マスカレード

「沙也香、孝一君のことだけど」

課題の樹木の素描を終え画材を片付けていると、真理恵がきつい表情で話し掛けてきた。


「孝一君のルックスが気に入らないから別れたって、本当?」

「別れたのは本当。でもルックスが気に入らないなんて言ってない。誠を選んだ理由を訊かれたから『誠の方がカッコイイ』って答えただけ」

「ひどい!」

あからさまに大きな声で言われたので、美大の広いキャンパス広場を行き交う学生の幾人かが振り向いた。大学祭の準備が始まっているので普段より人が多い。


「それが本当でも、もう少し言い方があるでしょう」

真理恵は私を罪人のような目で見る。私は気にせずキャンバスを片付けた。木炭で書いた樹木に葉は殆ど無い。幹を誇張して描いた。

真理恵は私のキャンバスを横目で見て「何で葉を入れないのよ」と言ったが、私は返事をしなかった。

「ねえ、孝一君は誠くんと比べてもルックスは良いと思うよ。他の女子にも人気があるし。そんな言い方、孝一君が可哀想すぎる。あんなに優しい人を」


――優しい、か。

「確かに孝一は優しい、誰にでも。だから何かイヤっていうか」

「それってただの嫉妬でしょ」とイライラ声で真理恵が言う。

――違う。

「何て言うのかな、見た目に出るよ。わかるもの、私。誠の方がいい。素直に信じられるし、そういうのカッコイイと思う」

「なにそれ。訳わかんない」

理解ってもらおうなんて思ってないけれど。

「沙也香、人は外見じゃないでしょ。そんなこと言われなくてもわかるでしょ」

皆、同じことを言う。

でも、違うと思う。

「人は外見だよ。彼氏だけじゃない。男も女も。外見とか印象が悪いと、同じように中身も悪い」

「じゃあアタシとは沙也香から見て『外見』が良いから友達なの?」

「うん」

沙也香の顔色と眼はみるみる怒り色に変わり、完全にキレた。

「そんな『友達』は、こっちから願い下げよ。それから今回の課題は細密描写よ、葉を入れないと単位は取れないと思うわ」

吐き捨てるように言い、真理恵は踵を返してキャンパス広場を去っていった。


真理恵がこういうことで怒るのはわかっていた。そのいつもの外見と印象から。

ため息をつきながら、葉を描き足すために片付けたばかりのキャンバスをもう一度組み立てた。



大学から自転車で五分くらいの場所に誠は住んでいる。

誠の実家は二つ先の駅にあるのだが、知り合いから廃屋のような家をタダ同然で借りて作業場にし、実家に帰るのが面倒らしく、ほぼ毎日をここで寝泊りをしていた。


「お邪魔しまーす」

玄関は鍵が壊れていて開かない。裏口の引き戸をガラガラと開けると、土間で誠が作業をしている。

「よう」

返事はするが振り向きはしない。ぶっきらぼうな態度は熱中している証拠だ。

土間に入ると、誠が使っている樹脂と塗料らしいものの臭いでむせそうだ。

「ビールとつまみを買ってきたよ」

「うん」

勝手に入り、小さな冷蔵庫にビールとつまみをコンビニの袋ごと押し込んだ。

「空気、入れ替えるね」

台風が近づいているのか、今日は午後から風が強い。勝手口を開けたままにするには強風過ぎる。

作業の邪魔にならないように土間を通り抜け、一段上がった部屋の窓を少しだけ開けた。


この部屋には壁一面に誠が作った仮面が並んでいる。数は五十以上あるだろう。

どれもデザインは奇抜で色彩も強い。愛らしい表情もあれば恐ろしい表情もある。この作品群の趣旨は知らないが、どれも惹き付けられる。

仮面は顔に被せる形で眼の部分は刳り貫いてあるのに、一つ一つのその顔は「現実に無い眼」を想像させた。そして仮面は皆、こちらを見ているような気にさせる。


振り返ると誠が冷蔵庫を開けっ放しで、買ってきたビールを一息に飲んでいた。

「作業は?休憩?」

「乾燥待ち」


作業台の上には、白い樹脂で造られた人の顔の形の仮面が幾つも並んでいる。

そのうちの一つが薄い橙色で下塗りされていた。

「今度の仮面はどんな顔?」

「困惑顔」

創作には全く困惑の無いような表情で誠は言った。

誠は煙草を咥えると古畳の上に座り、壁に並んだ仮面を眺めた。


誠の真っ直ぐな眼が好きだ。

だから誠は真っ直ぐな人なのだと思う。

誠の隣に座ると、そのごつごつした大きな手で私の髪を撫でてくれた。

手を良く使う人は、必ず不恰好な形の手をしている。そしてそんな手は優しく暖かい。口数が少なくても、手から伝わる誠の心は沢山ある。


誠とくらべると、孝一の手はとても綺麗だった。

いつも清潔で、長い指に短く切り揃えられた爪。女の子は皆、こんな手に触れてもらいたいのだろう。

孝一も誠も真理恵も私も、神田教授のゼミに所属している。

口数が少なく目立たない誠と違い、少人数のゼミの中で孝一はいつもリーダー的な存在だ。明るく誰とでも挨拶を交わし、さりげない気遣いを忘れない。

人見知りでなかなかゼミの空気に慣れない私にも、孝一は事あるごとに話しかけ気遣ってくれた。


「孝一君て、優しいよね」

皆、そう言う。

交際を申し込まれた時、周りの女の子の嫉妬が怖かったほど、孝一は人気者だった。

友達の少ない私に、孝一の気遣いはいつも嬉しかった。好きになれたらいいなと思い、交際も素直に受け入れた。

孝一は何時だって、誰にだって、紳士的だ。

けれど、その「優しさ」に段々と納得できなくなっていったのは何故だろう。


「昨日、神田教授がここに来たんだ。で、コイツらを講堂に展示したいって言うんだけど」

誠は部屋の仮面達を指した。

誠の作品は大学の教授達に注目されている。造形が苦手な私に教授達の難しい評価論は理解できないけれど、誠の作品に人を惹き付けるものがあるのは一目瞭然だ。

「大学祭?神田教授からの指名なんてすごいよ!」

「でも、まだ半分も出来てねえよ。数が揃わないと意味が無いんだ」

卒業制作に繋げるつもりでのんびり作っていたからな、と誠は続けた。

「全部で幾つ作るの?」

「百。いや、百八がいいか」

「煩悩だ」

そうだな、と誠は笑った。

「その時さ、教授と一緒に孝一も来た」

「え、どうして」

「俺の作品を前から見たかったとか、なんとか」

「誠の作品を見たいなんて、聞いたこと無かったけど」

「お前が何で俺と居ることを選んだのか、知りたかったんじゃねえの?まあ別に、沙也香の話はしなかったけど」

孝一は探りに来たのか。疑うつもりは無いけれど、なんとなく納得できた。

「で、俺さ、孝一にコイツ等の中で一つ選ぶとしたらどれがいいって聞いてみた」

「どれだった?」

「当ててみな。元(もと)彼女(かの)さん」

普段から声が低くぶっきらぼうな口調の誠でも、私をからかう時は少し声が高くなる。

なかなか意地悪な今(いま)彼氏(かれ)の問題に私は悩んだ。


――仮面。

孝一が選ぶなら、自身に似たものだろうか。ずらりと壁に並ぶ仮面に近づき、一つ一つ見ていく。孝一と似ているものはどれだろう。

愛らしく満面に微笑む仮面の横に、薄っすらと静かに微笑む仮面があった。

なんとなく孝一のイメージと重なった。

「これ、かな」

「おお、正解。さすがモトカノ」

あまり嬉しくない正解発表に顔をしかめていると

「俺もそれだと思ったんだ」と誠は笑った。「仮面の裏にタイトルが書いてあるよ」

私は傷つけないようにそっと壁から仮面を外し、裏返した。

そこには素描用の木炭で擦るようにタイトルが書かれてある


『偽笑』


「タイトルまでは見なかったけどな、孝一」

誠は私の隣で寝転がると、壁に並ぶ仮面達を見上げた。

「俺さあ、外見と中身は本来同じだと思うんだ。人間の身体は正直で、その人の心とか健康状態や長所も短所も表す。

でもそれを人は誤魔化す。自分の中身は見えないほうが都合がいいからな。言葉や、服装や化粧や、身振り手振りとか。誤魔化す方法は幾らでもあるだろ。そうやって皆、自分の都合の良い仮面を作って被っている」

「その仮面を作品にしたかったの?」

「まあ、そんなとこかな。そんな偉いもんじゃないけどな」

ただのお面だよ、と言いながら、誠は古畳の上で仰向けになった。

「俺さあ。多分、孝一に対してお前と同じ疑問を持ってる」

誠は横目で壁に並んだ仮面を見た。

「アイツ、いつもニコニコしてるけど笑ってないよな、心の中。何の為にニコニコしているんだろうな」


ああ、そうだ。

孝一は、本当は笑ってない。

孝一は、本当は優しくない。

私はいつからかそれに気が付いていた。

でも、そう思うことはいけないと思っていた。

孝一の笑顔に、優しさに、感謝しなければならないと思っていた。


「私、孝一のこと、嫌いじゃなかった。いつも皆に笑顔で優しくて、親切で。それってきっとなかなか出来ないことで、すごいことだと思う。

でも、なんていうか、イヤだった。孝一は心の中では笑ってないような気がして。私のこと彼女っていう特別な位置に置いてくれるのなら、孝一の本当の心が知りたかった」


そう、私は孝一が自分の心の中を見せてくれないことが、寂しくて悲しかったんだ。でも孝一は仮面を外してはくれなかった。

だから、孝一から離れた。

仮面を被っていない誠を選んだ。


「俺は仮面を作りたいんじゃなくて、被りたかったのかもしれない」

誠は少し黙ってから、呟くように言った。

「俺は孝一のことを、心の中で少し馬鹿にしている。でも尊敬もしているし、嫉妬もしている。俺は、孝一みたいに皆に愛想良く出来ない。どうやったらいいのか分からないし」


「私、仮面なんかいらない」

誠の横に私も寝転がった。

「だって、わかるよ、私。その人が仮面を被っていたとしても、この人はどんな人かなって。私の第一印象みたいなの、結構当たる」

なんだよ、超能力か。と、誠は少し笑った。

「誠のことだって、そうだよ」

「俺はもともと仮面なんて被れないんだってば」

真面目に告白しているつもりだが、誠は笑っている。

私は知っている、理解っている。誠がどんな人か。

「向き合って、ちゃんと眼を見たら、ちゃんと話をしたら、その人がどんな人か分かると思う。どんな仮面を被っていても」


誠は『偽笑』の仮面を自分の顔に乗せた。

「ああそうだ。お前が来る少し前に、真理恵ちゃんから電話があったよ」

誠の声がまた少し高い。ドキッとした私の顔を、「偽笑」の仮面を付けたまま覗き込む。

「お前が俺のことを外見で選んだって言ってるけど、それでいいのかって」

「それでなんて答えたの?」

誠は仮面を顔から少し下げた。いつもの誠の真っ直ぐな眼が現れた。

「知ってるからいいよって言った」

ホッとした私の顔を見て「あっはっは」と誠は大きく笑った。

私も笑った。

やっぱり誠が好(い)い。誠のことが好きだと、確認できた気がした。



強かった外の風が静かになったので、窓を大きく開けた。

「ねえ、この作品群のタイトルは何ていうの?」

「Masquerade」

誠は『偽笑』の仮面の下で欠伸をしながら答えた。

「ますかれーど?えっと、仮面舞踏会?」

「うん。見せ掛けとか、虚構とか、そんな意味もある」


誠が「腹が減ったなあ」と言ったので土間に戻り、冷蔵庫の中の残りのビールとつまみを出した。

強い風が雲を持ち去っていったので、土間の小窓から澄んだ夕焼けの光が差し込んでいる。

土間の隅にあった板の切れ端を盆代わりにし、ビールとつまみを乗せながら考えた。

もう一度、真理恵と話そう。きっと誤解が沢山ある。誠の仮面の話をしたらわかってくれるだろうか。難しいかな。誠と一緒なら話し易いかな。

「ねえ、誠。真理恵にね」

部屋に戻って誠に話し掛けたが返事が無い。

誠の顔の上の『偽笑』の仮面をそっと持ち上げると、静かに寝息を立てていた。

起きている時も眠っている時も、誠の素直な表情は変わらない。

それが嬉しくて愛おしくて、誠が起きるまでこのまま寝顔を見ていようと思った。

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