4.魔弾の射手

 森の中は、まるで巨大な怪物の体内に潜り込んでしまったかのような、不気味な雰囲気に包まれていた。

 まだ太陽は完全には沈んでいないはずだが、森の中には少しの光も差し込んでおらず、喜屋武きゃんの持つマグライトの明かりだけでは、なんとも心もとない。


 辺りには濃厚な負の霊力が立ち込めており、巫女と同調したサムライの感覚をもってしても、森の奥の詳細は窺い知れない。ただ、どうやら進む先に複数の人間の気配がある、という事だけは感じ取れていた。


喜屋武きゃんさん、この先にいるのは沖縄支部の?」

「……ええ、私の部下達です。現在、の動きを監視しています」


 大和の問いに答える喜屋武の声は、低く通りの良い美声であり、大和は思わず「どこぞの俳優みたいだな」と場違いな感想を抱いていた。

 外見は「知的なゴリラ」然なので、中々のギャップだ。


「……この森は、何か曰くのある場所なんですか? 過去に陰惨な事件が起こった、とか」

「いえ、米軍基地の敷地は全て、霊的にクリーンな場所が選定されています。今回の件はイレギュラー中のイレギュラーなのですよ――だからこそ、陛下は君達に見せようと考えたのでしょうが」


 なるほど、とつぶやき返しつつ、「イレギュラー中のイレギュラー」という言葉に剣呑な雰囲気を感じた大和だったが、同時に別の部分も気にかかっていた。


「あれ? 俺達が陛下の命令を受けたのは一昨日ですけど……もしかして、俺達に見せるためだけに荒魂あらみたまの監視を続けていたんですか?」

「いいえ? 荒魂の発生を確認したのは本日になってからですが」

「え? それってどういう……」

「大和君、陛下は『先視さきみ』をされたのよ」


 首をひねる大和に助け舟を出したのは、百合子だった。

 「先視」とは、「先読み」とも呼ばれる巫女の持つ予知能力の事だ。一部の大規模災害の発生や荒魂の出現を、おおよそではあるが予知出来る。

 巫女の霊力が高ければ高いほどその精度と範囲は増す。日本の霊的支配者である霊皇ともなれば、離島を含めた日本全体を対象に、日単位の精度で荒魂の出現を予測できるとも言われている。


「あ、そうか。今日この場所に荒魂が出現するって、陛下が予知していたから……」

「ええ、我々沖縄支部は日時と範囲を絞って荒魂を捜索出来ましたし、君達に予め指示を出す事も出来た、という訳です――

「え? それってどういう――」


 「事ですか?」と続けようとした大和を、喜屋武が手で静止し、マグライトの明かりを消す。

 その理由はすぐに分かった。何者かの気配が、急速に近付いているのだ。しかも、複数。


「……日が完全に沈んでからと想定していましたが、どうやら見込みが甘かったようです。奴らが、動き出しました」


 声を潜めつつ、喜屋武が霊刀を握った手に力を込める気配があった。

 否応なしに大和達の緊張感も高まる。

 既に周囲は完全な暗闇であったが、霊的な視覚と霊的直感を持つ大和達の目には、青白く浮かび上がる森の木々とお互いの姿が見えている。光源に頼らずとも戦えるはずだが……大和は正体不明の不安に苛まれていた。


「部下達には、我々が到着する前に事が起こったら各自判断で撤収しろ、と命じていますが……恐らく交戦する事になるでしょう。気配からして、既にここも奴らのです。警戒を!」


 霊刀を構えつつ、「射程内」という言葉に強い違和感を覚えたその刹那、大和の全身に言い知れぬ悪寒が走った。


『――っ!』


 ほぼ反射的に、全員がその場から飛び退く――次の刹那、何か小さな物体が、一瞬前まで大和達が立っていた場所を凄まじい速度で通り過ぎていった。更に一瞬遅れて、「ヒュンッ」という鋭い音が辺りに響き渡る。


 ――音が遅れてやってくるという事は、今の物体の速度は音速を超えているという事になる。風を切り、音速を超えて飛来する小さな物体……大和は、戸惑いながらもその正体を連想していた。


「……今のは、、か!?」

「――どうやらそのようね」


 動揺する大和に対し、百合子はどこか冷静な声色で答える。まるで、事が起こるのを知っていたかのような落ち着きぶりだ。

 四人はそれぞれ、飛び退いた勢いを利用して近くの木の陰に身を隠していた。そのまましばらく様子をうかがってみるが、森の奥は不気味なほどに静まり返っている。

 だが、大和達はそこに、複数の不気味な気配がまだうごめいているのを感じていた。


「まさか、荒魂退治に来て銃で撃たれるなんてな。お嬢や姫君も何か知っているようではあったが……喜屋武さん、ご説明願えますか?」


 竜崎がいつになく鋭い口調で、喜屋武に問いかける。


「……出来れば我々だけで事を終わらせ、君達には見学に徹してもらいたい所でしたが……やむを得ませんね。恐らくは陛下も、君達が相手に剣を振るう事をお望みなのでしょう」


 深い溜め息と共に、喜屋武は語り始めた。


「森に入る前に私が言った事は、覚えていますか?」

「ええと……『荒魂には霊刀を直接当てるな』でしたっけ?」


 答えつつ、大和は何となく喜屋武の言わんとしている事を察しつつあった。


「その通りです。この先にいる荒魂には霊刀で直接斬りつけてはいけない……。何故ならば……何故ならば彼らには

『――っ』


 大和が、百合子が、そして竜崎が、思わず息を呑む。

 三人共何となくは察していた――特に百合子は何か知っている様子だった――が、それでも実際に喜屋武の口から告げられる事で、衝撃を受けていた。


「正確には、、ですが。……この先に潜んでいるのは、荒魂に取り憑かれた米軍兵士なのです」

「荒魂に取り憑かれるって……そんな事、あるんですか!?」


 確かに、大和も座学やら何やらで荒魂が人間の精神に影響を与えるケースがある事は知っていた。だが、「取り憑かれる」という表現はそれとはまた違うニュアンスを感じる。


「ええ、ですからそれも含めて『イレギュラー中のイレギュラー』なのですよ。通常、人間の精神は荒魂の影響を受け行動を左右される事はあれども、完全に乗っ取られる等という事は有り得ません。ですが、この先にいる兵士達の肉体は、今や完全に荒魂の操り人形……対話は不可能です」

「そんな……」

「ですが、彼らの生命はまだ失われていません。取り憑いた荒魂を祓えば、あるいは救う事も。それ故に、彼らの肉体を傷つける訳にはいかないのですよ」

「……」


 「あるいは救う事も出来るかもしれない」――その言葉は、裏を返せば兵士達は既に「精神的な死」を迎えている可能性が高い、という事を意味している。

 だがそれでも、彼らの肉体を傷付ける訳にはいかない。彼らはいまだ救助対象者なのだ、という事だ。


「そして何より恐ろしい事に……荒魂に憑依された人間は、のです」

「なっ――」


 思わず、大和は驚きの声を上げていた。

 ただの武装した兵士ならば、よほどの大部隊でもない限り、熟練のサムライ数人で十分対処出来るはずだ。だが、それがサムライにも匹敵する速度を持つとなると、全く話は変わってくる。


 サムライのまとう守護結界は、銃火器に対しても有効だが……それにも限界がある。

 拳銃程度ならば数十発でも耐えられるだろう。だが、兵士達が持つ自動小銃のような、口径も大きく弾速も速い、連射が利く銃火器であると難しくなってくる。

 守護結界は強固な存在ではあるが絶対ではない。絶え間なく強力な物理的衝撃を受け続ければ、やがては破れてしまうのだ。


 もちろん、相手がただの兵士であればそもそも彼らが反応するよりも早く間合いを詰め、一刀のもとに斬り伏せられるだろう。

 だが、もし敵がサムライに匹敵する反応速度を持っていれば、こちらが肉薄するより早く一斉射撃を食らう羽目になる。


 森に入る前から感じていた不気味な不安感の正体に、大和はようやく気付きつつあった。

 この任務は、掛け値なしに命がけのものなのだ。


「……本来であれば、陛下のご指示とは言え、まだ学生である君達をこんな戦場には連れてきたくなかったのですが……恥ずかしながら沖縄支部には、に対応出来るサムライが、私を入れて三人しかいないのです。むしろ、君達の助力が必要な状況です」

「三人って……沖縄支部の人員はそんなに少ないんですか!?」

「違うわ、大和君。喜屋武さんは、と言っているのよ。そうですよね、喜屋武さん?」


 大和の言葉を否定したのは、意外にも百合子だった。喜屋武も彼女の言葉に首肯で返した気配があった。つまり、百合子の言葉は的を射ているという事になる。


「どういう事なんだい、鳳さん? 俺と八重垣にも分かるように話してほしいんだけど」


 竜崎が珍しく困ったような声を上げる。卯月も何か知っていそうな素振りを見せていたから、彼としても気が気でないのかもしれない。


「……そうね、どうせすぐに知る事になるでしょうから、先に私の口から説明するべきかもしれないわね。いつまた敵が動き出すか分からないから、端的に」


 そこで百合子は一つ大きく息を吸うと、硬い声色で大和と竜崎にその事実を告げた。


「荒魂の人間への憑依事例を、御霊庁では『ケースM』と呼び機密扱いにしているのよ。幹部職員と陛下が認めたサムライ・巫女にしかその存在は明かされていない……。

 そしてね、本件の肝は『荒魂が人間に憑依する』所にあるのではないのよ。『ケースM』が機密扱いとされる一番の理由、それは……


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