第36話 隆太


 翌朝目覚めると、隆太はサラの実家に行くことを決意した。


 病院で目覚めて以来、隆太は自分の感情がうまく働かなくなっていることを自覚していた。

 色々な話を聞いて理解はしているのだが、心の一部が麻痺したようになって、薄いベールに隔てられているかの様にどこか無感覚な状態なのだ。


 だが、今行かないと永遠に機会を逸しそうな気がした。


 カイは一緒に行こうと申し出てくれたのだが、隆太は「ひとりで大丈夫です」と断った。



 隆太はまず長老の家に向かい、救助の手助けとその後の対応について礼を言った。


「その小さな翼で、よくやった。火災の被害があれで済んだのは、全てお前のおかげじゃ」


 長老の労いに隆太は黙って頭を下げ、これからサラの家に行くことを告げた。


「勇敢なお嬢さんだった……」


 長老はそう言って頷いたきり、サラの力については何も聞かなかった。



 * * *



 サラの実家は、彼女の住んでいたアパートからそう離れてはいなかった。


 なんの変哲も無い、住宅地の一戸建てだ。だが、一見してよく手入れが施されているのがわかった。

 それなのに、門扉に飾られた花が少し枯れかけていて、隆太は思わず目を逸らした。


 ある感情が鋭くベールを突き破って出て来そうになったが、それがなにがしかの形を取る前に、急いでまた覆い隠した。



 サラの両親は、隆太の訪問を喜んでくれた。


 仏壇には、フオンが有希子の携帯で撮った、サラの笑顔の写真が飾られていた。

 隆太は仏壇に手を合わせた。



 一度深く呼吸をして、隆太は両親に向き直り、正面から彼らの目を見据え切り出した。


「実は、お話ししておきたいことがあります。不思議な話で信じられないかもしれませんが、聞いていただけますか?」



 隆太は長い時間をかけて、サラの能力のことや、そのせいでサラが長年悩んでいたことなどを話した。

 両親に話せなかったのは、そんな能力を持つ娘を心配させたくなかったからだ、と伝えた。


 サラはそうは言っていなかったが、そういう気持ちも少なからずあったはずだと隆太は信じていた。



「発火能力……」


 両親はしばらく絶句していた。当然だろう。


 しかしやがて、母親が涙を拭きながら言った。


「あの子が大きな悩みを抱えていたのには気付いていました。でもまさか、そんな……」


 隆太は座布団から降り、彼女の両親に向かって土下座をした。


「彼女は、その能力で炎を抑えあの親子を助けました。俺のせいです。申し訳ありません」


 両親は意味がわからずに慌てふためき、隆太に頭を上げさせようとする。


 だが隆太は、頭を畳につけたまま、言った。


 彼女は初め、その力を押さえつけることに必死になっていた。

 それなのに自分が「今の自分を認めて受け入れろ」などと吹き込んだばかりに、こんなことになってしまったのだ、と。



 彼らはしばらく言葉を失っていたが、ほとんど無理矢理、隆太に頭を上げさせた。


「不思議だったのよ。何故あの子が、見ず知らずの人達の為に火事の中へ飛び込んだりしたのか」

 母親はそう言ってハンカチに顔を埋めた。



 サラのことを話すのは苦しかった。思い返すことさえ苦痛だった。

 ずっと不思議な無感覚の空白に沈んでいたかった。


 だが、その最後の様子をご両親に話すのは、自分の義務だと感じていた。

 隆太は両膝の上で固く拳を握り俯いたまま、無感覚のベールをこじ開けるように言葉を絞り出した。


「佐和子さんは、天空橋の商店街近くでの火事と聞いて、僕たちを心配してこちらに向かったのでしょう。着いてみると火災現場はうちから離れていたけれど、中に人がいると聞いて思わず飛び込んでしまったんだと思います」


 そして、サラからの伝言を伝えた。


 あの娘は昔から優しい子で……そう言って母親は泣き崩れてしまった。


 隆太は俯いたまま、顔を上げることが出来なかった。




「葬儀のとき、佐和子の同僚の方達に話を聞きました。最近の佐和子はとても明るくなって、楽しそうだったと」


 しばらく黙って話を聞いていたサラの父親が、仏壇から写真の束を取り上げ、俯いたままの隆太に差し出した。

 顔を見なくても、その声に涙が滲んでいるのがわかった。


「葬儀の時に柏木さんが下さった写真です。ほら。あの子のこんな笑顔、私たちは何年も見ていなかったんです」


 サラの父親は、泣いている妻を労るように肩を抱き、そして隆太に頭を下げた。


「佐和子と仲良くして下さったこと、そして命がけであの子を救い出そうとして下さったこと、本当に感謝しています。ありがとう、大原さん」





 サラの実家は、あまりにも生々し過ぎた。


 家のそこここに、サラの思い出が刻まれている筈なのだ。それを目の当たりにするのは耐えられなかった。

 自分でも卑怯だと感じてはいたが、隆太は家の中の様子をなるべく見ないようにしていた。


 だが帰り際、庭の片隅にある猫のお墓に手を合わせることは忘れなかった。


 そこにはいくつかの、小さな白い花が咲いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る