第二話「サムライと学校」

1.日常と異常と

 「國丸デパート」の火災から既に一週間近くが過ぎていた。

 不幸中の幸いか、薫子は足の捻挫以外大きな怪我や後遺症もなく、一日だけの入院で済んでいた。報せを受けた功一郎もすぐに駆け付けてくれたが、いつものように過保護さを発揮して心配性に陥るような事もなく、淡々と手続きだけ済まし、薫子とも二言三言話しただけですぐに帰ってしまったのは、大和にとって意外だった。

 対する大和は、自分も一応の診察と検査を受けた後、やはり心配だからと一晩付き添う事にし、そのせいか薫子は終始上機嫌だった。


 日曜日には功一郎の迎えの車で無事帰宅。百合子が顔を見せてくれるかとも思ったが何の音沙汰もないまま、何事もなく日曜日は過ぎ、月曜日には所謂普通の日常生活を取り戻していた。


 デパート火災は大和の学校でも話題になった。

 幸いにして大和が当事者であるという話は広まらなかった為、騒がれるような事はなかったが、知られたとしても自分が体験した不思議な「サムライ」の力について、上手く説明できる自身は大和にはなかったし、するつもりもなかった。


 幸いにして死者こそ出なかったものの、重軽傷者合わせて数十人とそこそこ大きな災害だった為、テレビやネットで大層話題になり、新聞も地元紙だけでなく全国紙でも大きく報じられる事になった。

 それら報道によれば、直接の出火原因は未だ不明だったが、被害が大きくなったのはやはり消火設備の手抜きが原因だったらしい。火災警報器は作動せず、スプリンクラーに至ってはそもそもその殆どが水道と繋がっていなかったという。

 おまけに被害者たちの証言で、デパートの正規従業員達が真っ先に逃げ出し避難誘導が行われなかった事も判明。事件は別の意味でも「炎上」しつつあった。


「結構、大きな事件になっちゃったね」


 昼休み。大和と夏彦、そして何故かクラスの違う亜季も一緒に昼食を摂っていた時の事、薫子の怪我の具合の話から始まり、再び火災の事へと話題が及んでいた。

 ちなみに、全員弁当派な上に亜季と大和は手作りだ。もっとも、大和の昨日の夕飯の残りをおかずに詰め込んだ「手抜きのり弁」と違って、亜季は小さいながらも彩り豊かな「思わずお手本にしたくなる」力作なのだが。


「國丸デパートの経営者も地元消防の責任者もなんか下手ないい訳ばっかりしてるらしいからな、余計に騒がれてる感じはするな」


 夏彦の言葉を受けて、大和が答える。

 実際、大和が「銭ゲバ」と評した國丸デパートの名物社長はあの手この手の言い訳を重ね、遂には泣き落としまで駆使して責任逃れしようとしているらしいし、地元消防の責任者も「立ち入り検査の時は問題なかった」の一点張りだった。

 事態が沈静化するのはまだまだ遠そうだ。


「その後、薫子さんの具合はどう?」

「ピンピンしてるよ。足も全治二週間の捻挫とか言われてたけど、もう普通に歩いてるし」

「え、それ本当に大丈夫なの? 無理してない?」

「俺もそう思ったんだけど……あいつ、昔から怪我の治りは異様に早いんだよ。昔、包丁で指をざっくり切った時も、数日後には綺麗に治ってた」

「薫子ちゃんの神秘だねー。きっと薫子ちゃんの体には永遠の美貌を保つ凄い秘密が……そうだ、凄いで思い出した。薫子ちゃん、市から感謝状貰ったんでしょう?」

「……亜季、その話題は、ちょっと」

「あ、ごめん……」


 そうなのだ。薫子は火災発生時率先して避難誘導を買って出たり、迷子を捜す為に自分は最後まで火災現場に残っていたりした事などから、市から「人命救助への功績」という名目で感謝状を贈られていた。

 当初は市庁舎で表彰式が行われる予定だったらしいが、薫子は怪我を理由にそれを固辞し、自分の名前も公表しないよう求めていた。その為、一部報道で「一般女性、避難誘導で多くの命救う」等と取り上げられるに留まっていた。


「薫子ちゃん、目立つの嫌いだもんね……」


 普段の薫子自身の「派手」な言動をかんがみると、亜季の言い回しには大いに語弊があった。だが実際、薫子は極端に「世間一般に自分の存在がアピール」される事を避けている節があった。


 何せあの外見なので、薫子は放っておいても目立つ。その為か、昔から地元タウン誌やらどこぞの雑誌やら、果てはテレビ局などの取材やスカウトに目を付けられることがあったようなのだが、そのいずれもきっぱりと断っていた。

 本人曰く「顔出しNG・匿名希望」らしい。

 昔はその話を伝え聞いて「もったいない」等と思っていた大和だったが、後々になって、もしかすると薫子が自分の名前と顔を世間に広めたくないのは、未だ名も知らぬ自分の父親の事と関係しているのではないかと思い当った。


 薫子から父親の話を聞いた事は一度もない。

 幼い頃、一度だけ尋ねた事があったが、その時の薫子の心底悲しそうな、辛そうな表情を見てしまって以来、二度と父親についての話はしていない。きっと深い事情があるのだろう、と大和は子供心に思ったものだが、もしかすると薫子は何らかの理由で大和の父親のもとから逃げて来たのではないか、と今は思っていた。

 だから、名前と顔が雑誌や新聞、テレビなどで世に広まってしまう事で、居場所を突き止められてしまうのを恐れていたのではないか、と。

 何にせよ、大和はこの仮説を確かめるつもりは毛頭ないのだが。


「そういえば、大和は体調大丈夫なの?」


 場の空気を変えようとしたのか、夏彦が別の話題を向けた。


「ん? ああ、俺は現場に踏み込んでないから、何ともないよ」


 「自分がサムライの力で薫子を救った」事実を、大和は夏彦にも亜季にも話していなかった。

 少しだけ後ろめたかったが、何やら厄介事に巻き込みそうな予感がしていて、話す気にはなれなかったのだ。実際、サムライに関する情報の一部は国家機密に準ずるという話もある。


 体調に関しては嘘はない。

 「サムライの力」を振るった事で何か副作用のようなものがあるかもと身構えていたが、体に不調はない――不調はないのだが、大和の身には「ある変化」が起こっていた。


「――あ、いっけない! 次、体育の授業だよ! 大和くん達もでしょ? すぐ着替えないと!」


 言いながら手早く弁当箱を片付け、いそいそと立ち去る亜季。時計を見ると、確かに昼休みももう残り少ない。

 男子はすぐ着替えられるからまだ余裕があるが、女子は色々と準備があるのだろう。ちなみに、体育の授業はクラス合同で行われ、大和達のクラスは亜季のクラスと一緒だった。


「ちょっと早いけど僕達も行こうか」


 夏彦に促され、大和達も少し早く更衣室へ向かう事にした。

 「更衣室」と言っても、男子はただ単に鍵のかかる空き教室を宛がわれているだけで、きちんとした鍵付きロッカー完備・覗き対策万全の女子更衣室とは雲泥の差なのだが、どちらの着替えが狙われやすいかを考えればそれもやむを得ない事だろう。


 ――その日の体育はサッカーだった。

 当然の事ながらチーム分けの際にはサッカー部員が引っ張りだこになり、次期エース候補である夏彦などは最後までどちらのチームに入れるのか揉めに揉めていた。


「今回は敵同士だね、大和」

「……そうだな」


 結局、大和と夏彦は別チームとなった。いつもなら「頼もしい友が最悪の強敵に」等とわざとらしく嘆く大和だったが、今の彼には別の懸念があった。


 バランス良くチーム分けした結果、試合は拮抗した展開を見せた。

 夏彦らサッカー部員も本気を出さず軽く流していたのだが、体育教師はそれがお気に召さなかったらしく試合も終盤を迎えた頃に「本気を出せ! 本気を!」等と野次を飛ばしてきた。仕方なく、サッカー部員達が本気を出し始めると、試合は大きく動き始めた。流石はサッカー部員といったところだろう。やはり、動きの質が他の生徒とは全く異なっていた。

 中でも夏彦の動きは異彩を放ち、中盤で自らボールをインターセプトすると、そのまま怒涛の勢いで敵陣へと駆け上がっていった。


 時に鮮やかに、時に強引に敵ディフェンスをかわす夏彦の姿は、素人目で見ても頭一つ技量が飛び抜けていた。あっと言う間に敵陣深くへと切り込んでいき、遂にはゴールキーパー――大和と一対一の形となった。

 大和も運動神経には自信のある方だったが、ことサッカーにおいては夏彦の技量に敵うはずもない。勝負は目に見えている――はずだった。


「――え?」


 その驚きの声は、一体誰のものだったのだろう。その場にいる全員が、に、驚愕していた。


 夏彦を迎え撃つべく前へと駆けだした大和。夏彦はそれを華麗なドリブルで躱し直接ボールをゴールへと運び込んだ――はずだった。しかし、ボールはゴールネットを揺らしてはいない。ボールは……大和の手の中にあった。


 大和は、何も特別な事はしていない。すれ違いざま、夏彦からボールを奪っただけだ。

 しかし、その手並みが鮮やか過ぎて――何より、あの夏彦からいとも簡単にボールを奪ったその事実に、周囲は唖然としていた。夏彦も一体何が起こったのか、未だに理解出来ずにいた。


(――ああ、やっぱり)


 一人、大和だけが納得を得ていた。

 あの火災の日、「サムライの力」を振るってから生じ始めた違和感。ゆっくりと、だが確実に自分の心身に根付きつつあった「何か」。その正体が、今ようやく分かった。それは――。


「おいおい、見ろよ! すっげー車!」


 その時、怪我や病気を理由に見学していたはずの数人の男子生徒達が、にわかに騒ぎ出した。何やらしきりに校門の方を指さしている。

 大和のスーパープレイに我を忘れていた他の生徒達も何事かとそちらを見やる。


 校門の前に、見るからに高そうな黒塗りの自動車が停まっていた。車種までは分からないが、普通の車より胴体の長い、恐らくはリムジンだろう。おおよそ普通の公立高校には似つかわしくない車だった。

 見れば、そのリムジンの前で校長と教頭が揃ってお出迎えしていた。遠目にも非常に緊張しているように見える事から、リムジンに乗っているのはよほどのお偉いさんらしい。

 「いかにも」と言った風体の初老の運転手がまず先に降り、うやうやしく後部ドアを開ける。一体どんなVIPが出てくるのやら、と生徒達が固唾をのんで見守っていると――。


「げっ――」


 予感が無かったと言えば嘘になるが、それでも大和は驚きのあまり知らず知らずに声をあげてしまっていた。

 リムジンから姿を現したのは、小柄な体を高級そうな着物に包んだ少女と、遠目にも「凛」とした雰囲気を感じさせるセーラー服の少女――七條姫子と鳳百合子の二人だった。

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