8.戦巫女

「皆さん、おはようございます……昨晩はよく眠れましたか?」


 森での戦いの翌日、ホテルへと大和達を迎えに来た喜屋武きゃんの顔には、深い疲労と不眠の色が浮かんでいた。

 恐らく、昨晩の米軍基地内での戦いの後始末を付けていたのだろう。

 荒魂討伐の為とは言え、米軍基地内であれだけ(主に獅戸が)大暴れしたのだ。大問題に発展してもおかしくないのではないだろうか?


「……喜屋武さんこそ、大層お疲れみたいですが……。あの、大丈夫ですか?」

「ええ、体は丈夫な方ですので、ご心配なく」


 野暮とは思いつつも心配の声を上げてしまった大和に、喜屋武は驚くほど柔和な笑顔を返してみせた。

 普段の顔が「知的なゴリラ」然として迫力があるからか、そういった柔らかい表情をされると途端に親しみが湧いてくるのだから不思議なものだ。


「昨晩の件ならご心配なく。ですので、大きな問題に発展する事はないでしょう」

「どっちもどっち?」


 喜屋武の言葉に首をかしげる大和。すると、当の獅戸が喜屋武の言葉を補足した。


「そもそもですね、陛下による先視さきみの内容は、米軍側にも伝えられていたのですよ? 霊的災害に関する情報共有の協定がありましてね。……でも、毎度の事なのですが米軍側は基地内に御霊庁関係者を入れるのがお嫌いらしく、聞く耳を持ってくださらないのですよ……。

 結果として、十人以上の犠牲者を出す事になりましたが、陛下はそれも予見しておられました。そしてね? 沖縄への出発前に、私にこんな指示をされていたのですよ――『徹底的に分からせてやれ』と」


 ――そう言って、たおやかに微笑む獅戸の姿に、大和の背筋に冷たいものが走った。

 なるほど、つまり獅戸があれだけの破壊を演じてみせたのは、「ケースM」の犯人への示威行為だけでなく、聞く耳を持たなかった米軍への意趣返しも含まれていた、という訳か。

 「素直に我々の助言を受け入れないからこうなるのだ」と。


(……いや、むしろそっちの方が大問題になるんじゃ?)


 等と考えた大和だったが、ここは言わぬが花と考え口を閉ざすのだった。


「さてさて皆さん、今日は少し遠出をしますよ?」

「遠出……ですか?」


 やや唐突に本日の予定を切り出す獅戸に、思わず大和が聞き返す。

 獅戸は「予め伝えておく」という事を殆どやってくれない。学校での授業内容なども直前になって説明する事が多い為、生徒達にとってはある意味油断ならない教師であった。

 当然、今回の任務がどんな日程のもとに行われるのか、大和達は事前に何も知らされてはいなかった。獅戸の癖なのかわざとなのか、判断つきかねる所だ。


「陛下が指定した次の荒魂出現ポイントが、島の北部に有るのです。車で移動する事になりますが、一時間以上はかかるでしょう」


 獅戸の代わりとばかりに喜屋武が補足説明をしてくれた。「なんだか、この人の方が教師みたいだな」等と、大和は思わず益体もない事を思ってしまった。


「今回も、『ケースM』の……?」


 周囲に気を遣ったのか、百合子がやや声を潜めて尋ねた。もっとも、大和達がいるホテルのロビーには、御霊庁の関係者以外誰もいないのだが。


「はい、恐らくは。我々の勢力を警戒して、犯人が事を起こすのを躊躇ためらってくれていれば、何事も起きずに済むのでしょうが……陛下は、そうお考えではないようですよ。『奴らは必ず、事を起こす』と」

「……やはり、そうですか」


 獅戸の言葉を受けた百合子の表情は、何故か強い憂いを帯びていた。



   ***


 大和達は、再び車上の人となっていた。初日に空港に迎えに来たのと同じ黒いライトバン――どうやら沖縄支部の持ち物らしい――に揺られて、島の北部へと向かっている。

 薫子はもちろんホテルで留守番だ。


「――過去の事例から、『ケースM』の犯人たちは荒魂の活動期に合わせて事を起こしていると推測されています」


 その車中で、大和達はハンドルを握る喜屋武から改めて「ケースM」についての簡単なレクチャーを受けていた。

 「ケースM」の犯人達について分かっている事は少ない。共通するのは、彼らが荒魂を手足のように操り、様々な災害や混乱を巻き起こしたり、昨晩のように人々に荒魂を憑依させ破壊活動を行わせたりする点だ。

 「犯人」と目される人物は複数確認されているが、それら人物が同じ思想や目的の下で動いているのか、それとも全く別個の存在なのかも判明していない。未だかつて、逮捕に至っていないのだ。

 そのせいもあって、彼らが何故霊的災害を引き起こすのか、その目的自体がよく分かっていないのが実情だった。


「過去何度か、犯人を捕縛する寸前までいった事はあったようですが……そのいずれも、犯人のによって生け捕りに失敗しているのです」

「……自爆、ですか?」


 「自殺」ではなく「自爆」という表現に、思わず大和が聞き返す。


「はい、自爆です。どうやら連中は、体内に負の霊力を大量に溜め込んでいるらしく、いざという時にそれを爆発力に転化し、周囲を巻き込んで自決するのですよ。恐らくは身元と証拠の隠滅の為なのでしょうが……その爆発力は凄まじく本人は木っ端微塵、更には多数の犠牲者を出しています。例えば――十二年前の『幕張事件』では、サムライや巫女、一般市民にも多数の犠牲者が出ました」

「幕張事件……」


 その事件の名前には、大和も覚えがあった。まだ大和が四歳位の時に起こった大規模な爆発事件だったと、何かの雑誌で見た事がある。

 一般には「爆弾テロ事件」として報じられていたはずだが、まさかそれが「ケースM」による災害だとは意外だった。もしかすると、まだ大和が知らないだけで、一般にはただの災害や事故として報じられている霊的災害は、案外多いのかも知れなかった。そう言えば國丸デパートの火災も、ただの火事として報じられていたはずだ。


 そして、もう一つ気になる事があった。

 喜屋武は今、幕張事件について口にしようとした際、少しだけ言いよどんでいたように見えた。

 ――そう、まるでこの場で幕張事件を語ることにはばかりがあるかのような、そんな雰囲気があったのだ。


 ふと、他の面々の様子を窺う。

 皆が――獅戸までもが沈痛な面持ちで喜屋武の話を聞く中、一人だけ違う表情を見せる者があった――百合子だ。

 百合子の顔からは、一切の感情の色が消えていた。まるで、内心を悟られぬよう、全ての表情を殺しているかのように――。



   ***


 そのまま車に揺られる事、約一時間。大和達は沖縄本島の北部にある、あるうら寂れた集落へとやって来ていた。

 テレビなどで見た覚えのある、背の高い石塀に囲まれた瓦屋根の平屋が立ち並ぶ、「沖縄の田舎」を思わせる集落だったが……人の気配がない。

 先程から天気が崩れ始めている事もあって、何とも不気味な雰囲気を醸し出していた。


「住民の方は、警察のご協力で事前に避難されているはずですよ?」


 大和の心の中を見透かしたかのように獅戸が告げる。彼女は何やらやる気満々らしく、しきりに愛用の長巻の柄を撫で回していた。

 なるほど、霊皇の先視に従ってきちんと準備を進めていたのだな、と感心する大和だったが、そこで喜屋武の口から意外な言葉が飛び出した。


「いえ、どうやら警察の指導に従わず、残っておられる住民の方もいるようです」

「あらあら、それはちょっと……困りましたわねぇ」


 喜屋武の話では、元々この集落は警察――というよりも公権力に対してあまりいい印象を持っておらず、特に一部の年配者は警察や役人などを目の敵にしているのだという。

 確かに、感覚を研ぎすませてみると、一部の家々に人の気配のようなものが感じられた。


「……敵が荒魂をするつもりなら、恐らくは海沿いの慰霊碑周辺の霊的要衝スポットを狙うはずです。ですが、住民がわずかながらでも残っている以上、集落内の監視も必要でしょうね……。

 獅戸隊長、危険ではありますが、ここは戦力を分散してみては?」

「ん~、流石に地元民に何かあるのはまずいですしねぇ……仕方ありません。では、喜屋武さんは、竜崎くんと四宮しのみやさんと共に集落の警護に当たって下さいますか? 八重垣くん、鳳さん、七條さんは私と慰霊碑の方へ」

「了解です。……どうか、お気を付けて」


   ***


「あらあらあら。どうやらを引いてしまったようですねぇ……」


 獅戸に引き連れられ、大和達が海沿いの慰霊碑とやらのもとへ辿り着いた時、辺りは既に剣呑な雰囲気に包まれていた。


 そこは、海を見下ろす崖であった。

 事前に聞いた話では、先の大戦中、ここで多くの現地住民が命を落としたのだという。米兵の手によって、ではない。自国の軍人達に、民間人が自決を迫られ崖から海へと次々に飛び込んだのだ。

 そんな狂気とも言える無念の最期を遂げた人々の負の想念が、数十年の時を経てもこの一帯に渦巻いている――という事だったが、今、大和の目の前に広がる光景は、過去の怨念の残滓というレベルを遥かに超えたものだった。


 崖の上の立つ立派な慰霊碑の周囲には、負の霊力が黒い渦となって立ち昇っていた。昨晩、獅戸達の前に現れた荒魂は霊的視覚を持たぬ米兵達の目にも映ったと言うが、恐らくはこの黒い渦も同じく、一般人の目にもぼんやりとだが映る事だろう。――つまりは、極めて濃厚なのだ。


「元々、沖縄の地には大きな霊脈が通っておるから、霊的要衝もかなりの数あると聞く。ここもその一部であろう。よりにもよってこんな場所で集団自決などさせるとは……旧日本軍は馬鹿ばっかりかの!?」

「――昔の人に今更文句を言っても始まらないわよ、姫。まだ形を成していないけれど……あれは、大物よ!」


 百合子の言葉通り、黒い渦は未だ荒魂として形を成していなかった。だが、その渦の中心に、時折巨大な人の顔のような文様が浮かび上がるのを、大和は見逃していなかった。


「大型の……死霊タイプか!?」


 「死霊タイプ」は比較的オーソドックスな荒魂だ。

 その姿形は、まさしく「足のない幽霊」そのものだ。ただし、輪郭は非常におぼろげなので、はっきりと人の姿に見えるわけではない――ただ一箇所、顔を除いて。顔だけは、はっきりと見る事が出来るのだ。

 だがその顔も、おおよそ人間と呼べるものではない。どちらかと言えば、干からびたミイラに近い、そんな不気味な顔なのだ。

 本来ならば人間大の大きさであり、荒魂としての格は高くないのだが、今出現しようとしている個体は顔の大きさから考えて十数メートルに達しようかという超大型のものだった。

 ――間違いなく、強敵である。


「大和、百合子、抜刀じゃ! 最初から全開で行くぞ!」

『了解!』


 姫子の指示に、大和と百合子が揃って霊刀を抜き放つ。


『我が始祖の御霊みたまを前に、今、ここに汝らの魂を解放する……我が剣となれ!』


 姫子が言霊ことだまを叫んだその瞬間、彼女を経由して大和と百合子の体が霊脈へと接続され、膨大な霊力が二人の体を包んだ。


「あの黒い渦は、十中八九、犯人共が周囲の負の霊力を束ね人為的に作り出したものじゃろう! じゃが、その肝心の犯人の姿はどこにもない! 二人共、その意味が分かるな?」

「既に逃げたか……集落へも手を伸ばした!?」

「その通りじゃ、大和! あまり時間はかけられんぞ! 喜屋武殿の話では、集落のただ中にも小規模な霊的要衝があるはずじゃ! あの三人がそう簡単に遅れをとるとは思えんが……。急ぐのじゃ!」


 珍しく顔色を曇らせる姫子の姿に、大和の中に焦燥感が湧き上がる。

 巫女である姫子の「悪い予感」は、ただの勘ではない。霊的直感による高精度の危険予測なのだ。今、この時になって悪い予感が湧き上がったという事は、何か事態が大きく動こうとしている事の前触れに違いなかった。


「――同感ですが、焦りは禁物ですよ、三人共。あのクラスの荒魂との戦いでは、ちょっとした油断や焦りが、即、死に繋がります。気を引き締めなさい」


 そう言って、大和と百合子の前に踏み出す獅戸。既に長巻は抜き放たれているが、彼女は姫子との「同調」はおろか、霊脈接続さえもしていなかった。「先生も早く『同調』を」と大和が口にしようとした、その直後――。


えよ、我が剣!』


 言霊と共に、獅戸の体から凄まじい霊力の波動がほとばしった。


「なっ――」


 そのあまりの霊力量に、大和は思わず絶句した。獅戸のまとった霊力量は、大和や百合子よりも更に上であった。


「な、なんで『同調』も無しにあんな霊力量を!? 獅戸先生って、一体何者なんだ?」


 荒魂よりも目の前の獅戸に戦慄を覚えた大和に、傍らの百合子が静かに告げた。


「大和くん、先生にとって調。――先生は、一時代に一人生まれるか生まれないかと言われる希少な存在……サムライと巫女、両方の素質を併せ持つ『戦巫女いくさみこ』なの」

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