第一章 ~『パン屋とアリアの正体』~


 莫大な金を手に入れた山田は、エスタウンで一泊した後、アリアのパン屋へと戻った。エネロアの勝利で得た賞金を、さらに倍々ゲームで増やし、人生を何度かやりなおしてもお釣りがくるような大金を持っている安心感は、彼の岐路の歩みを軽やかにした。


「アリア、帰ったぞ」


 山田の声に対するアリアの返事はない。その代わり陽光で照らされた店内には、色鮮やかなドーナツたちと、白銀の甲冑を身に付けた女性の姿があった。


 甲冑姿の女性はアリアにも引けを取らないほどの美人だった。頭の上で三つ編みにした銀色の髪に、宝石のように輝いく紅い瞳。さながら戦乙女のようであり、銀色の甲冑が殊更そのように思わせた。


(誰なんだ、この美人? 甲冑を着ているし、王国の騎士なのか? それにアリアはどこへ行ったんだ?)


 疑問が頭の中を埋め尽くすが、答えは出ない。周囲の様子を伺うが、パンたちは疑問に答えてくれない。


「犯人は現場に戻ってくるといいますが、どうやら本当のようですね」

「犯人?」

「とぼけないでください。アリアを誘拐したのは、あなたですね」

「いや、俺は……」

「言い訳は見苦しいですよ!」


 有無を言わさない態度に山田はウンザリとしてしまう。こういう自分の中で出た結論に固執するタイプを、山田は何度も相手にしてきたが、往々にして結論が覆ることはない。


「アリアをどこへ連れて行ったか白状する気はありますか?」

「アリアがどこかへ攫われたのか?」

「あなたが誘拐したのでしょう?」

「だから違うと」

「本当かどうかはすぐに分かります。これからあなたに尋問を行いますから」

「じ、尋問?」

「あなたを痛めつけます。もし痛みに耐えられないならすぐに白状してください」


 甲冑姿の女性は無遠慮に山田に近づくと、人とは思えないような動きで、頬を思い切り叩いた。


 山田の頬に赤い手形が浮かび、痛みで熱を持つ。焼けるような痛みを感じながら、今度は反対の頬を叩かれる。それが何度も何度も繰り返されていく。


(このままだと死ぬ! 痛みでショック死する!)


 山田の目尻には涙が浮かび、両頬は真っ赤に腫れて、顔の原型が分からなくなっていた。口の端からは血が流れ出ている。


「何か話す気になりましたか?」

「だから俺は何も知らないと!」

「誘拐犯にしてはたいしたガッツですね。それとも痛みに慣れてきて安心していませんか?」

「慣れてなんて……」

「ではまた最初から始めましょうか」


 甲冑姿の女性が山田の頬に触れると、暖かい光に包まれていく。先ほどまでの腫れが嘘のように消え、痛みも感じなくなっていた。


「回復魔法で傷を癒しました。もう一度苦痛に耐えてください」

「ま、待ってくれ」

「話す気になりましたか?」

「一つ訊かせろ。俺が若い少女を誘拐するような犯罪者に見えるか?」

「見えます」

「即答かよ……」


(駄目だ、駄目だ。諦めたら、そこで説得終了だ)


「まず情報が欲しい。なぜ俺が誘拐したと思ったんだ? パン屋に来た客だとは思わないのか?」

「犯人は黒髪、黒眼の若い男と聞いています。あなたはその特徴に合致しています」

「黒髪黒目だけなら他にも……」

「いるかもしれませんが、黒髪黒目は珍しい特徴です。その特徴に合致した人物が、アリアのパン屋を訪れる。可能性から考えて起こりうると思いますか?」

「普通はないな。だが今回は起こったんだ」

「それを私に信じろと?」

「証拠もあるぞ。ほら、見ろよ。俺はアリアに頼まれて材料を買ってきたんだ」


 山田は買ってきたパンの材料を見せつける。誘拐犯ならパンの材料を店に届ける理由はない。


「なるほど。どうやら本当に誘拐犯ではないのかもしれませんね」

「信じてくれたか……」

「いいえ。最大の容疑者であることに変わりはありません。もしかすると騎士に発見された際の言い訳として用意していた可能性もありますから」

「そう云われると何も言い返せないが……そもそもなぜパン屋のアリアが誘拐なんてされるんだ? それにただのパン屋の誘拐に、なぜ王国騎士が動く」


 騎士は国内の治安維持を任せられている憲兵騎士と、敵国からの防衛や王族の護衛などを担当する王国騎士とに分かれている。特に後者の王国騎士は、憲兵騎士より上質な装備を支給されている。目の前の少女が身に纏う甲冑は、高級品であることが一目で分かるほどに精巧な作りだ。憲兵騎士でなく王国騎士が動く事態に、山田は疑問を感じていた。


「私は王国騎士ではありません」

「嘘を吐くなよ。その装備が何よりの証拠だろ?」

「本当に私は王国騎士ではありません……私はイリス。アリアの姉であり、私たち姉妹はエスティア王国の姫です」

「姫か……確かにアリアの実家が裕福であることは間違いないし、王族の出自でも納得できる……だが一つ疑問が残る。なぜアリアはパン屋をやっているんだ?」

「それは……私のためです。アリアが城に残っていると、筆頭王女の座を巡って権力争いが起こる可能性がありました。それを避けるために、一人城を出たのです」

「そうか……アリアらしいな」


 アリアは無一文の山田を善意で助けるようなお人よしだ。自分から王女の座を捨てるのも、彼女らしいと思ってしまった。


「さて私はあなたの質問に答えました。次はあなたの番です。どこへ誘拐したのですか?」

「だから本当に知らないんだ」

「嘘を吐かないでください。黒髪、黒眼の若い男なんてそう何人もいません。あなたが犯人で間違いないはずです」


 イリスは瞳を涙で濡らしながら何度も訊ねる。だが何度聞かれても山田の答えは同じ。それでも俺はやっていないと、彼は自分の容疑を否認するのだった。


「姫様!」


 甲冑姿の騎士が息を荒げながらパン屋へと飛び込んでくる。


「どうかしましたか?」

「アリア姫の居場所が分かりました」

「どこにいるのですか?」

「エスタウンのスラム街。そこにある盗賊どもの集まる酒場に囚われているとのことです」


(アリアが無事に見つかったようだな。これで俺の疑いも晴れたし、アリアも救われる。めでたしめでたしだな)


「姫様、この男は?」

「今回の事件の主犯です」

「ちょっと待て! 俺の無実は証明されただろう」

「アリアの居場所が分かっただけで、あなたの疑いは晴れていません」

「姫様、この男人質として使えるのでは?」

「ですね。連れていきましょう」

「おい。俺は本当に犯人たちと無関係なんだ!」

「騒がれても面倒ですから。少し眠ってもらいますね」


 イリスが剣を振り上げ、山田の頭に振り下ろす。ゴンという音と共に、彼は意識を失うのだった。

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