第53話 ありがとう

 手早く入浴と洗面を済ませた隆太は、ため息をついてベッドに寄りかかった。


 有希子を駅まで送った帰り道、隆太はほとんど口を開かなかった。


 胸が詰まったようになって、口をきくことが出来なかったのだ。




 見ず知らずの人の命を助けるために自ら火災に飛び込んだ、サラ。

 力を使い果たしてまで、必死で炎を鎮めようとした、サラ。

 自分が瀕死の状態にありながら、人の幸せを願い、残された者の心の負担が軽くなるよう伝言を残した、サラ。



 もし自分が同じ状況であったら、同じことが出来るだろうか。


 どうして、そんなことが出来るのだろう。

 どうしたら、そんな風になれるのだろう。



 もしかしたら。


 もしかしたら、有希子の言ったように、俺はサラを下に見ていた部分もあったのかもしれない。



 でも今は。


 サラを心から尊敬している。



(ありがとう……)


 自然とそう呟いていた。目を閉じて、何度も何度も。



 生まれてきてくれて、ありがとう。

 俺達に出逢ってくれて、ありがとう。

 大切なものを遺してくれて、ありがとう……



 そう呟く度に、少しずつ心が軽くなっていった。

 心の中に爽やかな風が吹き込んでくるようだ。


 暗く重くのしかかる、分ち難く結びついた恐怖と後悔。

 隆太を苦しめていたものが、吹き払われていく。少しずつ、少しずつ。

 うっすらとやわらかな光が射してくる。


 この感覚はなんなのだろう。




 ああ。これは、解放だ……



 隆太はようやく気づいた。


 心からの感謝とは、自分自身を解放することでもあるのだ。

 他者の行いに感謝すると同時に、その善意を受け取る自分を許すこと。



 いつだって、瞑想は「愛と感謝」を再確認するものだった。


 愛・善意・感謝とは、おそらくほとんど同質ものなのだ……




 再び目を開くと、まるで視界が開けたようだった。


 部屋の中がふわりと明るくなり、新鮮な空気に入れ替わったよう感じる。

 ものの輪郭が際立ったように見える。


 瞑想で宇宙のエネルギーとつながった時の、あの感覚に似ていた。



 これはきっと、正解のサインだ。

 今まで教わってきた瞑想の意味を、より深く理解したという、サインだ。




 せめて、受け取った善意に見合うだけの自分でありたい。


 そう願いながら、隆太は感謝に満ちて眠りについた。


 久々の熟睡だった。


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