第7話 『追手』

 ワンルームの中で、テレビニュースが流れる。

『今日のニュースです。今朝未明、K市中央区の路上で倒れている若い男性が発見され……近所の住人によると、数十分前にこの男性と口論していた男が目撃されており……』

『O市西区のマンションの一室で、若い女性の変死体が発見され……』

 テレビと、ネットでニュースを検索するのが、毎日の日課だった。

 テレビニュースが終わる。テレビスイッチを切ると、途端に部屋は沈黙した。

 得也が求めるニュースは、今日も流れていない。

「まだ、あいつら収納庫の中なのか、それとも、大した事件と思われてないのか」

 殺した母親と、一緒に入れている担任教師の事を考えながら、得也は腰掛けていたベッドから立ち上がった。

「失踪届くらいは、さすがに出ているかもしれないな」

 そろそろ、一週間は経っている。母親はとにかく担任の方は、家族はいなくても聖英学園の職員室が騒ぎ出すはずだ。

 そんな事より、そろそろ備蓄食が少なくなっている。昼の日課を終えて、得也は夕方の外出準備に取り掛かった。

 担任の教師の顔は、もうほとんど忘れていた。肉の味は憶えているのだが。


 外に出て数分も歩くと、歓楽街がある。

 アルコールや何か肉が焼ける匂いの中を、人々が騒々しく歩いていく。まるで明るいレミングの群れのようだ。

 酒と風俗で出来上がっている地帯を、得也は歩いた。未成年だが、誰も気にかけるものもいない、陽気な無関心に包まれている。

 さて、何が食えるかと得也は考えながら、ふらりふらりと歩く。

 背負ったナップサックは高価な外国製品で、質屋でも見かけるブランドだった。そして、品質は良いが地味なシャツにジーンズ。時計も高級品。

 族だった頃に襲った、一流企業のサラリーマンの出で立ちからヒントを得た。

 地味な色彩だが、高級。街中では普通だが、こんな場では羊のファッションだった。

 荒れた雰囲気の男がいれば、わざと強めにぶつかる。そして謝らずに立ち去ろうとすれば、高い確率で相手は難癖をつけてくる。

 ネオン街のあちこちには、落とし穴のように暗い空間がある。そこに連れて行かれれば、こっちのものだった。 

 目の前から歩いてくる、若い男の二人組に得也は目をつけた。どことなく崩れた雰囲気と、せっかちな歩き方。必要以上にでかい話し声。

 よし、と内心ほくそ笑んだ、その時だった。

 突然、後ろから腕をつかまれた。得也は最初の一歩を大きく邪魔されて、つんのめった。

「ちょっと! カケちゃんじゃん! カケちゃんっ」

 耳障りな声が直撃する。邪魔された怒りと共に、得也は振り返った。こんなところで知り合いに会うなど、思いもよらなかった。

 露出も色彩も派手な、金髪の少女だった。

「うれしっ こんなトコで会えるなんてさぁ、夢みたい、ねえねえ、何やってんのこんなとこでさぁ?」

 大げさな程のはしゃぎようだった。腕にしがみついてくるが、その顔に得也はほとんどおぼえがない。

「ユカだよ、ユ、カ。ほら、いつも集会あったら私ら会いに来てたじゃん。冷たいなぁ、忘れたとは言わないよねえ?」

 ようやく、得也は思い当った。暴走族の男たちにまとわりついてくる『ファン』『追っかけ』の女がいる。ユカもその一人だった。

「顔を知らない顔見知り」ほとんど話もした事ないのに、やたらと馴れ馴れしい。猜疑心と警戒心が強い一方で距離感がない。排他的な集団の中では、そういうタイプがやたら多い。

 そして、思いだした。確か、死んだ矢田がお気に入りだった女だ。

「顔も可愛いし、乳もでかいしテクもあって、トイレでもどこでもヤらせてくれる」

 仲間の前でもお構いなしに矢田といちゃついていた。服こそ来ているものの、おおぴらな前戯だった。時には二人暗がりに消えてしまう事もあり、ひんしゅくを買っていたものだ。

 鬱陶しいが、思い切り振り払ったら、放物線を描いてしまう。

「ねえねえ、何でこんなトコいるの? 金曜の夜は刃羅紋が集会する日じゃん?」

 ああ、そうだっけと得也は思いだす。元いた族の集会の日だ「本来なら」だが。

 目をつけていた二人組が遠ざかっていく。得也は舌打ちした。

 掴まれた腕に、弾力のあるものが押し当てられた。キノに噛まれた痕を隠すために、包帯を巻いている方の腕だった。

「ねー、時間ある?」

 瞳がねっとりと得也に絡んだ。

 得也の腕に押されて、柔らかにつぶれた胸の谷間が襟ぐりから見える。

「相手にドタキャンされたの。このまま帰るのやだ。寂しいの。つきあってよお」

 頬がすり寄せられる感触がシャツ越しに伝わる。

 目の下にある金髪から、人工的な花の香りが漂う。

 まあいい、こいつにするか、得也は獲物を変更することにした。

 連れて行かれたのは、地下にある店だった。

 はっきりと店内が見えないほど、暗い照明の店だった。つい立てと観葉植物で区切られた席で、いくつもの影が妙な動きをしている。怪しい雰囲気の中にもBGMは流れているが、話声以外に、人の喘ぎ声じみたものが絡む。

「この店、なんか暑いよねえ」

 ユカが上着を脱いだ。黒いタンクトップを白い胸が押し上げて、立体的な色のコントラストを作っている。

 椅子の下で、ミニスカートから剥きだされた太腿が押しつけられた。足の付け根ちかく露出した白い太腿が、感触を確かめろとばかりにグイグイと得也の脚に押しつけられる。

 化粧を華やかに施した顔立ちは、良く見れば童顔だった。年下かもしれない。それでも半分以上露出した乳房は豊かで、その身体を使った挑発の仕方は、完全に娼婦だった。

 矢田とじゃれあっていたユカの姿を思い出した。

「飲んでくれないと、帰してあげない」

 軟体動物のようにぐにゃぐにゃとユカは貼りつき、酒を勧めてきた。匂いよりも刺激が舌に突き刺さる。多分、強い酒だった。

「ねーえ、ホテルいこ」

 ユカの腕が首に巻きついた。

「この店でもいいけど、二人きりの方がイイでしょ」

「そうだな」

 ユカの肢体を眺めながら、得也は同意した。見ているだけでも、唾が溜まる肉だった。

 ミツグの母親よりも、ユカは若い。店のライトの光を白くはね返す程、肌のきめは細かい。

 同じ女でも、体臭も違うし、筋肉のつき方も違う。脂肪と筋肉の割合によっては、味が複雑に変わるだろう

 どんな味なのか。

 得也の視線に、ユカは艶めかしく応えた。顔を近づけて傾ける。唇を重ねると、ピンク色の舌がちろりと這い出て、得也の口腔を這いずりまわった。

 ホテルへの手付とばかりに、口にねじ込まれたユカの舌を、噛み切るまいと我慢した。

 タクシーで連れて行かれた先は、繁華街から外れたホテル街だった。

 連れて行かれた店と同様、狭さと薄暗さを、淫靡な派手さで誤魔化した入口をくぐる。

「この部屋にしよ」

 ユカは最初から部屋を決めていたらしかった。部屋の空き室ランプは消えていた。 

 外観と違って妙に明るい、少女趣味な部屋だった。部屋の奥に作りつけの大きなクロゼットにソファ、天蓋つきのベッドと、メルヘンな味付けの部屋だ。ユカをベッドに押し倒した瞬間、ユカの耳を喰いちぎりそうになったが、香水の匂いと危機感でとどまった。

「やだぁ、シャワーが先」

「そうだな」

 危うく、耳を齧りかけた得也は肯いた。汗の匂いは美味そうな芳香だが、やけに人工的な香料の匂いが鼻につく。

「カケちゃんから、先にシャワー浴びたら?」

 得也は上半身の服を脱いだ。この後の事を考えて、返り血で服を汚すことを避けるためもあったが、ユカの目の色に察することあった。

 この包帯を巻いた手のことを、一度も聞かない。得也に実は関心がない証拠だ。それなのに、色仕掛けを使ってホテルに誘って来た。

 そして、この部屋は「空き室」ではなかった。すでに誰かがいる。

 そこにあった花瓶を得也は手にとった。クロゼットに投げつける。

 扉に激突した花瓶が、粉々に砕け散った。クロゼットが叩きつけられた音を立て、飛び出してきたのは二人の男だった。

 少しだが、得也の予感が外れた。

 美人局かと思ったのだ。

「よお、よく分かったなぁ」

 金髪とスキンヘッドの二人の男は、かくれんぼがばれた子供の、一万倍邪悪な笑顔を浮かべた。

 それぞれ武器を手にしていた。金属バットにサバイバルナイフだった。

「……何で、お前らがここにいるんだ?」

 浜辺で死んだ奴らとは別動隊だったが、二人とも同じ暴走族にいた仲間だった。。

「おい、分かってねえよコイツ、何で俺らがここに? だってよ」

 二人は得也を指差して笑い転げた。

「俺たち、裏切り者捜索部隊でよぉ、そのレーダーに引っ掛かったのがオマエ」

「ウラギリモノ?」

「何でお前、こんなとこほっつき歩いているんだよ」

 金髪の筋肉猿、吉田が歯をむき出して金属バットをふるった。

「お前、あの日、健二たちと一緒に行動していたんだろ? 浜辺であんなことがあって、何でお前だけ無事なのかなぁ? で、無事なら何で、柚木さんのところへ顔をださねーの?」

太ったヘビに似た坊主頭、堤下がサバイバルナイフをクルクル回した。

「お前、裏切ったんだろ。健二たちを殺ったのは、狂騒連合の奴らの仕業だって、みんな分かってんだよ! てめえ、奴らの手引きしやがったな」

「でなきゃ、俺たちから逃げ回っている必要はねえからな」

 吉田が金属バットをバッタ―のように振るう。しかし、打つのはボールではなくて得也の頭のつもりだ。どう見ても、この場ではスポーツ用品に見えないこれを、よくフロントで見咎められなかったもんだと、得也は内心感心した。

 まあいい。計算違いがよく起きる日だが、食う物が増えた。良いとしよう。

 堤下が近づいた。サバイバルナイフの刃が、わざとらしく得也の頬を叩いた。

「ま、前々からお前の事、気に入らなかったんだがよ。まさか裏切るとは思わなかったぜ。しかも、あんなすげえ事になったもんだから、怖くなって逃げ出したんだろ、貴様。あの奥田のブタヤロウとつるみやがって」

 裁判にかけられる前から、既に有罪は確定している。

「それは、違う」

 頬に押しつけられたナイフの刃を眺めながら、得也は口を動かした。

「狂走連合の仕業じゃない」

「じゃあ、なんだってんだ!」

 吉田が吠えながら、喉元を掴み上げた。

「どっちにしろ、貴様を連れていく。それになあ、例え何があったとしても、お前が仲間見捨てて、一人逃げ出した事に変わりはねえんだよ! このタマナシ野郎!」

 堤下が下卑た笑いを浮かべ、得也の服を脱いだ上半身を見回した。

「ユカとヤれると思ったんだろう。悪いなあ、どうせなら、ユカとヤッた後で俺たち出て来てやりたかったんだがよ」

「やだよお、寸前に助けに入るって約束だったじゃん」

 ユカがキイキイと笑った。

「コイツ街で見かけた時、びっくりしたよぉ。だってコイツ、やっちゃんの班でしょ。行方不明になっているコイツが、なんでここにいるのって、見つけてすっごくラッキーって思ってさ。でもコイツ、カタブツかと思っていたけど、すっごくやらしいの。ずっと私のおっぱいと太腿見ているしさあ、むっつりスケベって奴? 部屋に入った瞬間、鼻息荒く押し倒してきてさあ」

「しょうがねえだろ、男なんだから」

「ね、私、頑張ったでしょ。ご褒美何をもらえるかなぁ。私のおかげでしょ、こいつ捕まえたの。それにさ……」

 ユカは得也に近づいて、頬を張り飛ばした。

「あたし、やっちゃんの事、愛してたのよ! あんたが見捨てなきゃ、あたし、彼のお嫁さんにしてもらってたんだ!」

 ユカが吐いた唾は、頬にかかった。得也は顔を振る。

 金属バットを持った吉田の腕は、筋肉が浮き出ていた。みっちりと詰まった筋肉と太そうな血管。そし堤下の、弾力がありそうな白い顎。ナイフの柄を握る、太い指。

 ユカの肉とは正反対の、魅力に富んだ肉だった。

「裏切りモンだからって、殺しやしねぇよ、その手足折らしてくれたら、担いで連れて行ってやるからよ」

「裏切り者か臆病モノか、どのみち制裁を受けなきゃなあ。柚木さんは、弟見殺しにされたってご立腹だ。手足切り落とされちまうかもな」

 吉田が片手で大きくバットを振るう。

「今の内に、リンチの予行練習、一緒にしようぜ」

「やっちゃえぇぇっ」ユカの黄色い声が部屋に響く。

 吉田が得也の顔面をめがけてバットを振った。バットが風を切って唸る。 

 得也は頭を下げてバットをかわし、床に転がった。三人の間をぬって一回転して立ち上がり、置いてあるソファに回り込んだ。

 ソファのアーム部分を掴んだ。

 掴んで、持ち上げる。

 吉田の目が、ぐわっと開いた。

 得也が片手で投げたソファは、吉田の体をはね飛ばした。吉田は車にはねられたように空を飛び、壁に激突して落下した。絨毯の上を転がって、ベッド横にぶつかって止まった。

 動かなくなった吉田の手から落ちた金属バットを、得也は拾い上げた。

 ナイフを振りまわしていた堤下が、動きを止めた。口を開けて、吉田と得也を交互に見つめる。

 ユカも、茫然と動きを止めている。

 金属バットを手にして、得也は二人の前に歩んだ。幸い、絨毯の色は血の汚れが目立たない暗褐色だった。

 ナイフを構えたまま、堤下が震えだす。

「……お、おい、なあ……?」

 後退しながら、堤下が蒼ざめた笑顔を作った。

「うそだ、じょうだんだよ、じょうだんだ……」

 得也は金属バットを構え、バッターのように振った。

 堤下の額から上が、卵のように割れた。

 脳漿と血が、得也の顔から上半身に降り注いだ。頭蓋骨の中身がこぼれる。憶えたばかりの珍味を床にこぼしたことを、得也は少々後悔した。

「ひぃあぁぁっ」

 ユカだった。空気が漏れるような悲鳴を上げながら、逃げようとして転倒し、そのままドアへ這いずる。

 得也は顔を上げた。振り向くと、腰が立たないらしく、這いずったままで、ユカが懸命にドアノブへと手を伸ばしていた。

「た、す、けて……」

 ユカがドアにへばりついて、哀願する。

「……いうこと、なんでも、きくから……これ、いわない……」

 震える手では、鍵を開けられないと知った途端、手を震わせながらタンクトップを脱ぎ捨て、下着を脱ぎ捨てる。

 一糸まとわぬ姿で、得也を見上げた「ナンデモスル」歪んだ涙と表情に鼻水が垂れている。

 繰り返す言葉は全て、哀願と命乞いだった。

 得也は、ユカに命令した。

「風呂場に行けよ」

 ユカの目に、わずかな希望の明かりが灯った。

 時間はかかったが、ユカは得也の命令通り、空の浴槽の中に立った。

「ね、助けて……くれるよね?」

 得也は黙ってシャワーの栓をひねった。

 湯がユカの裸身に降り注いだ。シャワーが白い肌の上を滑り落ちていく。

 腕や肩の肉付きは薄いが、その分腰回りと胸に脂肪がたっぷり付いているのは、店で見せつけてきた通りだった。

 ユカは、シャワーの中で得也へ腕を伸ばした。

「何でもするから、ね? このこと言わないし、私のカラダ、好きにしていいよ、だから……」

 泣きながら媚を売るユカの裸身に、得也は両腕を回した。これでもう、あのイヤな匂いは流れた。瑞々しい水滴が滴る、白い首筋を得也は見つめた。

「やっちゃんのオヨメさんになりてぇんだろ?」

「ううん、もういい、カケちゃんの……」

 首筋の肉を喰らいついた。そして噛み千切る。ユカの絶叫がシャワーの水音と混じり合った。狂ったように暴れる少女を、得也は思い切り抱き締めた。

 上腕部、背骨、あばら骨を同時に一気に砕く。骨が肺に付き突き刺さったらしい、絶叫の次は大量の血をユカはゴボゴボと吐いた。口づけするようにその血を得也は飲む。

 水に流すのが惜しいほど、するすると咽喉を流れる若々しい血だった。

 人間であった頃とは比べ物にならないほど、食べるという行為が至福になっていた。


 目が開いた瞬間、吉田は自分が今、どのような状態にあるのか、理解出来なかった。

 視線は床の絨毯を這っている。

 ラブホテルだ。そうだ、ユカの奴が二日前に「カケイを見た」とメールして来たのだ。ユカの奴は矢田に惚れていて、矢田を見殺しにした犯人を恨んでいた。

『もしもそうなら、掛井を見つけて、Cホテルに連れ込め。○○の部屋に先回りしている』

 そうユカに命令して、堤下と向かった。リーダーに、裏切り者を献上する筈だった。

 それが、転がっている。体が動かない。

 打撲の傷みがじわじわと波打っていた。首を動かし、見上げた瞬間に吉田の目に入ったのは、ホテルの備え付けらしいガウンをひっかけた、掛井得也の姿だった。

 憎たらしいほどさっぱりした顔つきで、やけに太い骨のドラム肉を食べていた。

 かなり美味らしい。目を細め、突き出た骨にへばりつく肉を、いとおしむようにして噛みつき、咀嚼している。

 ……吉田の脳裏に、自分に向かってソファを投げた怪物が蘇った。

「ぎあああああああっ」

 吉田の悲鳴に、得也が視線を投げた。

「お、おい、俺をすぐに放せぇっ」

 部屋を絶叫で震わせた。

「こ、このままではすまねぇよ、柚木のアニキが直に来るぜ、そうなったら貴様なんか、一瞬でオダブツだ、分かれば俺を放せぇぇっ」

 リーダーの名前を出せば、相手はブルってくると吉田は確信していた。鉄版に刻まれているグループの掟「リーダーへの忠誠と服従」これは一番上にある碑文だった。

 例え得也が怪物であっても、この掟は絶対であるに違いなかった。

 だが。

「……お前さ、俺を『柚木のところへ連れて行く』って言ったよな?」

 得也が言った。

「こっちから行くの? 向こうが来るの? はっきりしろよ」

 得也の冷えた声は続く。

「あのさ、それから聞きたんだけど」

「……」

「俺を吊るし上げてリンチにかける理由に、あの夜、他の奴らを見捨てて一人逃げて無事だったって言うのがあったよな?」

「……」

「あんなひでぇ目に遭って、皆死んだってのに、何でお前一人無事なんだって事だよな? 」

「……ぁぁ」

「前から思っていたんだが、お前らのいう、その『仲間』の意味がよく掴めないんだよ」

 得也が肉を掴んで揺らした。

「仲間って、一つの目的や利害を同じくする関係。だけど、お前らのいう仲間って、単なる排他的な、同族意識で固まった集団なんだよ。大した目的は無く、帰属意識だけが肥大して、必要以上に矜持や上下関係にこだわる。例えばこういう場合、一人だけでも仲間が助かった、良かったって言えねえのかな」

「……」

「それが、助かったのは、仲間の裏切りだとかなんとか……バカらしくなってさ」

「……バカに、してんのか」

「入った時は、もしかしたら違う風景が見えるって、そう思ったもんだけどな」

 得也が肉を握りなおした。突き出た骨の下部分の形状に、吉田の細胞が凍る。

……五本指の、手。

 手の部分をまるで握手するように掴んでいた。そして食べていたのは、肘から下部分。

 人間の手だ。

「……っだっ」筋肉が恐怖に突き飛ばされた。腕と足首がベルトで縛られた芋虫状態で、吉田は部屋の隅へ猛スピードで這いずった。

 段差もモノとせず、飛び込んだのはバスルームだ。後ろ足でドアを蹴り、自分をバスルームに閉じ込めた。

 その拍子で、埋め込み型の円形の浴槽に頭を突っ込みそうになった。慌てた瞬間、円形の淵に沈む、真っ赤な物体が目に飛び込んだ。

「ああおうぅ!」

 悲鳴の出来そこないが、咽喉奥からほとばしる。

 露出した頭蓋骨の中に、脳味噌が無い堤下と、虚ろに歪んだ表情のユカ。

 どれがユカのもので、堤下の部分なのか、首から下がシチュー肉のように解体されて二人は混じり合い、浴槽に沈んでいる。

 血に染まった堤下のナイフが転がっていた。刃渡りは二十五センチ、映画の「ランボー」で使われていたサバイバルナイフのレプリカだと、自慢していたものだった。

「この女、最初見た時は美味そうに思ったんだけどな」

 得也の声が聞こえた。

「脂肪が多いし、肉も水っぽいから、味がぼやけている。それに化粧品とか、保湿クリームか何かかな。シャワー浴びさせても、薬品の匂いが染みついて取れねえんだよ。堤下の方が、味は上だな」

 狂いたい、と吉田は痛切に願う。

 狂えば、心は逃げられる。

「食べ比べてみないと、分からないものだな」

 その声を聞いた吉田の願いを、神は叶えた。


 ホテルを出た時には、すでに日付は変わっていた。

 鍵を開けると、灰色のワンルームの部屋が、得也の帰りを迎えた。

 ナップサックとスポーツバックを床に置いて開いた。中に、ホテルで食べきれなかった堤下とユカ、吉田がジップパックに小分けされて入っている。

 内臓は傷みやすいので、保存には向かない。その場で消費するに限る。

 飲むものは、ペットボトル四本分採れた。そして備蓄用の肉。得也は部屋に備え付けの冷蔵庫に入れた。

 今のところ、食糧調達は上手くいっている。

 住宅地とは違って、ここの歓楽街の付近の住人は流動性が高く、水商売も多いせいか保証人不要の物件が多い。このワンルームマンションも、その中の一つだった。

 また場所柄、他人に干渉してくることも無かった。家賃さえ払えば、例え住人が未成年であっても無関心で、例え突然隣人が姿を消したとしても、詮索する事は無い。

 銀行を信用せず、現金をほとんど家に置いていた点だけ、得也は母親に感謝した。家の金庫の番号は知らなかったものの、こじ開ける事は簡単だった。

 このまま、ひっそりと生きていければと思ったのだが。

 得也は三つの携帯端末を取り出して眺めた。

「面倒くさいな」

 奴らをこのまま放っておく手もあるが、向こうはそうはいくまい。狭すぎる価値観と思い込みで、どこまでも得也を追って来るに違いなかった。それも集団なので、いっそう性質が悪い。

「さてと、捨ててくるか」

 マンションのすぐ傍に流れる、一級河川の河川敷に出る。真夜中の外灯は、無人の川べりを虚ろに照らしていた。上の車道の橋を渡る、車すらまばらだ。

 得也はそれぞれの携帯端末を二つに割って、川へ投げた。暗い流れの中に、三つの遺品は呑みこまれた。

 遺品を処分してから、得也は土手を上がって道に出た。川を越える橋の向こうに、市民病院の建物の明かりが見える。以前、家族で乗っていた車が事故を起こして、あそこに入院していた事があった。

 見舞いに毎日来た、同級生の女子生徒

 脳裏をかすめた、眼鏡の少女の面影を押し潰し、得也は病院から目を背けた。

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