第26話 参謀の活躍、再び


 1週間後。前回と同じ時間、同じ喫茶店。

 3人は、サラを待っていた。


「あ、来ました」


 隆太の言葉に、ホアがドアの方に振り返る。

「名前の呼び方に気をつけてね」と、有希子が小さく念を押す。


 サラが早足でやって来た。


「お待たせしてしまって、すみません」

「いえ、とんでもない。まだ時間前ですよ。僕らが早く来すぎたんです」


 恐縮するサラを座らせてから、隆太は紹介した。

「サラさん、こちらがランさんです」


 ラン、というのはブログでのホアの偽名だ。



 お互いの紹介と飲み物の注文を終えると、サラは急き込むように言った。


「リュータさん、ブログ見ました。宇宙と繋がったって……すごいですね」


 少し興奮しているようだ。いい兆候だ。


「興味や好奇心は心を開く鍵になる」というカイの言葉を受けて、隆太は先日の瞑想で宇宙と繋がったときの様子をブログに書いていた。


「ありがとう。本当に、素晴らしい体験でしたよ」


「サラ、あの記事を読んでどう思いましたか?」ホアが口を開く。


「あ……あの……本当にそうだったら、スゴいなって……」


 視線を落とし、そう言って口籠ってしまった。


「全部は、信じられなかった?」ホアが微笑みながらそう聞いた。


「……ハイ。私、世界がそんなに美しいなんて……そんな風に見える気がしなくて」


 あの、ごめんなさい……そう言って、これ以上はもう無理というほどに縮こまってしまう。


「いいのよ。信じられないのは当然です。あなたはまだ、見ていないですから」


 ホアは、サラの背中にそっと手を置いた。


「ただ、もしかしたらそうかもしれない。そう思うだけで充分です」

「そう。ひとつの可能性として、ね」



 それからしばらく、ホアは瞑想のときの呼吸法を手ほどきした。


 サラは姿勢を何度も直された。

 どうしても、だんだんと猫背気味になってしまうのだ。


「大丈夫。続けるうちに慣れてきますよ」ホアがにっこり笑う。


 ホアの微笑みには、温かな安心感がある。受け入れてくれる、という気がするのだ。

 サラも前回よりはいくぶんリラックスしているようだ。



 隆太は赤ワインを2杯、追加で注文した。


「エネルギーの使い方をひとつ学んだんです。味見してみて」


 サラは、両方を少しずつ舐めるように味見した。


 隆太はその間に、両手を合わせ、手のひらの間にエネルギーを溜めた。


 まず、頭の中にエネルギーの塊を思い浮かべる。人によって、その色や形は異なるらしい。

 隆太の場合、それは銀色に光る乳白色の球だった。


 その球を胸の真ん中まで下ろす。球が鼻のあたりを通る時、いつも鼻がムズムズする。

 そして、球から煙がうずまくようにエネルギーを湧き出させ、そのエネルギーを両腕を通して手のひらから放出させる。


 それは、単に隆太の想像の産物かもしれない。

 だが隆太は実際に、腕や手のひらにエネルギーが通るときの刺激を感じている。


 少しずつ両手を離し、エネルギーのボールを大きくする。


 そして、片方のワインの上に両手をかざした。


 数秒間そうして、隆太はそのワインを「飲んでみて」とサラに差し出した。


 おそるおそる一口飲んだサラは、驚いて短く息を吸った。そしてその拍子にむせて咳き込んでしまった。


「ご、ごめん! 大丈夫?」


 大丈夫です、とサラは咳の間から苦しげに言った。顔が真っ赤だ。

「ちょっと……びっくりしちゃって……味が全然違うから」


 少し落ち着きを取り戻して、もう一度飲み比べた。


「不思議……」


「水の味を変えるのは難しいけど、これくらいならすぐに出来るようになります。ワインだと変化がわかりやすいからね。

 こうすれば、瞑想でエネルギーが育っているかの目安になるでしょう?」


「でも、飲み過ぎには気をつけてね」有希子がイタズラっぽく言った。


「ハイ。気をつけます」サラもくすっと笑った。



 * * *



「どうぞ~。狭いところですけど、上がって」


 一行はとあるファミリー向けのマンションの一室、有希子の部屋に通されていた。


 有希子はご機嫌な様子だ。


 喫茶店で、隆太が美味しくしたワインを味見し「わ、美味しい」と言うなり全部飲んでしまったのだ。

 あげく、「こっちも美味しくしてみて」と隆太に指示し、またもや飲み干してしまった。


 そして「続きはうちで話しましょうよ~」と喫茶店の近くでタクシーを拾い、なかば強引に移動したのだ。


「すみません。なんか、急にお邪魔しちゃって……」サラはおどおどと恐縮しすぎて、挙動不審一歩手前の様子だ。


「いいのよぉ、どうせ昼間は誰も居ないんだから」



 玄関の表札には、部屋番号が書いてあるだけで名前は出ていないことを隆太は確認した。


 サラに続いてホア、隆太も上がる。ふたりも有希子の家に上がるのは初めてだった。


「ホラ、そんなに怖がらないで。別に印鑑やら壷やら売りつけようってわけじゃないんだから。あはは」


「え、スミマセン! 私べつに、そんなつもりでは……」


 有希子の言葉を本気にしてあたふたしているサラに、隆太は耳打ちした。

「大丈夫。酔っぱらいの冗談です」



「今日は夫の帰りも遅いしね~」


 コートを脱ぎながらさらりと言った有希子の言葉に仰天したのは、隆太だけだった。


「えっ!! みず……緑川さん、結婚してたんですか?!」

 隆太は驚きのあまり水沢さんと言いかけてあやうく踏みとどまった自分を、褒めてやりたいと思った。


「あら? 言わなかったっけ?」「リュータ、知りませんでしたか」


 有希子もホアも、平然としている。


「聞いてないですよ!」


「ああ、ごめーん。……ガッカリした?」


 ニヤリと笑う有希子に、隆太が反撃する。


「別にガッカリはしませんけど。ただ、旦那さんは大変だろうなって……」

「どういう意味よ。言っておくけど、夫はこんなイイ女と結婚したことを泣いて喜んでますから」


「泣いて、って……それ、ホントに嬉し泣きですか?」


 そんな他愛もないやりとりで、サラは両手で口を抑えて笑いを堪えている。



 一同は8畳ほどの和室の応接間に落ち着いた。


「オー、タタミですね。綺麗な模様ね」

 ホアは畳のふちの刺繍に感動している。


「原生林とかのほうが瞑想しやすいんでしょう? 本当に、こんなんでいいのかしら?」

 有希子が鉢植えの観葉植物を持って現われた。


 今はこれで充分です、とホアがそれを受け取りテーブルの上に置いた。


 瞑想の練習、第2章だ。



 さきほど教えられた姿勢で、サラは静かに呼吸を繰り返す。隆太と有希子もそれに倣った。

 サラは正座しているが、隆太は胡座を組み、有希子は横座りだ。


 ホアはサラの背後に跪き背中に手を置いて、柔らかな声でカウントしている。


「1・2・3・4……そう、いいですよ」


 この植物をよく見てあげて下さい。美しく生きていますね……


 隆太が初めて瞑想をしたときに言われたのと同じようなことを、繰り返す。



 しばらくして、サラが「ヒュッ」と短く息を吸った。


「駄目です。私にはやっぱり、無理みたいです……」


「どうして、そう思いますか?」ホアは動じない。今までと同じ、優しい口調だ。


 サラは、「私……」と言ったきり俯き、片手で前髪を掴んだりおでこをさすったりして、落ち着かない。


 その様子を見た有希子は、「ちょっとお茶を淹れてくるわね」と席を立ち、隆太に目配せして部屋を出て行った。



 有希子についてキッチンへ入った隆太は、声を潜めた。


「いいんですかね?」

「いいのよ。たぶん」


 有希子がヤカンに水を入れながら、こちらも小声で返す。


「彼女、泣きそうだった。泣き顔なんて、大勢に見られたくないんじゃない?」


 ソワソワしている隆太に、「大丈夫よ。ホアさんがついてるもの」と微笑んでみせる。


「サラさんってさぁ……たぶん、自分の思ってることを口に出すことに慣れてないと思うの」


 確かに。隆太は頷いた。


「ホアさんは日本語が上手いけど、言っても外国人じゃない? だからサラさんは、簡単な言葉を選んで話さなくちゃ、通じない。そうすると、話は自ずとシンプルになっていく」


 ガスに点火して、お茶の用意をしながら有希子は続けた。


「シンプルな言葉で、少しずつ話す。そういうのって、頭の中の整理をするのに適してると思わない?」


 時間はかかるけどね、と言いながら有希子はあらぬ方向をチラチラ見ている。


「そう……かもしれませんね」

「うん。私、隆太君とフオン達を見ていてそう思ったの。隆太君、自然にそうしてたもの」


 そうか……確かに、そうだった。言われてみれば。


 隆太はまたしても感心した。有希子は色々なことによく気付く。



「ところで、さっきから何見てるんですか?」


 そう訊ねた隆太を手招きして、有希子は隆太を自分が居た場所に立たせた。


「ほら」


 そう言って指差す先にはガラス戸の入った食器棚があり、そのガラスには姿見が映っていて、姿見には応接間の様子が一部、映り込んでいた。有希子はそれで様子を見ていたのだ。


「……だから、家に来いって言ったんですか? 隠れて様子を見られるから?」


 そうじゃないけど……と、有希子は笑った。


「喫茶店なんかだと他人の目があるから、踏み込んだことは話せないし。カラオケボックスってわけにも……ねえ」


 確かに。カラオケボックスみたいな騒がしい場所で深刻な話をするなんて、無理というものだ。


「だからって、サラさんの部屋に行っちゃうとさ、私たちが帰ったあとシンとしちゃうじゃない。あれって、けっこう寂しいのよね。でも、外から自分の部屋に戻るとホッとするじゃない?」


「なるほど、それで……」


 隆太は納得した。そこまで考えて、自分の家を提供してくれたのか……


「もしかして、酔ったのも演技ですか?」

「さあね~。昼間飲むと、まわるから~」


 有希子のその口ぶりから、やはり演技だったのだとわかる。


「さすが、名参謀ですね」

「ふふ。オンナ孔明って呼んでくれても良くってよ?」


「呼びませんけど」


 孔明、とは諸葛孔明のことだろう。

 前置き無しに突飛な単語が飛び出してくる有希子の話し方にも、最近の隆太はすっかり慣れてしまった。


「水沢さん、三國志読んだことあるんですか?」


 そう訊ねた隆太に、有希子は胸を張って腕組みして言い切った。


「無い。読書は好きだけど、三國志は読んでない。なんとなく、雰囲気で言った!」


 やっぱり……と、ため息混じりに笑う隆太に問い返す。


「隆太君は、読んだの?」

「俺も読書は好きですけど……読んでません」


「あはは! なんだ、一緒じゃない。私の勝ちね」


 有希子は何故か腰に手を当て、勝ち誇った。


「いや、一緒なら引き分けだと思うんですけど……」



 しばらくそんな無駄話をしながら、ふたりは食器棚越しに様子を見ていた。


 背を丸めて俯き、小刻みに震えるサラの背中。その背中にそっと置かれた、ホアの華奢な手。




隆太のブログ「エネルギーの使い道」

http://tsubasanomoribito.blog111.fc2.com/blog-entry-15.html

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