10.とある家族の肖像

 おおとり家は代々に渡り霊皇の守護に当たってきた、由緒ある一族だった。

 その歴史は長く、幕政の時代にあっても常にサムライを代表する名家として一定以上の存在感を持っていた、ある意味サムライの代名詞とも呼べる家柄の一つだ。


 その鳳の宗家の、唯一の男子として生まれたのが鳳康光であった。

 幼少の頃こそ、分家に生まれた同い年の天才・功一郎の後塵を拝する事となったが、サムライとしての力に目覚めて以降は、その潜在霊力の高さと質実剛健な剣技が評価され、次代を担う男として周囲の期待を一身に集めていた。


 康光自身も周囲の期待に応えるべく愚直に努力を重ね、やがて功一郎と共に近年まれに見る名剣士へと成長した。己の自由意志などではなく、あくまで一族の栄誉の為に自らを鍛え上げる――康光はそういう男であった。

 ――だが、その康光が一族の反対を押し切り、唯一我を通した事があった。自らの結婚相手選びである。


 康光が選んだ女性は、名をアリスと言った。無論、日本人ではない。英国からの留学生であった。同地でも珍しい、見事な金髪碧眼を持つ美しい女性だった。

 二人の馴れ初めについては本人達が頑として語らず、唯一事情を知っている功一郎も口を開かなかった為不明であったが、お互いの一目惚れであったという。

 朴念仁の康光がまともな恋愛をしたとあって、友人達は大いに祝福したが……鳳宗家はそれを快く思わなかった。


 サムライと巫女にとって最も大切な使命は、血脈を守る事である。

 近親婚を避けつつ、霊力の高い家柄同士で縁組し、次代により強いサムライと巫女の血を遺す事こそが至上とされた。

 康光にも内々に決められた婚約者がいた程だ。

 だから当然、鳳宗家は康光とアリスの仲を引き裂こうとした。結婚などもってのほかであった。


 だが康光は頑として譲らず、一族の長老達と真っ向から対立する事となった。

 ――それをおさめたのは、当時即位したばかりの今の霊皇の一言であったという。


「良いではないか。それにそのアリスとやら、?」


 霊皇の見抜いた通り、アリスはとある特殊な一族の出身であった。

 俗に「魔女」と呼ばれる、過去に英国の霊脈を統べた者達の血を引いていたのだ。

 とは言え、「魔女」の技は既に失われ、その血脈だけが残っているのが実際だったようで、アリス自身には何の力も無かったのだが……。


 とにもかくにも、霊皇の鶴の一声でアリスは無事に鳳家へ嫁入りする事となった。

 そして数年後生まれた長女・桔梗は、類い稀なる巫女の才覚を持つ事となり、霊皇の言葉を裏付ける結果となった。

 更にその五年後、今度は次女・百合子が生まれた。こちらはサムライとして高い素質を持つ事が判明し、女だてらに父を超える剣士になるのでは、と周囲の期待を集めた。


 康光一家にとって、この頃が最も幸せな時期であっただろう。

 だがその幸せは、突如として終わりを告げる事となった。


 今から十二年前の事である。何度目かの再開発に沸く幕張の工事現場で、不審な事故が相次いだ。

 警察や消防の検証でも原因が究明出来ぬ一連の事故は、御霊庁の捜査により荒魂の仕業である事が判明した。

 本来、幕張の地には重要な霊的要衝スポットは無いはずだが、折しも荒魂が活動期にあり――何より、「ケースM」の発生が懸念されていた。


 御霊庁は幕張に大部隊を派遣し、大規模な荒魂掃討作戦を開始。更にその裏で、精鋭部隊による「ケースM」探索が行われた。

 三日間に渡る荒魂掃討作戦は熾烈を極め、多くの負傷者を出したものの成功裏に終わった。だが、「ケースM」についてはその尻尾も掴めず、作戦は失敗に終わった――かに思われた。


 現場指揮を担当していた御霊庁幹部は、過去のケースと照らし合わせ「ケースM」の犯人が大部隊を警戒して逃走したのだと判断。霊皇や御霊庁本部にはからずに、作戦の終了を決めてしまった。

 そればかりか、「三日間奮闘した職員達へのサプライズ」と称して、サムライや巫女達の家族に「幕張の現場まで迎えに来てほしい」との連絡を寄越していたのだ。

 どちらも異例と言える措置だった。本部に相談もせずに作戦を終了する事も、家族とは言え一般人を現場に近寄らせる事も。


 この事から、同幹部は既に人知れず「ケースM」の犯人の操り人形になっていたとする説が有力だが、残念ながら真実は不明である。何故ならば――その幹部は真っ先に「ケースM」の犯人が演出する惨劇の犠牲となったからだ。


 惨劇の起こるその少し前の夕刻。臨時の現場指揮所となっていた幕張のある空き地には、指揮官の詰所代わりのパイプテントが未だ片付けられぬまま連なっていた。

 そしてその内の一つに、康光と娘の桔梗の姿があった。

 桔梗はまだ九歳と正真正銘の子供であったが、その先視さきみの能力は霊皇以外のどの巫女よりも優れており、数年後には皇位継承権第一位を授かるだろうと言われていた。

 「ケースM」をも含んだ大規模作戦にあたってその力が必要とされ、父の康光と共に任務に就いていたのだ。


「――桔梗、流石にもう疲れただろう。先に送ってもらってはどうだ?」


 あくびをかみ殺す愛娘に、康光が声をかける。本人は極めて優しく話しかけているつもりだったが、地声のドスがきき過ぎているので、知らぬ者が聞いたら叱りつけているようにも捉えたかもしれない。


「いいえ、お父様。わたくし全然へっちゃらですわよ? お父様こそお疲れでは?」


 もちろん、娘である桔梗は父親のおっかない声色が実際には極めて気を遣ったものだと理解しているので、怯えるどころか反対に気遣いを返すくらいだった。

 宗家の長女として、力ある巫女として育った彼女は、既に大人に近い分別を身に付けていたが――本当は疲労の極致にあるのに強がってみせる所などは、年相応に子供っぽいとも言えた。


「俺はまだ大丈夫だ。流石に霊的直感は鈍っているが、体はまだ動く。後片付け位は手伝っていくさ」

「まあまあ、お父様は働き者ですわね。働き過ぎて体を壊してしまわないか、桔梗は心配でございます~」


 「よよよ」と泣き真似をする桔梗に、康光は思わず苦笑を浮かべる。

 疲れ切ってもう巫女の力も満足に働かないだろうに、そんな素振りを見せようとしない娘を頼もしく思うと同時に、無理にでも休ませなければと考えていた。そんな時だった。


「アナタ~、キキョウ~、ママがお迎えに来ましたヨ~」


 未だ荒魂討伐任務後の殺伐とした雰囲気が漂う現場に、底抜けに呑気な声が響いた。


「ア、アリス!?」

「あらあら、お母様? どうしてこちらに?」


 不思議がる康光と桔梗であったが、見ればアリスと同じく任務に就いていた家族を迎えに来たと思しき人々の姿があちらこちらに見受けられた。そこいら中で驚きの声が上がっている。

 その光景に一種異様な違和感を覚えた康光だったが、彼自身疲労の極致にあった事と、思いがけず愛する妻の顔を見られた事で気が緩んだのだろう、すぐに他の事に気を取られてしまった。


「百合子はどうした?」

「ユリちゃんはコーイチローさん夫妻に預かってもらいマシタ~。バンゴハンを用意して待っててくれますヨ~」


 なんとも間延びした妻の口調に、康光は思わず嬉しい苦笑いをこぼした。

 出会った頃はもっと硬い日本語をしゃべっていたはずだが、年々緩い口調になっている。特に最近では、功一郎の家の居候である薫子という若い娘さんの極めて緩い口調がうつってきていて、加速傾向にあった。

 薫子には百合子と同い年の子供がいるようで、アリスにとっては仲の良い「ママ友」の一人らしい。


「ささ、早く帰ってゴハンにしましょー! コンバンは、キキョウの大好きなミズタキですよ~」

「いや、ちょっと待ってくれアリス。まだ後片付けがあって――」


 言いかけた所で、ふと康光の脳裏に先程感じた違和感が蘇った。

 作戦終了が告げられてからまだ間もないのに、何故任務に就いていた人々の家族がこんなに沢山迎えに来ているのだろうか? そもそも、任務終了後とはいえ現場に家族を呼びつけるなど、御霊庁らしからぬ対応なのではないだろうか――?


「――お父様!」


 その時、桔梗が青ざめた顔で康光を呼んだ。疲労により薄れていた霊的直感でも感じ取れる何か危険な気配が、すぐ近くで突如として膨らんだのだ。

 その近さ故に、康光もその危険な気配を察知していた。それはすぐ近く、康光達のいるパイプテントの向かい側――作戦の指揮を務めた御霊庁幹部のテントから発していた。


「なっ――」


 功一郎は見た。

 先ほどまで平静に振る舞っていたはずのその幹部の顔から、一切の表情が消えているのを。口はだらしなく開き、その目には何の光も映ってはいなかった。

 そして感じた。

 幹部の体から先程までは全く感じなかった、膨大な負の霊力が炸裂しようとしている気配を――!


「全員、伏せろ!!」


 あらん限りの声を振り絞り叫ぶと、康光は桔梗とアリスの二人を庇うようにしてその場に伏せた。逃げる暇も霊脈接続している時間も無い。ただ体を伏せる事しか出来ない、ほんの刹那の後。

 ――幹部の体が、



   ***


「――康光さんが庇ったお蔭で桔梗ちゃんはほぼ無傷。康光さん自身は重傷を負ったけど、サムライ本来の頑強さが幸いして一命はとりとめた。でも、アリスさんは……」


 そこまで語り終えて、彼女――八重垣やえがき薫子は口をつぐんだ。

 その先は大和にも想像がつく。「幕張事件」は死傷者あわせて数十名の大惨事であったはずだ。それに、以前鳳家の墓に参った時、墓碑に刻まれていた「鳳アリス」の命日は、大和の記憶が確かならば「幕張事件」と同日であったはずだ。

 つまり、その爆発でアリスは――百合子達の母親は、死んだのだ。


「その後どんな事があったのか、詳しくは私も知らない。ただ、康光さんは御霊庁と折り合いが悪くなったのと、何か大切な目的が出来たとかで海外に出奔しゅっぽんしたの。桔梗ちゃんを連れてね。そして百合ちゃんは……そのまま功一郎さん達に引き取られる事になったのよ――あんまり驚いてないね? 大和」

「……まあ、なんとなく、さ」


 そう、大和は何となく察していたのだ。「百合子は功一郎達の実の娘ではない」という事を。

 百合子は、功一郎にもその亡き妻にも全く似ていない。親子関係はすこぶる良好ではあったが……逆に言えば、

 そして、つい最近出会った百合子とよく似た容姿を持つ桔梗の存在と、彼女の父親である康光。彼らに向けられているであろう、百合子の複雑な感情……それらを勘案すれば、得られる答えの選択肢は決して多くは無いだろう。


「康光さんがどんな目的を持って日本を出ていったのかまでは、私は知らない。功一郎さんもそれは教えてくれなかった……。でも、百合ちゃんを連れて行かなかった理由は――分かるよね?」

「そりゃあな……」


 当時、百合子はまだ四歳だ。康光の口振りからは、彼の海外生活は何かと危険が多いらしい事が窺える。そんな旅路に四歳児は連れていけなかったのだろう。桔梗については……彼女の性格上、無理矢理ついていった、と言うのが正解なのではないだろうか?


「それでね、康光さんが出奔したから、鳳宗家の後継者は必然百合ちゃんになったの。百合ちゃんがあれだけ真面目なのは元々の性格もあるんだろうけど、どちらかと言うと責任感と……お父さんに置いていかれた悔しさ、なんだろうね。

 ――さ、これで薫子ちゃんの話せる事は終わり。質問は受け付けませ~ん!」


 長い話が終わると、薫子はようやく「シリアスモード」から普段のおちゃらけた口調に戻った。彼女なりに気を遣ったのだろう。


「……ああ、話してくれてありがとう、


 それだけ言って、大和は大きく息を吐いた。


 ――今、大和達がいるのは滞在先のホテルの一室である。

 あの後、康光達は百合子を顧みる事無く、ミナカタ本体を追ってその場を去ってしまった。

 呆然自失とする百合子をよそに、獅戸が沖縄支部に連絡をつけ救急車や人員を手配。負傷した喜屋武きゃんと竜崎を病院へと急ぎ搬送した。卯月もそれについていった。

 大和達は、獅戸の下手くそな運転でとりあえずホテルへと戻る事が出来た。その間、百合子は一言も喋らず、ホテルに着いてからも一言「休みます」とだけ告げて自室に籠ってしまった。


 そんな百合子の様子から何かを察した薫子が、「話したい事がある」と大和に告げたのがほんの数十分前の事だ。

 薫子は、「いつか百合ちゃんが康光さんと再会した時、もしその傍に大和がいたら伝えてほしいと功一郎さんに頼まれていた事があるの」と、康光一家にまつわる悲劇を大和に聞かせたのだ。

 ――薫子自身、アリスとは仲が良かったようだから、辛い思い出だったろうに。


 康光の目的とやらは分からないが、それがどんなに重要な事だったとしても、一人置いていかれた百合子の気持ちを考えれば納得できるものではないのだろう。

 父親が出奔した事でその身にのしかかったであろう「鳳宗家の跡取り」という重圧以上に、父を想う娘の心情として、だ。

 百合子の流した涙を見れば分かる。彼女は、今でも父親を尊敬し愛しているのだろう。だからこそ、自分を置いていった父と姉に、あそこまでの激情を向けたのだ。


 ――そんな彼女に対し、自分は何が出来るのだろうか?

 そう自問した大和の脳裏に、いつぞやの功一郎の言葉が蘇った。


『あの子が進もうとしている道は……とても厳しい道だ。だからもちろん、同じ道を歩んでくれる人が傍にいれば心強いのは確かだと思う。でもね、「傍で支える」というのは、何も同じ戦場に立って戦うという事だけではないんだよ。色んな形があるんだ』


 果たして、自分に百合子を支える事など出来るのだろうか? そんな弱気が大和の心を支配しかけた、その時だった。


「た、大変じゃあ!!」


 姫子がノックもせずに部屋へと飛び込んできた。普段ならば姫子のノーマナー振りに苦言を呈するところだが……彼女の慌てようは尋常ではなく、大和も何事かと思わず身構えてしまった。


「ど、どうした姫!? 今度は何があった?」

「おおおおお落ち着いて聞け、大和!」


 「まずはお前が落ち着け」と言いかけた大和だったが、姫子の剣幕に押され口をつぐむ。


「百合子が……百合子がいなくなったのじゃ!」

「――なっ!?」

「さっき嫌な予感がして様子を見に行ったら、部屋にこれが……」


 絶句する大和に姫子が何やら差し出す。それはホテルの部屋に備え付けられたメモ帳の切れ端であった。

 そこには、百合子の筆跡で「ミナカタを追います」と書かれていたのだった――。

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