第2話

 明美の小説の爆発的ブームは、一週間もすれば落ち着き始めた。それは人気がなくなったというのではなく、完結前の水準以上のアクセスを保って安定している、というありがたいものであった。

 そんな中、ネット友人の一人から不穏な話を聞かされた。

 チャットツールで複数の友人とグループ会話をしていた時のことだった。そのうちの一人が口火を切った。

『今日見つけたんですけど、シャレンっていう人のブログで、「華の剣」のことがむちゃくちゃに書かれてました。他にもいろんなネット小説感想サイトでやっぱり感想っていうより罵倒してるんだけど、どうも文章が似てるから同じ人じゃないかって思うんですよ。ハンドルは違いますけど』

 すると、他の人もそれに続いた。

『あー、それわたしも見ました。なんか怖かったです』

『怖いって?』

『あんだけぐちゃぐちゃな文章をそのまま載せちゃう神経が怖いって感じ。普通ブログとかの文章って人目を気にして読み返したりするでしょう? 誤字とかもその過程で減るじゃないですか。でもあれは誤字とか以前の問題なんですよ』

『そうそう、言っちゃ悪いけど、イッちゃってる人の文章みたいな感じですね』

 明美はどきっとした。ふと、一年前に絶交したマオの病的ともいえる最後のメールが頭をよぎる。

『そのブログってどこですか?』

 思わず明美は尋ねていた。

 程なく、URLが紹介された。明美は早速別のウィンドウを開いてブログの記事を読みに行った。


『こんばんわ。シャレンでございます。

 今日も話題の「華の剣」続きが読んでまいりましたわ。やはりとてもおばかなストーリーであるということでございます。

 ではなぜあなたおばかな話の続きを読むの。

 そううかがわられるお方もいらっしゃるでございましょう。

 ええ、それはもうお勉強のためですわ。反面教師というのでしたかしら。

 とにかく、このようなものをさわぐ人達に申し上げたいのでございます。もう少し高尚なるお話をごらんあそばせ』


 それから下はもう、罵倒の嵐であった。このキャラクターのこの行動や心情はおかしい、ここでこのような展開は稚拙だの……。

 しかし明美の頭には、それらはしっかりと入ってこなかった。この文章を見て、やはりマオの仕業ではないかと思ったからだ。あの時のメールよりは随分としっかりとした文章だが、文法的な間違いなどが似ていると思う。そちらの方が気になって内容にまで気が回らない。

 ブログを映し出したウィンドウを閉じてもしばらく、心にモヤモヤとしたものがかかったままで、チャットの会話には混ざれなかった。

 その間にチャットの方では、その話題で持ちきりになっていた。

 大抵は、人気が出た小説だからやっかんでいるんだ、と笑い飛ばしていたが、ある一人が言い出した。

『これってさぁ、ほら、一年ぐらい前までよく来ていたマオさんだったりして』

 その人が言うには、シャレンは作品やキャラクターのことをめちゃくちゃに言っている割に、ラウドに関する記述がない。なのでラウドが大好きだったマオの仕業ではないか、と。

 そうなると、その場に居合わせたチャットの参加者達は、そうだ、そうにちがいない、と言い始める。

『ちょっと、まって。証拠もないのに、そんなふうに言わないでください』

 内心では、やっぱりみんなもマオの仕業だと思ったんだ、と、なんとなく味方を得た気分になった明美だが、さすがにこの流れは黙認できなかった。

『ごめんごめん。それでアキさんどうするの? 犯人が誰かはともかく、ここまで書かれてるんだし、抗議する?』

『でも、このブログの過去記事読んだら、他の人気小説のこともぐちゃぐちゃ書いてますね。抗議もいっぱい入ってるのにやめないし、放っておいた方がよさそうかもしれません』

『あ、過去記事にあかりさんところのことも書いてあるよ。最初はここでやられてたんだ』

『じゃあやっぱり放っておいたほうがいいですよ』

 くだんのあかりという人のサイトは、やはり人気小説を掲載していたのだが、悪意ある読者とファンとの間で作品をめぐって激しく口論になり、それに頭を悩ませたサイトの管理人がネット上から撤退した、という経緯をたどったようだ。そのきっかけを作ったのがどうやらシャレンらしい。

 みんなの意見を聞き、明美はこのまま何もしないことを決めた。感想コメント欄にも「誹謗中傷の類には訪問者の皆様もスルーでお願いいたします」という注意書きをすることにした。

 それからしばらくは、いわゆる「荒らし」の類がいろいろと書き込みをしたが明美はそれらを根気強く消去し、常連客も明美の意向に従って何もアクションを起こさなかったので、だんだんと件数が減ってきた。

 しかし明美の心は晴れぬまま。これがもしマオがやったことだったら、と考えると、とても悲しかった。一時は周りの人もうらやむほどに仲がいいといわれていたのに、今は嫌疑をかける相手になってしまったとは。マオと交流し、楽しかった日々を思うと明美は自分の直感は間違いであってほしいと切に願うのだった。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 部屋の中に佇む影が、手にした封筒から書類を取り出す。

 封筒には、探偵事務所の名前と連絡先が印字されている。それを床に投げ捨て、影はパソコンに向かった。

「まだネット上にいるとは、しぶとい小娘。その罪を思い知らせてあげます」


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 夜中の零時。深夜と呼べる時間に、明美のスマートフォンには次々と不可解な着信が続いている。まだ明美は起きている時間帯なので安眠妨害とはならなかったが、とても不愉快なものである。

 その電話の相手は皆男性で、息を荒げて卑猥な言葉を連発する。中には露骨に電話で性的興奮を満足させろと言ってくる者までいた。

 何がなんだかわけが判らずに、とにかく明美はスマートフォンの電源を切った。

 それと同時に、階下で母の大きな声がする。

 恐る恐る、明美が階段を降りていくと、電話機の前で両親が厳しい顔で腕組みをしていた。

「なにか……、あったの?」

 明美が尋ねると、両親は怖い顔のまま振り返ってきた。

「さっきから変な電話ばっかり。男の声で変なことばかり言うのよ」

 母の言葉に、やっぱり、と明美は思った。

 そうしている間にも、また家の電話機が控えめに着信音を奏でる。ディスプレイには「非通知設定」と表示されていた。

 父は受話器を少しだけ持ち上げてすぐに戻し、ため息をつく。

「とりあえず非通知設定は受信拒否にして、着信音の音量をゼロにしておこう。大切な用件なら携帯の方にかけてくるだろう」

 父親がそう言いながら電話機を操作した。

 二階の自室に戻って、明美は机に置いたスマートフォンを見た。

 この電話も、家の電話も、変な男達に知られている。しかも複数の男に。

 そう思うと怖かった。

 どうしよう。こんな時どうすればいいんだろう。

 ふと明美は彼氏の隆を思い出した。

 スマートフォンの電源を入れる。起動が確認できると、すぐに着信がある。留守番電話サービスにメッセージがある、という通知だった。

 大切な用件なら携帯の方にかけてくる、という父の言葉が思い出され、聞かなきゃいけないかも、と思いつつ、変な男からの変なメッセージだったら嫌だ。明美はまず隆に相談しようと考え直した。

 隆の電話番号を呼び出す間にも、メッセージ文とバイブレーションが非通知設定の着信を伝える。明美は涙目になりながら必死に隆の番号を呼び出して、通話ボタンを押した。

 数回のコール音の後、隆が電話に出た。

「もしもしっ。隆、ごめんねこんな時間に」

 自分でも判るぐらいに声が震えていた。

『なんだ? 変な夢でも見た? あぁでも宵っ張りの明美が寝る時間でもないか』

 呑気に笑う隆の、いつもと変わらない様子に、苛立ちを覚えると同時に安堵も覚えていた。

「違うっ。あのね、変なの、電話……」

 明美はいたずら電話が自分の携帯電話や家の固定電話にまでかかってくることを、言葉をつっかえながら隆に話した。

 隆が必要以上に口を挟まず真剣に聞いてくれたおかげで、明美の方もどうにか落ち着きを取り戻してきた。

「ねぇ、怖いよ。なんで家にまでかかってくるの?」

『考えられるのは、どこかに明美のスマホとか家の電話番号が晒されたってパターンかな』

「それって、ネットでってこと?」

『ツールは断定できないけど、多分な』

 そう言いながら、電話越しにキーボードを叩く音や、マウスを操作する音がかすかに聞こえてくる。

 しばらく二人の間に沈黙が下りた。明美には、その静けささえも怖かった。

 ねぇ、何か話してて。そう言いかけた明美より早く、隆がうーんと一つうなってから話し始める。

『ざっと探して見たけど判らなかった。アングラなサイトっていっぱいあるからな……』

「アングラ」

 明美はその不穏な単語を復唱した。インターネットが絡む犯罪を扱うニュースでよく耳にする単語だ。存在は知っていたがまさか自分の身近に関係してくるとは思わなかった。

『とにかく、明日大学でみんなに声かけて探してみよ。おまえ、小説で有名になったからやっかまれてんだよ、きっと。だからちょっと我慢して――』

「だからって、こんなの酷いよ!」

 思わず明美は叫んでいた。隆が息を呑むのがはっきりと受話器越しに伝わってきた。

『そうだよな。明日迎えに行ってやるから、落ち着け。な?』

 なだめるような隆の声に、明美は怒るべき相手を間違ってしまったことに気付いた。

「うん。ありがとう。ごめんね」

『いいって。それじゃおやすみ』

 隆は電話を切った。明美もスマートフォンの電源を切って机に戻す。

 隆の言うように小説が有名になったからこんなことになったのだったら、有名になんてならないほうがよかった。

 身を縮めて布団に入りながら、明美はどうかこんな騒ぎはすぐになくなりますようにと祈っていた。


 翌日の朝、明美は隆にメールをうちながら駅へと向かっていた。

 隆は家まで迎えに来ると言ってくれていたが、住宅街を少し歩くだけで最寄り駅に着くので駅で待つと返信した。

 さっさと駅に着けばいいと足を速めたその時。

 左腕を強い力で引かれて明美は空き地へと引きずられた。あまりの驚きと恐怖に声を出すこともできないままに、明美は背の高い草の中に押し倒されていた。むっとする草いきれと、チクチクと肌を刺す雑草の感触に、やっと自分がどういう状況にいるのかを理解する。

 仰向けになった自分に馬乗りになっているのはサングラスで目を隠した若い男。明美の全然知らない男だ。にやにやといやらしい笑いを浮かべた口元が気持ち悪い。

 男が抱きついてきたので、明美は反射的に叫び声をあげていた。

「臨場感あるのはいいけど、あんまり大声だすなよ」

 男が明美の口を手でふさいでわけの判らないことを言う。明美はもう何がなんだか判らないままに、ハンドバッグを振り回した。ひるんだ男が手を緩めたので頭を振りながら助けを呼ぶ。

「おい、ちょ、……約束が違うぞ!」

 男は戸惑いながらも明美を強く押さえつけた。

「てめっ! 離れろボケ!」

 のしかかっていた男が吹っ飛ばされた。かと思うと手を握られて体を引き起こされた。

 隆だ。そう思った時にはもう、手を引かれて走らされていた。

 全速力で走って、駅までついた時には二人とも息がすっかりあがっていた。

「おまっ、だから、家……。行くって言ったのに。とにかく、警察、いこ」

 ぜえぜえと荒い息をどうにか整えて、隆が言う。

 いたずら電話がかかってきても実際に危険はないと思っていた。というより、このような危険なことに巻き込まれるなどとはつゆほども思わなかったという方が正しい。だがそれはとても甘かったようだ。とてつもない悪意が身近に渦巻いていることを、明美は実感してしまった。

 明美は隆の言葉に応えられずに、彼にすがり付いて震えながら泣いた。

 その明美を、隆は落ち着くまで抱きしめてくれていた。


 とにかく、犯人が捕まるまでは極力家にいること。

 警察でそう申し渡された。

 サングラスの男は婦女暴行未遂容疑で程なく逮捕された。彼の供述によると、あるアングラサイトに明美本人がああやって襲ってほしいと書き込みをしたから自分が名乗りを上げたのだという。合意の上の行為なので犯罪ではない、と主張しているそうだ。

 警察がそのサイトを調べてみると、男の言うように明美の顔写真と本名、最寄り駅が書かれてあったらしい。

 今、警察ではこの書き込みをした者の身元の割り出しを急いでいるという。卑猥ないたずら電話の件もあることから、他の掲示板にも似たような書き込みがされている可能性がある。なので明美は書き込みの犯人が捕まるまではできるだけ外出をしないほうがいい、というのだ。

 実際に犯罪に巻き込まれてしまったからには、両親にも事の次第を説明しなければならない。

 ショックの大きい明美に代わって、その役目は隆が引き受けてくれた。

 共働きの両親だが、できるだけ母親が家にいるように仕事を休むことになった。隆も、時間があれば家に来ると言ってくれている。

 明美はもう、黙ってうなずくしかなかった。

 これからどうなるんだろう。犯人、捕まるかな。

 いろいろと答えの出ない問いを繰り返しているうちに、犯人は誰なのだろう。どうしてこんなことをするのだろう、という問いにぶち当たって明美はマオのことを思い出した。

「……まさか、ね。だってたかが小説のことじゃない……」

 ぽつり、ともれた声に、しかしあの常軌を逸したメールを思い出すと、否定しきることもできなかった。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 先程まで地上にあるすべてのものに照り付けていた日差しは、急速に沸き立った積乱雲に隠された。やがて遠くから聞こえてくる雷鳴は、雲の流れの速さと同じように近づいてくる。

 稲光が照らす部屋の中で、影はハンドバッグにナイフを忍ばせた。

「仕上げです。何もかも終わらせますよ、明美」


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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