フラッシュバック
7.束の間の逢瀬を見せびらかす。
愛花と共犯関係を結んでからというもの、二人して高校の図書館や学食に籠っては作戦会議をすることが多くなった。
「なんか、僕らに視線が集まってないか」
「そうかしら。私はあんまり気にならないけど」
「愛花はこういうのに慣れてるからだろ? 僕は苦手なんだよ」
こそばゆくもファーストネームで呼ぶことに抵抗がなくなってきた頃、美術の授業で出された課題を早めに終わらせたところで彼女から、学食へ行きましょう、と誘われた。
早弁だの授業を抜け出してここに屯することを学校は暗黙のうちに許しているのか、学食は午前十時から開いている。授業をサボったり抜け出してはここで駄弁る学生が少なからずいて、僕らはそういう生徒に混じって早めのご飯にしていた。
入学してから二週間が過ぎ、当然と言えば当然だが、愛花の顔と名前は上級生にも広く知れ渡っている。
「あれ、前田さんだよね」
「すげぇ可愛いな。どの部活に入ったんだろう」
学食でエプロン姿のおばちゃんたちがあくせくとフライパンを振るう音に混じって、そんな声が四方八方から飛んでくる。勿論、その中には僕に対するやっかみとか嫉妬といった雑音も混じってはいるのだが……。
「僕、なんというか完全にお邪魔虫だよな」
「そんなことないよ。行人のおかげで変な虫が寄りつかなくて済むし」
ああ、そう。
なるほど愛花からしてみれば、どこの誰とも分からない有象無象の上級生は揃って興味の対象外ってわけか。それで僕は、そんな彼らの興味や関心を惹き付ける役割を担っているわけだ。
なんともいいように使われているなぁと思う。でも、仕方がない。愛花の側にいつく、というのは必然的に嫉妬の対象にならざるを得ない。
「この唐揚げ、美味しいわね」
「評判で人気もあるし、さぞかし美味しいでしょ」
「そうね。行人のお小遣いで食べる唐揚げは絶品よ」
「一言多いよ……」
どうあれ、向かい合って若鳥の唐揚げをつつく様は、端からだと付き合っているように見えるのだろう。
背中に突き刺さる視線がとにかく痛い。
「テイクアウトできたんだから、別に食堂でやることなかったろ」
「それじゃあ、食堂以外で二人きりになれる場所を思いつくの? きっとまだみんな風景画のデッサンをしているから、どこにいってもクラスメイトに鉢合わせるよ?」
「そりゃそうなんだけどさ……」
だからといって上級生に見られるのは構わない、ということにはならない気がするのだが、とにかく彼女は学食がいいと言い張った。僕も代替案を出せず終いで、こうして嫉妬とやっかみの嵐の中、付き合わざるを得ないわけだ。
「で、復讐って具体的にどうするのさ」
僕は小声で本題を切り出す。
これまでにも何度か話し合いをしてきたが、何一つ具体的なことは決まっていなかった。桂坂をどうしたいのか、はっきりしない。集まって会議を始めると、どうしてか話題がそれてしまう。
「そうねぇ……。目には目を歯には歯をって言葉があるじゃない? あの通り、やられたことをやり返すってのは一つ手だと思うんだけど……」
申し訳程度に盛りつけられたキャベツの千切りに箸を伸ばした愛花が提案する。
「そんなことで気が済むのか? 小学生じゃあるまし」
「私、結構傷ついたのよ。落書きとか、ドッジボールとか」
「うん。間近で見てたし、なんとなく分かるよ。道徳の授業のときなんて、あんな急に大声出してさ……」
あのときのことははっきりと思い出せる。一連のシーンが脳裏に焼き付いたまま色褪せることもなく、鮮明に再生できるほどショッキングなことだった。
「もう、あの頃の話はよしてよ」
過去を話題にし出したのは愛花なのに。と思っても口にはしない。
「あれだけで爆発しちゃったわけじゃなかったし、もっと酷いことは沢山されたの。だから、あれはただのきっかけだった。癇癪を起こして泣いちゃったことであいつが調子付くだなんて想定外だったわ」
愛花の言うとおり、あの一件があってから、桂坂の横暴はエスカレートしていった。どうやって泣かしてやろうか。痛めつけてやろうか。どんどんと嗜虐的になっていった桂坂の牙。
思い出すだけでも鳥肌が立つ。おぞましい。
「想定外なのも無理ないだろ」
「あそこまで悪逆な人は中学にだっていなかった」
「そんな奴相手に、何をすれば復讐って言えるんだろうな」
結局、会議をするたびにその疑問へと行き当たってしまう。
桂坂の残忍さを知っているだけに、それを超える手段や方法でないと、きっと僕も愛花も復讐した気分にならないし、納得ができない。
そうなると、もう方法は自然と絞られてきてしまう。
「やっぱり、徹底的に痛めつけるしかないんだろうな」
疑問への答え。目には目を、歯には歯を。
ああいう身体や心の痛みは、自分がそれを経験しないと分からない。冗談とか遊びの感覚でやっているんだろうけど、被害者は深い傷を負うんだってことを分かってもらう必要はあるはずだ。
何気ない行動が相手を傷つけること。それが一生消えない過去のまま思い出にしきれないこと。その過去を克服できないまま人格や人間性が構築されていってしまうこと。加害者にしてみれば悪戯に過ぎないものでも、被害者は心に傷を負って、癒えることのないものとなってしまうこと。
そういったことを引っくるめて叩き付けなければ、復讐にはならない。
しかも、小学生の頃はまだ身体も心も弱くて、些細なことで悲しんだり憤ったりする。なんでも吸収する分、心も影響を受けやすい。トラウマなんてものは、大抵が幼少期の事故や事件がきっかけだったりするものだ。
けど、僕らはもう高校生だ。色々と経験をしているから、悪意とか黒い感情も知っている。その分だけ心も強くなっているし、よほどのことがないと傷を付けられない。
そこまで考えて、僕は深い溜息を溢した。
結局、会議をする度にここに辿りつき、何も思いつかなくなってしまうのだ。あの頃の桂坂にやられたことよりも酷い所業をする。それは同時に、自分自身のトラウマを抉ることに他ならない。過去を乗り越えないと、桂坂に復讐ができない。
僕に克服できるのか? そんなこと。
無理だ。どう考えでも、克服なんかできない。できっこない。
拒否権なくこうやって共犯関係を築こうとしているけど、入学初日に思い知ったんだ。僕はまだ桂坂という存在そのものに畏怖を抱いている。
彼を前にしたら手も足も竦んでしまうのは容易に想像できる。どれだけ固い決意を持っていても、一睨みされただけで簡単に壊されてしまうに違いない。
「復讐するとしたら、本当に、やられたことの何倍も酷いことをしないと……でも、それを考えたら僕らは犯罪に手を染めることになるんだぞ」
器物破損と、殺人未遂。
そのどちらも、実際にあったこととはいえ真相を知っているのは餓鬼だった僕らだけだった。桂坂の脅迫があったから、学校の先生には言い出せなくて、真相は闇に葬られたまま。
高校生で同じことをしたら、厳重注意じゃ済まされない。万が一誰かにばれたら、そこで復讐は失敗するし、人生も半分終わってしまうようなものだ。
そんな僕の不安を知ってか知らずか、愛花は唐揚げの衣を突きながら「大丈夫」と言った。
「犯罪に手を染めるつもりはないのよ。そうならないように、どうすれば復讐になるかってことを考えたいの。どうすれば私も行人くんも満足できる結果が得られるのか。一番肝心なのはその満足をどうやったら得られるか、でしょ」
「……僕は別に復讐したいわけじゃない。いなくなってほしい気持ちはあるけどさ」
「だったらその手段を考えるのよ。殺そうとか消すってことじゃなくてもいいと思う。やり返すのが怖いなら、私たちが納得できる方法で、ケリをつけましょう」
二人で一緒に、過去を清算しましょう。
椅子から身を乗り出して僕の襟首を優しく掴んだ愛花が、耳元でそう囁いた。
背筋にぞくりとした感覚が走った。耳元から口を離した彼女が、僕の顔を覗き込んでくる。彼女の目に、僕の顔が映り込む。濡れた唇が近くて、わずかに洩れる吐息の温度が僕を包んでくる。
悪魔的で蠱惑的な誘いだった。抗えない。
過去の清算。とてつもなく都合のいい言葉だ。復讐という概念よりもよっぽど受け入れやすくて、優しい。
「過去の清算か……それって、僕らの関係も、だよね」
心臓が早鐘を打つのを悟られないよう、仏頂面で僕は尋ねる。
「そうよ。行人くんと私の関係も清算しないと。お互いいつまでも過去に縛られていたんじゃ、対等な関係にはなれないもの」
何を対等というのかは分からないけれど、僕らの関係はひどく歪んでいるということだけは確かだ。
あの日、愛花を見捨てて逃げてしまったことに対する責任。再会してから彼女は一度たりとも口にしたことはないけれど、心のどこかで僕をまだ許していないはずだ。
僕もあの日のことを、全然思い出にできずにいる。風化させずにここまで引き摺ってきてしまった。出会わなければ掘り起こすこともなかった過去。
いつまでも過去に囚われてちゃいけないのは、分かっているんだ。
「対等な関係になるために、僕らは何をすべきだろうね」
「そうね、こういうのはどうかしら。例えばだけどね――」
笑みを浮かべた愛花が、僕に割り箸の先端を向けた。それはきっと何気ない仕草で、会話とか雰囲気とかが弾んでいたからこその行動だったのだかもしれない。
目前に突き付けられ、瞬間、フラッシュバックする。
「――っ!」
僕は無意識のうちに、向けられた割り箸を思い切り叩き飛ばした。
「おわっ!」
「うおっ」
叩いた割り箸が、ふたつ分の席を空けて座っていた三人組の上級生のほうへと飛んでしまう。我に返った僕は慌てて「すいません」と三人組に頭を下げた。「ったく、気を付けろよな」という至極真っ当な文句と睨まれ口に「ごめんなさい」と謝罪の言葉を重ねる。
「ご、ごめん……行人くん」
愛花が、瞳を揺らし、震える両手を口元にあてていた。
「い、いや、気にしないでくれ」
大したことじゃないんだ、と誤魔化そうとしたけれど、通用しなかった。目尻に涙を溜めてしまっている彼女はきっと、思い出してしまった。
「ごめん、なさい。……そうよね。まだ、忘れてないんだものね……」
「こっちこそ、ごめん。反射的にやったことだからさ。僕じゃなくてもきっとあれは驚いたはずだし、今度からは気を付けて貰えるとありがたい、かな」
「行儀も悪かったわ。うん。本当に、ごめん」
それきり会話がなくなって、お互いに会話の糸口も見失ってしまった。
やがて昼休みが近づいてきた頃、机の上に置いてあった僕のスマートフォンが振動した。手に取ってメールを開き、小さく舌打ちする。
「どうしたの?」
俯き加減の愛花が様子を窺うような眼差しを向けてきた。
「桂坂だよ。学食にいるなら飯を買ってこいって」
「それって……」
そう、使いっ走りの扱いだ。過去の弱みを握られている以上、断ればどうなるか分かったものではない。まだこの程度で済んでいることが、ある種の奇跡だとすら思う。
「酷いことされてるわけじゃ、ないのよね」
愛花はまた心配そうな顔つきで僕を見つめてきた。今日はなんだか彼女の表情がころころと変わっていく。屋上で共犯関係を結んだときと比べれば、とても人間らしくて素敵だった。僕を思ってくれていることが多少なりとも伝わってくる。
「大丈夫だよ。まだこの程度だから。心配してくれてありがとう」
「う、うん……」
まだ何か言いたそうな愛花の口を封じるようにして、「そろそろ戻らないと」と僕は席を立った。割り箸と皿を返却口に返し、桂坂に頼まれた昼飯を買って教室へと戻る。
教室に戻る途中で、一人後悔する。あれは、愛花に悟られてはいけないことだった。そして、やはり思い知る。
僕はまだ、清算も克服も忘却もしきれていない。
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