7.君の名は
ようやく到着した数台の消防車が、消火作業を始めていた。だが、火の勢いは留まる事を知らず、周囲の建物への延焼を防ぐので精一杯といったところだった。
救急車はピストン輸送で怪我人を運び続け、薫子も次に来る車両で病院へと運ばれる事になった。だが――。
「もー、信じられないー」
あの後、勢いよく六階の高さから飛び降りた大和(と薫子)だが、特に怪我も無く無事に地上へと辿り着いていた。言うまでも無く、これも霊力の加護とやらの賜物である。
ビル内を駆け回っている最中に気付いたのだが、信じ難い事に、どうやら霊力はある程度「慣性制御」に近い事が可能なようだった。凄まじい加速にも拘らず、周囲に突風の一つも起きない不思議。超高速状態から一瞬で静止出来るという、恐るべき制動力。身体能力の強化というだけの話ならば説明が付かない、これらの不可思議な現象の答えがそれだった。
大和のその考えはどうやら正解だったようで、六階から飛び降りた後、減速を強く意識する事で、落下の加速度を大きく減らす事が出来た。
もっとも、そうとは知らない薫子は息子の奇行に恐怖し、軽く失神してしまったのだが……その結果がこの不機嫌である。今もまだ軽く腰が抜けているらしく、地面にへたり込んだままだ。しかし――。
「……まあ、でも。ありがとう、大和。助けに来てくれて、本当に嬉しかったわ」
「――っ!」
いきなり口調を改め、「大人の女の笑顔」を浮かべて感謝を述べた薫子の「不意打ち」に、大和は頬が赤くなるのを隠せなかった。普段はちゃらんぽらんな薫子が時折見せる、年相応な表情は大和の弱点の一つなのだ。
「ほんに、初めてにしては上出来じゃったぞ!」
そして親子の会話にしれっと混ざっている姫子。
どこから持ち出したのか、これまた高そうな扇子をパタパタと扇いでいる。着物や刀袋と同じく、こちらも花柄で揃えてある所になんとも拘りを感じた。
「あー、その、なんだ――ありがとう。お蔭でコイツを助ける事が出来た。この恩は一生忘れない」
何と言えばいいのか迷った大和だったが、結局、ストレートに感謝の言葉を伝える事にした。きっと、いくら言葉を尽くしても、この気持ちを伝えきる事など出来はしない、と。
「なんのなんの、姉君が無事で何よりじゃ!」
相変わらず偉そうにしつつも、大和の真っ直ぐすぎる感謝の言葉に照れたのか、姫子はしきりに扇子をパタパタとさせていた。
……ちなみに、例に漏れず姫子は薫子の事を「大和の姉」だと思い込んでいたが、訂正しようとすると薫子が謎の茶々をいれて邪魔するので、大和ももう放置していた。
「……でも今更なんだが、あれって『サムライの力』なんだよな? 俺、前にサムライの事前適正審査受けたけど、その時はあっさり落ちたんだが……」
時間限定だったのか、今はもう感じられないあの不思議な力――霊力の加護を思い出し、大和が尋ねた。
「ああ、それはの――」
「『巫女』の力よね、姫子ちゃん」
「おうよ、弟と違って姉君はよくご存じだのう――って、おや? 何故私の名を? まだ名乗っておらんよな?
……まあよい。そう、お主の力を目覚めさせたのは私の『巫女』の力――」
「いやいやいや、『まあよい』じゃないだろう!? なんでこいつの名前知ってるの!?」
「あらあら、女の子の話を遮って自分の話ばかりしようとしちゃ駄目よー、やまとー。モテないわよー」
「ほっとけ!」
すっかりいつものちゃらんぽらんさを取り戻してしまった薫子に、場のペースはすっかり乱されてしまった。傲岸不遜な姫子も、薫子の独特過ぎる雰囲気にあてられたのか、二の句を継げず口をパクパクとさせている。
そしてそうこうしている内に、薫子を運ぶ救急車が到着してしまった。
「む――話の続きはまた今度じゃ、さ、姉君に付き添ってやるがよいぞ」
「え、でも連絡先も何もまだ教えて――」
「よいよい、もう覚えたからの。じきにこちらから伺おう。それにな、早くこの場を離れた方がよいぞ?」
そう言って、手に持った扇子で國丸デパートの上空を指し示す姫子。その先にあるモノを見て、大和は仰天した。
「なんだ……あれ」
「それ」は、國丸デパートから立ち昇る煙と熱気を集め、ゆっくりとその身を太らせているように見えた。
ぼんやりとした輪郭。まるで幻を見ているかのように不確かな存在感。だが、「それ」は確かにそこにいた。
「――火の、車?」
「それ」は確かに「火の車」としか言いようがないものだった。鈍く赤く燃える炎が車輪の形を成し、中空に浮いていた。人間大の、「火の車」が。
だが、大和達以外の人々はその存在に気付いていないようだった――いや、そもそも何かがおかしい。改めて周囲を見回して、大和はその違和感の正体に気付いた。
「野次馬が、いない?」
そう、周囲にいるのは消防隊員と救急隊員、そして國丸デパートから離れた場所にまとめられた搬送待ちの怪我人達、それだけだった。大和がデパートに突入する前には、沢山の野次馬達がいたはずだが……。
「何、簡単な事よ。お主がデパートの中に突入している間に、ようやく警察が到着してな。
その姫子の言葉と同時に、大和達の前に五人の人影が音もなく現れた。
「火の車」から姫子や大和達を護るように立ちはだかった彼等は、体格も服装もバラバラだったが、ある一つの共通点があった。皆一様に、鞘に納めた「日本刀」を携えていた。
つまりは、彼等こそが本物の――。
「サムライ……」
ほぼ無意識に呟いた大和の視線は、サムライの内の一人に釘付けになっていた。
他のサムライよりも小柄な体をセーラー服に包んだ、その少女。細身ながらも安定感を感じさせるその立ち姿は凛々しいという言葉が相応しく、しかしそれでいて女性的な柔らかさをも併せ持っていた。茶色がかった黒髪は生来の物で、長く伸ばしたそれをやや高い位置でポニーテールにしており、どこか昔の武士を思わせるが、同時に少女としての可憐さも感じさせた。
大和にとって、見間違うはずがないその後ろ姿、それは――。
「探したわよ、姫。それと……」
少女が振り向く。
意志の強さを感じさせるキリッとした眉と眼差し、キュッと結ばれた口元、大きな瞳の色は青に近い黒。常に凛とした表情を崩さぬ彼女だが、たまに見せる笑みはその名に恥じぬ、可憐な花のようである事を、大和は誰よりもよく知っていた。
「……災難だったわね、大和くん、薫子さん」
澄んだ鈴の音のような声で大和の名を呼ぶ彼女こそ――
「百合子……」
大和が恋い焦がれる少女、
「さあ、薫子さんを早く病院へ……あとは、私達の仕事よ。『
「アラミタマ」というのは、あの「火の車」の事だろうか。
色々と聞きたい事、話したい事があったが、百合子の言う通り、今は薫子を病院へ連れていく事が先決だった。救急隊員と共に薫子を救急車に運び込み、後部ドアが閉まるその直前――
「――ちょっと格好良かったよ」
そんな百合子の声が聞こえた気がした。
大和達を乗せた救急車が走り去るのを見送ると、百合子は再び「火の車」――いや「荒魂」に向き直った。
「……なんじゃ、あやつ百合子の知り合いだったのか?」
「……身内みたいなものよ」
姫子の質問に、百合子が背中越しに答える。その表情は窺い知れない。
「……ふむ、まあよい。さて、色々と予定が狂ったが――各自、抜刀! 見ての通りの大物じゃ、しめてかかれよ!」
姫子の号令と共に、サムライ達が日本刀――霊刀を鞘から抜き放つ。瞬間、膨大な量の霊力が彼らの体を包んだ。いずれも先ほどの大和と同じか、それ以上の規模だった。
――今、現代のサムライ達の戦いが始まろうとしていた。
(第一話 了)
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