶の方が好きだけどな」

「旦那様のそういうところ、大好きです♪」

「二人は仲睦まじいようですね」


 ジルコは自分のカップにも紅茶を淹れると、満足げに啜る。彼は自分の淹れた紅茶こそが至高だと、渋みと甘味を舌の上で楽しんだ。


「それにしてもまさか頭取が出てくるとはな」

「相手はエスティア王国の国王ですから。私でなければ失礼になります」

「だが俺は戦争中の敵国の王だぞ。それでも問題ないのか?」

「ありませんとも。我々はブルース地区が主な活動場所ではありますが、魔王領全体に根を広げて活動しております。経営に口出しされるくらいなら、ブルース地区以外の場所へ移転するだけです。それに……」


 ジルコは間を置くように紅茶に口を付けると、ニッコリと口元に笑みを浮かべる。


「ブルース様から睨まれるリスクを背負ってでも、あなたの提案をお聞きしたかった。それほどにこのサブプライムローンは画期的だ」


 山田はサブプライムローンについて事前にブルース銀行へと手紙を送っていた。手紙には如何にサブプライムローンが魅力的か記されており、その魅力は銀行員なら誰もが飛びつかずにいられない魔力を放っていた。


「特に貧困層相手に住宅ローンを組めることが素晴らしい」


 サブプライムとは信用力の低いという意味で、金を貸しても回収するのが難しい相手のことを指す。


 サブプライムローンはそんな信用力の低い相手にも金を貸せ、しかもほぼ確実に回収できる夢のような住宅ローンだった。


「貧困層は金がない。だが家は欲しい。その夢を叶えてくれるのがサブプライムローンだ」

「我々銀行としても多くの人間に融資をしたい。特にブルース地区の大多数を占める貧困層をお客様としたい。ですが貧困層相手にお金を融資するのはリスクが高い」

「そのリスクを最大限減らしたのが、サブプライムローンの特徴だな」


 具体的には高い金利と購入した住宅を担保とすることでリスクを減らす。銀行としては大きな利息を得ることができ、もしローンを返せなくとも担保とした住宅を売ればいい。


 魔王領では需要の増加による住宅価格の高騰が進んでおり、時間が経てば経つほどに買った時より高く売れる。つまり銀行としては債務者が高い利息を払ってくれ、払えなくなったとしても家を売却すれば元金を回収することができるのだ。


「このサブプライムローン。折角開発したのは良いが、エスティア王国は販売網を持っていない。だがブルース銀行なら――」

「いくらでも捌くことができます」


 投資銀行業務ではこのような金融商品の開発も珍しいことではない。最先端の金融工学を学んだエリートが集まる投資銀行が金融商品を開発し、商業銀行のような販売網を持つ企業に販売権利を売るのである。


 ちなみに金融商品の開発業務は、数学専攻の理系出身者が主要層だが、企画力なども求められるため文系出身者も見かけることがある。ただし文理を問わずに就職できる開発職なので、就職希望者が多く、就職難易度は高い。ただアメリカだとほとんど中途でしか採用していないが、日本だと新卒で面接を受けられるため、金融商品の開発職に就職できる難易度は日本の方が比較的低いと言われている。


「販売権利の価格は一契約につき、金貨一枚でどうだ」


 サブプライムローンは金利八パーセント以上が当たり前の高金利の金融商品だ。ちなみにアメリカの住宅ローンの相場が金利四パーセント程度なので、相場より倍近い高金利ということになる。


 山田の提案は好条件の金融商品をたった金貨一枚で貸し出すというものだ。当然ジルコの表情もパっと明るくなる。


「ほ、本当に金貨一枚でよろしいのですか?」

「ああ」


 山田の目的は金利で稼ぐことではなく、ブルース地区にサブプライムローンをばら撒くことである。そのためにも契約拒否されるような価格を提示することはできなかった。


「ただ当然の要求だが、もし債務者がサブプライムローンを返せない場合のリスクを我々は負わないからな」

「ですがサブプライムローンの特性を考えれば、リスクはないに等しいですよ」

「そうだが何にでも間違いはある」

「……分かりました。最悪、貧困層の皆さんが借金を返せなくとも、借金奴隷になって働いて貰えばよいだけです。その契約で進めましょう」


 銀行は融資する際に担保を取るが、その担保の価格は日ごとに変動する。もし担保を売って得た金額が借金よりも少ない場合は残った借金を別の手段で回収する必要がある。ブルース銀行はもし住宅バブルが弾けても、債務者を奴隷にすればいいと楽観視していた。


「私としてはあなたの気が変わらない内に、契約を進めたい。ですが契約の前に一つだけお聞きしたい」

「なにか気になることがあるのか?」

「あなたはなぜ敵国に利するようなことをするのですか?」


 サブプライムローンはブルース銀行を儲けさせる金融商品だと、ジルコは信じている。それは即ち、ブルースを利する行為であり、資金力が命綱の戦争で不利を招くことになるため、山田の行動にジルコは疑念を抱いていた。


「ジルコは人が争う理由が分かるか?」

「お金のためですか?」

「そうだ。戦争の原因は貧困から生まれるんだ。だからもし皆がマイホームを持ち、生活に満足できるようになれば戦争をする気もなくなるだろう。つまり魔王領との戦争を回避できるかもしれない」

「さすがはエスティア国王。素晴らしいお考えだ」


 山田は頬を掻いて嘘を誤魔化し、本音を飲み込む。サブプライムローンは表面上低リスクの優良な金融商品だが、大きな落とし穴があった。


 山田は口元を歪めながら、ブルース銀行を後にする。災厄の種は撒かれたのである。


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