第一章 ~『世界最強の男が生まれた瞬間』~
目を覚ました山田の視界に飛び込んできたのは見覚えのない光景だった。老朽化した安普請に、白骨化した死体が転がる石畳、据えた匂いまで漂うスラム街は、治安の悪さを漂わせていた。
そんな暴力が支配する街で、思う存分に力を振るう者がいた。山田を拉致した銀髪の少女、イリスである。人相の悪い男を締め上げて何かを聞き出そうとしていた。
山田は周囲に視線を巡らせると、チンピラという表現が相応しい男たちが、苦悶の表情を浮かべて石畳に転がっていることに気が付く。気絶している者の中には、イリスと共にいた騎士の姿もある。
(何がどうなれば、こんな状況になるんだ?)
「目を覚ましたようですね」
「俺が寝ている間に何が起きたんだ?」
「スラムの男たちが突然襲ってきたのです。それを私が返り討ちにしたのですよ」
「一緒にいた騎士の男も倒れているが……」
「突然のことでしたので、守り切れませんでした」
イリスは悔しげにそう呟く。一緒にいた騎士が奇襲で敗れたということは、石畳に転がっているチンピラたちは、イリス一人が倒したことになる。彼女に喧嘩を売るのは止めようと、山田は心に誓った。
「酒場までもうすぐですね」
「俺は帰りたいのだが……」
「気絶して運ばれたいですか? それとも大人しく付いてきますか?」
「喜んでお供させていただきます!」
山田はイリスの影を踏まないように一歩後ろを付いていく。大和撫子のような気配りだ。暴力の矛先が自分に向かないように、緊張しながら歩を進める。
「ここが酒場ですね」
人が住んでいるとは思えない老朽化した建物、普段の山田なら近寄りたくもない店内から男たちの笑い声が聞こえてくる。
「やっぱり帰ってもいいかな?」
「……少しでも逃げる素振りを見せれば、あなたを気絶させますから」
「奇遇だな。丁度酒場に行きたい気分だったんだ」
逃げることは難しいようだと、山田は腹を括る。
「どうやって店の中に入る?」
「当然、正面からです」
「作戦は?」
「そんなもの必要ありません。私には人質がいるのですから」
「その人質の算段が過ちなんだよ!」
「では突入します」
イリスが酒場の扉を勢いよく開くと、中で酒を飲んでいた男たちの視線が一斉にこちらを向く。カツアゲされたなら財布を差し出し、自分からジャンプしてでも逃げたくなる風貌をした男たちが、何事かとしかめ面を浮かべた。
「観念しなさい! あなたたちの首領は私が捕まえました。大人しくアリアを返すのです!」
イリスが店内に響く声で叫ぶと、男たちはキョトンとした表情で目を丸くする。
「誰だ、あの男?」
「ボスと同じ黒髪だぞ、親戚か?」
「ボスは天涯孤独の身だぞ。そんなはずあるか」
「ならいったいあいつは誰なんだ」
酒場の男たちがざわめき始めると、イリスは気まずそうに山田を見据える。
「もしかして、今回の事件にあなたは関係ないのですか?」
「だからそうだと何度も言っているだろう!」
山田の無実を信じたのか、イリスの顔は青ざめる。
「わ、私はなんということを……」
「俺のことはいいから、はやくアリアを助けてやれ」
「……謝罪は必ずさせていただきます」
イリスはアリアが囚われていることを思い出し、男たちに鋭い視線を向ける。そして小さく息を吸うと、人とは思えない動きで、酒場の男たちを斬り伏せていった。油断していた男たちは何の抵抗もできないまま気絶していく。
「この女!」
「遅いです!」
イリスの剣速は人の限界を超えていた。男たちは次々と仲間が倒れていく様を見て、次第に状況を理解していく。だが彼女に立ち向かう男たちでは、何もできずに斬り伏せられていくばかりだった。
「虎と猫の群れが戦っているみたいだ」
喧嘩に疎い山田でも実力差は顕著に見て取れた。酒場の男たちが壊滅するのも時間の問題だ。
「あとはあなただけですね」
十数人はいた男たちがほとんど倒され、残り一人になっていた。酒場の男たちの中でも一番気の弱そうな男だ。
「アリアはどこにいるのですか?」
「奥の部屋に、ボ、ボスと一緒にいるはずだ」
「これほど騒いでも出てこないとは随分と鈍い男なのですね」
「あの部屋は防音になっているんだ。今頃、ボスはお楽しみの最中さ」
「……ッ……情報ありがとうございます。お礼に気絶で許してあげましょう」
男の言葉にイリスは青筋を立てて怒りを露わにする。情報を聞き出し用は済んだと、イリスは男を切り伏せた。口から泡を吹きながら、床に転がったのを確認すると、イリスはボスがいる部屋へと向かう。
「アリア!」
イリスが部屋の扉を蹴破ると、室内には黒髪黒目の筋肉質な男と、部屋の隅で蹲るアリアがいた。
「アリア……ッ」
山田は気づくとアリアの名を呼んでいた。彼女の色白の肌は頬だけが赤く腫れ、泣いていたのか涙の跡がくっきりと頬に残り、端正な顔が台無しになっている。それに彼女の服は刃物で切り刻まれており、状況から何が起きたのかを、彼は察した。怒りが最高潮に達した瞬間であった。
「おい、アリアに何をした!」
「まだ何もしてねえよ。これからするところだったのさ」
あまりに生意気なんで、自分の立場を教えてやるために何度か殴ってやったと、ボスの男は自慢げに口にする。その言葉を耳にしたイリスと山田の二人は怒りで肩を小刻みに震わせる。
「「絶対に許さない!」」
「許さないならどうするんだ?」
ボスの男はニヤニヤと口元に笑みを浮かべ、二人を挑発する。イリスは挑発に耐えきれず、剣を振り下ろしたが、男の丸太のように太い腕で受け止められてしまう。
「威勢は良いが、俺は金貨四千枚を課金した男だぞ。その程度の攻撃では傷すらつかねえよ」
山田はこの世界では金さえあればスキルや能力値を買えることを思い出す。金貨四千枚という大金を使っているこの男は、疑いのない強者だった。
「イリス姉様、私のことはいいから!」
アリアは心配そうな声で逃げるように促すが、イリスに逃げる素振りはない。
「安心してください。アリアは私が必ず助けますから」
そこからボスの男とイリスの戦闘は勢いを増していく。肉眼で捉えられないような速さで動く二人は、人間の限界を遥かに超えていた。
だがそんな戦闘も長くは続かない。二人の動きが止まり、イリスが膝を付いて倒れこむ。口元から血を流すイリスと、余裕の表情を浮かべて彼女を見下ろすボスの男。勝敗は決したのである。
「どうすれば……」
世話になったアリアを助けたい。だが喧嘩すらしたことのない山田には戦えるだけの力がなかった。
「どれだけ金を稼ぐ能力が高くても、こんな状況では何の役にも立てない!」
金融界のハイエナとして世界中のビジネスマンと戦ってきた山田だが、拳を使っての戦いは大の苦手だった。少しは身体でも鍛えておくべきだったと、彼は唇を噛みしめる。
「いや、違う。思い出せ。コンソールは異世界人だけの特権じゃない! 俺も金の力で強くなることができるはずだ」
山田はコンソールを表示し、ステータス購入画面を開く。並んだスキルにざっと目を通していく。
「俺でも買えるようなスキルはないのかっ」
山田はスキルや魔法を価格の安い順に並べる。このような課金型のコンテンツは無課金ユーザでもお試しで購入できるような仕様が多い。初心者でも優しい設計になっていることを祈りながら、表示されたスキルを確認していく。一番上に表示されたスキル、『早口言葉を噛まずに言えるスキル』は銀貨一枚で売られていた。
「早口言葉で戦えるかぁ!」
絶望する山田の視界の端に、数字の羅列が映る。そこに記されていたのは彼が現在保有している金貨の枚数である。ゼロの数を数えてみると、一万枚の金貨を保有していると明記されていた。
「そうだ、俺には闘技場の賭けで得た金があるんだ!」
さっそく課金することを決めた山田だが、彼はまだこの世界のスキルや魔法について詳しくない。そこで彼は知識がなくても強くなれる身体能力などの能力値を強化することにして、購入画面を開く。
「スキルや魔法に比べると随分と安いな」
山田のコンソールには能力値をカンストさせるために必要な課金額が記されていた。その金額は金貨一万枚でも十分お釣りがくるものである。
「俺に適正があるということか」
山田はアリアから聞いた話を思い出す。この世界のステータスは金で購入することができるが、その金額は人によって異なる。魔法の才能を持つ者は魔法の価格が安く、スキルの才能を持つ者はスキルの価格が安い。
同様に山田には能力値向上の才能があった。人によっては金貨一千万枚でも足りない体力と魔力と身体能力の最大値化を果たすために、彼は購入ボタンを押す。この世界最強の人間が生まれた瞬間であった。
「おい、木偶の坊!」
「なんだ、小僧。死にたいのか?」
人を威圧することに長けた声は人を恐怖させ、丸太のような腕は、殴られたら死ぬのではないかと不安を想起させる。だが山田は恐れない。万能感に満ちている彼は、眼前の敵を蟻でも見るかのように見据える。
「俺を倒せるのなら倒してみろよ」
「調子に乗るなよ、小僧!」
ボスの男が腕を振り上げて、山田を襲う。先ほどまでは目で追うことすらできなかった彼の動きが、能力値をカンストさせた彼には止まって見えた。
試しに殴られてみるかと、山田はわざと攻撃を受ける。拳の風圧が周囲の机や椅子を吹き飛ばしたが、彼の体には傷一つない。
「なんだ、お前は! どうして俺の攻撃で吹き飛ばない!」
「課金が足りてないからだろ」
山田は人差し指と親指で輪っかを作り、男のデコの前で構える。
「耐久力は十分あることが分かったし、次は破壊力だな」
「何を言って……」
「手加減してやる。感謝しろよ」
山田は人差し指に貯めた力を開放すると、指に込められた力が男のデコで炸裂した。ただのデコピンの衝撃とは思えない力で吹き飛ばされた男は、トラックで跳ねられたかのように、酒場の壁を突き破って遥か彼方へと消える。
「二人とも大丈夫か?」
山田が二人に駆け寄ると、彼女たちはポカンと口を開けたまま茫然としていた。
「……あなたはいったい何者なのですか?」
イリスが瞳に畏怖の感情を含ませる。山田は口元に苦笑を浮かべて、こう答えた。
「俺は山田一郎、外資系投資銀行に勤める、ただのハイエナだよ」
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