泥まみれの雪が解ける頃

12.偽りの春


 待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、店の奥、窓際の席で愛花が待ってくれていた。「遅いわ、行人」

「ごめん……姉貴に捕まって、駅まで自転車で来られなかったんだ」

「だったら連絡の一つくらいしてくれればいいのに。それすら寄越さないんだから、心配したのよ?」

「それは本当にごめん。気が回らなかった。ここは僕が持つから、好きなもの注文していいよ」

「もうコーヒー頼んじゃったし。それに、この時間にそんなこと言われても、お腹に入らないって。朝からパフェなんか食べる元気ない」

「それじゃあ、ここのお代と昼ご飯も僕持ちってことで」

「……それなら許す」

 少しだけ笑みが戻ったのを見て、僕はほっと一息つく。財布は確実に泣くんだけどな。

 愛花が注文した珈琲が運ばれてきた。店員が「お待たせしました」とテーブルにカップを置くところで僕は声を掛け、同じ珈琲をもう一杯注文する。

「で、今日は何をするの」

「昨日も言った通り、どうやって桂坂との過去を清算するのか、それを考えるの」

「……本気で? それって休日まで使うことなの」

 学食で色々あって話が途切れてしまっていた、復讐の方法。それをこの週末――つまり今日にでもしないか、という電話を受けて、特に断る理由もなかったからこうして集まっているわけだった。

 冗談だと思っていたけど、まさか本気だったとは。

「だって、一刻も早くこんな状況から脱したいじゃない。休日まで使うことなのか否かと問われれば、私の答えは紛うことなくYESよ」

「まあ、僕もYESかNOかって言われれば、嫌、とは言わないけど」

 端からすればこんなの、デートか遊びのようにしか見えないだろう。休日にデート。それも愛花と。クラスメイトや上級生に知れれば忽ち噂になるのは目に見える。桂坂だって当然、聞き及ぶはずだ。

 負う必要のないリスクを犯してまで復讐について考えるだなんて、愛花の桂坂に対する恨みは相当なものなのだろう。

「それに、私とこうして休日も一緒にいられるのだから、役得だと思わない?」

「思うと同時に明日以降が怖くてたまらなくなるね」

「デート、みたいよね」

「あ、うん。……そう、だね」

 口に出されると、意識しないわけにはいかなくなる。

 淡いブルーのデニムに薄い桃色のシャツ、その上に白のジャケットを羽織った愛花は、その大人びた容姿と相俟って完全にモデルの雰囲気だ。言わば完全武装。そんな格好をされてしまうと、僕も気が引けてしまう。そういう目的で集まったんだっけ、と勘違いしてしまいそうになる。

「なんか、元気ないわね」

「まぁ、色々あったから」

「私が相談に乗ってあげよっか?」

 僕は首を振ってやんわりと断わりを入れる。悩みの種は愛花のことと復讐のことだから、とは言えない。

「で、これからどうするの? この喫茶店でずっと会議とかするわけ?」

 気を入れ替えるがてら尋ねると、愛花は「それもいいかもね」とまんざらでもない様子だ。

「それも、ということは、プランがあるんでしょ」

「あるにはあるけど、雑貨屋とか書店とか映画とか」

「それって完全にデートじゃないの」

「雑貨屋で包丁とか紐とか見て回ったり、虐殺全集とか恨みを晴らす方法が載ってる本を探したり。でもって最近公開になった映画の中でいじめとか犯罪をテーマにした作品が公開されたみたいだから、それを見に行こう」

「物騒なデートだ」

「違うわ。デートじゃないわよ。あくまでデートチックなだけで、そこの線引きは明確だから」

「客観的に見たら――」

「デートじゃないからっ」

 愛花曰く、これはデートじゃなくて出張会議の一環だ、ということで収めるつもりらしい。言っても詮ないことなので、諦めた。デートか否か、なんて主観的な考えは意味を為さないし、争っても仕方ない。

 やがて僕の分の珈琲が運ばれてきた。それを啜りながら適当にプランを練り、映画は午後にして、空いた時間で他の場所を回ることにした。幸い、この街は複合商業施設が乱立していることもあって、丸一日時間を潰すくらいだったら困らない。

「とりあえず、まずはチケット確保したいから映画館に行こう。それから本屋と雑貨屋で時間を潰す」

「チケット代はさすがに折半でいいよね」

「恋人じゃないんだから、そこは私も出すわよ」

 そう逐一線引きされると僕もそこそこに精神的ダメージを喰らうのだけど……。

 弾まない気持ちを胸に喫茶店を出て、劇場でのチケット販売列に並ぶ。売り場の電光掲示板を見ると、二時半から五時までの上映分しか残っていないようだった。

 愛花が選んだ作品は、殺人鬼がとある街の住人をゲームに参加させて互いに殺し合いをさせる、という使い古された定番の内容。血だの残酷なシーンが苦手な僕は最後まで抵抗したものの、愛花は少しも折れてくれなかった。

 窓口に辿りつくまでに説得ができず根負けした僕は、愛花の見たい映画のチケットを確保する。

 それから、予定通りに書店へ向かった。

 愛花は書店に入ると、真っ直ぐに目的地に向かっていく。迷いのない足取りについていくと、多数の小説に紛れ込むようにして、おどろおどろしいタイトルの本が並んでいた。

「中世のヨーロッパとか昔の日本とかはさ、結構えぐいことを見世物にしてたっていうじゃない。魔女狩りとか悪魔憑きを殺すなんてのはその典型だし」

「桂坂は魔女でも悪魔でもなく魔王って感じだけど」

「魔王の殺しかた、か……。そんな本は流石に見当たらないね」

「そういう話になるとファンタジーとかSFだろうな。この世界に魔王なんて実在はしないし」

「でも、魔王を殺したところで現実世界だと過去の傷は癒えないのよね……」

 愛花はそう呟いたきり、口を閉ざしてしまった。

 SFやファンタジーの世界であれば、魔王を倒せば犠牲になっていた家族や恋人が蘇るなんて話も奇跡の一言で片付けられるが、それは御伽噺の世界だからこそだ。偽りのエピローグというか、物語だからこうしないと、みたいなハッピーエンドになるのが大半を占める。だけど、この世界でそんなことは起こりえない。傷つけられたままの心は魔王がいなくなったところで修復のしようもない。

 愛花の側でいくつかの本を手に取ってみる。『虐殺全集』なんて物騒なタイトルの歴史作品や、『猟奇的殺人』と銘打ったノンフィクション。そんなタイトルばかりが目についた。

「ねえ、これとかどうかしら?」

 そう言って愛花が携えてきたのは、『この世界に愛はない』というハードカバーの小説だった。作者に見覚えがないが、帯には有名な文芸賞の大賞受賞作という宣伝文句が捲かれている。

「あのさ。昨日も言ったけど、別に復讐とか殺戮とか、そういったものに拘ってるわけじゃないから。その本は読み物としては面白そうだけど、そろそろキーワードから離れないかな」

「でも、何かの参考になるかもよ?」

「ハードカバーは買わない主義なんだ。その小説が大売れして文庫版にでもなったときに読むよ」

 千うん百円もする本を興味のそそられるままに買うほど裕福なわけでもない。

「とりあえずさ、僕としてはもっと何かないの、って思うんだけど」

「虐殺とか復讐とかじゃなくてってこと?」

「うん、だからそういうキーワードを口にするのはやめようって」

 こんな殺戮じみた言葉を衒いも抵抗もなく声にしてしまう彼女は、とてもじゃないが正常とは思えない。

 僕たちの会話を聞いていたのか、本の陳列をしていた店員が訝しげな眼差しをこちらに向けていた。やばい、と直感し、僕は店員から見えない場所まで愛花を引っ張る。

「なんかちょっとおかしい人たちに思われてるよ、僕ら」

「失礼だわ。どっからどう見ても普通にしか見えないじゃない」

「容姿はそうだろうけど、会話が物騒だって」

「……じゃあ、今日の禁止ワードということで」

 右手の人差し指を立ててふっと微笑む愛花は、どうしてか嬉しそうな表情を浮かべていた。左手には棚に戻しそびれた小説を掴んだままだ。

「ついでだからさ、この本、買わない?」と愛花が本を掲げてみせた。

「買うのは良いけどさ……」

 裏表紙を見ると、やはりそこそこの値段がする。さっき買った映画のチケットよりも値が張るじゃないか、と言いたい気持ちを飲み込んだ。

「これを欲しいのは私だから、お金も私が出すわ。もし読みたくなったら、折半してね」

「……まあ、それなら」

 別にいいよ、という意思をみせると、愛花はそれで満足したようだった。そのままレジへと向かい会計を済ませ、戻ってくる。

「行人は何か欲しい本、見つかった?」

「いいや、特には。それよりも昼飯にしない? 混む時間に並ぶよりはいいだろうし」

 少しだけうんざりした気持ちだった。復讐だの清算だの、そういう目的の下に参考となる本を探すというのは、本に対する冒涜のような思いもある。人を殺すための道具や資料にしてはいけない。そういった資料は、あくまで新たな創作のために用いられるべきであって、現実世界に持ち込んではいけない代物だ。

 それから軽めの昼食にし、少しだらだらしてから映画館に戻ってくる。この頃にはもう、僕たちが見る回を含めて全席完売になっていた。どうやら大盛況な作品らしい。リピーターも多いらしく、何枚か版権を集めると劇場限定のグッズが貰えるとのことらしかった。最近じゃどの映画もそんなことをやっている。

「にしたって、こんな残虐な映画、正直言って見たくないんだけどな」

「音だけでもそれなりに臨場感が味わえるらしいわよ」

「臨場感とか、トラウマを抉ってくるだけじゃないか……」

 過去のトラウマを引き摺ったままの僕にとって、凶器が幾度となく出てくるだけでなく、実際に残虐なシーンも映してこその映画なんてものは苦痛以外の何物でもないのだけど。

「……これ、どうしても見なきゃいけないかな」

「トラウマの克服も兼ねて見ようって。映画だから展開さえ掴んでおけば、苦手なシーンまでに心づもりはできるし」

「それはまぁ、そうだけど……。そう簡単に克服できないからトラウマ、なんだよ?」

「怖かったら手でも繋ぐ?」

 愛花が微笑む。

「いや、それは僕のプライドがなんとなく許せない」

「そんなつまらないもの持っていてどうするの?」

 いや、プライド捨てるだけなら簡単なんだけど。手を繋ぐ勇気を持つのが大変なんだってば。そういう所を図って鈍いフリをしているのか、それとも天然で気付いていないのか。

「なんにしても、そろそろ始まるから会場に入ろう」

「あ、逃げた。私と手を繋ぐのがよっぽど嫌なのね」

 口を曲げる彼女を先へと促しながら、僕たちは劇場内に入った。手繋ぎなんて、デートじゃないんだから期待しちゃいけない。

 席につくと、間もなく映画が始まった。

序盤はただただ残虐で凄惨な光景の連続だった。どうしてこんな作品がウケるのだろう。劇場を満員にするほど魅力的な内容だろうか。こんな、残虐な光景を、どうして魅力的に思えるのだろうか。それが不思議でならなかった。

 しかし、中盤から展開が一変する。

 集められたメンバーは、かつて殺人鬼が愛した女性を死に追いやった面々だということ。愛情が恨みと憎悪に変わり、殺人鬼へと変貌していったこと。劇中内で誰かが死ぬ度に、過去の一部が描写され、殺人鬼がの生まれる瞬間を同時に写し出す。

視聴者はどんどん殺人鬼の心情に飲まれて、共感していってしまう。

悪意には悪意をもって復讐する。失った悲しみと恨みを晴すための、報われない復讐劇。殺人劇の皮を被った、悲哀の物語。

 ありふれた設定だけど、物語が上手く作られている。

『あらゆる物語のテーマは結局、愛なんだよな』

 クライマックスで復讐を果たし終えた殺人鬼が鉈で首を刎ねて自殺する瞬間、小説の一節を思い出した僕の背筋に悪寒が走った。

 こんな、誰も幸せにならない結末が、愛のなせる技とでもいうのか。だとしたらそれは、まっとうな愛を育んでいる人たちにとっての冒涜ではないのか。恋人や生涯の連れを失った悲しみを、こんな形で表現するだなんて、歪でしかない。

 やがてエンドロールが終わり、後日談もなく幕が閉じる。

 立ち上がる前にふと気になって隣に座る愛花を見ると、彼女は無表情のまま、たった一言だけ口にした。

「やっぱり、愛ってこういうものなのかしらね」

「……えっ」

 やっぱり、とはどういうこと?

 そう問いかける暇もなく「さ、早く出よましょう」と言った愛花はすでにいつもの笑顔に戻っていて、僕のふとした違和感はそのまましこりのように心の奥底へ沈んでいく。

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