第65話 独白
「子供の頃、近所のばあさんにこれをもらったんだ」
しばらくかざぐるまを回し続けた後、エリックはそれをそっとテーブルに置き、低い声で静かに話しはじめた。テーブルの上のかざぐるまを、伏し目がちに見つめたまま。
うちはすごく貧乏だった。
貧しい地区だったが、その中でも特に貧乏だったんだ。
父親は俺がごく小さい時に出て行った。母親は働きづめだった。
周りの子供達は、貧乏ながらもそれなりにおもちゃなんか持っていて、中にはビデオゲームなんか持ってるヤツも居た。
でも、俺は何も持っていなかった。それが悔しくて、俺はいつも独りで居た。
ある時、家の周りをブラブラしていると、近所の顔見知りのばあさんが俺を手招きして家に上げてくれた。
うちと同じくらい小さなボロ屋だったが、きちんと整えられていて清潔だった。
ばあさんは、熱いココアと手作りのクッキーを出してくれた。
そのどちらも、俺は初めて口にするものだった。
こんなに旨いものがこの世にあるのかと思ったよ。
両方ともおかわりして、学校のことなど少し話し、その日は帰った。
翌日から、学校が終わるとばあさんの家に行き、お菓子やスープをごちそうになった。
俺はいつも腹を空かせていたし、缶詰めや出来合いじゃなく 手作りのモノを食べられるのが楽しみだった。
でもそれ以上に、話をするのが楽しかった。
俺の話を(たわいもない話だったが)、ちゃんと聞いてくれる大人は初めてだった。
ばあさんはいつもニコニコしながら俺の話を聞いていたが、やがて自分のことも少しずつ話すようになった。
ばあさんは若い頃、日本から移住してきたのだと知った。
日本のことも、少し話してくれた。
その話のついでに、かざぐるまを俺にくれたんだ。
俺は嬉しかった。
自分だけのおもちゃを貰ったのは、おそらく生まれて初めてだったと思う。
家に帰っても、ずっとかざぐるまで遊んだ。息を吹きかけたり、持って走り回ったり。
眠るときも、ベッドの側のテーブルに立てて、眠くなるまで息を吹いて回してた。
かざぐるまが壊れてしまうと、ばあさんが作り直してくれた。
そうやって何ヶ月か経った頃、俺は風を操れることに気がついた。
初めは、かざぐるまの回転を少し長引かせることが出来ただけだったが、だんだん力を伸ばした。
かざぐるまがいつまでも回り続けるのが嬉しくて、俺は夢中になった。
いつの間にか、普通なら息が届かないほど離れた場所にあるかざぐるまを、風を操って回す事が出来るようにもなった。
俺はさらに夢中になった。ボロボロになって紙が破けるまで、何度も何度も作り直してもらった。
そのキラキラした紙は、その1枚しか残っていなかったんだ。
修復不可能なまでに壊れてしまうと、ばあさんは新しいものを作ってくれると言ったが、俺は断った。
他のものは欲しくなかった。
壊れてしまった かざぐるま。あれが、俺の唯一のかざぐるまだったんだ。
それに、その頃には ” 風を操ること ” の方に興味が向いていたのだっだ。
「そのうち、ばあさんの家からは足が遠のいて何年も会わなかった。自分の家でも色々あって、ハイスクール卒業と同時に俺は家を出た……それっきりさ」
エリックは唐突に(と、隆太には思えた。)話を結んだ。
初めこそ カイが通訳するのを待って話していたのだが、途中から独り言のような口調になり、目も虚ろになっていた。
当時の光景を思い浮かべていたのだろうか。
話し終えた後、エリックはしばらくの間放心していた。
皆も沈黙していた。ただ静かに、彼の次の言葉を待っていた。
ようやく沈黙に気付いて顔を上げたエリックは、皆が自分を見つめているので 反射的に腰を浮かせた。
一瞬、戸惑い気味にモゾモゾとポケット等を探ったりしていたが、おもむろにテーブルの上の風車を掴むと「帰るよ」と呟いた。
誰とも目を合わせずにテーブルをまわり込み、店の中程で少し立ち止まる。
何か言葉を探している様子だったが、結局曖昧に首を振っただけで何も言わずに つかつかと出口へ向かうと、一度も振り返ること無く出て行った。
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