第25話 参謀の活躍

 隆太はゴクリと唾を飲み込みたいのを堪えた。努めて平静を装う。


「大丈夫ですか? 無理しなくていいのよ」


 そう気遣う有希子に、サラは縮こまるような姿勢で小さく答えた。


「私、決めてたんです。皆さんに信用してもらいたいから、見てもらおうって」


 思い詰めたような目で テーブルの上で握りしめた自分の手をみつめている。

 先ほどから、あまりこちらと目を合わせない。


 この喫茶店、この席を待ち合わせ場所に指定したのは、サラだった。

 自分の能力を見せるにあたり、空いている時間帯、僅かな他の客から死角になる席を選んだのだろう。


 テーブルに置いてあった灰皿を引き寄せ、ふたりに訊ねた。


「すみません、メモ帳とかティッシュとか、なんでもいいんです。紙をお持ちですか?」


 有希子がバッグからポケットティッシュを取り出し、1枚引き抜いて丸め、灰皿の上に置いた。



「あの……すごく久しぶりなので失敗するかもしれないんですけど……」


 隆太は安心させるように頷いた。


「大丈夫。燃えなかったからって、あなたが嘘をついたなんて思いません」


 サラは「失敗」という言葉を使ったが、隆太はその言葉を慎重に避けた。




 サラが灰皿の上のティッシュを見つめる。

 唇を噛み締め、テーブルの上の両手は固く握りしめられている……





 * * *




「……どうするの?」


 サラと別れた帰り道、ふたりはしばらく黙ったまま歩いていた。


「うん……」


 両手とも親指だけをポケットに突っ込んだまま、俯き加減で歩く。

 考え事をしているときの隆太の癖だ。


 ふたりとも、ぐったりと疲れていた。


 喫茶店で話しているときは気がつかなかったのだが、サラと別れて一息ついた途端、ドッと疲労感に襲われたのだった。


 彼女を見たときの危険信号。会ったあとの、この妙な疲労感。

 やはり、フオンにとって良くない効果を及ぼすだろう。サラに悪意は無かったとしても。


 だが、彼女は助けを求めている。

 ずっと封印してきた力を初対面の他人に見せてまで、救われたいと願っている。



 パイロキネシス。


 息をつめて見守るふたりの前で、しばらくの間、何も起こらなかった。


 サラは目を閉じ、ふうっと力を抜いた。


 そしてふたたび目を開き、睨みつけるようにそれを見つめた。



 十数秒も待っただろうか。突如、灰皿の上のティッシュが一瞬にして燃え上がった。


 サラは無言で自分のグラスを取り上げ、灰皿に水をかけた。

 仕草こそ落ち着いて見えたものの、頬からは血の気が引き、その手は小刻みに震えていた………





「フオンには会わせない。とりあえず、しばらくの間は」


 隆太は大きく息を吸い、背筋を伸ばした。そして、思い切り息を吐く。


「でも、彼女の手助けもする」


「ええ、賛成。でも、どうやって?」

「帰って、会議ですね。参謀、出番ですよ」


 隆太は横目で有希子を見て、ニヤリと笑った。


「参謀? ……ワタシ?」


 驚きで目を見開いて立ち止まったままの有希子を残し、隆太は駅に向かって走り出した。



 * * *



 夕方、レストランの開店前。


 5人はグエン家のリビングに集結していた。


「サラマンダーのおねえさん、どんな人だった? 火は出た?」


 フオンは興味津々だ。

 どうやら、口や目から火を吹くと勘違いしているようだったが。



「うーん……とりあえず、彼女は本物のパイロキネシストでした」


 ほう……と感嘆する3人に、今度は有希子が意見を述べる。


「彼女、誰にも自分のことを見られたくないと思ってるようだった。

 まるで、ひっそりと隠れるようにして生きているっていうか……人生に尻込みしてるみたいな感じ」


 え……隆太は少し戸惑った。


「ちょっと、待って下さい。たしかに、すごくおとなしそうな人ではあったけど……そこまで言うのは……」


「服よ」


 有希子がこともなげに言う。


「気付かなかった? 彼女の服装。生成りとか薄い茶色の重ね着。

 デザインも、シンプルというより無個性。

 靴もカバンも、印象に残らないことを基準に選んでるみたいだった。おまけに、どれもかなり使い込まれてた」


 隆太は唖然としていた。

 彼女が何を着ていたかなんて、ろくに憶えていなかったのだ。

 少なくとも、隆太に対しては「印象に残らない洋服選び」は成功していたようだ。


「アクセサリーはおろか、キーホルダーやストラップ、ネイルも無し。

 普通は、いくらシンプルなファッションを好むと言っても、どこかしらに自己アピールが出てるものよ」



「ユキコ、ワタシ、わかんない」


 フオンが自分のスカートの裾を引っ張りながら抗議する。


 ああ、ごめんね。と詫びて、有希子は説明した。



 普通、初対面の相手と会うときはそれなりに服装に気を遣うものだ。

 特に、彼女は今回相当の覚悟を持って会いにきたのだから。

 だが、彼女の身に着けていたものは”身体に馴染む”というのを通り越して幾分古びており、おそらく普段着だった。新しくおろした物を身につけてさえいなかった。

 特別な場面で着るための服を持っていないし、そうしたものを買うという概念すら無いかもしれない。


 彼女は、自分自身に興味がない。

 というか、力を恐れるあまり、わざと自分を蔑ろにしている。



「そんな……服装だけで、そこまで?」


「ああ、だって彼女は極端だもの。普通はあの年頃の女性って、多少はオシャレしたいものじゃない?

 ……まあ、わざと地味な服を選んで来たのかもしれないけどね。それにしても、ね……」



 これまで黙って聞いていたカイが口を開いた。


「そこまで心を閉じているなら、少し時間をかける必要がありそうですね」


「そう。自分を好きにならなきゃ、瞑想は出来ないんだよ。ね」


 フオンが合いの手を入れる。



「私が話を聞いてみましょうか?」ホアが言った。


「うん。それがいいかもしれないね。ホアのほうが、エネルギーの動きを見るのは得意だし」


 カイがそう言って頷く。



「エネルギーの動き……? って、実際に目に見えるんですか?」


「ええ。見るといっても……集中すると、空気の塊が流れるような感じで見えるだけ。ホラ、透明なグラスで、水の中にお湯を注いだときみたいに。それから……」


 と言いよどんで、有希子にベトナム語で何か聞いた。


「密度、ですね」有希子が答えた。


「そう、密度の違いがわかります。エネルギーの強さや密度は、人によって違います。同じ人でも、その時の気持ちでエネルギーの種類が変わります」


「へえ……なるほど……」




 こうして、サレンダーとサラマンダーを隔離したまま、サラの修行を手伝うことが決定した。

 実際に会う日時などは、明日以降に話し合うこととなった。


「リュータはね、初めの瞑想のときからエネルギーが開いてましたよ。ユキコも少し開いてたね」


 カイが、楽しそうに言った。


「ふたりとも、瞑想にとても興味があったでしょう? 興味とか好奇心は、心を開く鍵になるんですよ」



「サラも、そうなるといいんだけど……」


 ホアの呟きで、その日の会議は終了した。




 解散して自分の部屋に戻ってから、隆太は気付いた。


「フオンには会わせない。とりあえず、しばらくの間は」

「でも、彼女の手助けもする」


 喫茶店からの帰り道で有希子と交わした決意については、この会議で一度も口にしなかった。


 それでも、自然にそういうことになったのだった。


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