13.不愉快だよ、そんなの。私には何の得も、ないじゃない。
どうして、という戸惑いで足が止まった。
部活の帰りに立ち寄ったショップで長距離用の新しいスパイクを買い、弾む気持ちに身を任せながら店を出た私の数メートル先に、葛城がいた。その隣には、分相応に上品な雰囲気を纏った愛花の姿。彼女の顔色はどこか優れないようで、足下もどこかふらついている。
土曜日の夕方に、二人で、こんな場所に。その理由は? じっと二人を見つめていると、行人がこちらに気付いて目を見開いた。急に立ち止まろうとしたからか、彼の脚が少しもたつく。その挙動に違和感を察したのだろう、愛花が彼を見て、それから同じように私へ目線を向けた。
「ああ」
言葉にならない落胆の気持ちを抱いたのだろう。
彼女は大仰に溜息を吐いて、露骨につまらないという表情を浮かべた。
それでも彼の手前だからか、すぐに気を取り直し、繕った笑みを貼り付けたまま、「こんなところで真心に会うなんて奇遇ね」と声を掛けてくる。
「あ、うん。まあ、地元だし。奇遇ってほどでもないと思うけど」
「部活の帰り?」
「うん。帰りがてら、ちょっとシューズを見にきたの」
大人びた服装の愛花と高校の芋っぽいジャージ姿に身を通した私が話しているというのは、学校の中と違ってどこか恥ずかしい気分になる。モデル体型の彼女の私服は完全に武装していて、ただでさえ近寄りがたい。
その隣で硬直したままの葛城は、どこか後ろめたさを感じているのか、私と目を合わせようとしてくれなかった。
「葛城くんも、一緒なんだね」
見れば分かることをあえて口に出すと、愛花が「ちょっと、色々ね」と言葉を濁らせた。間が持たない空気を繋げるための糸が途切れてしまう。
それにしたって、色々、だなんて誤魔化さなくたっていいじゃない、とも思う。
服装を見るだけで、これはデートなんだ、と主張しているようなものだ。気のない男子と外に出るのであればそんな気取った服は着ないだろう。何がちょっとね、だ。同性なんだからそれだけ着飾った意味くらい分かるっていうのに。
色々、という言葉の先は尋ねてくるな、という意図を匂わせるのもどこか癪に障る。
「まあ、ここだったら映画もボウリング場もあるし、何をやるにしても困らないよね」
近からず遠からずの場所を当てつけるようやっかむと、葛城が肩をびくりと揺らした。
「羨ましいなぁ」
続けざまに心にもないことを言うと、「ちょっと」と愛花が声を上げた。どこか突っかかってくるような声音。聞き捨てならない、という態度をそのまま私にぶつけてくる。
「それ、ここで言う必要あるの?」
「ごめん。つい本音がさ……。だって休みの日にデートだなんてさ。こっちは部活でヘトヘトなのに」
「陸上生活に時間を捧げるって決めたのは真心でしょ。その間、私と行人が遊んでいてもそれに嫉妬とか羨望とか突き付けられても、どうしていいか分からないよ。だから今度からはやめて。不愉快だから」
はっきりそう口にした愛花は、それきりそっぽを向き、不機嫌な態度を露わにしたままスポーツショップに隣接する雑貨店に入っていった。どうやらまだ行人との買い物は続くらしい。私に途中で出くわした程度では中断になったりするようなことでもないということか。
愛花が葛城に「早く行こう」と手招きをする。けど、彼の脚は動かないまま、愛花に「ごめん」と頭を下げた。
「先に入ってて。少し、栗原と話があるからさ」
「……本当に少しだけよね?」
「本当だって。嘘なんかついてどうするんだよ」
「私と一緒に行動しているってこと、忘れないでくれればいいわ」
学校では見たことのない愛花の一面を前に唖然としていると、葛城が「ごめん」と謝ってきた。彼が頭を下げることでもないのに。そういう彼氏気取りをされると余計にもやもやするんだってこと、分かってよ、と言いたくなる気持ちをぐっと飲み込む。
「……いや、別に葛城が謝ることでもないでしょ。にしても驚いちゃった。あんな愛花、学校では見ないから」
「僕の前だと結構あんな感じではっきりしてるんだけどな」
「悪態をつくとか、怒るとか、そういう所を見たことなかった。いつも笑顔だし」
「そうかな。結構、喜怒哀楽ははっきりしてると思うけど」
小学校からの付き合いだからか、昔を思い出すように言ってから、葛城は苦笑いを浮かべる。
「そうそう。誤解してるようだといけないから言っておくけど、デートじゃないから」
「はっ?」
「いや、なんというか、作戦会議というか、資料集めというか……。とにかく、これはデートじゃないんだ」
葛城の言葉もはっきりとしたものではない。部活動だってろくにやっていなかったはずだ。
「良く分からないけど、映画館とかボウリング場とか行ったんじゃないの?」
「……まあ、それは否定しないけど、あくまで調べ物の延長線でさ」
それは、デートの予行演習ということだろうか。
「今日ここで出会ったこと、あんまり口外しないで。学校に広まったら、それはそれで困るから」
「いいけど……」
学校中に広まれば、学園のアイドルとして持ち上げられつつある愛花の評判はそれなりに落ちるだはずだ。アイドルなんてのは純粋無垢であってこそ。恋愛沙汰があればたちまちスキャンダルだと野次馬が騒ぎ立てる。あることないこと流布して回る。そこに多少のやっかみや嫉妬が混ざっているのは珍しくもない。
実際、愛花は、学校の男子からちやほやされていた上級生の女子からは良い印象を持たれていない。裏では売春をやっているだの何股もしているだのと、根も葉もない噂を耳にしたことだってある。
人間、誰だって自分は完璧でありたいのに、他人が完璧だというのは許せない、という感情は持っているものだから。
「でも、こんな所でデートまがいなことしてたら、私以外にも見たって人、いるんじゃないかな?」
私にだって見られているのだから、日がな一日ここでぶらついていたのだとしたら、同級生や先輩に目撃されていてもおかしくはない。学園中にその姿を知られている愛花のことだから余計にその確率は跳ね上がる。
「……それはそうだよね。こうやって栗原とばったり対面して、あらためて思った」
「愛花ちゃんだってそれくらいのこと分かってるはずなのにね」
だからきっと、彼女は確信犯なのだ。こうやって表向きデートに見えることを葛城とやっていることだって、すべて計算ずくでなければおかしい。
「愛花ちゃん、学校の誰かに知られるのを気にしてないんじゃないかな」
「そうだとしても、あんまりいいことじゃないと思うからさ。お願いだ、栗原」
私に口止めをお願いしてくる葛城の表情は、どこか怯えているようにも見えた。愛花に対してではなく、もっと何か別の存在に。
「頼む」
懇願するようにも見える葛城の態度を訝しく思う。
「誰かにばれたくないの?」
「まあ、それが一番の本音だけど」
「それって誰――」
「ねえ行人、いつまで話してるわけ?」
――ああ。
どうして、という声が洩れた。あまりにも小さな声だったし、葛城は苛立った様子の愛花に気を取られて聞こえていなかったのかもしれない。
あのときと同じだ。
また、逃した。
「ごめん、それじゃ、さっきのことはよろしくね。また学校で」
矢継早に別れの言葉と念押しと感謝とを言い並べた葛城は、愛花の元へ駆け寄っていった。愛花はふくれっ面を浮かべ、同時に私に対して敵対心でも宿っているような眼差しを向けてくる。
どうしてそこまで黒い感情を突き付けられないといけないのか理解ができない。
ぼうっと葛城の背中を眺めていたものの、やがて彼は雑貨店の奥に入ってしまい、愛花とともに姿が見えなくなってしまった。背中が見えなくなってからようやく、先程の約束を思い出す。
どうしてあの程度の約束を守る必要があるのだろう。口を固く閉ざしたところで私には何の得もないというのに。
そう、そうだよ。
愛花に向けられた黒い感情と同じものを抱いてから、それが敵対心なのか嫉妬なのかも有耶無耶なまま、私は再び歩き出す。スパイクシューズの入ったエナメルバッグの金具がぎしりと鈍い音を立てながら後をついてきた。
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