碧と冬龍〜影の中で〜
@neliel
第1話 新たな出会い
夜も更け始めた頃。
目の前に居る侯爵は、鼻の下を伸ばして私を舐めるように上から下までジロジロと見た。私は後退しそうになる体を何とか止め、侯爵に歩み寄る。
「私、この様なことは…」
「ああ、大丈夫だよ。わたしのなすままにしていなさい。」
鼻の下を伸ばしきった侯爵が、私の肩に手を乗せると背筋からぞっと震えが這い上がってきた。
今すぐにでも、太ももにある短刀をこいつに突き立てたいと思った。しかし、任務のことを考え何とか止めた。
もう少しだけ…
今度は、腰に手を乗せ抱きよせる様に力を入れた。限界がきた…
「駄目だ。限界…」
言葉を言い終わるか終わらないかの所で、仕込んであった短刀を抜き最低限の動きで侯爵の首をはねる。ピッ。?茲に返り血が付いた。私はそれを何の感情も無く拭うと、返り血の付いた衣だけ脱ぎ、化粧を落とし、自分のいた証拠を全て拭い去った。
「お父…さま?」
入り口方向からこえがした。そこには、同い年くらいの男の子が立っている。幸い、柱の影に自分は隠れた状態だった。
しまった。爺にあれだけ最後まで気を抜くなと言われたのに、侯爵を殺したことで頭の何処かで安心してしまっていた。
そんなことを考えながらもこの状況を打破するため、行動を次に移した。少年の死角から気配を殺して近づき、後ろから左手で少年の口を押さえ、右手で首に短刀を突きつけた。
「…っ!」
少年は、役に立たなくなった口を何とか動かそうともがいた。
「黙れ。大声を出そうとしたら、即座に殺す。分かったら頷け。」
少年の動きが手に伝わると左手を慎重に口から外した。
「お前は、こいつの息子か?」
横たわる侯爵の死体を顎で差しながら言うと、少年は死体をちらっと見て、こちらに顔だけ向け睨む。
「お義父さまだ。血のつながりはない。」
侯爵家の者なら、もう少し怯えると思ったがこの少年は刃を向けられても堂々と睨んでいる。いや、そうでも無いか。
少年の手は小刻みに震えている。
しかし、其れでも大したものだ。
その時、複数の足音が聞こえてきた。まだ、そこまで近くには来ていない様だ。9人、いや10人はいる。
「悪いけど、お前を囮に使わせてらもらう。」
「いや!…待って。俺を連れて行ってくれないか?そうすれば、お前に誰にも会わずに領外に行ける道を教える。頼む…。」
さっきとは打って変わり表情を崩して頼んできた。…正直、少年の言葉を信じることは出来ない。しかし、この言い草から想定するに、血のつながりがないことであまり良い生活を送っていなかったのではないだろうか?もし、そうなるとこの少年を囮にしたところで、無意味かもしれない。でも、ただのお坊ちゃんではなさそうだ。侯爵家の養子など、よっぽどの事情がなければ、ありえない。
もしかしたら、貴族の弱みを握れるかもしれない。
「お前、運動は得意か?」
「それなりには…」
もし、こいつが私を陥れるためにこんな提案をしたのだとしても私にはこの少年を即座に殺してなおかつ、敵からも逃げる自信がある。
それに、私も少しこの少年に興味が湧いてきた。それでも、冷徹に隙を見せずに言う。
「…良し、分かった。それなら必ず私の前を歩け。でなければ、殺す。」
周囲に目を配りつつも、少し悪いことをしている様なうきうき感を覚え心臓の音が近くなる。(もっとも、それ以前の話なのだが…)
そうしている内に、足音も近づいてきた。
「何処に行けばいい?」
先程より声を抑えて言うと、少年は侯爵の机を指差した。
「あの下に隠し扉がある。もちろん、お義父様しか知らないやつだ。」
そんな所にあるとは…。
少年は此方に目配せをして、私が頷くと机に向かう。少年は引き出しを開けるとその中の小さな仕掛け箱を取り出し素早くそれを解いた。仕掛けからは木製の鍵の様な物が出てきた。今度は絨毯をめくり机の真下に出てきた小さな穴にそれを差し込んだ。すると、人一人通れるくらいの面積の床が浮き上がった。
複数の足音はどんどん大きくなっている。
どうやら下へは滑り台のようになっているみたいだ。さて、どうしたものか。少年を先に下に降ろすとなると下で待ち伏せされるかもしれない。その上、もし下が迷路のように入り組んでいたら裏切られた場合困るし…。かと言って、私が先に降りるとなると、少年が仲間に知らせに行き、出口で待ち伏せされるかもしれない。…でもまだ少年を先に降ろす方がいいか…。まぁ、どっちにしても私は逃げられるし…。
足音はかなり近い。
「急ぐぞ。先に行け。」
「でも、下は真っ暗だからその引き出しからランプを…」
「分かった。早く。」
私は、少年が降りるのを目の端で捉えるとランプを取り出し着火。素早く後を追った。
中は確かに暗かった。ランプを持っていてもはっきり見えるのは自分の少し先までだ。10メートル位降りただろうか?ようやく、地面が見えた。
少年は、裏切りの素振りもなく、私を待っていた。
「僕が、ランプを持ってもいい?」
「…わかった。」私は素直に渡す。
上のドタドタとした足音が地下でこだましている。
少年はいくつもある分かれ道を迷いなく進んでいく。分かれ道を十数回、距離では1.5キロくらい歩いただろう。少し、開けた空間に辿り着いた。
そこで、夜目のきく私は30メートル程先で人影を見た気がした。
「ちょっと待て。お前、騙したな。あそこにいるのは誰だ。」
声を潜め、改めて少年に刃を向ける。
「…嘘をついたのは、悪かった。でも、あんたにとっての敵じゃない。あの人は、俺が何者か知らない物知りのおじいさんだよ。…不安なら俺を人質にとってもいい。」
「…いや、止めておく。」
こいつが、こう言うのならば人質にとっても意味がないのだろう。味方にしても、敵にしても…。
「凪じいちゃん!」少年は人影に向けて声を張る。
「…!?…ふゆたつか?」
「うん!」
そして、少年『ふゆたつ』?は人影に向かって走り出した。少年が近づくに連れて人影の姿が見えてきた。そこに居たのは、確かにおじいさんだった。しかし、何故こんな所に?
「で、其方は?」
「凪じいちゃんは、目が見えないのに分かるの?」
「儂も昔は武人の端くれだったからの~。」
心地良く響く声は、何処か昔を思い出しているようだった。
「ふ~ん…。それで、この人は僕の恩人だよ。」
「そうかい。君も武術の嗜みがあるようじゃの。」
老人は楽しげな声を上げる。
「はい。お初にお目に掛かります。碧と申します。」
目が見えないのか。だとすると、足音だけで武人かどうかを当てたのか?すごい、こんな事が出来るようになるまでにはかなりの修行が必要だろう。
しかし、注意して対さないといつやられてしまうか分からない。まだ、信用しきれないし警戒するに越したことはない。
「ほー、女の子…。そんなに畏まらんでもよい。気楽にいこうぞ。」
「…はい。」
「凪じいちゃん、今日なんだけど…」
「ああ、分かっとる。また外に出せというのだろう?」
「そうなんだけど、こいつの家の近くの出口を教えてくれない?」
顎に手を当てて少し考える。
「いいぞ、分かった。で、そこはどの辺りなんじゃ?」
「なぁ、お前の家どこ?」
「…それは、答えられません。」
敵が味方かも分からない複数人に、あじとの位置を教えるなどそんな事は出来ない。
「まぁ、そうだわな。武人ならば簡単に家を教えるわけにはいかんよの。でも、甘いの。そのキレの良い挨拶は、隣の小国クダンの者だろう?」
「っ!」
そんな知識まで…。もしかしたら、この老人……
「まぁ、追及はせん。クダンに続く道は全て教えておいてやる。そこから、選んで行きなさい。」
そして老人は、クダンの東西南北全てに繋がる道を懇切丁寧に教えてくれた。すごい記憶力だ。一体、どれだけ長くこの地下に居たら覚えきれるのだろう。
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