9.仮面の男

 サムライと巫女の起源については諸説あるが、中でも有力なのは、かつて大陸に存在した「仙人」を大元とする、というものだ。

 仙人とは、修行の末に様々な神通力じんつうりきと不老不死を身に付けた超人の事を指すが、彼らの最終目標は天地――つまりはこの地球、ひいては宇宙と一体となる事であったとも伝えられている。


 殆どの仙人達は古代には大陸から姿を消したが、ほぼ同時代に日本では初代の巫女が姿を現していた。その二つの事実に因果関係があるのかは未だもって不明であるが、多くの研究では、仙人とサムライ・巫女の能力には共通する部分が多い事が判明している。

 ――仙人達が持っていた予知や霊脈を統べる能力は巫女に。

 ――超常の武力はサムライに。

 それぞれ引き継がれたとするのが、現在の定説であった。


 そういった意味では、サムライと巫女の力を併せ持つ「戦巫女」は、仙人の再来と言えるのかもしれなかった――。


「――とは言え、戦巫女は他のサムライと『同調』する事も出来ん。完全なという奴じゃのう。じゃが……その分、霊力量は他のサムライの追随を許さん」


 姫子の言葉通り、今、大和の目の前で霊脈接続した獅戸の霊力は、今までに出会ったどのサムライよりも強力であった。あの康光よりも、だ。


「こんなの……反則じゃないか」


 思わずそんな言葉を漏らす大和だったが、百合子と姫子がすぐさまそれを否定した。


「戦巫女は正に規格外なの。強力な力を持っているけれども、その分霊力のコントロールは並のサムライの比ではない程難しいし……。並の霊刀では戦巫女の霊力には耐えられない。相当な業物か……年代を経た古刀のように、存在そのものが神秘に近付いている代物じゃないと、先生は十全の力を発揮できないのよ」

「エンジンパワーが強すぎてコントロールがピーキーなスポーツカー、と言ったところじゃのう」


 相変わらず例えは悪いが分かりやすい姫子の言葉に、大和は思わず苦笑をもらした。なるほど、戦巫女は確かに強力だが、強いには強いなりのリスクがある、という事か。

 ――しかし、そんな強力な戦力が、何故高校教師との二足の草鞋わらじなど履いているのだろうか?


「――おしゃべりしている暇はありませんよ? 敵さん、もうやる気満々です」


 獅戸の言葉に黒い渦――負の霊力の塊に再び注意を向けると、いよいよ荒魂あらみたまが形を成そうとしていた。

 その形は、日本の怪談によく出てくる「足のない幽霊」そのものであった。曖昧な輪郭を持った人間の上半身の上には、ミイラを思わせる不気味な顔面が鎮座している。

 だが、その大きさは人間サイズよりも遥かに大きい。全長十数メートルにも及ぶかという巨大さだった。これではもう、荒魂というよりも巨大怪獣と言った風情だ。


「――来るわ!」


 百合子が叫ぶと同時に、荒魂が動いた。


オン!』


 荒魂から、おおよそ人間には発声不可能であろう、地獄の底から響き渡るような重低音が発せられると同時に、負の霊力が強力な衝撃波となって爆発した!


「姫、俺の後ろへ!」


 とっさに姫子を背中に庇い、大和は前方に守護結界を集中させる。その刹那、凄まじい衝撃が大和達を襲った。


「ぐっ!?」

「八重垣くんはそのまま七條さんの護衛を! 鳳さん、左右から仕掛けますよ!」

「了解です!」


 姫子の護りを大和に任せ、獅戸と百合子が地を駆ける。未だ止まぬ負の霊力の突風を物ともせず、一瞬にして荒魂に肉薄するが――敵もただ黙って接近を許しはしない。

 枝葉の生い茂る大木の如き荒魂の両のかいなが、亜音速で二人に迫る!

 だが、百合子も獅戸も、当然その動きは予測済みであった。


 百合子は大木のような荒魂の腕を恐れもせず、掻い潜るようにその一撃を躱してみせた。

 そして獅戸は――。


『ハイッ!!』


 気合一閃。長巻を横薙ぎし、荒魂の巨大な腕を真正面から打ち破ってみせた。技もへったくれもない、文字通りの力技である。

 二人はそのまま荒魂の本体に肉薄し――。


っ!』


 タイミングを合わせて左右から強烈な斬撃を浴びせた!


「や、やった!」

「……いいや、まだじゃ」


 二人の鮮やかな連携攻撃に思わず声を上げる大和だったが、意外にも姫子が冷静にそれを制した。

 見れば、獅戸と百合子、二人の強烈な斬撃を受けた荒魂は、その身体を一部欠けさせはしていたが、本体は未だ健在であった。

 霊力量が多すぎて、荒魂の弱点たる「霊核」に全く攻撃が届いていないのだ。


「……呆れたタフさですね」

「『ケースM』の産物は伊達ではない、という事ですねぇ」


 百合子と獅戸は、斬撃が効果なしと見るや否や、迷いなく後退し荒魂から距離を取っていた。

 左右から彼女らの斬撃がクリーンヒットしたというのに、敵の守りはびくともしていない。闇雲に攻撃を加えても意味がないと判断したのだ。


「時間をかければ倒せないでもないでしょうが……七條さんの仰る通り、集落の方に剣呑な気配を感じますねぇ……。やむを得ません、で一気に決めてしまいましょう♪」

「え、先生……それは、まさか――」


 百合子の顔色がさぁっと青ざめる様が、後方の大和にも伝わった。獅戸の言う「大技」という響きには、確かに危険すぎる何かが込められているように、大和にも感じられた。


「あ~、先生! せめて慰霊碑は壊さぬようお願いしますぞ!?」

「了解です♪」


 何やら諦めたような風情が漂う姫子の言葉に、獅戸が実に楽しそうな声色で了承を返す。一体、これから何が起こるというのか?


「では鳳さん、時間稼ぎをお願いしますね♪」

「……了解」


 渋々と言った様子で頷くと、百合子は一人荒魂を翻弄すべく駆け出す。

 それを見届けた獅戸は長巻を上段に構えると、精神を集中し始めた。途端、烈火の如く激しかった獅戸の霊力が、穏やかな水面のような静謐せいひつさを湛え始めた。

 そして霊力がただ一箇所に――獅戸の構える長巻の、長大なる刀身へと集まり始めた。そのあまりの霊力の密度に、やがて刀身は青白い光を放ち始める!


「――参ります、偽剣ぎけん破山剣はざんけん!」


 言霊と共に獅戸が長巻を横薙ぎに振るったその瞬間、刀身に蓄えられていた霊力が一気に開放され、青白き波濤はとうとなって前方へと放たれた。

 レーザービームの如き青白き波濤は超音速で荒魂へと殺到し――霊核ごとその身体を一瞬にして打ち砕く! ――ばかりか、その威力に耐えきれなかったのか、周囲の大地がめくり上がるように崩壊を始め、大量の土砂が空中へと巻き上げられていく。


「うわっ! ……なんだ、あのとんでもないの!?」


 獅戸の「偽剣・破山剣」の余波から姫子を庇いながら、大和が驚きを通り越して呆れたような声を上げた。

 ――全ての霊力を刀身へと集中させ、それを斬撃と共に一気に解き放つ。「破山剣」の理屈は実に単純であり大和も一目でそれを見抜いていたが……威力があまりにも出鱈目でたらめだった。

 もしやこれこそが、いつぞや竜崎から聞いた「山を一つ消し飛ばす秘剣」とやらだろうか? と――


「ふぅ……やはりまだまだには敵いません、か。慰霊碑以外はクレーターにする予定でしたが」


獅戸が実にとんでもない事を言い始めた。まだまだ本家には敵わない? クレーターにするつもりだった? 獅戸の剣呑過ぎる発言に、大和は二重の意味で戦慄を覚えていた。


「破山剣……古代に大陸から伝わったという、サムライの剣技の究極の一つ――を力技で真似たものよ、先生のは。本物の破山剣なら、この辺り一帯を消滅させる事も出来るはずだけれど……今のサムライには使い手は二人……いえ、一人しかいないわ」

「一人いるだけでもやばいだろ……世界が」


 百合子の説明を聞きながら、大和は改めて、自分達サムライの力の出鱈目さを実感するのだった。


「さ、呆けている暇はないぞ! 何やら集落の方から霊力の大きな乱れを感じる……急ぐぞ!」


 姫子に促され、大和と百合子、そして少々息を切らした獅戸は互いに頷きあうと、集落の方へと急ぐのだった。



   ***


「これはっ――!?」


 集落へと舞い戻った大和達の目に、驚愕の光景が飛び込んできた。

 集落の中心、広場となっている場所に、竜崎、卯月、喜屋武きゃんの姿があったが――。


「八重垣達か……遅かったな……ぐっ!」

「竜崎! 喋ってはいけませんわ!」


 卯月を背中に庇いながら何者かと対峙する竜崎であったが、その全身は血に濡れていた。

 頭から、肩から、胸から、足から……全身いたる所から鮮血が流れている――そしてその全てはによるものであった。

 それらは、竜崎が対峙する者から受けた傷に相違なかった。血塗れの霊刀を構える、その人物は――。


、どうして貴方が……っ!?」


 ――呼びかけてから、大和は喜屋武の異常にようやく気付いた。

 竜崎達相手に霊刀を構える喜屋武の瞳は、腐った魚のように白く濁っていた。口は半開きになっており、「知性的なゴリラ」のイメージはそこには皆無であった。

 明らかに正気ではない。


「四宮、何があった!?」


 姫子が――移動の為に大和におんぶされた状態のまま――卯月を詰問する。彼女にしては珍しい、余裕のない態度だ。竜崎の負傷に少なからず動揺しているのかもしれない。


「きゃ、喜屋武さんが……避難していなかった住民の方を見付けて、それで――」

「――姫! 大和君、後ろよ!」


 卯月の言葉の途中で百合子が叫ぶ。途端、大和の後頭部あたりに、何か穢らわしいものがまとわりつくような、不気味な感覚が生まれ――姫子をおぶったまま大きく横へと跳躍した。

 すると――。


『ホッホッホ、なかなか勘の良い嬢ちゃん達じゃて……』


 大和達が背にしていた石塀の陰から、が姿を現した。


「……なんだ、お前は……?」


 現れた何者かは、かりゆし姿の老人――に見えた。少なくとも、姿形はそう見えたが、それだけではない。大和達の目には老人の周囲に渦巻く、陽炎かげろうのような揺らぎが見て取れた。

 その為なのか、老人はその場にいながら実在感が殆どなかった。目に見えてはいるが、そこに確かにいるという実感が掴めないのだ。

 特に、顔の周囲は揺らぎが強く、目で顔の造形を捉えているはずなのに、どんな顔をしているのか全く認識出来なかった。


『見ての通り――』


 老人が一歩踏み出す。と――。


『ただの枯れた老人じゃてぇ』


 老人の姿が、一瞬にして大和達の背後へと移動していた。


「なっ――」


 あまりの異常事態に、その場の誰もが驚きの声を上げていた。

 超速度で移動した――という感じではなかった。移動の瞬間もその経路も、その場の誰も感じる事が出来なかった。老人の動きは、まさしく瞬間移動そのものであったのだ。


「――奴に、触れられるな! 喜屋武さんは、体を触れられた瞬間に意識を……っ」


 竜崎が絞り出すように警告の声を上げた。

 なるほど、喜屋武はあの老人の動きに虚をかれ、一瞬にして意識を奪われた、という事か――そうなると、老人の正体は最早明らかであった。


「貴様が――『ケースM』の犯人!!」

『ほほう、御霊庁ではそんな洒落た呼び方をしておるのか? ハイカラじゃがのう……儂には「ミナカタ」という立派な名前があるのでな、そちらで呼んではくれんかのう?』


 百合子の怒気を孕んだ叫びを軽く受け流すように老人――ミナカタがわらう。おぼろげな姿と同じく、その声もまたどこか実在感を欠いていた。


「皆さん、無理を承知で言いますが……常に距離を取って下さい。触られても終わりですが……それ以上に――」


 獅戸が今までになくシリアスな口調で一同に告げる。

 ――そう、ミナカタに近寄る事は二重の意味でリスクしか無かった。

 触れられて、喜屋武のように操り人形とされるか。

 近付いたところを「自爆」されて、諸共に殺されるか。


 唯一の活路は、「形態変化」により長大な霊力の刃を形成し斬りつけるか、獅戸が先程見せた「破山剣」のような大技を食らわせるか――つまりは遠間とおまからの奇襲である。だが――。


『どうした、来ぬのか? ならば儂から行くぞ? ぐふふ、霊皇候補に戦巫女、それに……ほほう、これはこれは、!』


 大和達がかかって来ない事に業を煮やしたのか、ミナカタが自ら攻めの姿勢を見せ始めた。そのおぼろげな身体から、負の霊力が――荒魂と同質のそれが立ち昇る。

 その霊力量は、先程大和達が戦っていた大型荒魂を遥かに凌駕していた。


(――化け物だ)


 正真正銘の化け物を前にして、大和の心が挫けそうになった、その時――。


「いいや、そちらの詰みだ」


 力強い声と共に放たれた何者かの一撃が、ミナカタの身体を貫いた。


『ぬおおおおおおっ!?』


 身体の中心を貫かれたミナカタが絶叫を上げる。

 ――そして大和が、百合子が、その場の全員が見た。ミナカタを貫いた一撃を放った、何者かの姿を!


「間に合ったようだな……」


 その人物は、民家の瓦屋根の上に居た。突きを放った姿勢でいる所を見るに、どうやらミナカタに放ったのは霊力を極限まで集中させた「突き」だったようだ。それが、槍のような鋭さを持って、十メートル近い距離から、ミナカタの身体を貫いたのだ。


「あ、貴方は――!」


 大和が驚きの――だが同時に安心したような声を上げた。

 そこにいたのは、いわおのような雰囲気をまとったスーツ姿の中年男性――おおとり康光やすみつその人であった。


 康光の一撃を受けたミナカタの身体から負の霊力が霧散し、やがて静かに地に倒れ伏した。まだ息はあるようだが、最早脅威は感じない。

 と同時に、喜屋武の身体も崩れ落ちる。どうやら、ミナカタの呪縛から開放されたらしかった。すかさず獅戸が駆け寄り「まだ息があります」と一同に告げた。


「……助かった、か――」


 そして緊張の糸が切れたのか、竜崎もまたその場で崩れ落ちた。その体を抱きとめるも、どうすればいいのか分からずオロオロするばかりの卯月に、手を差し伸べる者があった。


「……深手ですが、すぐに処置すれば持ち直すでしょう。さ、私が手伝います。貴方のサムライを、手当してあげましょう?」


 ふらりと現れた和装の女性――桔梗は、手にしていた救急キットから消毒薬やガーゼ、包帯を取り出すとテキパキと応急処置を始めた。

 最初は呆気にとられていた卯月も気を取り直すと、それを無言で手伝い始めた。竜崎の方は彼女達に任せておけば大丈夫だろう。

 さて――。


「早い再会だったな、大和君」

「……康光さん」


 屋根の上から鮮やかに着地すると、康光はゆっくりと大和達の方へと歩み寄ってきた。

 それはごくごく自然な動きであるかのように見えたが……大和は康光の、不自然過ぎるある動きに気が付いていた。


「その老人はミナカタの本体ではあるまい。これも奴の操り人形の一つだろう……既に本体はこの場にはいないようだが、。……君が獅戸隊長だな? 俺は――」

「鳳康光さんですね。もちろん、存じております。陛下からも、貴方と連携して事に当たれ、とお下知を頂いております」


 次いで康光は、獅戸への挨拶を済ませた。お互いに名前は知っているようだが、どうやら初対面らしい。

 サムライの中でも指折りの実力者二人が並び立つ姿は壮観であったが、大和が今気にかけているのは、もっと別の事であった。


 先程から、射抜くような視線で康光を見つめる者があった。――百合子だ。

 怒りの感情を隠そうともしない激しい視線で、じっと康光を見つめていた。

 にも拘らず、康光はまるで百合子の事が見えていないかのように振る舞っていた。一瞬たりとも視線を合わせようともしない。流石に不自然に過ぎた。


 その康光の態度が、百合子の怒りの炎に油を注いだらしく、ついには爆発した。


「――なんで……なんで何も言ってくれないんですか!」


 大和が今まで聞いた中でも、最も感情的な百合子の叫びが辺りに響く。

 それでも、康光は百合子の事を見ない。じっと背を向け、無言で佇んでいた。


 その康光の態度に、遂に百合子は決定的な――今まで我慢していたであろう言葉を口にした。


……」


 いつしか、百合子の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 大和はただ、その涙が流れ行くさまを見ている事しか出来なかった――。

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