4.リアルバウト・ハイスクール・ティーチャー

 御霊東高は主にサムライを養成する学校だけあって、その敷地内に複数の剣道場を有している。

 観覧席を備え学内戦等の大会で使用される武道館をはじめとして、普段の授業に使われる大道場、部活動など課外活動用の小道場、そして特別な立ち合いや極秘の稽古等の為に用意された特別道場の4つが存在する。

 大和達の姿は今、その特別道場にあった。


 剣道の試合場よりも一回り広い程度の大きさであるが、天井がやけに高く十メートル近くはありそうだった。壁などは飾り気のない無垢の板張りであり、神棚の一つも無いのが大和には少し意外だった。

 どういった理由からか窓の類が無く、入り口を閉めてしまえば外の光は一切入らない作りになっている。遮音性も高い様子で、なるほど「特別な」試合をやるにはもってこいという訳だ、と大和は一人納得した。


 加えて、この特別道場には様々な霊的環境を再現する為の設備があるのだという。

 今回は、「素の状態」の大和の力量を見たいという藤原の意向により、設備の機能を使って道場内の霊力値が極端に低く設定される事になっている。

 結果として今、大和は「霊的直感」をはじめとするサムライの力を殆ど感じなくなっていた。


 備え付けの更衣室で薫子が持ってきてくれていた道着に着替えると、大和の心はようやく冷静さを取り戻していた。先ほどは藤原の迫力に弱気になってしまっていたが、師匠や百合子の前でみっともない姿は晒せないと、一人気合を入れる。


「準備はいいかね?」


 更衣室を出て道場に戻ると、藤原が「待ちかねた」とでも言うような表情を浮かべ出迎えた。


「――お待たせしました。よろしくお願いします!」


 大和は勢い良く一礼し、予め受け取っていた木刀を正眼に構えた。それを見た藤原は、不敵な笑みを浮かべ同じく正眼の構えをとる。

 功一郎、薫子、百合子、そして姫子が見守る中、実技試験が始まった。


 実技試験の内容は実に単純なものだった。藤原と大和とで地稽古じげいこ――柔道などで言う「乱取り」――を行い、藤原が大和の実力を吟味するのだという。

 「試験」というからにはかたであるとか基本的な技能であるとかを一定の基準で審査されるものかと大和は思っていたが、どうやら事前に功一郎の方から推薦状が提出されているらしく、基本的な剣技については吟味の必要なしと判断されたらしい。


 筆記試験免除の件といい、自分の窺い知らぬ所でお膳立てされた出来レースに付き合わされているのでは? 等と疑い、藤原による実技試験も形だけのものではないかとも思った大和だったが、藤原の説明を聞くうちに、それが甘い考えだと思い知らされる事になった。

 これから行う「地稽古」では、防具も竹刀も使わない、使のだという。


 藤原から手渡された木刀は本赤樫製のかなりしっかりした物であり、木製の鍔も取り付けられている。

 一般的な「剣道」においても、主に竹刀では掴み難い、真剣に近い動作感覚を意識させる為の稽古の際などに同じような物を使う事があるが、激しく打ち込み合う地稽古のような場合に使う事は殆どない。

 理由は言うまでもなく……「当たればただでは済まない」からだ。たとえ全力の打ち込みでなかったとしても、当たり所さえ悪ければ容易に骨を砕きかねない。

 大和が学ぶ功一郎の道場でも基本は同じであり、日頃の稽古では竹刀と防具を使い、木刀は形稽古など一部の鍛錬でのみ使用する。だが、世間一般の道場とは決定的に違う点があった。鳳道場は「剣道」道場ではなく「剣術」道場なのだ。


 太平の世にあって発達した竹刀と防具を用いた稽古法「撃剣」、その流れを汲み近代になって競技化され、「武道」として人間形成をその主たる目的とするのが「剣道」だ。

 それに対し、「剣術」はまさに戦国の世より連綿と続く「殺人剣」や「活人剣」を今に伝える、より実践的で血生臭い代物だ。

 もちろん、現代において殺人剣を披露する機会は殆どないし、何より倫理的・法律的にその技を軽々しく振るう訳にはいかない。その為、鳳道場では「剣道」と同じく精神修養に重きを置き「武道」としての側面を強く意識し、稽古の内容も前述の通り竹刀と防具を用いたものが殆どだ。

 しかし、そんな中にあっても「剣術」の本分を忘れぬ為に鳳道場で行われているのが――実力の伯仲した者同士による木刀を用いた地稽古だった。


 実戦さながらの荒々しいその稽古には、当然の如く危険が伴う。その為、功一郎が一人前と認めた門下生にしか許されぬ稽古だ。大和も、何度か功一郎により木刀同士での打ち合いについて手ほどきを受けた事があるだけで、まだ地稽古を許された事はない。

 しかし今、大和はそれに挑もうとしていた。編入試験という大事な場面で、遥か格上であろう剣士を相手に。これが「形だけのもの」であるはずがない。


 功一郎が推薦状にどのような事をしたためたのかは窺い知れない。もしかするとこの試験内容を提案したのも功一郎では? と大和は少しだけ考えたが、それこそただの公私混同であり、その線は薄いだろうと思い直した。

 すると、この試験は完璧に藤原の発案であり功一郎の意図が混じる余地はないという事になるが……どちらにしろ、大和のやる事は変わらない。功一郎が意図したものであろうともなかろうとも、大和は大和自身の全力でもってこの試験に挑み、今の自分の実力を示すだけなのだ。


(それにきっと、この試験で藤原先生が見たがっているのは俺の小手先の技術じゃない)


 功一郎の推薦状によって基本的な技術は問題ないと判断した、と藤原は言った。ならば、この試験を通して藤原が量ろうとしているのは、恐らく別の物だ。

 木刀を使った地稽古は、鳳道場において「実戦に近い感覚」を学ぶ為に行われる。逆の見方をすれば、この稽古の最中に各々が見せる姿は、実戦に臨んだ時のそれに近いものと言えるだろう。

 ならば、藤原が見たいのは、姿なのではないだろうか?


(――だとしたら、きっと藤原先生は手加減なんてしてくれない。気の抜けた一撃を打ち込めば、容赦ない反撃をもらう。骨の一本や二本は平気で持っていかれる。下手すりゃ命の危険もあるかもしれない。そうだ、ここはきっと……「死地」だ!)


 「これは命のやり取りなのだ」と覚悟を決めた大和は、改めて藤原と向き合う。

 天を突くような藤原の巨体は、こうして向かい合ってみると更に迫力を増していた。体格的に大和の不利は明らかだ。

 加えて、学年主任という肩書やこうして編入試験を任されている点から見ても教師の中でも有数の実力者に違いない。実際、この特別道場に来るまでの道行、大和はそれとはなしに彼の動きを観察していたが、一分の隙も見当たらなかった。

 禿頭のせいで年齢不詳の外見だが、恐らく功一郎と同じか少し若い程度だろう。一般的な常識に照らし合わせれば、体力面だけ見れば若い大和の方が有利かもしれないが、その他の全ての要素で藤原が勝っており、「長期戦に持ち込んで体力勝負」等という小癪な策が通用するとは思えない。

 ならば大和が取るべきはあくまでも――。


(真っ向勝負!)


 小細工などろうさず、大和は鋭く真っ直ぐに藤原へと踏み込んでいった。

 藤原に攻勢に回られれば、間合いで劣る大和は防戦一方になるだろう。まずは相手の懐深くへ飛び込み間合いの不利を無くし、逆に小兵としての長所を活かす戦法だ。体格で勝る相手と戦う際のセオリー通り、上段への打ち込みに警戒しつつ肉薄する大和だったが――。


「甘い!」


 瞬間、頭上から雷光のような一撃を見舞われた。

 すんでの所で藤原の一撃を受け止めた大和だったが、ガツンという木刀同士がぶつかり合う激しい音と共に凄まじい衝撃が手から足までを走り抜け、全身が痺れるような感覚に襲われる。


「くっ!」


 慌ててバックステップの要領で距離を取り体勢を立て直す大和だったが、手には強い痺れが残っており、かろうじて構えを維持しているような状態だった。

 もし今、藤原が攻勢に出れば大和はひとたまりもないが、藤原にその様子はなく、再び正眼の構えを取りその場に留まっていた。


「……よくぞ受けた! 踏み込みも悪くなかったぞ! しかし、少し覚悟が甘かったようだな」


 藤原の「覚悟が甘い」という言葉は実に的を射ていた。

 藤原の上段への打ち込み自体は大和も十分に警戒していたが、その「威力」を軽く見積もり過ぎていたのだ。打ち込みに対しては受け流し、あるいは受け止め鍔迫り合いに……と考えていた大和だったが、そういった思惑を丸ごと打ち砕くかのような強烈な一撃だった。


(下手に受けようと思えば手がイカれる。竹刀と同じ感覚で受け流すには打ち込みが強烈すぎる。……もっと柔らかくか、そもそも受けないでギリギリで躱すしかない、か?)


 藤原の打ち込みは小手先の技術でしのげるものではない。

 受け流すにしても躱すにしても、その都度の全力をぶつけなければならないな、と大和は覚悟を新たにし、再び踏み込むタイミングを探り始めた。


「流石は『豪腕』の藤原君だ。相変わらず強烈な打ち込みだね」

「……大和君も流石よ。一年生の中でも藤原先生の剣をまともに受けきれる生徒はそうはいないわ」


 道場の壁際では、功一郎達が白熱する大和と藤原の立ち合いを見守っていた。功一郎と百合子は剣士らしく時折感想をもらし、薫子はただひたすらに固唾をのんで見守っている。


「しかし、藤原もえげつない事をするのう」


 姫子も彼女にしては珍しく、大人しく大和の戦いを眺めていたが、どこか不満気な様子でそんな事を呟いた。


「おや、姫は藤原君の『試験』にご不満かい?」


 そんな姫子の様子を意外に思ったのか、功一郎が尋ねる。


「試験そのものに不満はないがの、を意識して張り切り過ぎているのではないか、とな……」


 そう言って道場の片隅を見やる姫子。その視線の先にあるのは一見するとただの壁だったが、実はそこには目立たぬよう監視カメラが埋め込まれており、今も大和と藤原の立ち合いを撮影していた。


「仕方ないわ。『姫と父さんの肝いりで転入がごり押しされた』と思っている連中もいるみたいだから、そういった手合いから文句が出ないようにするには、大和君の実力を見せ付けるのが一番効果的だもの。まあ、半分位は藤原先生の趣味のような気がするけれど……」


 監視カメラの向こうにいるのは、「特別顧問」と呼ばれるサムライや巫女、御霊庁のOB・OGから選定された、附属校を含めた御霊大学の学校運営全体に対する「お目付け役」である。

 彼らは主に、生徒や教師達の「品格」を見定める事をその役目としていた。具体的には不祥事や規律違反、例外的な事態が起こった際に査問委員会を開き、その処分を検討する役割だ。


 今回の大和の件も彼らによって裁定されたが、近年でも稀なケースであり、また姫子のふてぶてしい態度が一部の委員の不況を買うなどして、最後まで揉めに揉めたという経緯がある。

 おまけに大和が功一郎の門下だった為に、姫子と功一郎が共謀して大和の転入に対して便宜を図ったのではないか、と疑う者まで出る始末で、いまだに決定に対し不満を持っている委員さえいる。

 そこには特別顧問同士の派閥争い等も深く関わっているのだが、実技試験を任された藤原はそういったしがらみを嫌っている為に、「口うるさい連中を黙らせるにははっきりと実力を見せ付けるのが一番」と、今回の試験内容を思いついたらしい。


「まあ、脳みそまで筋肉な藤原らしいがの。それにしても過激な方法を選んだものじゃ……。しかし大和め、拾い物じゃとは思っておったが、予想以上にやりおるのう。流石は功一郎殿の愛弟子と言った所かな?」

「大和は、幼い頃から自分より年上の門下生達に揉まれてきたからね。格上との戦いには慣れているんだよ。特に守りが巧い。……まあ、逆に言えばそのせいで攻めの姿勢が少し消極的だったり、自分を過小評価しがちだったりしたんだが、どうやらそれも克服しつつあるようだね」


 今、果敢に藤原に立ち向かう大和の姿には、少し前までの百合子と進路を違えた事で後ろ向きになっていた頃の影は見られない。姫子との出会いやデパート火災での出来事が大和を変えつつあるのかもしれない、と功一郎は愛弟子の成長振りに少しだけ頬を緩めた。


「――動くわ」


 父である功一郎とは対照的に、表情を崩さずじっと戦いを見つめていた百合子が呟く。

 彼女の言葉通り、大和と藤原の立ち合いは次なる展開を迎えようとしていた。藤原が構えを正眼から左上段に移したのだ。

 上段は基本的に攻撃的な構えとされる。正眼などの中段の構えと異なりであり、打突の速さだけ見れば中段よりも遥かに速く、また間合いにおいても有利とされる。

 反面、中段から下段にかけて大きな隙を生む構えでもあり、リスクが高いともされている。


(誘ってる……のか?)


 先程、藤原は懐に飛び込もうとした大和を頭上からの打ち込みで迎え撃った。そして今、大和が再び狙おうとしていたその懐を大きく開き、上段に構え大和を待ち受けている。

 大和はそこに、藤原の「今度こそやってみせろ」という無言のメッセージを感じた。


(挑発に乗るみたいでしゃくだけど……やってみる!)


 木刀を中段に構えたまま、大和はやや前傾の姿勢をとった。より鋭く、より速く踏み込む為だ。

 上段に構えた藤原の打ち込みは先程よりも遥かに速く鋭いだろう。ならば大和も、それ以上の速さと鋭さで対抗するしかない。

 一瞬でも判断を誤れば脳天を唐竹割りにされるかもしれないという緊張感の中、しかし大和の心は静かに燃えていた。


(行くぞ!)


 下半身のばねを使って、一歩を踏み込む。先程よりも鋭く、速く、そして低く。

 しかし、大和の動きを見越して放たれた藤原の一撃も同様に先程よりも遥かに速く鋭い。大和の頭上に迫る一撃。しかし――。


「ぬっ!?」


 藤原の口から驚愕の声が漏れる。大和の姿が消え斬撃は空を切った――いや、藤原の打ち込みが届く一瞬前に、大和は二歩目の踏み込みをややサイドステップ気味に行い僅かに横方向へ体をずらし、ギリギリの所で藤原の一撃をかわしていたのだ。

 それは正に絶妙のタイミングだったが、明らかに藤原の打ち込みを見てから反応したものではない。しかも二歩目の踏み込みは一歩目のそれよりも更に鋭く、速かった。


(誘われたのは……こちらか!)


 攻防の刹那にも拘らず、藤原の心が躍る。

 全力かに見えた大和の一歩目の踏み込みは、その実、力を抑えたものであり、藤原の打ち込みを誘う為のもの、つまりは一種のフェイントだったのだ。そして藤原の予想よりも僅かに早いタイミングで二歩目の――本気の踏み込みを行い、身をかわす……。

 更に――。


(――もらった!)


 二歩目とは逆方向に向けて、最後の三歩目を踏み込んだ大和は、そのままの勢いでもって、打ち込みが空を切り無防備となった藤原の胴に向け、鋭い一撃を放つ。

 しかし藤原もそう甘くは無い。空を切った一撃の、その返す刀で大和を迎え撃つ。

 そして――。

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