第六話「サムライと夏の海」

1.漂流

 ――どうしてこんな事になってしまったのか?


「のわっ!? な、波が、またデカイ波が来るぞ!?」

「姫! しっかり掴まって! 絶対に離しちゃ駄目よ!」


 「待望の夏の海」のはずだった。

 白い砂浜、照りつける太陽、寄せては返す穏やかな波打ち際……。


 だが今、大和、姫子、百合子の三人の目に前にあるのは、吹き荒れる風にあおられ激しく波打つ一面の海原であった。


 三人が置かれた状況を有り体に言ってしまうと――彼らは文字通りしていた。

 彼らは今、大海原のただ中に浮かぶ粗末なゴムボートにしがみつき、次々に襲いかかる荒波に耐えているのだ。


 空は真っ黒い雨雲に覆われ、昼間だと言うのに周囲は薄暗かった。

 激しい雨風は容赦なく大和達の肌を叩き、痛みさえ感じるほどだ。

 そして周囲には陸地の影は見えず、ただただ青黒くうごめく海原だけが広がっていた。


「二人共、頑張れ! きっともう少しすれば救助が来る……それまで、踏ん張るんだ!」


 姫子と百合子を元気付けようと、大和も声を張る。

 実際、「救助が来る」というのも気休めではない。不幸中の幸いか、姫子だけは携帯電話を持っていたので、それで陸地にいる薫子に連絡を取っていたのだ。

 姫子の携帯の位置情報は、薫子からチェック出来るようになっており、それをもとに救助隊が出発したと、しばらく前に連絡があったところだった。


 携帯電話が通じるという事は、陸地からそこまで離れている訳ではない、という事でもある。

 GPSの精度にもるし、この荒天であるから救助隊もすぐには来られないだろうが、十分に希望はあった。


「……しかし、サムライと巫女が揃って漂流するなんて、何のギャグだこりゃ」

「仕方なかろう! 三人共! まだしばらくは霊脈接続は出来んし、我らの霊的直感も無きに等しい……」


 ――そうなのだ。今の大和達は、によって霊力を著しく損耗した状態にある。

 自らの体内霊力が不足していると、霊脈への接続はおろか、サムライと巫女にとって最強の武器である霊的直感も著しく鈍る事になる。

 体内霊力は時間経過や霊的スポットに身を置く事で回復するが、今は何もない洋上である。後者は望むべくもない。


 万全の状態の大和達ならば、そもそも事前にある程度危険を察知できるので、漂流するなどという最悪の結果にはならなかったはずなのだ――。


「……ごめんなさい。私が勝手な行動を取ったから――」

「百合子、今は謝る時じゃない……それに、百合子は何一つ悪い事なんてしてない」


 百合子の言葉を、大和は即座に否定していた。

 ――実際の所、大和達がこうなった原因は百合子のある独断行動にあるのだが、大和にはそれを責める気持ちは欠片も無かった。

 むしろ、に対して、静かな怒りを燃やしていた。


。百合子、一人で悩むな。まだ全然頼りないけど、少しは俺を頼ってくれよ」

「……大和君」


 普段の大和ならば、照れてしまって百合子に対して「俺を頼れ」等とは絶対に言えないだろう。

 だが、大和にそれだけの台詞を吐かせる事情を、今の百合子は抱えていたのだ。

 大和のその真っ直ぐな言葉に、百合子も思わず頬を染めてしまっていた。


「――あー、ごほんっ! お二人さんよ、盛り上がっているところ恐縮なんじゃが……あの光は何じゃろな?」


 気まずそうな姫子の言葉に、二人はハッと我に返り、姫子の目線の先を追う。すると、そこには――。


「あれは……船だ! まだ良く見えないけど、漁船とかじゃない。多分、救助艇だ!」

「……なんとか、助かりそうね」


 救助艇らしき船影を認め、大和と百合子がほっと息をついた、その時だった。


「おーい! ここじゃー! 私達はここにおるぞー!」


 

 荒れ狂う波間で揉まれ、激しく揺れるゴムボートの上で、支えも無く――。


『姫っ!?』


 大和と百合子がほぼ同時に叫び、姫子の体を掴もうとした、その瞬間――ゴムボートをひときわ大きな、下から突き上げるような波が襲った。


「ぬっ!?」

「きゃっ!?」

「うおっ!?」


 ――その刹那、大和は見た。

 完全にバランスを失いボートの外側へ倒れ込もうとする姫子の姿と、彼女の体を掴もうとした姿勢のまま姫子とは反対側へ跳ね飛ばされていく百合子の姿を。


 二人共、すぐにでも大和が体ごとしがみつきボートの中に留めなければ、荒波に呑まれてしまうだろう。

 だが、二人は正反対の方向に落ちようとしている。片方に手を伸ばせば、もう片方には手が届かなくなる。

 二人を同時に救う事は出来ない。


 ならば、大和が選ぶべき道は――。

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