第2話

 お盆を過ぎれば、もう夏休みも終わりって気分がぐっと高まってくる。終戦記念日とかは朝からテレビもその話題ばっかりで、なんとなく重苦しい雰囲気が漂うのに、その上、この至上の毎日が終ろうとしていると思うとだるくなる。

 さて、今日はどうやって過ごすかな。まぁどうせいつもと変わり映えしないか、と思ってたら携帯が鳴った。

『よぉ高井。プールいかね?』

 松本から遊びの誘いだ。でもプールは気乗りしないな。俺あんまり泳げないし。

「プールかぁ。ちょっと面倒だなぁ」

『おまえあんまり泳げなかったっけ。じゃあ荷物番してくれたら助かるんだけど』

 ……それが目的か。

「昼飯おごってくれるなら手を打とう」

 別にプールに行かなくてもいいし、おごってくれるならそれはそれでいい。ダメもとってやつだな。いや、ちょっと違ったか? まぁいいや。

『うーん。まぁいいよ。うちのクラスの友達が二人いるんだ。そいつらの分も見てくれるならみんなでおごるから』

 結局、俺は昼飯で松本に雇われた。

 しかしこれが間違いだったと二十分後に頭を抱えることになるとは。

 うかつだった。深く考えてなかった。夏休みをだらっと過ごしてきた弊害か。

 松本のクラスって、安藤さんのクラスじゃないか。松本のダチって、あの、俺を最初に責め立ててきた連中じゃないか。

 待ち合わせの場所についた時、俺は愕然とした。

 男三人、女四人、都合七人が、にやにやしながら俺を迎えた。にやけてないのは松本と、安藤さんだけだった。

 みんなそれなりに日焼けしている中、白いワンピースに麦わら帽子をかぶった、相変わらず色白の安藤さん。もじもじと恥ずかしそうにしている。

 不覚にも、どきっとした。この服装なら白い日傘なんかも似合いそう。すごく可愛いだろうな。

 いやいや、これに騙されちゃいけないんだってば。ジャージで髪を振り乱して弟とエビフライ取り合ってたんだぞ、彼女は。

「よぅ高井。悪いなわざわざ。女の子達は偶然そこで会ったんだよ。ぐ、う、ぜ、ん、な」

 松本のクラスメイトがにやにやしながら言う。

 そんな、偶然を強調されるとわざとらしさが増すぞ。ってか、最初からわざとだろう。安藤さんの様子をからして、彼女も友達に騙されたってことか。

 でもだからと言って帰るとも言えなくて、しょうがないから一緒に行くことにした。

 内心イライラしてる耳に、蝉の合唱がうるさくてしょうがない。誰だ、こんなうるさいのを蝉しぐれだ風流だなんてのたまってるのは。

「おいこら、この裏切り者」

 道中で、松本を肘で小突いて文句を言った。

「いや、この際、振られたことにした方がうるさくなくなっていいんじゃないかなぁって。勝手にあいつらの案に乗っかったのは悪いと思うけどさ」

 松本が言うには、騒いでる連中は、俺がさっさと安藤さんに振られればいいと思っているらしい。だからさっさとコクるチャンスをあげてやれと言ったところだとか。

 あれだけ騒いだから安藤さんは俺のことをよく思っていないだろう、という算段らしい。ってことはそのためにあの異様なまでの盛り上がりだったのか。用意周到というか。そのエネルギーを他にぶつけりゃきっとすごいヤツになれるだろうに。

 けど振られるもなにも、今はもう好きでもないし……。いや待てよ。なるほどバカ騒ぎがなくなるならそれもいいか。

「松本ぉ、おまえ、いい奴だな。判った。その提案に乗ることにするよ」

「頑張れよ。いや、頑張っちゃだめなのか」

 松本がにっと笑う。俺も同じように笑った。

 市営プールは午前中だってのに人が多い。猛暑でみんな避暑地を求めてるんだな。夏の初めには冷夏になるだろうなんて予報されてたのが嘘みたいだ。

 水着に着替えて、何とか屋根の下のテーブルをキープ。その頃になって、女の子たちもやってきた。

 スクール水着を想像してた俺は、カラフルでかわいい水着を着た彼女達に思わず見とれた。やっぱり女の子っておしゃれなんだなぁ。

「んじゃ、荷物番頼むな」

 荷物番のためという大義名分を嘘にしないためか、男連中は女の子達を誘って、さっさとプールに行ってしまった。

 まぁいいか。ここでのんびりさせてもらおう。

 一人になった方が嘘の告白の台詞をじっくり考えられるってもんだ。どう言って振られようか。

 可愛いくて優しい君のことが好きになった。

 いや、これはあまりにも嘘っぽいな。本性見ちゃってるし。告白を信じてもらえないと意味がないもんな。

 あ、見た目と性格が違うところが好きになるのをギャップ萌えって言うんだっけ? じゃあそれで行くか。

 可愛くて優しいだけじゃなくて、元気がいいところもすごく好きなんだ、なんてどうだ。あの時は驚きの方が大きくて変な顔してたかもしれないけど、その意外性が胸に響いたんだ。とか。

 うん、我ながらこれいいんじゃねぇ?

 ありがとう兄ちゃん。兄ちゃんのくだらない知識が役に立ったよ。

「ねぇ、ちょっと」

 うわっ。台詞考えてたら急に声掛けられて、思わず飛び上がりそうになった。

 声の方を見ると、安藤さんの友達だ。みんなにこにこと笑ってる。

 なんだ? とドキドキする俺に女の子達は言った。

「男の子達に聞いたけど、あんどーちゃんに告白するんだって?」

「頑張ってね。うまく安藤さんとくっついてよ」

「陰ながら応援してるからね」

 ……なんだか知らないが応援されているらしい。まさか、ひょっとして、安藤さんから頼まれて様子を探りに来た? 女の団結はすごいって言うしな。

「あ、うん。けどなんで応援してくれんの?」

 何の気なしに尋ねてみた。別に安藤さんの動向を探ろうって考えはないけどさ。

「だって、あれ見てよ」

 一人が指さす先には、デレデレとしまりない顔の男連中に囲まれてる、ちょっと困った顔の安藤さんがいる。

 なるほど、困ってる友達を助けたいってか。女の友情って厚いよな。

「あの子が転校してきてから、男の子達、みんなあの子に夢中なんだよね」

「そりゃ悪い子じゃないよ。いい子だよ。でもねえ」

「男の子達があれじゃ、告白できないでしょ? 見向きもしてもらえないんだから。だから安藤さんが決まった人とお付き合いしたら、男どもも目が覚めるかなっ、て」

 ……女の友情は、もろかった。

「ま、まぁ、がんばるから、うん」

 思わず乾いた笑いが漏れちまった。

「あっ、こんなこと言ってたなんて、絶対内緒だからね」

「バラしたら、ひどいよ?」

「女の結束をナメないでね」

 それはもう脅しじゃ?

 女の結束は恐ろしいというところに激しく同意しておいて、うまい告白の文句を考えるから邪魔しないでと追っ払った。

 やれやれ。男どもの思惑の方がまだ可愛げがあるんじゃないかと思うのは俺が男だからかな。

 わけもなく緊張してきて、せっかくみんながおごってくれた昼飯も味がしない。感じるのは陰謀の風味だけだ。

 昼飯の後、その時はやってきた。

 男三人と、安藤さん以外の女の子達は、食器を下げるからと席を立った。

『うまくやれよ』

 松本がそう言いたげに、ちょっとうなずいたから、あぁなるほど今がその時かと思った。

 いや、でも、まだうまい告白考えてないんだけど。もうひと押しほしいところなんだよな。

 あ、別にうまくなくてもいいのか。付き合う気ないんだし。

「……どうして、みんなに言わなかったの?」

 ぼそりと、安藤さんの声がして我に返った。

「言うって何を?」

「家に来た時のこと」

 安藤さんを見ると、別に困っているわけでもなければ怒っているわけでもない。かといって喜んでいるふうでもない。少しうつむき加減で上目遣いで俺を見てる。

「別に取り立てて言うほどのことじゃないだろ」

「そっか。別にわたしのことを気遣ってたわけでもないんだね」

 もしかしてがっかりした? 彼女の声はそんな雰囲気にとれた。

「気遣うって言うか、まぁ黙ってることをわざわざばらさなくてもいいかな、って」

 本当は興味がなくなったからだけど、これはうまい具合に告白につなげられるかもしれないから黙っとこう。

「そっか。やっぱり気遣ってくれたんだ」

 安藤さんは、恥ずかしそうに笑った。

 うわ、かわいい。こういう顔、卑怯。

 ちょっと顔そらして、照れ隠しに意地悪なことを聞いてみた。

「言ってほしかったのか?」

「そういうわけじゃなくて。……ううん、ちょっとだけ期待してたのもあるかな」

「どういうこと?」

 尋ねると、安藤さんはひとつ息をついて、軽く明後日の方に目を向けて話し始めた。

「わたしね、もう何回も転校してるんだ。今までの学校じゃ高井くんが家に来てくれた時のままだったんだよね。自分で言うのもなんだけど、活発でフレンドリーだったから友達たくさんできてさ。でもすぐにまた転校でしょ。……さびしくて。だからここに来る時、次のとこでは大人しくしておこうと思ったんだ。どうせまたすぐ友達とも離れなきゃならないから、って」

 彼女はまた一つ溜息をついて俺に視線を戻した。口調は軽いが真剣なまなざしに、どきりとした。

「で、大人しくしてたんだけど、……なんか猫かぶりになっちゃったよね。いまさら『うそだよーん』とか言えなくてさ。それ言っちゃったらただのイタい人だもんね。タイミングがないっていうか。バカだね、本当の自分でいられるの、家だけになっちゃった。慣れないことするもんじゃないわ」

 あははと空笑いする安藤さん。さびしそうだ。

「またすぐに引っ越しそうなのか?」

「ううん。しばらくここにいることになるって。幸か不幸か」

 安藤さんは肩をすくめて笑った。

 本当は活発なのにおとなしいふりをして、それが周りに定着してしまって困っている安藤さん。

 本当は面倒くさがりなのに、そんな彼女の仮の姿に惚れて頑張って、それが火種で困っている俺。

 なんだ、同類だな。

 そう思ったらなんだか親近感。

「あのさ、俺――」

 いいムードで告白タイム。と思いきや、何やら言い争う声が聞こえてきて、俺も安藤さんもそっちを見た。

 安藤さんの友達が、男にからまれてる。泳ぐのじゃなくてナンパ目的ですって顔どころか全身に書いてるようなチャラ達が、ふらふらへらへらしながら女の子達に言い寄ってる。

 彼女達は何度も断ってるみたいだけど、チャラ男どもはしつこい。

「いいじゃんよ。どうせ君らも男漁りに来たんだろ? 遊んでやっからさ」

 あぁ、こういう連中って自分達がそうだから周りの可愛い子もみんな男目的だって誤解する、どうしようもないクズどもだな。

 警備員呼んでくるか、と席を立ちかけたら、その前に安藤さんが飛び出して行った。

 うぇ? ちょ、安藤さん? ……まさか。

 唖然とする俺を置いて、安藤さんがすたすたと大股で歩いて連中に近づいていく。

「ちょっと、あんた達、今聞き捨てならないこと言ったわねっ」

「お? なんだ?」

「なんだじゃないわよ。よくも友達を侮辱したね。この子達はあんた達にはもったいないくらいいい子達なんだよっ。男漁りなんて浅はかな真似するわけないじゃない! 謝りなさいよっ」

 やっちゃったよ安藤さん。彼女に助け舟を出されている女の子達も、ぽかんと口をあけて見守るだけだ。

「ああ、君もこの子達のお友達? ごめんね仲間はずれにするつもりはなかったんだよ。ほら、一緒に行こう」

 ちょ、どうしてそうなるんだ。どうしようもなく頭が花畑だなチャラ男。

 あ、いや、見てる場合じゃなかった。立ち上がってきょろきょろと周りを見て警備員を探す。けどこんな時に限っていない。

 その間に、男達が安藤さんの手をつかんだ。

「や、やめてよっ!」

 途端に安藤さんの声が震えた。

 よく見たら、彼女、小刻みに震えてる。さっきから、きっと怖かったんだ。なのに友達を助けようと――。

 と思ってたら、安藤さん、男の手を勢いよく振り払って、啖呵を切った。

「あんたらみたいな頭の弱いのが、わたし達に触れようなんて百万年早いんだよっ。おとといきやがれ!」

 あぁ、目が据わってる。完全に地が出てる上に、きっと恐怖も手伝って迫力を増しているに違いない。

 これ以上はいくらなんでもやばそうだ。もう警備員探すなんて悠長なこと言ってられそうにない。俺も連中のところに走った。

「な、なんだ、このガキ……」

 やっぱり、チャラ男、怒った。

 あんまり刺激したくないから、連中のそばに行ってできるだけ穏やかに話しかけた。

「もうやめといたら? 断ってるでしょ。ほら、女の子なんて他にもたくさん――」

 いるじゃないか、って言葉は口から出てこなかった。チャラ男に突き飛ばされて倒れたから。

 プールサイドって痛いんだよな。とっさに身を固くしたけど、あれ、思ったほど痛くない。

 痛くない、けど、あれ、目の前歪んでる。いきできないよ? クルシイヨ?

 遠くで、安藤さんの悲鳴が聞こえた気がした。


 ――ちょっと、目を覚まさないよ。どうしよう。

 ――心臓マッサージと人工呼吸しよう。

 ――わたしがやりますっ。

 ――え、ちょっと、安藤さん。緊急時だけどやっぱそれは……。


 安藤さん? 人工呼吸?

 ぱちっと目を開けた。

 安藤さんの顔が間近にあった。うわぁっ。思わず顔をそらしてむせかえる。

 周囲からどよめきが起こって、安藤さんの気まずそうな顔が遠のいた。

「よかった! よかったなぁ高井!」

 松本がほっと胸をなでおろしている。

 目をぱちくりして起き上がる。あぁ、何とか状況把握。俺、プールに落とされておぼれたんだな。……情けなっ。

「いやぁ、ほんとうによかった、あのタイミングで目が覚めて」

「ギリギリセーフだっ」

 おまえら絶対別のところ心配してたらろっ。

 まぁ別にいいや、突っ込む元気もないし、あえてそこはスルーで。

 周りを見回してみるとプールサイドに人だかりができている。うわー、そうとう恥ずかしい。でも俺が目を覚ましたと見ると、野次馬達は散って行く。そうそう、早くいなくなってくれ。忘れてくれ!

 俺らはテーブルのところに戻った。どっと疲れがわいてくる。

「ありがとう高井くん。大丈夫?」

 安藤さんがちっちゃな声で尋ねてきた。

「あー、へーき……、とは言わないけど、少し休んだら大丈夫になると思うよ」

「高井くん、止めに入ってくれてありがとう」

 安藤さんにならうように、女の子達がしおらしい顔で頭を下げてきた。

 なに、俺、ポイントアップ?

「それに、あんどーちゃんも。あんなに必死になってくれるなんて」

「そうそう。かっこよかったよね」

 お、これは安藤さんが猫かぶりをやめられるいい機会じゃないか?

「……驚かないの?」

 安藤さんもちょっと期待しているようだ。少なくとも友達が素の彼女を受け入れてくれるならいいことだ。彼女らの前では気を使わなくていい。

「そりゃ驚いたよ。おとなしい安藤さんがあんな言葉遣いするなんて」

「でもあれって、漫画か何かのセリフの真似でしょ? 何見て覚えたの? スケバンとか出てくる学園ものとか?」

「親が見てる任侠もののテレビだったりして」

「あ、あの、そうじゃなくて――」

「違うだろ、ほらあれだ。世直し先生みたいなのとかじゃねぇの? あれいっぱい不良とか出てくるし」

「やー、でもみたかったなぁ。ナンパ男に啖呵切る安藤さん」

 安藤さんのか細い否定の声が聞こえないのか、野郎どもまで話に加わりやがった。

「わたし達もいざって時のために何かカッコいいセリフ覚えておいた方がいいかなぁ」

「相手をびっくりさせてその間に逃げちゃうなんていい手かも」

「おまえら地でできるだろ」

「ひっどーい」

 あぁ、完全に安藤さんを放り出して自分達の仮定話を信じ込んで話展開させてるしっ。

 安藤さんと目があった。

 もう、二人とも苦笑するしかなかった。


 それから、俺もちょっと休みたかったし、みんなももうちょっと遊びたいらしくて、また荷物番となった。今度は正真正銘の。

 午前中と違うのは、そばに安藤さんがいること。責任感じちゃって、一緒にいるって言い張ったから、みんなも「まぁ仕方ないか」ってところだ。

 多分男連中を引っ張ってってくれたのは松本だ。まだ告白すんでなさそうだ、とかなんとか言ったに違いない。ほんと、いい奴だ。今度学校の購買部で何かおごってやろう。

 って、あれ、俺、安藤さんと二人きりになれたこと、喜んでる?

 ……結局、俺は安藤さんのことが好きらしい。猫かぶってたって、安藤さんが可愛いことも優しいことも、嘘じゃないもんな。

 兄ちゃん、これギャップ萌え? うーん、何か違うような気がするけど、ま、いいか。

「さっき、何か言いかけてたよね。何の話だっけ?」

 安藤さんが、またちょっと小さい声で尋ねてきた。

 そうだ、告白しようとしてたんだっけ。さっきまでは嘘の告白のはずだったけど。

「安藤さん、本当の自分でいられなくなっちゃった、って言ってたけど、少しずつ出して行けばいいんじゃない? 今はまだみんなありえねぇとか思ってるみたいだけど、いつの間にか活発な安藤さんが定着すればいいんじゃないかな。……なんなら、俺のせいにしてもいいし」

「高井くんの、せい?」

 安藤さんが小首を傾げた。

「俺と仲良くしてる間に性格が変わったとかさ」

「でも高井くんって、そんなに活発なタイプじゃないよね。どっちかって言うと」

 うっ、ばれてた。よく見てるなぁ。ってか、俺どう思われてるんだろう。

 じっと見つめてくる安藤さんが、何かを期待しているような気がするのは、俺の希望的観測か? それとも実は告ろうとしているのを知ってて聞きたくないと恐れてる? さっきのはやっぱ醜態であって、ポイントアップでもなんでもなかったとか。

 ……ええい! ごちゃごちゃ考えててもしょうがないっ。

「あー、ごまかすのやめ。付き合わない? いや、付き合ってほしい。おとなしい安藤さんも、活発な安藤さんも、俺、好きだ」

 言った! 自分でも顔が熱くなるのを感じる。

 安藤さん、真っ赤になってる。もじもじして、何か言いたそう。

 OK? それともゴメンナサイ? うわぁ、この間が胸に痛い。

 どれだけ待っただろう。もう永遠かと思うくらいの沈黙。熱い、重い。普通に息してるはずなのに酸素が足りない気がする。頭がきんきんする。でも体はなんか冷たいものにでも触ってるみたいにぶるぶる震える。

 安藤さんが、意を決したって顔でこっちを見た。俺は、ごくっと唾を呑む。

「うん」

 返事は、たったそれだけだった。でも、十分だった。

 今までよりももっともっと、頭がかーっと熱くなって、でも全然不快じゃなくて。これってハイってやつだな。

 なんだか勢いに乗っちゃって、一目ぼれだったとか、家に行った時は驚いたし正直ちょっと引いたけど、友達のためにチャラ男に突っかかって行ったのを見て、やっぱり好きだなって思ったこととか、ぺらぺらしゃべりまくった。

「それにしても、ちょっと惜しいことしちゃったかな」

「なにが?」

「あのまま気を失ってたら、安藤さんに人工呼吸してもらえてたわけで」

 冗談めかして、あははと笑ったけど、安藤さんは、かーっと真っ赤になってうつむいてしまった。

 やっぱり恥ずかしがりなんだなぁ。そんなところも可愛いな。

 と、思ってたら。

 安藤さんが顔をあげた。涙目だ。

 そんなに恥ずかしかった?

 いきなり頬に衝撃。ぱんっと甲高い音。そして、じんじんと痛みだす。

 え? 何?

「最低。高井くんって好きなタイプだったのに。わたし達のために溺れて気を失っちゃって真剣に心配したのに、そんなこと考える人だったなんて、がっかりだよ」

 や、ちょっと、待って。冗談だって。

 そう言おうとしたが、笑い声が聞こえたのでそっちを見た。

 松本達だ。しっかり見られてた。

「ふられたな、高井ー」

「実はちょっと心配してたんだよな。いい雰囲気のまま二人で残してきて」

 男どもがさも愉快そうに笑う。

「うまくいくと思ってたのに」

「高井くん、なんかまずいこと言ったんじゃない?」

 女の子達はがっかりしている。

 ……うん、確かに、真剣に心配してくれてた人に、あれはシツレイだったかもしれない。

 だって、言い訳がましいけど、女の子としゃべるなんてほぼなかったから、場の持たせ方が判らなかったんだよ。

「それじゃ俺らもうちょっと泳いでくるから、また荷物番よろしくなー」

「さ、安藤さん、行こう」

 ちらっとこっちを見たけど安藤さんはそれから振り返らずにみんなについて行った。

 そんな中、こそっと松本が寄ってきて、いい笑顔でとどめの一言。

「よかったな。これで騒ぎが収まるぞ。うまいことやったな」

「いや、違う! 俺は本気――」

「まぁまぁ。おまえ顔色悪いぞ。まだ疲れてんだろ。一仕事終わったんだしゆっくり休め」

 松本がぽんぽんと俺の肩を叩いた。労ってるつもりなんだろうが、気づけ、友よ!

 あまりのことに言葉にならずに口をパクパクさせるばかりの俺を置いて、松本もみんなの方へと歩いて行った。

 笑い声が遠ざかって行く。

 あぁさようなら俺の初恋。たった数分間の両思いでした。


(了)

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初恋はイタい嘘 御剣ひかる @miturugihikaru

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