愛が、さく

18.裏工作の表舞台

 ゴールデンウィークも間近に迫ってきた四月の最終週。この時期だけ圧倒的な存在感を示す桜も、その勢いを段々と潜めるように桃色の花びらをコンクリートの上に落としていた。

「もう一カ月終わるんだな」

「そうね」

 僕と愛花は校庭の端に備え付けられた木製のベンチに並んで腰を下ろし、学食で買ってきた昼飯を広げていた。生姜焼き定食(ご飯抜き)と竜田揚げ定食(ご飯抜き)に、持参した二合分のご飯。これを愛花と分ける。

 僕らの背後に伸びているプロナドームにも似た学校一の桜通りを歩く生徒からの視線が刺さる。嫉妬や羨望が入り混じった、敵意にも似た感情。針のむしろにされているような気分だ。僕と愛花はそういう、みんなが羨ましがるような関係じゃない。プラトニックなんですよ、恋仲でもないんですよ、と弁明したくなってくる。

「どうしたの? 箸が進んでいないようだけど」

「ん? あ、ああ……」

 風邪も完治して完全復活した愛花はハンドボール部の昼練を眺めながら竜田揚げをつまむ。学食以上に視線が集まるここでランチをしようと言い出したのは愛花で、僕に拒否権もなく、けどやはり周囲の視線が気になって、食事どころではなかった。

「食欲がないわけじゃないんだけど、さ……」

 言いながら、周囲を一瞥する。校舎の二階や三階から降り注ぐ視線は勿論、グラウンドで部活動に励む生徒ともちらちらと目が合う。刺さる視線はやはり気のせいではなかったようだ。

「こんな、見世物になった気分で食事ってのは、どうも、ね」

「たまには学食を飛び出してみようと思って提案したのだけれど、駄目だったかしら」

「こういうの、あんまり得意じゃないな。きっと、ほとんどの人は僕らの関係を勘違いした上で僕らを見てる。心地いいもんじゃないよ」

 愛花も箸を止め、あちこちと視線を投げる。

「私より行人に対する視線のほうが多いわね。正直、嫉妬するわ」

「愛花にまで嫉妬されるようじゃ立つ瀬がない」

「学校中の視線を集めるだなんて、風邪で寝込んでいる間に一体どんな手で好感度を上げたのかしら」

「からかうのはよしてくれ。本当に苦手なんだよ、こういうの」

 中学校で陸上をやっていた頃、同じような視線に晒された。期待より遥かに多かった、嫉妬の眼差し。

 どうすれば持つ者に追いつけることができるか、と考えるより、如何に蹴落とすか、を考えたほうが楽、らしい。大会を数日後に控えた練習中、故意に突き飛ばされ、走り高跳びのポールに脚を激突して骨を折った。あれは事故じゃなくて、事件だった。証明することができなくて泣き寝入りするしかなかったし、あの手この手で僕をレギュラーから外すために裏工作をしていた面々がいる限り陸上はできないと、諦めた。

 僕を突き飛ばした張本人は奇しくも、そして残念なことに多摩川高校の同級生になっている。加えて二年生にも、当時の主犯だった屑がいるのだ。二人とも国体に出場するほどの実力者ではないが、準レギュラーらしい。知りたくもない話だったけど、この手の話題を遮断するのは不可能だから仕方がない。その二人も、グラウンドから僕に視線を向けてくるのだ。不快極まりない。

「学食に戻ろう」

「嫌だと言ったら?」

「愛花はここに置いていく」

「……なら仕方ないわね。あたしも一緒に戻るわ。気分転換に、とはいったものの、グラウンドの砂やら埃やらでおかずがじゃりじゃりするし」

「嫌だったんならもっと早く言ってくれればよかったのに」

 おかずとご飯の入った弁当箱を手に、学食へ戻る。昼休みも半ばに差し掛かった頃合いだったので、幾分か席も空いていて、難なく相席を確保した。

「で、もうゴールデンウィークに差し掛かるけど、これからどうすればいいんだよ」

 どうすれば、というのは復讐のことだ。愛花の体調が回復するまで話題にするのを控えていたが、このまま何をしないわけにもいかなかったし、一切の進展がないという状況も、焦燥に拍車を掛けていた。

 本格的にどう行動を起こすべきか、そろそろ具体的な話をしなければ、勘付かれたっておかしくない。

 そんな僕の焦りとは対照的に、愛花はのんびりとしたものだった。

「どうしようかしらね。私たちの犯行だと気付かれないようにしつつ、桂坂に致命傷を負わせるには相当に下準備が必要だし、協力者もいたほうがいいのだけれど」

 実態はこのレベルで計画ができていなかった。下準備どころか、どうやって行動しようか、という基本的な部分すら曖昧なまま。先日の擬似デートで購入した紐縄だって、その活用方法を見いだせていない。

「いつまでもこんな話をしていたら、卒業するまでに誰一人として復讐できないと思うんだけど」

「その自覚はあるわよ。でも、しょうがないじゃないの」

「いや、唐突に協力者とか口にするけど、アテもないんでしょ」

「それは、その……。誰かいい人知らない?」

 ご飯を口に運ぶ箸を置き、僕は盛大なため息とともに頭を抱える。

 結局、愛花はことここに至って何も考えていないのだ。こうして僕を巻き込んだくせに、大した行動を起こす意志もなく、復讐心だけが闇雲に先走っている。問い質し、返ってくる言葉は「どうしよっか」ばかり。正直、埒が明かない。

「愛花が真剣に考えてくれないと進展しないんだぞ」

「そんなことないわ。行人が妙案を思いついて、私がいいねそれって太鼓判を押せば、計画は一気に動き出すわよ」

「だから、そういう所だって。あの手この手を考えるのは嫌いじゃないけど、愛花がどうしたいかって言ってくれないと愛花の望む妙案は思いつかないって」

 堂々巡りだ。こんな言い争いになるのも何度目だろう。復讐という言葉とは裏腹に切迫感も緊張間もない愛花と対峙すると、僕が一人勝手に空回りしているように思えて、不安になってくる。

 僕の糾弾に懲りた調子もなく、愛花は見え透いた態度で「ごめんごめん」と軽々と謝罪する。

「このままゴールデンウィークに入ったらどこか旅行にでも行かない?」

「また唐突に何を言い出すかと思えば……」

 呆れていると、愛花がテーブルの上に身を乗り出して「耳を貸して」と言ってきた。顔を上げ、言われた通りにする。耳たぶに吹きかかる息がくすぐったい。

「断崖絶壁のダムに桂坂を呼び出して、そこに彼を突き落とすの。二度と助からない。閑散として人気のないダムだったらなおさら都合がいいし、うまくすれば証拠も残らない。面倒な後始末だとかは考えなくて済むじゃない。現場検証を兼ねて旅行に行くの」

 頭痛がしてきた。

 突飛なことを急に言い出した愛花は得意げな顔を浮かべて「どう?」と小首を傾げている。

 どう、じゃないってば。

 そもそもそれは先日購入したミステリー小説で主犯がやっていたことじゃないか。どこかにおびき出して殺害するというのは、旅行記録や目撃情報で足がつきやすい犯行手口だ。いずれバレると相場が決まっている。

「思いつきで提案するのもいいけどさ。やるならやるで色々と覚悟しないといけないよ、その方法」

 しかめっ面で指摘すると、愛花は頬を膨らませる。

「分かってるってば。それくらい」

「分かってるならいいけどさ……」

「それで、どうなのよ。来週の予定」

「残念なことにまるで予定がない。友達もいないので誘いもなければ家族旅行の予定も生憎と未定だ。あー、残念だなぁ。去年までは部活で忙しかったけど今年はそういうこともないしなぁ」

「光栄なことね。私と二人きりで旅行よ? この前できなかったあんなこともこんなことも好き放題やりたい放題よ?」

「いやだからそれは本当に勘弁してって。そういうこと考えてるのが見え見えだから乗り気じゃないのに」

「ええ、こんな魅力的な私を前にして興奮しないって男としてどうなの? 心配になるし私の自尊心も少なからず傷付くのだけれど」

 実際はその逆なんだけどな……。

 魅力的すぎて攻め込まれたら抗えないし、理性を保つことで精一杯になるから困るのだ。プライベート空間で愛花と二人きりにされると本題に集中できなくなるのが目に見える。未遂だが前科一犯で執行猶予付きの身分には堪えるというものだ。

「何だって?」

 どうやら脳内思考が口から漏れていたらしい。

「いや、愛花は十分に魅力的だから安心していいんじゃないかなって。実は愛花の見舞いに行った日さ、家に連絡を入れてなかったから、家族会議でこってり絞られちゃって……。んで、次からは外泊するときに行き先を必ず言うようにって厳命されちゃってるんだよね……」

 罰の悪さを感じながら頭を掻く。愛花は呆れた、という視線で僕を見た。

「行き先ばれる時点で旅行の計画が成立しなくなっちゃうじゃない」

「そうなんだよなぁ……」

 肩を落としてため息を吐いたと同時、午後の授業開始の予鈴が鳴った。学食で駄弁っていた生徒が一斉に立ち上がり、蜘蛛の子を散らすように食堂を出て行く。

 結局、今日も今日とて無為に時間だけが過ぎていく。

 それから二日経ち、僕も愛花もこれといった妙案を思いつくこともないまま迎えた週の中日。長期連休まで残り二日となったこの日も普段と寸分変わらず桂坂のパシリにつつがなく応対し、ホームルームが終わるや否や足早に教室を出て、廊下を競歩し、下駄箱を開ける。

「ん?」

 右靴の中に封筒が入っていた。

 コンビニにも置いてあるような小さな茶封筒だった。のり付けをされているわけでもなく、中には薄っぺらい藁半紙が二つ折りに入っている。

「なんだ、これ……」

 指でつまんで封筒から抜き出し、広げた。

「っ――」

 凝固した血で書かれた内容に立ち竦んでしまう。


『明日の放課後、前田と一緒に教室に残れ。逆らえばコロス』


 特徴的な濁点は、まさしく桂坂のそれだ。

「は? いや、おい。なんだよ、これ……」

 愛花が桂坂の筆跡をもじったこともあったけれど、これは洒落になってない。そもそも愛花はこんな悪戯をする道理がないのだ。だとしたら本人以外、あり得ないということになる。

「あれ、こんな所で突っ立って、どうしたの?」

「うわっ」

 背後から声を掛けられ、反射的に飛び退く。

「……って、なんだ、栗原か」

 振り向くと、そこにいたのは栗原だった。高校指定のジャージを上着だけ羽織っていた。正月に大学駅伝で見るような薄い臙脂色の短パンからカモシカのような脚が伸びている。

「なんだって何さ。っていうか、脅かすつもりはなかったんだけど……。ん、それは?」

 栗原はムッとした表情を浮かべた後、血塗られた手紙を指差してきた。

「あ、いや、これは……。何でもない、ぞ」

「んー。どうにも怪しいね」

 背中に手を回して咄嗟に隠すも、つかつかと歩み寄ってくる栗原は興味津々の眼差しで僕の顔を見つめてくる。

「ラブレターなんてもらったところで困るだけじゃないの? 愛花ちゃんが怒るよ」

「生憎と、そんな内容じゃ、なかった」

「ふーん、そ」

 あっさりと興味を失ったような口振りとは裏腹に、隙を窺うように目線を向けてくる。「内容は、言わないから」と念を押すと、栗原の肩から心なしか力が抜けたように見えた。

「深く詮索しても仕方ないね。それじゃ、私は部活に行くから。またね」

「お、おう……」

 シューズに履き替えた栗原が肩に掛けたエナメルバッグを揺らしながらグラウンドへと駆けていった。

 その姿が完全に見えなくなってから、下駄箱に体重を預けてしゃがみ込む。

 嘔気がする。動悸で胸が苦しい。もう、立っていられなかった。

 何気ない立ち居振る舞いができていただろうか。怪訝に思われて、勘付かれたりしていないことをただ祈る。栗原の言うとおり、ラブレターであればどれだけ良かっただろう。

 震える手が強張り、血塗られた呼出し状が指先に貼り付いて離れない。

手の震えが腕に広がり、やがて腕から全身に伝播していく。寄りかかっていた下駄箱ががたがたと揺れて、思わず仰け反った。

 悦に浸る桂坂の顔が頭に浮かび、離れない。

 俺を殺すのか。だったらその前にお前を殺す。

 そんな言葉を吐く桂坂の顔が容易に思い浮かんだ。その手に握られた千枚通しから、うさぎの血が滴り落ちる。幻想だ。僕は過去に囚われすぎている。これっぽっちも克服なんてできていない。逃げるような日々の中で愛花に付き従っていれば、いずれ桂坂に対する怯えや恐怖から卒業できると信じて疑わずに過ごしてきた。

 けど、愛花はこれっぽっちも僕の思いには応えてくれない。縋ろうとすれば袖を振っては簡単にあしらい、手を離そうとすれば僕の心を掴んでくる。いいように弄び、真意を隠したまま僕を振り回す。

 旅行なんてしている場合じゃない。一刻もはやく復讐して、僕らの領域から追放しないと、殺られる。それか、桂坂が根を下ろすこの世界から逃げないと。

「どうしたの? 行人」

 声を掛けられるまで、近づいてきていることにも気付かなかった。

「愛花……」

「どうしたのよ、そんな憔悴しきった顔して……」

 愛花の顔が、間抜けに見えた。

 僕の心境を何一つ知らない愛花を前にして、無性に腹が立ってくる。どうしてそんな暢気でいられるんだよ。

「ねぇ、どうしたのよ」

 事態を把握していない愛花が、怪訝な表情で繰り返す。心配そうに見つめてくるその目が、震える手に移り、ようやくその原因に辿り着く。

「その紙、どうしたの?」

「……もう、やめようよ」

「え?」

「もう、する気がないなら、やめようよ」

「ど、どうしたのよ急に」

 愛花は僕の前にしゃがみ込むと、両手で僕の肩を掴んで揺すってきた。そんな風にして真正面から僕の言葉に反応してくれるのは、初めてだった。

 なんで、どうして、と繰り返す愛花が滑稽に思えてくる。僕が復讐を諦めさせようとすることなんて幾度もあったし、これまではさして相手にもしてこなかったくせに。今になって必死に僕を繋ぎ止めようとしてくるだなんて、ひどい。

「その手紙が原因なの? ねぇ、見せてよ」

「ずっと思ってたんだ。いつになったら愛花は本気になるんだろうって。でも、計画を実行に移す気配はないし、そもそも計画も立たない。僕と二人でいるところを学校中にひけらかすことばかりして、復讐する気なんて、実はないんでしょ。そのことに気付いちゃったんだよ」

「いいから、その手紙を早く渡して」

「結局、僕だけが空回りしてたんだと思ったら馬鹿馬鹿しくなった。罪とか罰とか償いとか、愛花は最初からそんなものに興味はないんじゃないの。僕に対する怒りも、桂坂への恐怖も、全部嘘なんじゃないの」

「そんなことないって。ねぇ、本当にどうしちゃったのよ」

「どうもこうもしてないよ。最初から僕はやめようって言っていたじゃないか。愛花に協力するって約束したけどさ、愛花にその気がないんじゃ無意味だ。僕の存在自体、無意味だし用なしだ。何回も何回も何回も、僕はずっと口にし続けてきた。こんなことに意味はないんだ」

「そんなことない。私も行人も少しは救われる」

「それは幻想だ」

「もうやめてよ。卑屈になるの、良くない癖だよ? だから、ね?」

 駄々をこねる子どもをあやすような声音は、どこにも響かない。冷たい指先が僕の手の甲に触れた次の瞬間、するりと、いとも容易く指から手紙が抜き取られた。

「……こ、れは」

 愛花は手紙を一目見て、すぐに閉じる。その表情からはあらゆる感情が抜け落ちていた。動揺が漏れ出さないよう平然を装っているのかもしれない。だとしたら、演技派の女優も敵わないレベルだ。

「下駄箱に入ってた」

 ぞろぞろと生徒が下駄箱にやってきては僕らを一瞥してから去っていく。例外なくぎょっとした顔を浮かべ、中には昇降口を出る前にひそひそと僕らを噂する子もいた。

「……どうしよう」

 愛花の声に、不安と戸惑いが滲み出ていた。

 それはこっちの台詞だ、意味もなく逆上したくなった。復讐ごっこなんて悪戯に留まっていたから、桂坂の逆鱗に触れてしまったのだ。これはその報い。決して脅しに屈するわけではないけど、逃げれば殺される。桂坂がここまでするということは、本気だろう。からかいや冗談なんて加減ができるとも思えない。だったら、この呼び出しには従うほかない。

 選択肢なんて端から与えられていないのだ。

「逃げるなら、とことん逃げるしかない。でも、僕はそんなことできない。親に相談したところで警察が身を守ってくれるわけもない。結局、この学校を辞める覚悟するくらいじゃないと……」

 愛花は何も言わない。

「殺されるのか。そうだよな、復讐されるのが分かってたとしたら、あいつが黙ってるわけないもんな。間抜けだ馬鹿だと陰口を叩いてきたけど、僕らだって救えないほど愚鈍で考えなしだよ」

「なんで、そんな……だって、行人と二人だけの秘密だったじゃない。それが知れるだなんて、あり得ない」

「そうだよ。あり得ない。でも、ここまで殺意剥き出しな桂坂が僕らを呼び出す理由なんて他にあるのか? こんな遠回しに呼び出すなんてまどろっこしい真似をするくらいだったら、適当に声掛けてシめるのが桂坂の常套手段だ。愛花と一緒に教室まで呼び出すってことは、さ……」

 バレてるんだよ。

 口に出せばそれが真実になりそうで、声にできなかった。

「明日、愛花はどうする」

「どうするって……」

「結局、行っても行かなくても殺されるんじゃないかな。今日の桂坂がやけに静かだったのも、そう考えれば納得できる。一日我慢して、明日、ぶちまけるって魂胆だ。そしたら、半殺しとかじゃ済まないよ。きっと」

「逃げようよ」

「どうやって? 他国に亡命するような途方もない決心、できるの?」

「それは……」

「できないんだったら考えるだけ無駄だ。僕を好きなように痛めつければきっと桂坂も気が晴れて、愛花には構わなくなるかもしれない。そのほうがまだ期待できる」

 そう言うと、愛花ははっとした表情を浮かべて僕を見た。

「もしかして、犠牲になるつもり?」

「どう足掻いても僕は酷い目に遭うだろうし、そんな不運を背負うのは僕だけでいい。これ以上、愛花が苦しむ必要はないでしょ」

 愛花は今度こそ続ける言葉を見つけられないようだった。

「明日は僕一人で放課後に相手するから、愛花はすぐに教室から逃げるんだ」

「そんな独断、許さないわ」

 愛花の言葉を無視して、よろめきながら立ち上がる。かかとを履き潰したローファーに履き替え、上履きを下駄箱に戻しながら深く息を吐いた。

 僕の隣で、駄目、許さない、と叫く愛花はうざったかった。静止する声も、闇雲に浴びせてくる罵詈雑言も、聞くに値しない。

「それじゃ、また明日」

 手紙を引ったくるようにして回収し、全力で走った。

 数百メートル走ったところで呼吸が苦しくなって、立ち止まる。膝に手をつき、息も絶え絶えになりながら後ろを振り返る。

 そこに愛花の姿はなかった。

「これで、いい。これで、間違っちゃ、いないんだ……」

 明日、桂坂から理不尽な報いを受けるのは自分だけでいい。彼女が救われるのであれば、きっとこの選択は正しいはずだ。

 そう、信じ込むことしか、僕にはできない。

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