5.まだ見ぬ敵

「やあ、すっかり喉がカラカラだ。住職、戻ったら冷たいお茶を頂けますか?」

「ホッホッホッホ、お安い御用ですよ」


 「がしゃどくろ」をはらった、その帰り道。先頭を歩く功一郎と住職は、とりとめもない雑談に花を咲かせていた。

 あれだけの激闘があったというのに、功一郎の様子はいつも通りの飄々ひょうひょうとしたものだ。大和は、その姿に頼もしさと同時に、空恐ろしさを感じずにはいられなかった。

 何せ、功一郎のまとった雰囲気は、


 功一郎は、常に「自然体」なのだ。平時であっても強敵を前にしても――その強敵を一刀のもとに斬り伏せるその瞬間であっても、身に纏った雰囲気は常に変わらない。

 住職のような「無色透明」の気配でこそないが、功一郎の纏った気配は常に澄んだ水鏡の如く――まさしく明鏡止水を体現したものだった。

 つまり功一郎は、大和が全神経を集中させてようやくなしえる「水鏡のかた」を、常に自然体で体現しているのだ。


「――恐ろしい男だ、君の師は」


 傍らを歩く康光の呟きに、大和は無言で頷きを返していた。

 大和から見れば、康光も「常在戦場じょうざいせんじょう」を絵に描いたような男である。常にその眼光は鋭く油断なく、いざ戦いとなればすぐさま気持ちを切り替えて抜刀出来る心構えがある。

 だが功一郎には、その「気持ちの切り替え」の瞬間が無い――いや、彼の心の内では有るのかもしれないが、他人からはその瞬間が窺えないのだ。


 先ほどの「がしゃどくろ」との戦いでもそうだ。

 「水鏡の形」は基本的に守りの技だ。相対した敵の攻撃を躱し、あるいは受け流し続け、その中で隙を見い出し、反撃の機会を窺う。「水鏡の形」から攻撃に転じる場合は、「後の先カウンター」の形になる。

 「水鏡の形」からの反撃は実に効果的ではあるが、一つ欠点があった。霊力を水鏡の如き穏やかな状態に保っているが故に、その反撃に込められた霊力は攻撃性に乏しい――つまり単純な威力自体は低いのだ。あくまでも、カウンター攻撃であるが故に、効果的な威力を発揮するに過ぎない。

 だが、功一郎のそれは違った。荒魂の攻撃を受けるまでは穏やかな水鏡そのものであった霊力が、反撃の際には、一瞬の間も置かずに高圧の水の刃の如き威力を発揮していた。


「功一郎の剣はまさしく攻防一体……もっと正確に言えば功と防のにタイムラグが無い。穏やかな水鏡が直後には、全てを斬り裂く水の刃となっている。相対してこれほど厄介な相手はいない……。俺も、若い時分には何度も功一郎にしてやられたものだ」

「……学生時代、ですか?」

「――いや、それよりもずっと前。お互いに剣を習い始めた頃の話だ。むしろ、御霊東高時代は、霊力の差もあって、ようやく互角の勝負が出来るようになった……功一郎からしてみれば、それまで剣術において圧倒していた俺に、霊力が覚醒しただけで追い付かれた形になった訳だ。――今の君と同じような想いだったろうよ」

「俺と……同じ……」


 それまで剣技で圧倒していた相手に、お互いが霊力に目覚めた途端、並ばれてしまった――なるほど、確かにどこか、今の大和の状況に通じるものがあった。


「更に悪い事にな、功一郎の場合は君のようにS因子が強かったわけではなく、単純に霊力量に恵まれなかったのだ。巫女と同調したところで『並』の霊力……それまで神童扱いしていた一族の連中も、途端に手のひらを返し『所詮は』と蔑みの目を――」

「――ンンッ!」


 何やら康光の口から大和にとって気になる言葉が出た所で、前を歩いていた功一郎が実にわざとらしく咳払いをした。どうやら、功一郎としてはあまり大和に聞かせたくない話らしい。


「……ともかく、功一郎は霊力の不足を、ただただ技を洗練する事で克服した。そして遂には『剣聖』と呼ばれるに至った。俺と功一郎とでは、霊力量の差が天と地ほどもあるが――それでも、奴との勝負は常に五分と五分、だ。あの霊力量の少なさで、に辿り着いたのも、功一郎くらいのものだろうよ」


 「一等」というのは、サムライの階位――その最上級を指し示す言葉だ。階位は、「霊力」「武芸」「品格」の三つの要素を基準とし、それに経験や実績を加味して決定される。功一郎の場合は、「霊力」の不足をその他の要素で補った、という事か。


(一等……。百合子でさえ、まだ七等だから……なんて遠いんだ)


 一等国家霊刀士は、一時代に数人程度しか存在しないと言われる。功一郎は、その数少ない内の一人なのだ。――ならば、功一郎と五分の実力を持つ康光も、一等なのだろうか?


「あの……康光さんも一等なんですか?」


 流石に不躾とも思ったが、大和は、ふと浮かんだその疑問を口にしてしまっていた。だが――。


「――その予定だった……んだがな。十年と少し前に、、俺のサムライとしての階位は

「……え?」

「なに、陛下のお許しは頂いている。法律上、俺と言うサムライがいない事になっているだけだ」


 ――まずい事を聞いたかも、と大和は自分の質問の不用意さを恥じた。

 と同時に、大和は自分の中での「ある疑問」が氷解していくのを感じていた。

 百合子の桔梗に対する剣幕の理由。そして「謁見の間」で百合子が言っていた「あの人」という言葉が誰を指すのか? という疑問が。


 詳細は分からないが、康光は十数年前に御霊庁と揉めてサムライの資格を剥奪されているという。そして、ずっとかどうかは不明だが、娘の桔梗と共に長いこと日本を離れていたらしい。

 百合子が桔梗へ向けていた怒りの眼差しは、「あの人」とやらにも向けられていたように思える。となると、「あの人」とは康光の事であり、そもそも百合子が桔梗と康光に怒りの目を向けるのも、十数年前の出来事が関わっているのではないか?

 十数年前と言えば、百合子はまだほんの子供だ――。


『わたしは、強くならなきゃいけないの』


 大和の心の一番古い部分で、幼い少女が――百合子がそう言いながら涙を流していた。彼女のあの言葉と涙の理由は、もしや――。


「む……、無法者と怖がらせてしまったかな? 安心するといい、今の俺は御霊庁の要請で帰国している身だ。無法な事はせんよ」


 大和が難しい顔をしている理由を誤解したのか、康光が不敵な笑みと共にそんな言葉を向けてきた。

 笑みを浮かべても相変わらずの厳めしく恐ろしい面構えであったが、大和はそこに、どうしてもよこしまなものを感じる事が出来なかった――。



   ***


 洞穴を抜け本堂に戻った頃には、既に外は薄暗くなっていた。

 大和達は再び書院の一室に通されると、今度は冷たい麦茶で一服し、ようやく人心地ひとごこち付く事が出来た。が――。


「――で、そろそろ説明していただきたいんですが……地下のあの荒魂は、一体何なんですか? 比企一族とやらの怨霊か何かですか?」


 そんな穏やかな雰囲気に流される事無く、もう碌な説明もされずに荒魂関連のあれこれに付き合わされるのは御免だとばかりに、大和は一同に質問をぶつけていた。


「ホッホッホッホ、比企一族の怨念が千年近くを経ても渦巻いているとあっては、当山の面目は丸潰れですなぁ。――確かに、千年近く、いやそれ以上続く怨念というものもあるでしょうが……地下のアレは違いますぞ? アレは、ですからして」

「周囲の、陰の気?」

「左様。この土地は、周囲の様々な気が集まりやすい地形になっております――まあ、鎌倉はそんな場所だらけなのではありますがな? その内の一つと言う事です。

 当山は特に、比企一族の供養を担っていた事もあり、無念の内に死した者達の怨念が集まりやすかったようでして……いつしかそれを、先程の地下の洞穴へと集め、定期的に供養するようになったのです」


 なるほど、この寺は御霊庁と同じく、大気中を漂う御霊みたまが引き寄せられやすい土地にある、と言う事かと大和は納得した。だが、定期的に供養している――そもそも仏教僧が荒魂を祓えるのか? という点はさておき――割に、先程の「がしゃどくろ」は強力だったように見えた。大和がその疑問を口にすると、住職は「ええ、ええ」と頷きながら答え始めた。


「平素でしたら、拙僧の念仏でしてもらえるのですが、。おサムライの方々の力を借りねば、彼らを鎮める事が出来ぬのですよ」


 ――荒魂の活動期。「またこの言葉だ」と、大和はややうんざりとする気持ちだった。

 読んで字のごとく、荒魂が活発になる時期という事は何となく理解できるが、具体的にどの程度の規模なのか、どんな影響があるのか、いつからいつまでなのか? それら大和の疑問には、未だに誰も答えてくれていなかった。


「師匠、最近よく耳にしますが、『荒魂の活動期』というのは、一体全体何なんですか?」

「おや、姫達は君に教えてくれていないのかい? ……ふむ、御霊東高のカリキュラムでも、確か教えるのは二年生になってからだったかな? よろしい、私が簡単にレクチャーしよう」


 そう言うと、功一郎は眼鏡のブリッジを指でクイッと押し上げ姿勢を正した。自然、大和も姿勢を正し、師の言葉に真剣に耳を傾ける準備をする。


「『荒魂の活動期』は、まあ読んで字の如く荒魂が活発になる時期の事だ。これにはある程度周期があってね、おおよそ六年ごとにやってくるんだ。今年がちょうどその年に当たる、という事だね」

「六年ごと……それは、どの位続くんですか? 具体的な影響は?」

「概ね春先から晩夏まで、とは言われているが、その年によって多少期間が前後するのが殆どだ。その期間中は、とにかく荒魂の力が増す。普段は取るに足らないレベルの荒魂が、実害を及ぼす事もある。君達が巻き込まれたデパート火災なんかも、平年だったら起こらなかったかもしれないね」

「あの火災も……?」


 まさか、「荒魂の活動期」とやらがそんな身近な事件に繋がるとは、大和は予想だにしていなかった。


「ああ、そして――ここからが重要なんだが、活動期には最盛期というものがあるんだ。例年通りならおおよそ一ヶ月、荒魂の力が最大限に増し、出現数も一気に高まる時期が。霊皇陛下は、それを

「初夏……? ――って、まさに今じゃないですか!?」

「そう、まさに今なんだ。だから、地下の『がしゃどくろ』はあんなに強力だったんだよ。それに、『最盛期』はようやく始まったような感じだからね、残り一ヶ月程度は、サムライと巫女にとって気が抜けないものになるはずだよ?

 ――だからこそ陛下は、康光と桔梗ちゃんを帰国させ……大和、君のような見込みのある若い人材に刀を授けたんだろうさ。どうやら今年は、例年にも増してのようだからね」


 「いやいや参ったね」等と言いながらのんきに笑う功一郎だったが、大和はとても笑えるような気分ではなかった。

 荒魂の力と数が更に増すという事は、あのデパート火災のような事件が――いや、それ以上の事件が頻発するという事でもある。笑えるはずがない。


「――まあ、殆どの荒魂の出現は、事前に御霊庁が察知するからね。大抵の場合は、対策チームが霊的災害を未然に防いでくれるさ。ただ、君が遭遇したデパート火災のように、人間の悪感情が荒魂を呼び寄せ、強化してしまうような例は、具体的な出現場所が絞り込みにくくてね……。あの日、百合子や姫が街中に出ていたのは、御霊庁の予想では絞りきれなかった荒魂の居場所を、足で探していたからなんだよ」

「あ、なるほど。それで……」


 あの日――姫子と初めて出会った日、彼女は「連れとはぐれた」と言っていた。元々は百合子達サムライとチームを組んで行動し、荒魂を捜索していたわけだ。

 姫子が疲れて座り込んでいたのは、荒魂の潜んでいた「國丸デパート」からほど近い場所だった。もしかすると、無自覚に荒魂の気配を感じ、そちらに引き寄せられた末に百合子達とはぐれてしまったのかもしれない。

 大和と出会ったのも、もしかすると大和が「國丸デパート」に向かおうとしていた――言ってみればデパートと「縁」があった――からなのかもしれない。


「荒魂の出現場所が予め分かっている場合は、それほど大事おおごとじゃないんだ。警察と連携して、粛々と処置してやれば大きな災害には繋がらない。問題は、出現場所が絞れない方だね。こちらはある程度の人員を集めて、人海戦術でいくしかない。大和が駆り出されるとしたら、恐らく後者だね。――今から心構えをしておくといい」


 今度は笑わず、真剣な眼差しとともに語られた師の言葉に、激しい戦いの気配を予感し、大和は身が引き締まる思いだった。

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