離れるべき

受験。


引退すればその言葉一色。


「春は将来の夢とかないの?」


そう七瀬先生にふと聞かれたのは廊下でたまたますれ違った時。


「特に。近い将来の夢やったら卒業したいとかそんなもん」


「それは心配せんでもできる(笑)」


あの引退式の日以来、下の名前で呼んでくれるようになった。


とりあえず今が幸せすぎて将来どころではない。


これ以上望むと嫌なことが起こりそうだ。


「高校どうするんだっけ?」


「商業行く」


「ああ、なるほど。まあ、お前いい普通科の高校いける頭持ってないしな。悪くないとはいえ」


「うるさい(笑)」


「だって教科偏りすぎだもん(笑)」


「それは認める」


「はは(笑)」


私立の試験はもう終わったから、専願で私立を受けた人はもう残りはヘラヘラして授業受けても卒業できるわけだけど。


私は公立。私立も受けて受かったんだけど、行く気はない。公立に落ちてしまったら行くというだけだ。


さっき言われた通り、頭のいい人材ではない。だから、仕事に繋がる商業を選んだ。パソコンを打つのが得意で技術が教師に勧められたという理由も含めて。


ちなみに公立試験まで一ヶ月はもうきっている。


「あ〜卒業したくない〜」


クラスに戻るとそう嘆いてる愛ちゃんがいた。


「なんで?」


「だって、いつまでも七瀬先生の社会受けたいねんもん!」


「そんなことかい(笑)」


「春ちゃんはそう思わんの?!」


「卒業してまでそうは思わんわ(笑)」


卒業すれば、華のJK。


SNSのプロフィールを早くJCからJKに変えたい。そう思う今日この頃。いや…多分一年以上前からそう思っている。


「あ…」


「ん?」


私の向かいに座る愛ちゃんがポツリとそう呟く。


「え、さっき廊下で会ったばっかやん」


そこには七瀬先生。


「澤山先生の代わりで来たんだよ」


「あ、そう」


澤山先生とは英語の澤山、通称さわ。満26歳の若い先生。とても生徒になめられ体質でよく暴言を吐かれるタイプの教師だ。担任になりたいと嘆く毎日だが今のところずっと副担任人生を送っている残念なやつ。ちなみに三年間連続で七瀬先生のクラスの副担任である。


そして、今日はそいつが休みらしい。


「あ、春。荷物運ぶの手伝って」


「そういうのんさあ、男子に頼めば?!」


「春、女子っぽくないから問題なーし!ほれ、早よ行くぞ」


授業が始まってから、そう言われて二人で教室を出る。


春の香りが少しするもののまだ少し冷たさが残る風が廊下に出ると一気にあたる。少し寒い。


「寒い」


「そう?そんなに寒くないけどね、俺は」


「セーラー服って寒いねん。知ってた?」


「知らん」


「だってこんなに首あいてんねんで?!」


「そうだね」


この人の態度はもしかしたら風より冷たいかもしれない。いやきっとそうだ。


ただ、風には心がないけれど、この人には心がある。


「え…っ?」


「寒いって言ったんお前やろ」


そしてその心は実はあったかかったりもする。


先生は寒いという私に、自分のスーツの上着を私の肩にかけてくれた。


「ありがと…ございます」


「別に。お前が寒い寒いってうるさいから」


「え?そんな何回も言ったっけえ〜?」


「…知らんけど…、じゃあセーラー服について語り出したん誰やねん」


「ん〜(笑)まあ、ありがと!」


「だからっ!別に!お前が寒いからとかじゃなくて…お前が相変わらずうるさいから!」


「はいはい(笑)」


いつものツンデレを対処しながら、スーツの袖に腕を通す。


案外、ツンデレな七瀬先生と会話する日常が一番楽しかったりする。


「はい、これ持って」


渡されたのは大量の英語テキスト


「おも」


「お前なら大丈夫、行くぞ」


「だって四階まで行かんとあかんねんで?!」


「絶対大丈夫」


そう言いながら私の二倍くらいの量を持つ七瀬先生。


「重くないん?」


「前も言ったけど、俺は物理的に女子生徒二人持てる力はある」


「ああ…そうえば言ってたな」


なんの時に言ってたっけ…と思い出してみる。


そうだ…あの時だ。


『普通教師が言わないこと言うよ』


『好きかもしれない』


『今は…。俺、お前に恋してる』


保健室でそう言ってくれた日。


普段なら絶対言ってくれないような…率直な言葉をあの時は伝えてくれた。


まあ、このツンデレ教師、なにかとこういう時はちゃんと言ってくれるんだよなあ…。


あの時以来〝好き〟とか言ってくれないけど…。


「何を思い出して何不安になってんの?」


「いや、何当ててんの?って言いたいねんけど(笑)」


「表情で大体わかるんだよ。まあ、残念なのは何かまではわからないんだけどね」


「そ…」


間をためる


言うべきか言わないべきか


いやここ学校だし


もしかするともしかすれば誰か聞いてるかもしれないし。


でも言いたい


だから


「あん時みたいなこと言ってくれへんやん?」


遠回しに言ってみる。


「物理的に女子生徒二人持てるって話した日のことを〝あん時〟って言ってるのかい?」


「よくお判り」


「そんなん…言わなあかん?」


「女子の気持ち分かっておられんねえ」


「女子の気持ちがどうというより、お前なら俺がどういう人間か知ってるだろ?そういうこと言うタイプじゃないって…」


「あん時は言ってくれたのに?」


「あれは別」


「じゃあ今度、別って言えるような状況になった時に絶対言ってな?」


「言わんくてもさ…そこは察せよ」


「ほほーん(笑)」


こうなれば目も合わせてくれないし、横並びで歩いてもくれない。


なんてわかりやすい人なんだ…


ちょっと安心できたカモ。


なんてノロけていたら。


「ななてぃーーひっさっしっぶりっ!」


後ろからそんな声が聞こえた。


叫びながら廊下を駆けてきたのは、服装ダメダメのヤンキーだった。メイクもしてるし、いかにも関わりたくない雰囲気を醸し出している。ちなみに名前も知らぬヤンキーだ。


「おはよう」


「おはよう!覚えてる?美咲のこと!半年ぶりくらいやけど」


「こんな格好してるやつ覚えてないわけないやろ」


「やーん!ななてぃー愛してる!」


「俺は愛してない」


「なあんでそんな冷めてんの!」


そう言いながら、美咲というらしきヤンキーは、容赦なくボディータッチを繰り返し、いまや七瀬先生の腰に手を回している。


客観的に見るとかなりエグい。


「ああもう触んなや!(笑)」


「え〜〜!あ、どうも〜」


「あ、ははっ…」


急にどうもと言われて、から笑いをする私。明らか誰が見てもから笑いと分かるような反応だったが、このヤンキーは気にもしていない。


「え、まって!ななてぃー、指輪つけてたくない?!美咲のライバルおらんくなったの?!」


「誰がお前のライバルやねん」


「ななてぃーの奥さん!」


「指輪で判断するのはよくないよ。なあ、春?」


「え?(笑)」


私でさえ指輪のことはよく分かってないのになんという意地悪だ。


ヤンキーがこっちに絡んできたらどうするつもりなんだこの教師は…


「え、どういうことなん?」


ほらやっぱり…


「いや、うちはあんま知らん…かな?」


「あ、そうなん!ってかななてぃーに下の名前で呼ばれてるん!どういう関係な〜ん?」


「え、いや普通に生徒と教師やけど…」


「もしかしたら、春っていう苗字かも知らんやんけ」


「そんなんありえへんやろ〜」


「こいつの上の名前聞いてみ」


「えっ、なんていう苗字なん?!」


「え、いや彼方です(笑)」


「珍し!!下の名前みたい!」


「ほら、下の名前みたいな苗字もあるねん」


なんでうちはこの瞬間に教師とヤンキーに名前で遊ばれてるんだ…。


苦笑いしかできない…。


「え、でも結局、春が下の名前やーん!怪し!だってなんか知らんけど上着着てるし!」


「あ…(笑)」


「別に俺、お前のことも下の名前で呼んだりするやろ(笑)なんの深い関係もないのに」


「あ!ほんまや〜!でも上着はなんなん?ななてぃー!!」


「うるさいな、上着はいろいろわけがあるねん。美咲、三階やろ」


ビクッと体が反応した。


下の名前で呼ばれてるのは絶対私だけだと思っていて。


特別だと思っていた。だから…


「うん!バイバイ!」


「授業ちゃんと受けろよ」


なんか仲良いし…。


一気に心が重くなる。その重さが英語のワークに移る。


「待って重い…限界…」


「あと一階やんけ(笑)」


嫉妬ってやつなのか?これは…。


「せんせー…やっぱ言ってえや…」


「え?」


だから確認したくなった。


「さっき、別な状況になったら絶対言ってって言った言葉…」


「は?なんでやねん(笑)」


「だって…」


「誰に嫉妬してんねんお前。気にせんでいいよ。そんなん」


「うちが愛してるって言ったら、俺は愛してないって言わん?俺もって言ってくれる?」


恋の経験が浅かったからか、男の人に嫉妬なんて初めての経験で。


なんか視界がうるうるする。


気付いてなかっただけで嫉妬しやすい体質なのだろうか私は。


「何泣いてんねん」


「だって…先生照れ屋すぎるんやもん」


「意味わからん(笑)お前がワガママなんやろ」


「それも意味不」


「はいはい…。俺は好きじゃないやつに、持ち物運ぶの着いて来てとか言わんよ。だって普通考えたら男子の方が楽やもん。お前はそう思ってないか思ってくれてるか知らんけど、俺はお前とおる時間が増えればなと思って…」


「だから?」


「だから…そういうことだよ」


ワガママ。


確かにそうかもしれない。


この人が素直じゃない


そしてツンデレで…


照れ隠しばっかりして、冷たい言葉を人に浴びせちゃうことくらい知ってるんだから


理解しよう…。


「ありがと。嬉しい」


「なんや、そんなもんかよ(笑)」


「もっと言ってくれるん?」


「言わん」


「しゃーなしこれで終わる」


「しゃーなしはこっちのセリフやわ(笑)だってお前さあ、さっき卒業してまで俺の授業受けたいと思わんとか…言いやがったくせに」


「え、聞いてたん…(笑)」


「うん」


「なに、ショックやったん」


「別に?」


本気でそう思って言った言葉ではなかった。


ただ、七瀬先生のファンの前で七瀬先生七瀬先生言わないようにしているだけだ。


先々と階段を上がっていく七瀬先生の背中を見て、下ろした教科書を持ち直して駆け足で追いつく。


「嘘やで?先生の授業、誰の授業よりも好きやもん」


「他の先生に失礼だね」


「とことん返すのやめてえや、さっきからさあ(笑)」


「とことん返すじゃなくて、とことんつっこむ」


「もう、面倒いって!(笑)」


そんな会話をしていると、教室の前。


ワークを一度床に降ろした七瀬先生が、お前も降ろせと指だけで指示してくる。降ろすと、スーツの上着を脱がされ、七瀬先生が羽織り、再びワークを持って中に入った。


まあ…そうした方が正しいだろう。さっきのヤンキーにああ言われたし…。本当のところ『わけがあるねん』で済ませれる話ではない。きっと。


そして、教師がいない教室の中はとても賑やか。みんな近くの人と笑い喋り合っている。


「はい、もう今から喋るな。ワーク配るから。人になんか聞いたりもするなよ」


他の先生だと自習はゆるいことが多い。席移動とかしてもいいし全然喋れるし。ただ、七瀬先生が自習を担当するとこうなる。正直、これは嫌いだ。


さっき言われた通り、教科が偏っている私。英語が一番できない。人に聞くなとか殺人行為だ。


しかし、ワークの後ろに答えがあることを見つける。私は、書いてめくって答えを見るというのを繰り返す。


すると、教室を回り始めた七瀬先生が私の横を通る時、自然な感じで紙を机の上に置かれる。


パッと見上げて顔を見ると、嫌な半笑いをしている。


〝アホ〟


書かれているのはただそれだけだった。


むかつく…けど。


なんだか笑みがこぼれた。



「あんなんわざわざ渡さんくていいし(笑)」


「そんなん言いながら笑ってたやろお前。一人で笑うな恥ずかしい」


「うちが笑ってたことなんか気付いてんのどうせ先生だけやし」


「まあ、俺だって気付きたくて気付いたわけではないけどな」


「はいはい(笑)」


そうして七瀬先生が教室を出て行くと。


さっきのヤンキーが教室に入ってきた。


「なあ!さっきの子やんな!ななてぃーとワーク運んでた子!」


「え、あぁ…そうやけど…」


急に勢いよく話しかけられて引き気味に返事する。


すると思わぬ言葉をぶつけられる。


「なあ!ななてぃーとどういう関係なん?」


「え?」


教室がしんっと静まりかえる。ヤンキーは声量がでかい。さらに、ヤンキーは恥がないから静かになったところで話し続ける。


「いや、さっき変な会話してたやん。いかにもただの生徒と教師じゃせえへんような感じのさ!」


「…そんなんしてたっけ?」


とりあえずとぼけてみる。


「んーじゃあ来て!」


「えっ」


そう言われれば腕を引っ張られ、人気のないところに連れて行かれて、そのヤンキーはポケットからスマホを出した。


「びっくりしすぎてさあ、すぐ動画動かしてん!なあ、この会話どういうことなん?」


そう言って再生された動画には…



__誰に嫉妬してんねんお前。気にせんでいいよ。そんなん


__うちが愛してるって言ったら、俺は愛してないって言わん?俺もって言ってくれる?



「ちょ…っ、これ…」



__俺は好きじゃないやつに、持ち物運ぶの着いて来てとか言わんよ。だって普通考えたら男子の方が楽やもん。お前はそう思ってないか思ってくれてるか知らんけど、俺はお前とおる時間が増えればなと思って…


__だから?


__だから…そういうことだよ



「どういう意味の会話なん?」


「別に深い意味は…ないで?」


「いや、お前とおる時間が増えればとか普通言う?しかもあのななてぃーが」


「普通に…仲良いから…かな?七瀬先生と」


「仲良いだけの会話じゃないやろ。美咲それくらいわかるし」


「いや、ほんま…違うから」


「…ふうん。っそ。信じへんけど」


「いや…」


ただしかし、スマホを持ってきてることがバレれば即没収だから七瀬先生に動画を見せることはできないだろうと思い少し安心する。


だが、この女子をなめてはならなかった。



次の日。


「おはよう」


ポンっと両手で肩を叩かれたと思ったら、背後には七瀬先生。


「おはよ」


「おはようございますだろーが」


そう言ってポコっと頭を叩かれる。


「今更いいやん、それくらい(笑)」


「いや、いいんだけどね」


そうやって絡んでると…やけに視線を感じる。色んなところから。


そして声が聞こえた。


「ほんまなんちゃう?怪しい関係って噂。付き合ってたりして」


「付き合うまではいかんやろ…。あ、でもななてぃー最近指輪外したらしい」


「え、怪しすぎやろ(笑)」


思わず耳を澄ましてしまった。


どういう手を使ったかわからないが、美咲というヤンキーがどうにかして広めたのだ…。


「どうした?春」


声は私にしか聞こえていなかったようだ。


「ん…いや、なにも…。じゃあ!うち教室行くから!」


「お…うん」


明らか変な感じで走り去ってしまったが、今、七瀬先生の近くに寄れる状態ではない。


もし…もし、誰か教師にばれて…そこからまたさらに広まってしまったら。


七瀬先生はきっとこの職でいられない。



離れないと。



離れるべきだ…



離れるべきなんだ…。

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