第48話 宴の理由
長老の家に近づくと、門をくぐる前から賑やかなざわめきが聞こえてきた。
隆太はフオンを肩から降ろし(口の周りが若干ヒリヒリする)、インターフォンのボタンを押した。
名前を告げると、「どうぞ~♪」と門のロックが開いた。
砂利を踏んで大きな庭に入って行くと、なにやら宴会らしきものが始まっていた。
様々な樹々を配した庭。面した広い和室の障子を開け放ち、座敷から縁側、庭へとひとつづきの にわか宴会場といった様子。
町内から大勢集まっているようだ。
「おお! 隆ちゃん、来たか! こっちだ、こっち」
隆太に気付き、あちこちから声がかかる。既にホロ酔い加減になっている者も多い。
適当に挨拶しながらグエン夫妻と有希子を探す。
庭に敷いたビニールシートに座り商店街の顔なじみ達と談笑している彼らを見つけると、フオンは人々の間をすり抜け、するりと仲間入りした。
隆太もキョロキョロしながら靴を脱ぎ、手招きするカイの隣に腰を下ろす。
「少し遅いけど、お花見ですよ」
ニコニコしながらカイがプラスチックのコップを渡してくれた。
頬がほんのりとピンクに染まっている。
そう言われて、今年は桜を見ていないことに気付いた。
イヤ、視界には入っていたが 気付かなかったのだろう。
庭にある桜の木を見上げると、ほとんど花が落ちて葉桜になっている。
「花なんかな、なんだっていいんだ。楽しく飲めりゃあ、なんだってなぁ」
魚屋の店主が、向かいから身を乗り出してビールを注いでくれる。口の端に爪楊枝をくわえている。
五月の初めだ。
たとえ桜に花が無くとも、長老自慢のこの広い庭はたくさんの花が溢れている。
「あ、どうも。いただきます」
手にこぼれたビールをジーンズで拭いながら、とりあえずひとくち飲んだ。
「ホラ、隆ちゃん。これ、持って来たよ。”居酒屋きっちゃんの特製たこ焼き”。好きでしょ?」
「隆ちゃん、いつものとん汁。鍋ごと持ってきたのよ。ほら、たくさんおあがんなさい」
「あべかわ餅も食べるでしょ?」
「唐揚げなんかもあるんだからね。いっぱい食べて」
商店街の居酒屋や肉屋、弁当屋等の奥様方が、次々に自分たちの店から持ち寄った総菜を取り分け、隆太の前にズラリと並べてくれる。
「あ、スイマセン……」
恐縮しながら頭を下げる隆太を見て、オヤジ達が「お、隆ちゃんモテモテだねえ」「オバちゃんにばっかりモテたってなあ」などと冷やかす。
奥様方の「何よぉ。ヤキモチ?」などというお約束じみた遣り取りに当たり障り無く笑顔を向けながらも、隆太は状況をつかめずにいた。
ひとしきり隆太のモテ期(?)が終わったところで、有希子が小声で教えてくれた。
「隆太君たち、お花屋さんに行ったでしょう?久々に隆太君が顔を見せた、って商店街中に情報が回って、あっという間にこんなことになっちゃったらしいのよ」
「へ?」
そんな説明をされても、まだ訳が分からない。
「誰かが長老のところにまで電話したんですって。で、長老の号令で「よっしゃ、宴会だ」って。みんな、よっぽど隆太君のこと心配してたのね」
そう言って、肘で隆太の腕をツンツンと小突いて笑った。
「人気者も大変よね?」
隆太はしばらくポカンとしていたが、じわじわと感動と感謝の念がこみ上げてきた。
(みんな何も言わないけど、ずっと心配してくれてたのか……)
隆太はゴクゴクと喉を鳴らしてビールを飲み干し、プハーッと息をついた。
「お、隆ちゃん。いい飲みっぷりだねえ。男はそうでなくちゃなぁ」
嬉しそうに次のビールを差し出してくるのはクリーニング店の店主だ。
「ウマいっす」
隆太はコップを差し出して、「へへ」と笑った。
車座に座った顔なじみのみんなも、声をたてて笑った。
隆太は久しぶりにモリモリ食べ、たらふく飲んだ。
ここ最近、きちんとした食事を摂るのを怠っていた。
コンビニのサンドイッチや菓子パンを牛乳で流し込むだけ、というような食生活だったのだ。
食べ物に感謝しながらよく咀嚼する、という習慣も忘れてしまっていた。
ひとつひとつ味わいながら「ウマいウマい」と舌鼓を打っていると、皆が目を細めてこちらを眺めているのに気付いて、隆太は顔を上げた。
一瞬動きを止めた隆太に、皆が「食べなさい、食べなさい」とすかさず食べ物や飲み物を追加してくる。
隆太はまるで、久々に親戚の家に遊びに行った子供になったような気分だった。
みんなに守られている。繋がっている。
ほんの少しの気恥ずかしさと共に、そんな安らぎと懐かしさを感じていた。
空は、夕焼けのオレンジから薄紫色に変わりつつあった。
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