第32話 サラ

「どの家かわかりますか?」

「イヤ、そこまでは…」


 隆太は方向転換すると、バケツリレーの方に戻った。


「水を!」


 隆太は叫んだ。が、バケツリレーはもう機能していなかった。水が届かなくなっていたのだ。


 人々は、なす術も無く避難しようとしている。


 隆太は狂ったように周りを見回した。



 見つけた。フオンの方へ駆け出す。



「フオン! 水だ!」


「え?」

「水を出してくれ!」


 隆太の形相に、フオンは怯えている。


 カイが走り寄ってきた。「リュータ、サラさんは?」


「燃えている家の中に女性が入っていったそうです。きっと、サラさんだ」


 言いながら、隆太はコートを脱ぐ。続けて上着とシャツも脱ぎ、半裸になった。


「フオン! 頼む」


 フオンは今や、隆太が何をしようとしているか察していた。


 力なく首を振りながら、「出来ないよ……やだよ……」と弱々しく呟く。


「……そうか。なら、このまま行く」


 隆太はきびすを返し、少し距離を取った。助走をつけるためだ。




「待って!」


 フオンが泣きそうな顔で走ってきた。「わたし、やってみる」


「ありがとう。フオン。頼んだよ」

 励ますように微笑みかけ、隆太はフオンに背を向けた。


 目を閉じて精神集中するフオンの背後にカイが立ち、フオンにエネルギーを加勢する。


「うぅぅぅ…」


 両手を握りしめ、仁王立ちになって眉根をギュッと寄せて集中する。



 その間隆太は、燃え盛る家々を睨みつけていた。


 一カ所だけ、炎の勢いが弱まっている場所がある。おそらく、サラはあそこだ………直感を信じろ!



 フオンは両手をあわせて器を作った。


 小さな手のひらに、徐々に水が満ちてくる。


「うああああっ!!」


 そう叫んで、手のひらの水を隆太の背中に向けて投げつけた。

 本来ならあり得ない大量の水が、隆太の背中と翼を濡らす。


 前髪から水を滴らせながら振り返った隆太は、微笑んでフオンの頭をクシャクシャと撫でた。


「良くやった、フオン。頑張ったな」


 息を切らせながらこちらをを見上げ泣いているフオンの頭を、隆太はもう一度撫でる。


「大丈夫。ちゃんとサラさんを連れて戻ってくるからな」


 カイに向かって頷くと、カイも無言で頷き返した。




 こんなに長い距離を飛ぶのは初めてだ。でも、やるしかない……


 隆太は無意識に首元のチョーカーを握りしめた。守人の護り石。


(集中しろ!)


 隆太は全速力で走り出した。そして大きく地面をひと蹴りすると、そのまま飛び立った。



 避難する人々や野次馬たちはあっけにとられ、自分らの頭上を超えて一直線に炎へ向かって羽ばたいて行く隆太を見あげた。






(サラ、どこだ……サラ……)


 脱いだTシャツで口元を覆い、隆太は見当をつけた家に近づいた。



 そのとき、割れた窓から何かが飛び出して来た。

 それは家のまわりをぐるりと回り、まるで炎を飲み込みながら進んでいるかのように炎の勢いを弱めている。


 1匹の猫だった。

 炎を纏ったおおきな白猫が、炎の尾を長くひきながら空中を飛び回り、2階の窓からその家に戻っていった。


 やはり、あそこだ。隆太はそう確信し、同じ窓から部屋に降り立った。



 煙で何も見えない。目を細め、Tシャツを強く口元に押し付ける。


 ある一角だけ、炎がまわっていない場所がある。隆太はそちらへ駆け寄った。


 サラが居た。子供を抱きかかえたまま気を失っている女性に覆いかぶさり、目をきつく閉じている。精一杯炎を遠ざけているのがわかった。

 見えない壁で隔てられているかのように、炎は行く手を阻まれ、サラを中心にドーム状の空白が出来ている。


「サラ!」


 隆太の声に気付いて、サラは顔を上げた。

「りゅう……」そう言って、咳き込んでしまう。


 炎を飛び越えて駆け寄ると、隆太はTシャツを引き裂き、サラの口元に押し付けた。


 どうしよう……3人も……


 隆太は逡巡した。

 だが、サラは迷い無く女性の腕から子供を抱き上げ、隆太に渡した。


 隆太は頷いて子供を受け取ると、しっかりと腕に抱きかかえる。


「すぐに戻ってくるからな。待ってろ」


 そう言いおいて窓へ駆け寄り、そのまま飛び立った。





 遠巻きに固唾をのんで見守っていた群衆は、沸き返った。


 隆太が炎の中から飛び出してきたのだ。


 隆太は真っすぐフオンとカイのところへ着地した。ホアと有希子も到着していた。


 腕に抱いた子供をホアに手渡す。


「サラは?!」


「まだ中です。もう一人いる。もう一度行ってくる」

 簡潔に言って、隆太はマスクがわりの破いたTシャツを頭の後ろで固く結んだ。


 そんな! と悲痛な叫びをあげる有希子を無視してまた駆け出そうとした時、「待て! 隆太!」と呼び止める声がした。


 長老だった。


「ワシも行くぞ」


 そう言って上着を脱ぎ捨てた長老の上半身は、意外なほどに強靭だった。


「でも……」そう言って止めようとする隆太に、長老は不適な笑みを見せる。


「お前さんよりよっぽど飛べるぞ。見ろ。この立派な翼を」


 大きな翼を自慢げに広げてみせると、助走も無しに舞い上がり、風を切って先に飛び立ってしまった。


 隆太もすぐに後を追う。走って飛び立った隆太の背中を、群衆の声援が後押しした。


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