第49話 天空人達

 夜が近づくにつれ、酒の酔いがまわってきた大人達が増えたようだ。


「よぉ、隆ちゃん。飲んでるかい?」


 酒屋の店主が一升瓶を持って現れ、隆太の肩に腕を回してきた。

 赤くなった頬をテカテカさせて、ご機嫌な様子だ。


 隆太のコップを奪ってわずかに残ったビールを飲み干し、自分の一升瓶からドボドボと酒を注ぐ。


 トロンとした目で、コップを隆太に突きつけてくる。

「オラ、飲みなよ。うちの酒。あんたは天空橋のヒーローなんだからよぅ……」



 そう言い終わらぬうちに、店主の奥さんが体当たりするかのような勢いで割って入ってきた。


「絡むんじゃないわよ、この酔っぱらいが」


 この奥さんは確か、ついさっきまで座敷のほうで談笑していた筈だ。


「ごめんね、隆ちゃん。全く、酒屋のオヤジがまっ先に酔っぱらってちゃ世話無いわよねえ」


 火事の話題に触れさせないようにと気を遣ってくれているのがわかった。

 その心遣いに隆太は感謝した。


 隆太が苦笑いしながら「イエ……」とかなんとか呟くのも構わず、威勢のいい奥さんはアハハと笑う。



「なんだよぅ。俺ァ別に絡んでなんか……」


「いいから! それより、お酒が少なくなってきたのよ。店から持ってきてよ」


「なんだよ、俺はまだ飲んでんだ。お前が行ってくれよぉ」


「アタシよりあんたの方が早いでしょ。さっさとひとっ飛び行ってきて!」


 店主はブツブツいいながらも立ち上がり、よろけながら上着を脱ぐ。

 その姿を見てどこからか、からかい気味の声がかかる。


「お、なんだい。そんな酔っぱらってて飛べんのか? 腹が重くて落っこちるんじゃねえか?」


「んあ?」店主はぐるりと見回して、声の主にやり返した。


「飛べるにきまってんだろ、このメタボ野郎。お前なんかより、ずうううっと飛べるっつーの」


 上着を振り回す夫の腹をピシャッと叩き、奥さんが上着を奪って急かす。


「グズグズしてると風邪ひくよ! ショウちゃん、あんたも一緒に行ってやってよ」


 ショウちゃん、と呼ばれたのは、先ほど店主をからかった男性だ。


「えええ! なんで俺が…」

「ぶぁああはは! やっぱ、太りすぎて飛べねえんだろ?」


 酒屋の店主に挑発され、ショウちゃんは、やぶ蛇だなんだとブツクサ言いながらも結局上着を脱いだ。


「じゃ! ちょっくら行ってくっから」


 タンクトップ姿のふたりは連れ立って舞い上がり、酒屋の方へ飛び去った。


「俺の方が速い」「イヤ、俺の方が」と上空で言い合う声が微かに聞こえた。


「電線にひっかかるんじゃないわよー!」

 酒屋の奥さんが、空に向かって手を振る。



 途中から呆気にとられて眺めていた隆太に、

「あのふたり、昔っからあんな感じなのよ。まったく、いい歳して困ったもんよねえ」

 と、まるで何事も無かったように笑いかけ、奥さんは座敷の方へ戻って行った。


 目を丸くしてその背中を見送っていた隆太は我に返り、周りの反応を窺う。


 誰も驚いている様子は無い。


「アイツらも、相変わらずだねえ」などと微笑ましく語らっているばかりだ。



(なんだ、これは。いつの間にか、飛ぶのが当たり前になっているのか……?)


 隆太が天空橋のことを知って数年、一度も飛んでいる人を見たことは無かった。

 天空人達は、翼を使うことを嫌い避けていたはずだ。

 長老だって、「最近じゃあ、空を飛ぶ者もいなくなった」と嘆いていたくらいだ。

 誰も飛ばなくなったおかげで、街の飛行可能区域が狭まってきているという話だった。



 と、隆太はまだ長老に挨拶していないことを思い出した。


(挨拶がてら、この変化について聞いてみよう)


 隣のカイにひとこと断り、隆太は長老のいる座敷へ向かった。



 いくつかのグループの間をすり抜け、縁側から座敷にあがる。

 途端に歓声に近いような声が隆太を迎えた。


「おう、隆太。よく来たなあ」

 笑顔で手招きする長老は、大分きこしめしているらしく 赤ら顔だ。

 自分のとなりにいた年配の男性との間に無理矢理スペースを作り、畳をバンバン叩く。


 宴席の人たちに会釈しながら長老の隣に座ると、まだ挨拶もしないうちから当然のようになみなみと注がれたコップ酒が振る舞われた。


「あの、ご無沙汰してしまって……」と言いかけた隆太を制し、長老は肴を取り分けたり隆太に酒を勧めたりと大張り切りだ。


「挨拶なんかいいから、飲め飲め」

 そう言いながら、自分でもグビグビ飲んでいる。


 さっきまで長老の隣に座っていた年配の男性が、カラカラと笑いながら隆太の背中をバシバシ叩いた。


「まあ、付き合ってやっておくれよ。隆太君」


「ハ、ハイ。いただきます」

 既にだいぶ飲んでいるので、隆太は少しだけ口をつけるにとどめた。


「吉田さんはさ、喜んでんだよ。最近飛ぶやつが増えてきた、つってさあ」



 吉田さんとは、長老のことだ。

 初対面の人にいきなり親し気に話し掛けられ、ちょっぴり面喰らってしまった隆太に構わず、楽しそうに話し続ける。


「そういうウチもさ、最近になって孫が飛行練習を始めてさ。あ、小学校にあがったばかりなんだけどね……」


 小学校一年生。フオンと同学年だ。


「そいでさ、『おじいちゃんみたいに、カッコよく飛ぶんだ』なんつってなあ……」


 男性はそう言うなりオイオイ泣きはじめた。


 オロオロする隆太に、長老は「ああ、気にするな。そいつは酔うといつも泣くんじゃ」とイタズラっぽく笑いかけた。


「みんな、隆太のおかげじゃ。空を飛ぶのが格好わるいなんて言うやつは、誰もおらんくなったわ」



(ああ……そういうことなのか……)



「ありがとうなあ。ありがとうなあ……」


 初老と言ってもいい白髪の男性に泣きながら頭を下げられ、隆太は身の置き所が無くなってしまった。


「イヤ、そんな! 俺は別に……あれは、みなさんが……」


 しどろもどろになって、隆太は急に話題を変えた。


「あ! そ、そういえば、さっき酒屋さんがお酒を取りに飛んで行きましたよ」


 普通、「飛んで行く」といえば「大急ぎで行く」という意味だが、この土地では文字通り「飛んで」行くのだ。


 慌てる隆太の様子が可笑しかったのか、長老は大きな声で笑った。


「おお、そうかそうか。あいつ、だいぶ酔っぱらっとったろう」


 隆太は笑いながら肩をすくめ、頷いた。


「まあ、酒を飲んでても、空を飛ぶ分には酔っぱらい運転にはならないからなあ。あっはっはっは」


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