華の剣

御剣ひかる

第1話

 日暮れの住宅街。一軒の家の玄関で、一人の少女がうつぶせに倒れている。

 彼女の体からは、今まさに流れ出た赤が敷石にじわりじわりと広がっていく。

 少女を見下ろす人影がぼそりとつぶやいた。

「あなたが悪いのです。あなたが彼女達を裏切ったから」

 その声に少女は応えない。彼女の命の灯火が消えようとしていることを気に止めず、影はきびすを返した。

「これは当然の制裁……」


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「さて、今回UP分はこれくらいかな」

 明美はパソコンの画面から目を離し、椅子の背もれに体を預けて大きく伸びをした。

 彼女が書いているのは「華の剣ーSword of Flower」というファンタジー小説だ。

 ストーリーは、主人公の舞が、両親が経営する花屋の手伝いで、羽村という小説家の家に花を届けに行ったことから端を発する。無事に花を届けたが、羽村から「現在書いている小説のヒロインにイメージがぴったりだ」と話し相手を求められる。小説執筆の手伝いになるのならと引き受けたのだが、彼との話の途中で眠ってしまい、ふと気付けばいつの間にかウェザと呼ばれる異世界に迷い込んでいた、という、いわゆる「異世界迷い込みファンタジー」だ。

 ウェザは今、魔王の侵略にあっていて、「華の剣」と呼ばれる剣を扱える者が魔王が冠する額の宝珠を割らねば倒せないとされている。その剣の使い手こそが、異世界から召喚された舞なのだ。

 まさに王道中の王道。どこにでもあるようなファンタジー小説。

 だが友達になんと言われようと、明美は、これを中学生の頃から考えて、ずっと書き続けていた。今は大学生になった彼女は自分のサイトを持ち、それまで書き溜めたものを公開してきた。

 大手投稿サイトにも掲載して、更新情報をまめに流し続けてきた地道な努力が実ったのか、一定数の読者も得ている。長く続いてきたストーリーがいよいよ佳境に入っているということもあるだろう。

 今回の更新は、主人公の舞と、惹かれあいながらも心を打ち明けることのなかったパーティリーダー、ラウドとの思いがやっと通じ合ったというシーンだ。それなりに反響があるかなぁ、などと期待しつつ、明美はパソコンの画面にもう一度目を戻して更新作業にかかった。もちろんブログの創作日記やSNS等への更新情報の掲載も忘れない。

 作業を終えて明美は立ち上がって窓を開けた。ようやく梅雨が開けて夏が到来した。じめじめと鬱陶しい季節が過ぎ去ったのは嬉しいが、暑すぎるのもあまり好ましくない。

 隣の家の軒先にある風鈴が涼しげな音を奏でる。と同時に、ゆるやかな風が明美の頬をそっと撫でた。

 今夜はまだちょっと涼しそうかな、と明美が思った時。

「明美ー、スイカ食べるー?」

 階下から母親の声がした。

「食べるー」

 明美は窓を閉めて、台所へとおりていった。


 次の日、明美がメッセージツールの管理画面をチェックすると、数件の感想が届いていた。

『やっと両思い! 長かったですね!』

『ラウドの告白が彼らしいです』

『この場面で告白なんて、ひょっとしてラウド死亡フラグ?』

 などなど。中には鋭いコメントもあったりで、明美は思わず口元に笑みを浮かべていた。読者のみんなが続きを予想しつつ楽しみにしてくれているということは、趣味で書いているとは言え嬉しいものだ。

 そんな中、ひとつのコメントを見て明美の笑みは曇った。

『ついに告白来ましたね! わたしのラウド様が幸せになってくれるなら、マイに譲ってあげてもいいと思っていました! ラウド様以外のキャラは、ラウド様を盛りたてる要素に過ぎません。マイはこの先魔王を倒しても、元の世界に戻っちゃダメです。一生彼のために傍にいる! これが真の、まさにトゥルー・エンド!! byマオ』

 マオというハンドルの彼女は、作品をサイトに掲載し始めた頃からの読者で、明美にとってはありがたい存在だった。

 感想送信ツールのみでなく、個人的にいかにラウドが好きなのかを語ってくるマオ。明美も、そこまで作品とキャラクターを気に入ってくれた読者を得られたことが嬉しくて、彼女にはことさら丁寧なレスをした。いつどんな時に作品を思いついたのか、いかに明美がこの「華の剣」を愛しているのかという、あまり表には出せない設定などもマオには個人的にメールで打ち明けていた。

 いわゆる裏設定を聞かされたマオはとても嬉しかったといい、お礼にと時々ラウドを使った二次創作も送ってくる。

 アキとマオはとても仲がいいと、彼女の作品を読みに来る人達の間では温かく見守られていた。しかし最近では少し度を越えたキャラクターへの入れ込みようが気がかりになって来た。

「――こんな感想がきたんだよ。わたし、なんとなくこの先が怖いよ」

 家に遊びに来た彼氏のたかしに思わず、マオからの感想を見せて明美はこぼしていた。

「あー、前に話してくれたストーリーだと、ラウドがねぇ……。まあでも仕方ないだろ。明美はずっと前からストーリー決めてたんだし、反応が怖いからってこの先の大筋は変えたくないだろ? アキ先生?」

 隆は感想を見終えると、座布団の上にあぐらをかいて座り、ちょっと面倒くさそうに応えた。最後はペンネームに先生までつけて、わざとらしく茶化したりしている。

「まぁねー。でもマオちゃん、最近なんか怖いんだよね。もうこれしかないみたいにいろいろと語ってくるし。彼女も大学生だって言うけど、なんかもっと若い子のような気がする」

「実は中坊のマオが、明美につりあうために大学生って名乗ってるって? あー、ありそうだな。考え方とか結構幼い感じするし」

 隆は笑った。

「もう、笑い事じゃないよ」

「ま、真相はどうか知らないけど、それだけ入れ込んでくれるキャラを明美が書いてるってことじゃないか。そこまで好かれてよかったな」

「そうなんだけど」

 まだ不安そうな明美の肩に、隆が手をポンと置いた。

「相手が怒ったところで所詮ネット上の架空の物語のことなんだから、しばらくしたら忘れるって」

 隆の言葉に、そうだね、と明美はうなずいた。


 二週間後の夜。

 パソコンに向かった明美は、ふぅとため息をついた。ラウドが舞に思いを託して命を落とすというシーンを書き上げたのだ。さすがに長い付き合いのキャラクターを死なせてしまうことは作者として淋しくはある。特に長編のキャラクターとなると愛着もひとしおだ。

 でもこれは物語を完結させるのに通る道。きっとみんな驚くだろう。どんな反響があるか楽しみだとも思う。ただ一人の反応を除いて。

 翌日、果たして明美の心配は現実のものとなった。

 感想用掲示板ではマオと常連さんとのバトルとも見られるやり取りが延々と続いていた。さらにメールボックスにはマオからの感想というより罵倒のメッセージが何十通と届いている。

『わたしのラウド様を返して!』

『わたしが悲しむのを知っててわざとストーリーを変えたんだ! これは裏切りだ!』

『アキちゃんの人殺し! あなたはラウド様だけじゃなくてわたしの心も殺したんだ!』

『人殺しなんて生きてる価値ない。ストーリーを元に戻せ! でなきゃ死ね!』

 時間が経つごとにメッセージの内容も過激さを増す。

 そのたびに、明美はどうにかマオを納得させようと返信する。

 これは「華の剣」を書き始めた当初から決めていたストーリーだ。ラウドはいなくなったがこれが話に必要なことであって、軽々しく彼を死に追いやったわけではない。

 何度も訴えたが、彼女は耳を傾ける気はないようだ。

 そのうち、誰かがラウドを殺すようにアキをそそのかしたんだ、と言い出した。最近ネット上で明美が親しくしている人のハンドルをあげつらい、彼らも攻撃の対象となっていった。掲示板は、もはや意見の交換ではなく罵りあいの場と化していた。

 周りの人達は、はじめこそ明美と同じくマオを説得するかのようにレスを繰り返していたが、何を言っても無駄。もう相手にしていられない、と、次第にラウドの話題に触れることすらしなくなっていった。

 数日経てば落ち着くかと思っていたマオはますます無理難題を押し付けてくるようになった。

『この先でラウドを復活させて! それでないと、わたし生きていけない!』

『仮死状態だった、ということにして続きを書いた。これを正式に採用して』

 明美は頭を抱えた。

「もう縁切りしたらどうだ? おまえ、ここ最近暗いぞ。そんなふうにおまえを悩ませるヤツと付き合うことないって」

 隆が明美に言う。

「でももう少しして落ち着いたらマオちゃんだってきっと判ってくれると思うんだ……」

「判られる前におまえが浮上してこれなくなっちまうぞ」

 そんな話をしていると、そのタイミングをはかったかのように、マオからのメールが届いた。


『アキ様。

 わたくしはどしてもラウド様にいきているべきでございます。ラウド様はわたくしのすべてがだからなのでそれはいままでさんざんうかってきたことですわね。

 ラウド様を、よみがえらせることで、裏切りがゆるしてさしあげようという、わたくしのラウド様の心を無視なさるのなら、友人をつずけてくことはできませんわ。なぜなら友人というのはかなしませることをされるのではないからなのでございます。

 ラウド様をいないままであればわたくしとはアキ様友人をつずけてはいけませんですわね。

 みなさんわたくしはおこってもこわくないといわれるがわたくしはこんなことでおこりますわ。いつでも本気ですもの。

 わたくしのラウド様に返してくださいませ。アキ様はわたくしとラウド様がひきさくことはゆるされるのではありませんわ』


「うわ。これヤバイって。キャラ違うってレベルじゃないぞ。マジで精神崩壊してんじゃないか?」

 メールを覗いた隆が大きくのけぞった。

 しかし彼のリアクションを、明美は少しもオーバーなものと思わなかった。

 怖い。

 ただそれしかなかった。明美はもう、これ以上マオとやり取りをするのが嫌になった。

 隆に促されるままに、マオに別れのメールを書く。


『マオちゃんへ。

 わたしとしては元から考えているストーリーを替える気はありません。それが許されないのであれば、関係を絶つしかありません。

 こんなことになってとても残念です。こんなことなら、最初からストーリーを全部打ち明けておけばよかったと思うほどです。そうすればマオちゃんもラウドにそれほど入れ込むことなく、わたしたちの関係も残念な結果に終わらなかったでしょう。それだけが心残りです。

 それでは、さようなら』


「これで、いいかな」

 明美は作成したメールを隆に見せた。

「うん、いいんじゃないか?」

 隆がうなずいたので、明美はメールの送信ボタンを、押した。


 マオと連絡を取らなくなって数ヵ月間は彼女とのことがショックで、小説の続きを執筆するどころではなくなっていた明美も、周りからの温かい励ましのおかげで再び「華の剣」を書き始めた。それが今ここに完結を迎えていた。

 物語は、ウェザで魔王を倒した舞が元の世界に戻った後の話で締めくくられる。

 ウェザでの記憶は舞の中に残っていたが、彼女は夢だったと信じ誰にもその話をしなかった。そして数カ月後、花を配達した小説家の羽村から「ヒロインのモデル料」として新刊が届けられる。そのタイトルは「華の剣ーSword of Flower」だ。物語へといざなう本の扉に「素敵な花屋の娘さんにささぐ」という文字を見つけて、舞は驚きに目を見張り、急いで本を開く。そこにつづられていた物語は、舞が夢に見たウェザでの彼女の冒険そのものだったのだ。

 あれは夢であって夢でなかったのだと確信すると胸にあふれてくるラウドとの思い出。共に戦い、真剣に愛し、失った彼への想いに、舞は涙を流すのであった。

 明美はこのラストのために、何年もの時間をかけて温めたストーリーを曲げることなく、マオと決別しても書きあげた。

 季節は折りしもマオと交流を断絶した夏。この季節に完結だなんて何の因果だろうかと明美はふとマオのことを思い出していた。

 しかし「華の剣 了」の文字を書き込んだ時、投稿サイトの登録を連載中から完結に移行した時、マオのことは思考から消え、明美は少しの喪失感と、それを上回るいいようのない達成感で胸がいっぱいになっていた。

 そしてそれから数日に亘り、感想用の掲示板には「完結おめでとうございます」の文字が飛び交い、大団円をたたえる感想が連日明美の胸を躍らせた。

『マイは元の世界に戻るんだろうと思っていましたが、ウェザに行くきっかけになった羽村さんとの後日談があるとは思いませんでした。「華の剣」はマイの一生の宝物になりますね』

『マイちゃん、元の世界に戻っても記憶があったー、と思ってたらそんなオチが! 現実世界に戻ってもちょっとしたファンタジーでしたよね。しかしあの小説家はなんだったんでしょう? あ、ナゾはナゾのままがいいか』

 などなど、明美としてはここで読者が驚いたり疑問に思ったり喜んだりしてほしいと思っていたシーンについてたくさんの感想があった。

 さらに驚いたことに、厳しい批評で有名なウェブ小説紹介サイトに、欠点も挙げられたものの褒め言葉もそこここにちりばめられた評が掲載された。これにより、「華の剣」は一気にウェブ小説界で有名小説となった。

「すげー人気だよな。そのうち出版社から声がかかったりして」

 隆が言う。だが彼が本気でそう言っているわけではないことが彼のいたずらっぽい笑顔から判った。なので明美も肩をすくめる。

「まっさかぁ。ちょっと話題になったぐらいで声なんてかからないよ」

 二人は、あははと声をあげて笑った。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 明かりをつけない、暗い部屋の中。

 影がパソコンに向かう。ディスプレイの光にぼうっと照らし出された口元が、悔しさをたたえて歪む。

「あのまま終わらせたのですね。これは裏切りです。完全な裏切り」

 つぶやく声は低く暗く、内包している恨みを、部屋に撒き散らした。

「あの子と同じように、裏切り者に制裁を」


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


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