3.我が心、明鏡止水
――薄暗い洞穴の中を、大和達はゆっくりと進んでいた。
辺りを照らすのは、住職が手にした
(……しかし、また洞窟か)
霊皇に
霊的スポットに穿たれた
ならば、この奥に待っているものも、恐らくは霊的な何かであろう。
――そもそも、大和達は何故、揃ってこのような洞穴の中を進んでいるのか? 事の起こりは十数分ほど前まで遡る。
「――霊力が、視えない……?」
「霊的な視覚」で住職を見やった大和は、驚きのあまり自然と声を上げていた。通常ならば、人間の纏った霊力は「淡く光る蒼色」として知覚される。だが、住職のそれは殆ど「透明」だったのだ。
確かに、自然界に存在する霊力のうち、大気中に漂う霊力などは形も色も殆ど感じられない。だが、人間だろうが植物だろうが無機物だろうが、多少なりとも「存在感」を持つものならば、それが纏う霊力には少なからず「色」が付いて視える。
しかし、住職の纏った霊力は、むしろ待機中を漂う無形の霊力のそれに近かったのだ。大和が思わず「やはり住職は人間ではなく妖怪なのでは?」と考えてしまったのも、無理はないだろう。
「ほっほっほ、モノノケを見るような目をされても困りますぞ?」
住職が大和の心を見透かしたような軽口を叩いた。だが、大和はそこに霊力の揺らぎ――感情の動きを読み取る事が、全く出来ずにいた。
楽しげな住職の表情や口調と、霊力の動きが全く噛み合っていない……あまりの違和感に、大和は乗り物酔いの症状にも似た目眩を感じ始めていた。
「ふん、妖怪みたいなものだろうが。
――大和君、ゆっくり、落ち着いて霊的な視界を閉じたまえ。今、君の脳は、霊的直感と五感との
康光のアドバイスに従い、大和は視覚に集中していた霊力を弱めると、大きく深呼吸を始めた。そのまま深呼吸を何度か繰り返すと、目眩はやがてなくなった。
「――今のは、一体……?」
「今、視たものが、君が住職に何度も不意を衝かれた、その理由さ。……住職の霊力はね、常に澄み渡っているんだ。肉体の動きや感情の動きにも左右されず、水鏡の如き水面のように穏やかなままなんだ。
――俗っぽい言葉を使えば、『
「明鏡、止水」
――功一郎の言葉をオウム返しにしながら、大和は「明鏡止水」という言葉の意味に想いを馳せていた。確か、「邪念のない、澄み切って落ち着いた心」を表す言葉だったと記憶している。「明鏡」は一点の曇もない鏡、「止水」は静かにたたえている水の事だったはずだ。
揺らぎ一つない水が、一点の曇もない鏡のごとくたたえている――その様子を、人の心に例えた言葉だ。悟りの境地の一つとされる場合もある。
「もちろん、住職にだって感情もあれば欲求もある。昔からの悪戯癖も、近年はますますお盛んなご様子だしね……しかし、それら情動をただありのままに受け止める事を、極めてらっしゃるんだ。感情や欲求と言う名の水が心の奥底から湧き上がっても、霊力という水面には一点の揺らぎも見えない、そんな心持をね」
「それが……『不意打ち』の極意、ですか?」
「極意というかまあ、究極の到達点の一つ、だねぇ。住職のような方が何十年も厳しい修行をされて、はじめて辿り着ける境地だからね。住職レベルの『明鏡止水』を極めているサムライが何人もいたら、たまらないよ」
「……何十年もの修行、ですか……」
「ああ。それに、住職は見ての通りサムライの力は持っておられない。一般人よりは強力な霊力をお持ちだけど、サムライのそれには及ばない。霊力というものは、それが大きければ大きいほど些細な情動の影響による揺らぎも大きく目立つようになってしまうんだ。だから、住職の霊力が無色透明でいられるのは、サムライではないから、とも言えるね」
「え……?」
話の流れから、功一郎達はてっきり霊力不足で悩む自分に、何らかのアドバイスをしてくれているのだと大和は思っていた。だが、功一郎の今の話では、住職のように心身の動きを表さず、揺らぎ一つない澄んだ霊力を
ならば、自分に対するアドバイスにはならないのではないか? 大和はそう感じ、意気消沈しかけてしまった。だが――。
「――そう、サムライでは住職ほどの域に達する事はまず不可能なんだ。でも、その真似事は出来るし……大和、君はもうその術を会得しているはずだよ? むしろ、君の得意技じゃないか」
「……?」
大和の内面を見透かしたかのような功一郎の言葉だったが、後半の「もうその術を会得している」という
「……やれやれ、君は時々察しが悪いね。大和、今日の授業で君が剣を合わせていた相手は、君に何か言っていなかったかい?」
功一郎の言葉に、大和は今日の授業での鈴木との地稽古を思い出す。そう言えば、鈴木は自分との稽古の後、何か言っていなかったか……? そう、確か――。
『いやあ、やっぱり八重垣君は凄いなぁ。一発も当てられるイメージが湧かなかったよ』
「一発も、当てられるイメージが湧かなかった……?」
思い返してみれば、鈴木のこの言葉は少々奇妙にも思える。
あの時、大和は、鈴木の剣をいなすのが精一杯だった。反撃の糸口を掴むどころか、常にギリギリのラインで鈴木の剣を防いでいたのだ。実質的な防戦一方。打ち合いは常に鈴木の優位に進んでいたはずだ。
しかし鈴木は、大和の事を「凄い」と称賛していた。鈴木は皮肉を言うような男ではないので、言葉通りの意味だろう。大和はてっきり「パワーやスピードで遥かに上回る自分の剣を全て防ぐなんて、凄い」という意味だと捉えていたが、実際には全く異なる意味だったのではないか?
「――大和、相変わらず君は自己評価が低いね……。今日の授業、私も陰で見ていたが……他に傍から見る者がいれば、君が防戦一方だったのではなく相手方が攻めあぐねていたように映っただろうね。パワーやスピードで圧倒しようとしても、その全てをいなされ、凌がれてしまう。相手には君が、難攻不落の要塞のように見えたかもしれないね。
師である私の目から見ても、君の『水鏡の
「水鏡の形」――かつて大和が竜崎との立ち合いの際に見せた、「水鏡の如き究極のリラックス状態」の正式名称である。言うまでも無く、守り上手な大和の為に功一郎が教え込んだ、鳳流剣術の極意の一つだ。
心身を究極のリラックス状態に置くその秘儀は、纏った霊力をまるで水鏡の如く一点の揺らぎも無い状態にする。そして全ての感覚を――霊的直感を、相手の攻撃に対する守りというただ一点に集中させる。結果、竜崎の「三段突き」のような絶技でさえも凌いでみせるという、高度な守りの技なのだ。
「住職のように全ての情動の影響を霊力に与えず、一点の揺らぎも無い無色透明の霊力を纏う事は、私達サムライには不可能に近い。――しかし、それに近い事は出来る。無色透明は無理でも、一点の揺らぎもない霊力を纏う事までは、ね。
そしてその揺らぎの無い霊力――水鏡は、外部からによる些細な揺らぎを見逃さない。全てを映し出す水鏡……これもまた一つの『明鏡止水』。大和、君はもうそれを身に付けている。あと必要なのは自信と……もう一つの極意だ。どうやら、君にそれを教える時が来たようだね――」
***
「もう一つの極意を教える」と言った功一郎は、住職と康光に目配せすると、やおら立ち上がり大和を境内のある場所へと誘った。それが今、大和達が歩いている洞穴だった。入り口は本堂――寺務所に併設されていたあの小さなお堂がこの寺の本堂らしい――の奥に隠されていた。そんな洞穴がただの洞穴であるはずがない。大和は何とも、嫌な予感を覚えていた。
壁も天井も地面も、どこもかしこもじめじめと濡れ、所々に水たまりが出来ている。住職の話によれば、寺の近くには水源が無数にあり、大小いくつもの川が流れているので、どうしても水がしみ出してくるのだという。むしろ、よく水没しないものだ。霊力の加護でもあるのだろうか? 等と、大和は益体も無い事を考えてしまった。
「ささ、着きましたぞ」
住職の声に、周囲を見渡していた大和が前方を見やる。そこは、広さ二十畳ほどの空間だった。形はほぼ正方形、天井も高いらしく、住職の持つ提灯の光では薄ぼんやりとしか見えない。
御霊庁の地下のように、祭壇や
――しかし、大和はその石の塔辺りに、既に剣呑な雰囲気を感じていた。
「――師匠、ここは……」
「大和、君は下がっていなさい。ここの霊は御所の地下の連中ほど、上品じゃないからね」
大和を下がらせると、功一郎は愛用の太刀を鞘から引き抜いた。暗闇に白刃が煌めく。
「全く……墓参りに来て掃除に付き合わせられるとはな……茶菓子代としては高くついたな」
功一郎に続き、康光も一歩前に出ると、ロッドケースから霊刀を引き出した。やや黒味の強い刀身が、薄暗闇の中で怪しく光る。
――そして大和は見た、二人のサムライに呼応するように、石の塔から立ち昇る怪しい気配を。それは当初、黒い
俗に「がしゃどくろ」と呼ばれる類の荒魂だ。
「――さて大和。君にサムライとしての私の戦いを見せるのは、これで初めてだったね? ……しかと焼き付けなさい。私と、康光の戦い方を――」
瞬間、二人が霊脈へと接続し、その霊力が膨れ上がった――が。
「――え?」
二人が霊脈へと接続した瞬間、大和は二つの理由から驚きの声を上げていた。
一つは康光の恐るべき霊力量だ。実力者である事は肌で感じていたが、大和が今まで見たどんなサムライをも凌駕する霊力量だった――当然、百合子よりも凄い。
そしてもう一つは、功一郎の霊力量だった。大和の師匠であり、サムライの世界では「剣聖」と称される実力者・鳳功一郎。だが、今、霊脈に接続した彼の霊力は、康光とは比べ物にもならない程に小さかったのだ。
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