望まない再会を、僕は少しも喜べない
1.愛花
愛花だと、すぐにわかった。
入学式の前に実施されるクラス発表。体育館の後方、新入生一覧とクラス分けの結果が書かれた模造紙に群がる新入生の中に、彼女はいた。
百七十後半という身長と小さな顔、そして八頭身のモデル体型。少しガーリーに茶色がかったショートカット。驚くほど制服が似合っていない。まるで大人がコスプレをしているようなちぐはぐさを醸し出している。
あの頃と変わらず、雪のように肌が白かった。どうすればあそこまで純白さを保てるのだろう。二重の瞳が大きくて、そこから広がる表情がとても豊かなのは、僕の記憶の中にあった彼女と寸分違わない。
周囲の女子と比べても抜きん出た容姿と身長。それでもお高くとまらない素朴さ。親しみやすい雰囲気は、高校生になってさらに磨きが掛かっているようだった。
男子が愛花に視線をちらちらと寄越している。そりゃそうだろうな。あそこまで見栄えがするのだから、男子が放っておくはずがない。そういった視線と感情の動きを、僕は遠巻きに眺めながら感じ取る。
「なんか、あの子すっげーかわいい。っつか、キレイ系ってやつ?」
「あれは争奪戦だろうなぁ……。やべぇだろ、レベル」
「いやぁ、あれは流石に俺らには無理っしょ。全員狙ってるっしょ。いわゆる高嶺の花ってやつ? しかも断崖絶壁エベレストみたいな感じ」
「いやー、わかる。すっげぇわかる。っつか、読モとかやっちゃってる感じ? 女優とかやってても納得しちゃうっしょ」
「待て待てあんなレベル高い子にツレがいないとかあり得ねぇかんね? 狙ってる俺ら馬鹿みてぇじゃね?」
「だよなぁ、相手にすらされねぇかも。いやー、でも一発ヤッてみたくねぇ? うわ、やべ、想像するだけでやばい」
「アホかお前こんなところでおったててんじゃねぇよ」
入学初日から制服を着崩した男子三人組が、下衆な会話を繰り広げながら愛花をじろじろと見定めていた。僕の苦手なタイプの男子ですらも、そう思うのか。なんとなく複雑な気持ちだ。まぁ、きっと数日もすれば彼女の存在は全校生徒に知れ渡る。学園のアイドルとして偶像崇拝でもされるだろうか。
そんな僕も愛花へちらちらと視線を投げながら、目が合うようなことを淡く期待する。あわよくば僕に気付いてくれるような奇跡を、角砂糖ひとつまみ分だけ望んでしまう。
そんな小さな期待も虚しく、果たして愛花はこちらに顔を向けることはなく、ぼんやりしていた僕は後ろに続く人の波に流されて、目を離してしまった。すぐさま掲示に視線を戻したものの、その場を離れた彼女を見失ってしまう。まだ、見ていたかったのに。
「まぁ、いいか。またすぐに会えるだろうし」
後ろ髪を引かれながらも、小さなため息とともにやるせない感情を吐き出した。
入学式は自由席だった。「自分のクラスを確認したら前から詰めて座るように」と先生の声が体育館に響いている。その声に従う生徒と反抗する生徒がばらばらといるなかで、僕は体育館の中でも一番後方、端の席に腰を降ろした。
「あら、寝坊せずに来れたのね」
荷物を床に降ろすと同時、聞き慣れた声が飛んできた。
うんざりしながら顔を上げる。
「……遅刻なんかするわけないだろ」
「それもそうよね。私がいる手前、そんな恥さらしができるわけないものね」
「姉貴は関係ないけどな。遅刻しないなんて当たり前だろうが」
「その殊勝な心がけ、いつまで続くかしらね」
僕を小馬鹿にするように深月が言う。艶がかったお化けのような髪を手櫛で梳かしながら、呆れた、と見下してくる。
その仕草に、無性に腹が立つ。
「先生が前から詰めろって言っているでしょ? どうしてこんな辺鄙な場所に座るわけ?」
「姉貴も隣に座るんだろ? お互い様だろうが」
「私はここ、指定席だもの」
居丈高な態度をそのままに、深月は隣のパイプ椅子に腰を下ろす。
鞄から取り出した本を広げた僕は、小さく舌打ちを鳴らした。
もう高校生だぞ。放っておいてくれよ。しかも、自分のことは棚にあげてその言いぐさはないだろ。
「新入生なんだから、前に行きなさいよ」
「前にいたらじっとしてないといけないだろ。それだと本が読めない」
深月が不快感を露わにしながら「まったく……」と呆れた口調でごちる。
「だったら、入学式くらいちゃんと話を聞きなさいよ」
「式が始まったらな」
「ほんとどうしようもないんだから、この根暗」
いちいち勘に障る。一言多いんだよ。そう反抗したくなるのをぐっと堪えて、開いた本に集中する。構っていたらつけあがるだけだし、一方的に疲れるだけ。無視だ、無視。
反応を示さない僕に飽きたのか、深月は数枚のルーズリーフを取り出して黙読しはじめた。中身はきっと、在校生代表の挨拶とかそんな類だろう。
本を読み進めていると、開会五分前の知らせが入った。模造紙の前に張り付いていた生徒がぞろぞろと着席する。
間もなく入学式が始まった。
開会の挨拶、それから校長先生の挨拶が終わったところで深月が音を立てずに立ち上がる。どうやら校長の長い話の次が出番らしい。
「行ってくるね」
どうやら僕に向けた言葉だったみたいだけど、聞こえないふりをした。その後ろでまた露骨な舌打ちが鳴る。そんな露骨に機嫌を悪くするなよな、と心の中で呆れるしかない。
深月が登壇し、在学生代表としてそつのない、新入生へ向けた激励の言葉を読み上げる。内容はほとんど耳に入ってこなかったが、拍手がまばらに起きているあたり、無事に終わったらしい。
あとは新入生代表の言葉を残すのみだ。
「ねぇ、ちゃんと聞いてた?」
戻ってくるなり深月が小声で聞いてきた。
「昨日も一昨日も聞かされたものを、今ここで真面目に聞く理由なんかないだろ」
「こういう場所で聞くからこそ意味があるんじゃない。ずっと下向いてるしさぁ。あそこからだとそういう態度も丸見えなのよ」
だからなんだよ。別にいいじゃんか。
壇上からだと、全体の細かな所まで見渡せることくらい知っている。そんなの胸張っていうことじゃないだろ。一部の生徒しか知らない眺めだとでも言いたいのかよ。
「姉貴、うるさい。式の途中だぞ」
「誰のせいだと思ってるのよ」
少なくとも僕のせいではない、という言葉は新たな火種になるだけなので飲み込む。ここまで苛つかせるなんて、ある種の才能だ。呆れを通り越して感心してしまう。
古びた体育館の天井を仰ぎながら深く息を吐き、それから本に視線を戻そうとした途中で、壇上にあがった新入生の姿が目に入った。
いや、正確には目を奪われた。
「……へぇ」
そこに立っていたのは愛花だった。凛とした表情を引き締めて、つらつらと新入生代表の言葉を述べている。学年トップの成績で入学した生徒があの役割を担うことになっているはずだ。つまりそういうことか、と遅れて理解する。
僕は本を閉じて数十メートル離れた場所に立つ愛花を見つめた。
綺麗だ。
さっきとは別の意味で、ため息を吐いてしまうほどに完璧だ。
透き通った声は決して大きいものではないのに、体育館の最奥にいる僕の所まではっきりと届いてくる。
「最後になりますが、先生方や先輩型から数々の激励の言葉を頂戴し、本当にありがとうございました。新入生を代表いたしまして心からお礼申し上げます」
気付けば結びの言葉に入っていた愛花が、ふぅっと一息挟む。ほんの少しだけ間を置き、最後の挨拶。
「神奈川県立多摩川高等学校、第三十期、新入生代表。一年一組――」
前田愛花。
「…………えっ」
間抜けな声があった。その小さな驚きが自分から出たものだと気付くのに時間がかかった。
お辞儀をした愛花が壇上から降りる。続けて出てきた司会役の先生が入学式を終わる旨を告げると、その一声を待っていたかのようにして新入生が一斉に立ち上がり、がやがやと騒々しいままに体育館から出て行く。そんな慌ただしさの中で、僕は椅子に縛り付けられたかのように身体が動かなかった。
「行人? もう終わったわよ」
「…………えっ」
深月に呼びかけられ、ようやく我に返る。
「ホームルームには遅れないようにしなさいね」
保護者面をした深月の言葉に、頷くこともできなかった。
愛花が壇上で最後に告げた一言を脳が処理できずにフリーズしてしまっている。茫然としたまま、前田、という苗字が頭の中でリフレインする。椅子片付けのために残った先生に肩を叩かれるまで、彼女の言葉を何度も繰り返し口にして、そんな馬鹿な、と頭を抱えることしかできなかった。
前田、愛花。
その事実を受け入れるには、圧倒的に時間が足りない。
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