7.幕間――伏竜と剣鬼

 後始末を喜屋武きゃんに任せホテルに戻ると、その日の疲れが出たのか、大和達は揃って泥のような眠りに落ちていた――が、一人眠れぬ者がいた。

 相部屋の大和に気付かれぬよう、そっと部屋を抜け出した彼――竜崎は、そのままロビーから外へ出ると、何とはなしにビーチへと足を向けていた。


 夜のビーチは、ホテルから漏れ出る僅かな明かりと星の瞬き、そして大きく欠けた月の光のみに照らされ、幻想的というよりはむしろ不気味な雰囲気に包まれている。


「ふぅ……」


 そこでようやく、竜崎は緊張を解くように大きく息を吐いた。

 荒事には慣れているつもりだったが、銃器で武装した人間相手の――しかも荒魂あらみたまに憑依されたソレと戦う事は、彼にとっても緊張を強いるものだった。


 「ケースM」については、大和と同じく竜崎も知らされていなかった。だが、卯月はしっかりと知っていたようだ。

 自分に対して隠し事の出来ぬ卯月が、皇位継承権を持つ巫女としての自覚を持って機密を守っていたのだな、と思うと、竜崎の中に嬉しいような、それでいて寂しいような不思議な気持ちが湧くのだった。

 面白おかしく、色々な意味で護り甲斐のある主ではあるが……そろそろ一人前のレディとして扱うべきかもな、等と益体もない事も考えてしまう。


 大和と肩を並べて戦った事もまた、竜崎の内面に微妙な変化をもたらしていた。

 「同調」状態の大和を今までも見た事が無かった訳ではないが……その凄まじいまでの霊力量や実戦における彼の剣の冴え、霊力コントロールの絶妙さ、そして肝の座り方には目を見張るものがあった。

 素の力量ではまだまだ及ばないものの、「同調」状態の彼ならば、たとえ鳳百合子を相手にしてもかなりいい勝負が出来るのではないか……そう思うほどに。


 ――もっとも、肝心の本人にまだそこまでの自信が備わっていない以上、実際に勝負をした所で勝ちの目はないのだろうが。

 竜崎も技量では大和に負けるつもりはないが、「同調」状態での霊力は大和の方が遥かに強い。もし、勝負するならば大和のそういった精神的な弱さこそが狙い目になるだろう。


(「勝負」、か)


 我ながら随分と好戦的になったものだと自嘲気味に――しかし心底楽しそうに、竜崎は笑みを浮かべていた。

 少し前までの自分ならば、勝負事に楽しさなど求めなかっただろう。

 全ては、八重垣大和という「ライバル」と出会ってからだった。

 霊的直感を持ってしても、自分より強いのか弱いのか判然とせぬ「互角」の相手に――。


「――はっ!」


 気合と共に、腰に帯びた小太刀を抜き打つ。

 居合術も習得済みの竜崎の抜き打ちは正に神速。同年代の殆どの剣士相手に確実に一本を取れるだろう。

 だが、大和には通じるかも知れぬし通じないかも知れない――それが面白い。


 竜崎の家には暗殺向きの居合術――腕を組んだ状態からの抜き打ちや、すれ違いざまの不意打ち――も伝わっており、それを十分に習得しているのだが、大和相手に使おうとは思えなかった。

 あくまでも、尋常の真っ向勝負で戦いたいというこだわりがあった。

 自分にこんな人間的感情を抱かせるなど、卯月と七條の姫君くらいのものだと思っていたが――。


「――ほう、中々の腕前だな」


 ――と、不意に上がった背後からの声に、竜崎の背筋が凍りつく。

 油断はなかった。多少は気が緩んでいただろうが、それでも幼少の頃より徹底的に「常在戦場」を教え込まれた竜崎に、油断はなかったはずだ。

 にも拘らず、竜崎は背後の何者かの存在に全く気付けなかった。


「――ふむ、驚かせてしまったか? 何、ただの通りすがりだ。そう――


 竜崎の背筋に冷たいものが走った。

 背後の何者かを警戒はしていたが、彼はまだ指先一つ動かしていなかった。

 だがその内面では、いつでも霊脈接続し背後の人物に斬りかかる覚悟を決めていた。

 相手は、それを見透かしたのだ。


「……いえ、こちらこそ失礼しました」


 言いながら納刀し、竜崎はゆっくりと振り返った。

 もちろん、警戒は緩めてはいない。何かあれば、すぐにその場から飛び退けるよう十全の心構えをしていた。

 ――そして、初めて相手の顔を見た。


「……貴方はっ」


 そこにいたのは、初夏の沖縄に似つかわしくないスーツ姿の中年男性だった。

 年の頃は四十から五十程度か、いかめしい面構えに射抜くような眼光が特徴的な男だ。ロッドケースを背負っているが、とても夜釣りに来たようには見えない。

 その顔に、竜崎は見覚えがあった。直接の面識があった訳ではない。いつぞや資料で見た覚えのある顔だったのだ――御霊庁から拝借した、「要注意人物」リストで。


おおとり……康光やすみつ……さん」

「ほう、俺の名を? そういう君は……ふむ、竜崎の跡取り息子、と言ったところか? 剣筋が父君によく似ている」

「……父を、ご存知なのですか?」


 ほんの少し剣筋を見ただけで自分の素性を言い当てられた事への動揺を包み隠し、竜崎はなんとか会話を続ける。


「御霊東高時代の先輩でな。奇襲戦法についてよく教えを請うたものだが……ふむ、父君は息災か?」

「ええ、まあ、お陰様で……」

「そうか、何よりだ。今回はご挨拶にも行けそうにない。よろしく、伝えてくれ」


 ――言いながら、康光が一歩踏み出した。

 途端、竜崎の背中に今までで最大の悪寒が走り――恥も外聞もなく、大きく後ろへと跳躍していた。


「ほう……」


 何か感心するような康光の呟きとほぼ同時に、竜崎が波打ち際へと着地した。

 だけで十メートル近く後方へと跳躍するという、正に離れ業であった。

 だが、竜崎はただ康光の迫力に恐怖して後ろへ跳んだ訳ではなかった。


「なるほど、どんな剣豪であろうとも膝まで海に浸かればその足さばきは鈍るもの……それはサムライであっても同じ。だが、君は――君の家系は、そういった悪環境での戦いも得意としているのだったな。臆病と侮った相手が追い打ちを仕掛けに来た所を返り討ち……という訳か」

「――お見通し、ですか。こりゃ参ったな」

「と言いつつ、君はもう次の一手を考えている……違うかね?」


 ニィッと、康光が獰猛どうもうな笑みを浮かべた。

 子供が見ればそれだけで失禁しかねない恐ろしさであったが、何故だか竜崎は逆に、心の中の警戒心が消えていくのを感じていた。


「済まない、『ケースM』と相対した学生がいると聞き及んだのでな、ついつい力を見たくなったのだ。重ねてお詫びしよう」


 スッと、見本にしたくなるような背筋の通ったお辞儀をする康光に、竜崎も自然と一礼で返す。それはまるで、一勝負終えた者同士のようでもあった。


「君ほどの実力者ならば、背中を預ける事も出来るだろう。……戦場で会う事を楽しみにしよう」

「……と言うと、鳳さんも今回の任務を?」

「ああ、陛下直々のご指名でな――まさか、『ケースM』とはな。事前にお伝えくださらぬとは、陛下もお人が悪い」


 再び獰猛な笑みを浮かべた康光であったが、今度はそこに、底知れぬ感情が渦巻いているのを竜崎は見逃さなかった。

 資料で読んだ通りなら、康光と「ケースM」には深い因縁があったはずだ。そして――。


「……鳳百合子。彼女も、来ていますよ」


 竜崎の言葉に、康光の顔から表情が消えた。まるで一切の感情を悟らせないかのような、反射的なものであるように、竜崎の目には映った。


「……そうか、因果なものだな。陛下は、本当にお人が悪い」

「会っては、いかないのですか?」

「このままいけば、数日の内にまみえる事になるだろうよ。戦場でな――」


 それだけ呟いて、康光は踵を返し去っていった。

 その有無を言わせぬ背中に、竜崎はそれ以上かけるべき言葉が見付からなかった――。

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