第77話 6時間
ちょうど夕食時とあって、店は満席に近かった。
19時過ぎに帰った隆太が店に顔を出すと、「いらっしゃいませ~♪」と声を掛けてきたのは、両手に皿を持った有希子だ。
「荷物置いたら、すぐに手伝いますから」
「うん、よろしく~!」
店を出てすぐ横にある階段を駆け上がる。
玄関の鍵を開け荷物を放り投げ、腕をうんと伸ばしてキッチンスペースに引っかけてあるエプロンを取った。店の手伝いをする時の、隆太専用のエプロンだ。
店へ降りると有希子が「厨房をお願い」と仕草で伝えてきたので、頷いて店内を抜けた。
厨房ではホアがフライパンを揺すっている。
「カイは、まだ?」
「いま、上でエリックと話してるわ。それよりリュータ、大丈夫? 疲れてるんじゃない?」
額の汗を手首の辺りで抑えながら、ホアが笑顔を向けた。
「大丈夫です。引っ越しと言っても、重い物は業者に任せてあったし。段ボールをいくつか運ぶのと、あとは晩飯の買い出しくらいしか仕事無かったから」
今日、隆太は友人の引っ越しの手伝いに駆り出されていたのだ。
ワンルームの一人暮らしの引っ越しに5~6人も集まってしまい、やることなどほとんど無かった。なんとなく手伝ったようなフリをして、カップの引っ越し蕎麦を皆で食べて帰ってきたようなものだ。
他の者はおそらく、そのまま宴会へとなだれ込んでいる筈だが、隆太は誘いを断って帰ってきたのだ。
エリックが訪ねてくることを知っていたから。
昨夜のカイへの電話で、エリックは
「自分の風の力を、今まで悪い事に使ってきた。何か別の使い道が無いだろうか」と相談をしてきたのだ。
それでカイは、「明日までに考えておくから」として、今日また会う約束をした。
そんなわけで、深夜の厨房で3人は額を突き合わせ、良いアイディアを探したのだった。
結局、「ヨットで世界一周する」とか「オランダに行って風車を回す」「風力発電の風車を回す」ぐらいしか、思いつかなかったのだが。
洗い場に山になっている食器を洗い始めた隆太に、ホアは料理を皿に盛りつけながら報告してくれた。
エリックは13時過ぎにやって来てカイと連れ立って出掛け、30分ほど前に一緒に帰ってきて、ずっと部屋で話しているらしい。
「有希子が来てくれたから、助かったわ」
料理をカウンターに出し、汚れた食器を持って戻ってくる。
食器を洗い場に入れると、すぐにまた別の調理に取りかかった。
「なんか、意外だな。何をそんなに話してるんでしょうねえ」
あのエリックが、6時間ほども喋り続けているなど、ちょっと信じ難い。
まあ、エリックが一方的に話しているわけではないのだろうが。
その間にも、有希子が新たな注文を通してきた。今日は大賑わいらしい。
(皆揃って浅草に遊びに行けるのも、そう遠くないな)
隆太は昨日のカイを思い出し、そっと忍び笑いを漏らした。
しばらくして、カイが厨房に戻って来た。
「やあ、リュータ。手伝わせて悪かったね」
ホアの肩に手を置き労りながら、隆太に声をかける。
「あれ? エリックは?」
「いま帰ったよ」
「え!」
「明日、帰国すると言ってた」
「ええええ!」
「一応、引き止めたんだけどね……」
ちょ、ちょっと行ってきます! そう言い残し、隆太は急いで厨房を出て店を抜け、上着を脱ぎながら階段を駆け上がった。
玄関のドアを開けると靴のまま部屋に入り、ついさっき放り投げた袋を掴むと、つま先立ちでベランダまで駆け寄る。
窓を開けてベランダへ出ると、ベランダの手すりに足をかけた。
「よっ……と」
手すりに登ると、そのまま外へ飛び出した。
「おーーーーい! エリーーーック!!!」
振り向いたエリックは、尻餅をつかんばかりに驚愕した。
白い翼を羽ばたかせ、隆太が手を振りながら空から自分を追いかけてくるのだ。
驚きのあまり、自分が大きく口を開けて凝視している事にも気付いていない。
バッサバッサと羽音をたてながら隆太が自分の目の前にフワリと着地した時、エリックは思わず2、3歩後ずさった。
目元には涙で滲んだ跡が見え、目の縁がまだ うっすらと赤みを帯びたままだった。
隆太には、エリックとカイが長い時間かけて話した内容を、それだけで察することが出来た。
隆太は持っていた袋をぐいと突き出した。
エリックはまだショックから醒めやらぬ表情で、袋と隆太の顔を見比べるばかりだ。
「これ。ジャパニーズ フェイマス スナック。あと……」
ゴソゴソと袋を探り、ビニールに包まれたTシャツを取り出す。
「テンクウジンTシャツ」
Tシャツを袋に戻すと、再び袋をエリックに突き出した。
エリックが固まったままなので、隆太は仕方なく彼の手を掴み袋を握らせた。
「明日帰るんだってな。また来いよ。それ、お土産だから。じゃ、気をつけて帰れよ」
早口でそう言うと背を向けながら、片手を挙げ挨拶する。
エリックが目をまんまるにして翼を見つめているので、その場で数回翼を動かしてやる。隆太なりのサービスだ。
エリックが声にならない溜息を漏らした。
「バイバイ」
もう一度手を振って走り出し、そのまま飛び立った。
エリックがなにやら呻いていたようだったが、隆太はそのまま家のベランダまで戻った。
途中、商店街の顔見知り達に声をかけられる度に 空から手を振りながら。
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