第2話 新しい人生を



碧はふゆたつだけにあじとの場所を教えると出発準備にかかった。

「お嬢さん、ちょっとおいで。」

もう荷物を背負おうかという時に老人に呼ばれ、側に座った。

「少し、頼み事をいいかの。」

「はい?」

老人は、足元に視線を落とし、また上げると決心したように話しかけた。

「どうかあの子を、見捨てないでやって欲しい。ふゆたつは賢く、優しく、とてもいい子なんじゃが、何処か影がある…。その影を大きくするようなことは決してしないで欲しい。」

老人は、年の功を思わせる深い視線を碧に向けた。

「ふゆたつとは、もう8年程の付き合いになるからの…だいたい何を考えているのか位は分かる。しかし、儂は何もやってやれなんだ。ふゆたつはふゆたつで何も話そうせんからの…。だから、その影を碧、君に任したいんじゃ。それにあわよくば武術を叩き込んでやって欲しい。才能はある、儂が保証しよう。」

「……私にそんな大きな物を託されてもやれる自信はありません。」

「大丈夫じゃ。ただ、側に居てやるだけでいい。それがあの子にとって最も大切なことだと思う。」

「…はい。しかし、それも信用できると分かればのことですが。」

「ふふ、碧も手堅いの。ああ、そうじゃ!碧も儂のことは、凪じいちゃんと呼びなさい。」

老人は、子供のような笑顔で碧に促す。

「で…では、凪じい様と…。」

「んー、まぁよい。ふゆたつもこっちに来なさい。」

凪が声をかけると、少年はすぐに駆け寄って来た。

「二人で何を話してたんだよ。」

「秘密じゃ。な、碧?」

「…は…はい。」

凪は、もう一度碧に笑いかけると、真剣な顔を少年に向けた。

「ふゆたつ。お前とは、もう暫くは会えんようになるじゃろう。これからはもう一つの人生をしっかりと生きなさい。儂はよっぽどの事でなければ助けんからの。…もう、帰って来るなよ?」

「…うん。今まで、お世話になりました。」

少年は、深くふかく頭を下げる。

「さあ、頑張って来なさい!」

凪は薄っすらと涙を浮かべながらも、精一杯の笑顔で力強く碧達の背を押した。


二人は、暗闇の中ランプを一つ持ち道を確認しながら歩いた。休み休みだったがもう10時間以上歩いただろう。疲れきったなかで、碧はある事に気がついた。

「おい、ふゆたつ?は何処まで付いてくる気なんだ?」

「…そうだ、言い忘れてた。俺の名前は、ふゆたつじゃなくて、とうりゅう『冬龍』だよ。」

「変わった名前だな…。」

「…ああ、やっぱりそう思うか…?俺もちょっと恥ずかしくて、ふゆたつとも読めるからそう名乗ってたんだ。」

「そうか…。って、何気に話を逸らすな。で、何処まで付いてくる気だ?」

「い、いやー、それが俺行くとこ無いんだよ。…お前の所に置い貰うのは無理?」

冬龍は冷や汗をかき、控えめに聞いてみた。

「………。」


私の所に置くとなると、武術や諜報、暗殺など何かに長けてなければならない。しかし、冬龍を見る限り諜報や暗殺は勿論出来そうにないし、歩き方一つとっても武術を出来るとは思えない。

…そういや、凪じい様が冬龍に武術を訓えて欲しいと頼んでたっけ。

確か、今回の任務の期限まではあと2週間か…。短いな。でも、やってみるか…それで才能かないと判断したらそこまで、もし才能があったら爺に掛け合ってみるか。


碧の横では、冬龍が黙りこくった碧を不安そうに見ている。碧は歩みを止めた。

「わかった。」

「本当か?よっしゃ…」

碧達はまた歩き出す。

「ただし、冬龍に武術の才能があればの話だ。もし、それで私の所に置く事になってもしっかりと働いてもらう。その中には、今回の私の任務のような殺しも入って来る。それでもやるか?」

碧は少し脅しを掛けた。冬龍が、幾ら武芸に優れていようとも殺しまで任されるようになる迄に普通は15年はかかる。だから、本当はこんなに早く覚悟を聴く必要はないのだ。しかし、碧はあえて脅すような口調で言った。それは、ただそれだけの覚悟を確認したかっただけかもしれないが、冬龍に碧の居る世界に入ってきて欲しくないという願いだったかもしれない。

「…やる。」

「何なら知り合いに仕事を紹介してやるって言ってもか?」

「…ほら、出口だぞ。」

冬龍に言われて、前を向くと朝焼けの空の明るさに目が眩んだ。

「俺、実はあそこから何度か抜け出して雇ってくれる所を探してたんだ。でも、この眼と髪のせいで何処も雇ってくれなかったんだ。」

茜色の朝日に目が慣れてくると、冬龍の姿がはっきりと見えた。そこには、白銀に輝く髪、銀朱(ぎんしゅ)の眼があった。侯爵の屋敷から脱出してから実に8時間経っていた。

「お前も嫌がるなら、俺はもうどっか行くよ。でも、もし俺を置いてくれるなら…」

「へぇー、変わった色だね。」

この世界では、髪と眼は黒か茶が普通でそれ以外の本当にたまに生まれてくる人間は忌子とされ流人(るにん)と呼ばれてきた。そのはずなのに、返ってきた言葉は余りにも軽すぎた。

「えっ…!」

そこで、冬龍はある事に気がついた。

「そんなに自分を悲観しないほうがいい。私だって、お前の気持ち位は理解できるつもりだ。別に、お前だけが特別ではない。」

「お前…も…?」

「あと、私の名前は碧だ。いい加減お前ってのを止めてくれないか?」

「あ…ああ。」

碧は聴色(ゆるしいろ)の髪に、碧緑の眼を持っていた。

「私達の所には色々と訳ありの奴らばっかり集まってくるから、そこんところは心配しなくて大丈夫だ。むしろこれからのきつい修行の心配をしたほうがいい。」

「…うん!ありがとう、碧。で、修行って何?」

「冬龍には、今日から2週間で武術の基本を覚えてもらう。私の所に置くとなると、武術、体術、暗殺、諜報何でもいいから出来ないとダメだ。」

「えっ…!そ…それを2週間で?」

「そうだ。何もたった2週間で一流になれと言っている訳ではない。その2週間で才能があるか見極めるだけだ。」

冬龍はその言葉で少しホッとした顔をしたが、直ぐに顔を引き締める。しかし、その顔は期待と興奮を抑えきれていなかった。

「もう、始めるのか?」

「んー…、その前に街で買い出ししてこよう。その間、冬龍はこれを握ってろ。」

そこで、碧が取り出したのは普通より弾力の強い、液体の入ったゴムボールのような物だった。

「冬龍、いま何歳だ?」

「えっ、15歳だけど…」

「その年なら、ん~20分位ずっと握れてたら上出来だな。」

「わかった。これを握ってたらいいんだな?」

冬龍は両手分、二つを碧から受け取ると、眼を見開いた。中に液体の入っていること、弾力が強いこと、何よりその重さに驚いた。

「碧?こ…これ、何入ってるんだ?」

「黒重水だ。それだと、普通の水の10倍くらいの重さがあるかな?」

「黒重水!?しかも、10倍!?」

冬龍が驚くのも無理がない。黒重水とは、世界で最も美しいとされる宝石『神使』の原料で、クダン皇国のごく一部でしか採取されない。さらに、この液体は、仙黒重水と呼ばれる上から2番目に濃度の高い黒重水だった。

今は、クダンの中でしか出回らなくなったが冬龍のいた大国、カル王国の前王の時代は、友好の印としてクダンからカル王国へ贈られていた。

「…何で、こんな希少な物をボールに詰め込んでんだよ…。」

「修行に丁度良かったから。」

「……。」

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碧と冬龍〜影の中で〜 @neliel

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