第56話 謎の男、現る
慌てて朝食を詰め込み(さすがに咀嚼回数は少なめだった)、なんとか遅刻せずに済んだ隆太だったが、無難に仕事をこなしながらも頭の片隅にカイの言葉が残っていた。
(自分を知る? ……自分の頭の中なんて、自分がいちばんよくわかってる)
だが。
ここ2ヶ月近くも、隆太は自分の中にこびりついた恐怖心に気付いていなかった。
後悔や罪悪感に塗り込められて、恐怖心は隠されていたのだ。
まだ自分の知らない何かが隠れているのだろうか。
自分の全てを知るのは、少し恐ろしかった。
知りたくないから隠されていることもあるのではないか。
己の中のダークサイドを白日の下に晒すことが、果たして善いことなのか。
と、隆太は苦笑を漏らした。
「自分を知る」と言われて、すぐに悪い方向に想像してしまった自分が可笑しかった。
だって彼らはあの時、「隆太だって、サラ達を助けた」と話していたのだ。
ダークサイド云々、という話の流れではなかった筈だ。
(俺、今まで自分が思ってたより、ずっとネガティブなタイプなのかもしれないな……)
自分では ”細かなことにこだわらない、おおらかな人間” だと思っていた隆太には、あまり嬉しくない発見だ。
次の修行では、何が飛び出すやら……
(まあ、なんとかなるさ)
”おおらかな” 隆太はそう思って気持ちを切り替え、仕事に集中した。
* * *
一方その頃。
成田空港にひとりの男が降り立っていた。
初めての海外旅行。初めての日本。
なけなしの貯金を全額引き出し、部屋に散らばった小銭までかき集めて飛び出してきたはいいが、さっぱり勝手が分からない。
一応の下調べはしてきたつもりだったが、いざ到着してみれば右も左もわからなかった。
精一杯旅慣れた様子を装い、周囲を観察する。
ここでキョロキョロしたりオドオドした様子を見せれば、たちまちナメられてしまうだろう。
入国審査までは、問題無く終了した。人の流れについて行けば、それで良かった。
問題はここからだ。
バゲッジクレームで荷物をピックアップする。
荷物と言っても、大きめのバックパックひとつきりだ。
さあ、どうしたものか。
ゆったりした歩調で人について歩き始めるが、濃い色のサングラスの奥では忙しく周りを見回し係員を捜す。
日本では英語が通じないと聞いているが、さすがに空港職員なら英語くらいわかるだろう。
乗るべき電車とその乗り場を訊ねてみよう。
案内板を眺めて自分で調べることは論外だった。
完全に ”オノボリさん” だと思われるだろう。
”アメリカの片田舎から流行のトーキョー見物に来たアホなガイジン” という目で見られるのは、我慢がならない。
腕章を着けインカムを装着した職員を見つけ、声を掛ける。
子供かと思うほど小柄な女性で、身長は彼の胸にやっと届くほどだ。
髪をひとつに束ね、ほとんど化粧をしていない顔で彼を見上げて、とても丁寧に説明してくれた。
鷹揚に礼を言って、彼女の説明に従い進む。
長い距離をゆったりと歩きながら、彼は周囲の観察を怠らない。
あちこちにある案内標識で、自分の進む方向が間違っていないかさりげなくチェックする。
(まったく。まるで小人の国だな)
2メートル近くある身長から、背中を丸めてせかせかと歩いている人々を見下ろしているうち、微かな優越感が口の端を歪ませた。
(こんなチビども、この俺にかかればひとっ飛びだ……)
そう思うと、これからの滞在の不安が少し薄れた。
下調べはしてあったが、電車のチケットを買うのに少しまごついた。
券売機の前で目の前のパネルとメモを見比べながら舌打ちしていると、後ろに居たビジネスマンらしき日本人男性が声を掛けてきた。
「どこまでですか? 日本の鉄道は複雑ですから、お手伝いしますよ」
落ち着いた声の、流暢な英語だ。
身長もそれなりに高く、身なりも良い。自信に満ちているように見える。
この手の男はいけ好かないし大きなお世話だと思ったが、面倒なので手を借りることにした。
無事チケットを買うと、スマートに礼を言って、乗り場へ向かう。
が、どのホームへ行くべきなのかが またわからない。
(畜生。なんでこんなに分りづらいんだ。何もかもゴチャゴチャしやがって)
表示板を睨むこと数分、彼はようやく目的の電車に乗り込んだ。
(なんだよ。トーキョーとか言っても、ただのド田舎じゃねえか)
車窓から見える景色は、緑溢れる田園風景。
街並が完全に途切れる事こそ無かったが、遠くにウシや馬まで見える始末だ。
だが、ひとくちに田舎町とはいっても、彼の育った場所の風景とは全く違っていた。
しばらく窓の外を眺めていたが、似たような風景が続くのでじきに飽きてしまった。
車内の光景に目を転じると、ほとんどの乗客が携帯電話かゲーム機に見入っている。
複数で連れ立っている者も会話はごく少なく、それぞれに自分の携帯電話を見つめている様子は少し異様な感じだった。
一層、孤独感が増した。
彼もポケットからスマートフォンを取り出した。
そっちがそうなら、俺だって周囲をシャットアウトしてやればいい。
程なくして、彼も異様な光景の一部になった。
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