第13話 天空橋


 うたた寝から目覚めたのは、17時近かった。


 夕暮れにはまだ間があるとはいえ、お昼にお茶請けの総菜しか食べていなかった隆太は、猛烈な空腹を覚えていた。


 冷凍庫から小分けにしたご飯を取り出しレンジで温めている間に、先ほどもらった料理を冷たいまま味見してみた。


 初めて見る野菜と3色のピーマンの炒め物だった。ガーリックが効いていて、とても美味しい。


 もう一つのタッパーは、蒸し鶏のサラダだった。紫の玉ねぎやシソ、人参などが細く刻まれ、和えてある。丁寧にも、ドレッシングが小さな容器に入れられ、添えてあった。


 それら全てを4分ほどで食べ尽くし、隆太は長老のもとへ向かった。




 数カ月ぶりに会う長老は、相変わらずだった。

 鳩尾近くまで伸ばした白いヒゲを撫でながら、何をするでもなく縁側で胡座をかいている。


 長老、という呼び名は、おそらくその風貌と喋り方からつけられたのだろうと、隆太は推測していた。


 年齢は知らない。本当に ”長老” なのかどうか、誰も確かめていないようだが、そんなことはどうでもいいらしい。

 要するに、そんな風に呼びたくなってしまう、愛すべきじいさんなのだ。



「ご無沙汰してます。大原です」

「おぅ、隆太か。よく来たなぁ。翼のほうは、どうじゃね? 順調かい?」

「おかげさまで、少しずつですが育ってるみたいです」


 そうかそうか、ん……ちょっと座って待っとれ・・・・そう言い置くと、長老は立ち上がり部屋の奥へ消えていった。


 隆太は縁側に腰掛け、庭を眺めながら待つ。



 数分後長老は、冷たい麦茶と熱いほうじ茶、おせんべいの載ったお盆を持って戻ってきた。いつも通りだ。

 隆太に麦茶を勧め、長老はほうじ茶をひとくち飲む。


「あれじゃろ、あの家族に会ったのかい?」


 やはりお見通しだ。

 むこうから切り出してくれたので、少しホッとしつつ、ハイ、と頷く。


 うんうんと頷きながら、長老は庭を眺めたまま話す。


「良い人達じゃった。真っ直ぐな心を持っておる。不思議な力を、守ろうとしておる」


 そして、隆太を見てニカッと笑った。


「わしらと、同じじゃのう」



 ……そうか。そうかもしれない。だから、初めは身構えていたにも拘らず、あれだけの短時間で警戒心が薄くなっていったのだろうか……仲間意識?





 * * *



 隆太が、この天空橋の特殊性を知ったのは、高校2年の頃だった。


 友達とくだらない話をしている時に、なにかの流れで話題に上ったのだ。


「天空橋じゃねーんだから」


 そう言って笑った友人に、隆太は何の気なしに訊ねたのだった。


「はぁ? 何だよ、いまさら」

 そう言って、彼らはまた笑った。


 隆太が本当に知らないのだとわかると、「お前、まじか」と言って、互いに顔を見合わせた。



 友人達がかわるがわる説明してくれたところによると、


「天空橋」という駅があって、その界隈の住人達には翼があり空を飛べるらしい。

 だが、あまりにも実用性に欠ける為、その能力を使うものは今ではほとんどいない。

 飛べるのはある区域に限られていて、そこを出ると翼は消えてしまう。区域内に戻ると、翼はまた現れる。

 そしてそのことは、たとえば「東京ディズニーランドは、実は東京ではなく千葉に存在している」といった程度に、常識である。


 ……ということだった。



 隆太には信じられなかった。


 そんな場所が、この世にあること。

 それが、どうやら常識であり、自分だけが知らなかったこと。

 そして何より、そんな重大なことを、誰ひとりとして気にかけていない様子であること。


 珍しく興奮して聞き出そうとする隆太に、「喰い付くね~!」などとふざけてはぐらかす友人達。しかしそのうち気の毒に思ったのか、口々にフォローしはじめた。


「俺らも、きちんと知ってるわけじゃないんだよ。な。」

「そうそう。なんか、聞いたことある~ってぐらい。誰から聞いたかも憶えてねーし」

「俺んちのド田舎の従兄弟なんて、マジで都市伝説だと思ってたしな」



「……ド田舎の従兄弟も知ってたのか。」


 関東の郊外で生まれ育った隆太が落ち込みながらそう呟くと、小学校からの付き合いの友人が話を変えた。


「そういや隆太、昔からスカイダイビングとか……えー、アレなんだっけ?

 ……あ、パラグライダー!! そういうの、やりたがってたよな」


 えー、マジかあ。お前、どんだけ空飛びたいんだよ~、などと一通りからかった後、

 友人達は偶然にも声を揃えて言ったのだった。


「俺、マジ無理」



 * * *



 隆太はこのやりとりで、自分以外の人は ”空を飛ぶこと” にさほど興味がないことを知り、驚愕したのだった。


 そして、この短い会話が隆太の人生に大きな影響を与えた。


 隆太はその日から、天空橋について調べはじめた……



 自宅にはパソコンがなかったので、図書館やインターネットカフェに通い情報を集めたが、友人達から聞いた内容とほぼ変わらなかった。


「天空人」と呼ばれる彼らの存在は、ネット上ではほぼ都市伝説化しており、みんな好き勝手に誇張しているようだ。

 天空橋を舞台にした、ファンタジー小説まであった。


 不思議なことに、当の天空橋の住人たちは、自分たちのことをあまり発信していないようだった。


 週末には、電車に乗って現地へ行ってみた。

 羽田空港にほど近い天空橋駅。家から2時間前後で着いてしまったし、駅周辺も海に近いその街並も普通で、隆太はなんだか拍子抜けしたものだ。


 空を飛んでいる人など、ひとりもいない。


 それでも諦められずに、隆太は何度も天空橋に通い、商店街の人達と顔見知りになり、少しずつ少しずつ、情報を集めた。


 実は、天空橋というのは駅とその近くにある橋の名前であり、天空橋という住所は存在しない。

 だが、翼を持つ者達は昔から敬意を持って天空人と呼ばれてきた。


 代々そこに住む者たちは、生まれつき翼を持っている。

 だが外部から移り住んだ者でも、身も心もそこの住人となれば翼が現われるというのだ。

 

 しかし代々の天空人以外で実際に翼を得た者は、ごく少数らしい。


 そして3年ほど前、ついに隆太は天空橋へ越してきたのだった。

 翼が生えてきたのは、つい数ヶ月前の事……




 そんなことを思い返しながら、隆太は長老に聞いた。


「あの力を、どう思います?」


「どう思うか? ……そうじゃなぁ」


 長老は、ゆっくりとほうじ茶をすする。

 台所のほうから、いい匂いが漂ってくる。夕食の準備だろう。


「まあ、いいんじゃないか?」



 え……それだけ?


「悪用しようとしてるわけじゃないようだし……わしらの力より使いではありそうじゃの」


 シワシワの顔でそう言うと、ほっほっほ、と笑った。




「最近じゃ、誰も飛ばんよ。おかげで飛行できる範囲も段々と狭くなってきとる。寂しいもんじゃ……」


 帰り際、長老が最後に呟いた言葉に、迷いが少し晴れた気がした。


 行動しなければ、消えてしまうものもある。

 尻込みしてるのも なんだか馬鹿みたいだ。


(とりあえず……明日晴れたら、彼らの修行とやらを覗いてみるか……)




 隆太はおもむろにTシャツを脱ぐと、小さな翼を広げた。

 まだ、やっと肩甲骨を覆うほどのサイズの翼。


 駆け足で勢いをつけ、前へジャンプする。タイミングを合わせて羽ばたく。


 飛べたのは距離にしてほんの4メートルほど、高さは最高で1メートルほどだったが、やはり素晴らしい気分だ。


 あちこちから夕食の匂いが漂ってくる ひと気の無い裏通りを、隆太は助走と飛翔を繰り返しながら帰った。

 

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