9.その答え

 日はすっかり暮れ、大和は再び車上の人となっていた。

 都心から鎌倉へと戻る道行きはひどく渋滞しており、帰り着くのは更に遅くなる事だろう。向かい側に座る姫子は完全に眠りこけているのか、安らかな寝息を立てている。そしてそれとは対照的に、その傍らに座る百合子は、無表情ながらもどこか機嫌の悪そうな雰囲気を漂わせ、ウィンドウの外に流れる街の明かりを眺めていた。


 ――こういう時の百合子に話しかけてはいけない。

 長い付き合いの大和でさえ、数えるほどしか見た事がないが、百合子は本当に機嫌が悪い時には、ああいったたたずまいを見せるのだ。気の利いた言葉の一つでもかけられれば良いのだが、残念ながら今の大和には、何も思い浮かべられなかった。

 大和の隣に座る薫子も、百合子の雰囲気を察してか、先程からだんまりを決め込んでいた。


 仕方なしに、大和も百合子を真似るように車窓へと目を移した。

 渋滞の為、リムジンは実にゆっくりと走っており、街の明かりも車のライトも、ゆっくりと窓の外を流れている。軽くスモークのかかったウィンドウ越しに見るそれらは、まるで人魂の群れのようにも見え、大和はふと、霊皇との謁見の時の事を思い出していた。



   ***


「――そう、荒魂あらみたまとはもとを正せば、死した人間が遺した負の想念を帯びし、霊力の残滓なんだ。もちろん、殆どの負の霊力は、地の霊脈にも天の龍脈にも還れず、ただただ彷徨さまよう哀れな亡霊として宙を漂い、やがては薄れ消滅していくだけの存在だ。

 しかし、人々の御霊みたまが集い、やがて天の龍脈を生み出したように、荒魂の中にも稀に、同じ性質を持つ者同士で引き合い、融合した連中が存在するのさ。困った事に、それが一定以上の規模になると周囲の物体や生き物に、『自分と同じ存在になれ』とちょっかいを出すようになるんだ。――それが私達の言う荒魂というわけだ」

「ちょっかい、と言うのは……?」

「文字通りピンからキリまで、だな。それこそ、ただ単に気分が悪くなる、何だかイライラする……等と言う微笑ましいものから、君が遭遇した例の火災のように、物理的な被害もたらすものまで、実に様々だ。

 霊体である荒魂は、本来直接的に物体に影響を与える事は出来ない……だが、先程言った通り、この惑星から生まれた全てのものは、生物・非生物問わず霊力を帯び、その影響を受ける。となると当然、荒魂の霊力からも影響を受ける事になる。力の強い荒魂の影響ともなれば、生物は体調に異常が出るだろうし、物であっても劣化や性質の変化が進む……。歴史上まれに見るような強力な荒魂ともなればね、それこそ人心を乱し暴動を引き起こしたり、自然に働きかけ天変地異を招いたりするのだよ。

 どうだね、中々笑えないだろう?」


 言葉とは裏腹に、霊皇は何とも皮肉めいた笑みを浮かべていた。一体何が彼女にそんな表情をさせるのか、大和には全てを窺い知る事は出来ない。

 だが少なくとも、彼女の語る荒魂の脅威――その一端だけは感じ取る事が出来た。


 大和がサムライを目指す以上、いずれ本格的に戦わなくてはならなくなる敵、荒魂。まだたった二度しか邂逅かいこうしていないが、既に大和はその恐ろしさを骨身にみて実感していた。

 大規模な火災の原因となった「火の車」の荒魂。そして大和が先程戦った「鎧武者」の荒魂……どちらも恐ろしい存在だった。

 ――と、大和はそこで、とある疑問を思い出した。


「あの、陛下。俺が先程戦った鎧武者も荒魂なんですよね? 倒すべきはずの荒魂が、御霊庁のど真ん中に現れたというのは、一体……?」


 当然の疑問だった。

 巫女とサムライの本拠地とも呼べる御霊庁ごりょうちょう、しかもその頂点に立つ霊皇の住まいたる御所ごしょに、仇敵たる荒魂が現れたのだ。しかも、明らかに霊皇の意志を受けていたとしか思えぬ状態で。

 これは一体どういう事なのか、大和には皆目見当もつかなかった。


「何、簡単な話さ。この御霊庁は、東京の霊的中心地なんだ。元となった江戸城自体が、霊脈の要衝に建てられた城だったらしいが、幕府崩壊後にそれを更に再整備して、より強力な霊的要衝スポットとしたのが御霊庁の始まりだ。

 都内の主要な霊脈の流れはね、その殆どがこの御霊庁の霊脈へと向かっているんだ。つまりここは、文字通り霊脈が集う場所なんだ。中枢、とも言えるかもしれないな。そしてその性質上、大地の霊力だけではなく、大気中を漂う御霊みたま達も、少なからずその大きな流れに釣られて引き寄せられてくるんだ。良い御霊みたまも、悪い御霊みたまも、例外なくね。

 そしてだね、ここからが肝なんだが――この御霊庁の霊脈は、霊皇の完全なる支配下にあるのさ。こと御霊庁の敷地内でなら、霊皇は霊脈を経由して、全ての霊なる者に影響を与える事が出来る……生き物相手ならばその霊感を乱す事も出来るし、御霊みたまが相手ならば、ある程度その――行動を制限したり操作したりも出来るのさ。あくまでもある程度、だがね」

「――つまり、御霊庁には荒魂も自然に集まってきていて、陛下はそいつらを、ある程度自由に操れる……、という事ですか?」

「その通りだ。理解が早くてよろしい。

 君に戦ってもらったあの鎧武者は、御霊庁の霊脈に巣くう地縛霊じばくれいのようなものでね。戦国の世から続く武者達の怨念が、数百年を経てもまだくすぶっていて、はらいきれていないのさ。祓うどころか、霊脈を通じて集まる『無念の内に死んだ人間の御霊みたま』を吸収するものだから、数も一向に減らない。

 そこで考えあぐねた数代前の霊皇は、逆に彼らを利用する事を考えたのさ。」

「利用……ですか?」

「ああ、として飼う事にしたのさ。普段は、御所の地下霊廟――先程の場所だね、あそこに閉じ込めているんだが、いざ御霊庁に不埒な侵入者が現れたら、彼らが襲いかかる手筈になっている。何せ、君も肌で感じた通り、奴らは中々に強力な荒魂だ。そこそこの実力しか持たない霊能力者では、まず太刀打ちできない。一般人なら尚の事、対処のしようがない。

 君も御霊庁の敷地内に入る時、色々と面倒くさい手続きをしただろう? あれは、訪問者が間違って荒魂に襲われない為の予防も兼ねているんだ。――まあ、私がけしかけてしまえば、予防処置を受けた人間だろうが襲われてしまうんだが」


 そこでニヤリと笑った霊皇の表情に、大和は背筋がゾッとなる感覚を覚えた――目が、全く笑っていなかったのだ。


「もちろん、無闇矢鱈むやみやたらに数が増えても困る。だから、サムライ達の訓練も兼ねて、定期的に何体かを祓っているんだ。

 面白い事に、連中の強さには個体差が殆どなくてね。非公式ながら、独力で何体を祓えるかがサムライの強さの指標バロメーターにもなっている。今回、君の実力を測るのにも、うってつけだったという訳さ」


 ――祓うべき敵であるはずの荒魂をも利用する。

 意志のない残留思念のような存在とは言え、それこそ奴隷のような扱いで。「本当に恐ろしいのは、荒魂よりも人間かもな」等と、大和は空恐ろしさを感じてしまった。


「人の世に仇なす荒魂とは言え、都合よく使うのには抵抗があるかな?」


 どうやら大和のそんな感情は、少しだけ顔に出てしまっていたらしく、霊皇に見透かされてしまっていた。「またこの人のペースにされる!」と危機感を覚えた大和は、「いえ、陛下のお力に驚愕していた所です」と心にもない事を言って、とりあえず誤魔化すことにした。

 だが――。


「――いや、荒魂と言えども奴隷のようにこき使うことは、本来は恐ろしい事なんだ。大和君、その感情を大切にしたまえ――でないと、


 茶化すでもなく、むしろ今までで一番真剣な表情を浮かべた霊皇の姿が、そこにあった。「あちら側に飲まれる」とは、一体どんな意味なのか。大和が再び問いかけようと思ったその時、霊皇が不意に立ち上がった。


「ふむ、少々喋りすぎたな。本日はここまでとしよう」


 霊皇の言葉には、まるで「これ以上話すことは無い」とでも言うような、明確な拒絶の意志が感じられた。面倒くさくなったのか、それともいらぬ事を言おうとしてしまって、それを誤魔化しているのか……大和にはその判断は付かなかったが、恐らくもう、質問には答えてもらえぬであろう事だけは察せられた。


 霊皇はそのまま、部屋の奥にある扉の方へとスタスタと歩いて行く。「謁見」はこれで終わりか、と大和が大きく息をついたその時――。


「――おっと、一つ言い忘れていた。大和君、その小太刀こだちは君にやろう。ありがたく受け取り給え」


 霊皇が背を向けたまま、そんな言葉を掛けてきた。「小太刀」と言うのは、先程の地下霊廟での戦いの前に、霊皇が投げて寄越した刀の事だ。今は、誰が置いたのか、大和の傍らに横たえられていた。

 小太刀とは言え、一見してこしらえも見事な、そこそこの品である事は分かる。「今日のご褒美だろうか?」等と気楽に捉えた大和だったが、ふと気が付くと大和と霊皇を除いた全員が驚愕の表情を浮かべていた。


からな。戦力となるサムライは。諸々の手続きについては、私から御霊東高の方へ伝えておくから安心したまえ――桔梗、君はこちらに来なさい」


 そんな言葉を残して、霊皇は扉の向こうへと去っていった。


「――あらあらあら、大和君、随分と陛下に気に入られたようですね。これから大変ですよ? では、またいずれ……」


 桔梗がコロコロと笑いながら、霊皇の後を追おうとする。だが――。


「待ちなさい! 桔梗!」


 今まで沈黙を守っていた百合子が立ち上がり、桔梗を呼び止める。その両眼りょうまなこには、強い怒りの色が浮かんでいた。


「……呼び捨てとは、感心しないですね。昔みたいに呼んではくれないのかしら?」


 一方の桔梗はと言うと、百合子とは対照的に涼しい顔をしていた。「同調」中に大和が感じていたような、微妙な感情は窺えない。例の悪戯っぽい笑顔を浮かべ、その本心を隠しているようにも見えた。


「――貴女がいるという事は、も今、日本にいるのね!?」


 その桔梗の態度を挑発のように感じたのか、百合子は更に強い口調で桔梗に詰め寄ろうとする。

 「あの人」というのが一体誰の事を指すのか、大和には皆目検討がつかなかった。だが、百合子の様子からは、「あの人」とやらに向けた感情が、桔梗に向けるそれと同質である事は窺えた。


「……サムライの世界に身を置くのならば、いずれ会う事もあるでしょう。――陛下をお待たせしています、これにて」


 そう言い残し、桔梗はそのまま扉の向こうへと去っていった。百合子の問いには答えぬままに。

 百合子も今度は呼び止めるような事はせず、ただその姿を見送っていた。――だが、大和は見逃さなかった。百合子の拳が、痛いほどに握りしめられている事を……。


「……やれやれ、陛下のにも困ったものじゃのう」


 そんな百合子をよそに、姫子は「どっこいしょ」等と言いながら立ち上がり、その場で伸びを始めた。相変わらずのマイペースである。


「しかし、まさかこんなにも早く、陛下から刀を賜るとはのう……大和よ、これからますます忙しくなるぞ?」

「――え?」

「なんじゃ、大和は知らんかったか? 霊皇陛下から刀を賜ると言うのはの、陛下に。戦前はそれこそ、正規のサムライとしての認定と刀を賜る事はイコールじゃった。今は、きちんと認定試験を通過しないと正規のサムライにはなれないが……それでも陛下から刀を賜る事の意味は大きいのじゃぞ」

「……つまりどういう事だ?」

「うむ、陛下から刀を賜った者には、自動的に『準国家霊刀士』の資格が与えられるのじゃ。これは、御霊東高の全課程を修了しつつも、認定試験を通過していない者に与えられる資格と同じものでのう、名前の通り国家霊刀士――サムライに準じた権限と義務が与えられる。言ってみればサムライのみたいなものじゃな」

「仮免許……? それって具体的に何が出来るんだ?」


 「権限と義務」という不穏なワードを前に、大和が不安げに尋ねる。


「具体的にはだな、ある程度自己裁量で霊脈接続を出来るようになる。もちろん、緊急性が高い事案への対処が条件だがな。一番大きいのは、じゃな。準国家霊刀士には指導役が割り当てられるんじゃが、この指導役の監督下でならば、荒魂討伐任務への参加が可能になるのじゃ――というか、殆どの指導役は人手を欲しがっているから、まあ事になるであろうな!」



   ***


 ――という事で、はからずも大和は、サムライになるという目的にまた一歩近付いてしまったのだ。

 いまだ学校の授業にも追いつけていない状況で実戦に放り込まれるかと思うと、なんとも気が重い。だが、同時に身が引き締まる思いもあった。経緯はどうあれ、霊皇に実力を認められたのだ。普段は自己評価の低い大和でも、流石に少しは自信を持つ事が出来た。「今までの鍛錬は無駄ではなかった」と。


 とは言え、大和には未だ知らぬ事が多過ぎた。サムライについての知識だけではない、自分自身の事についても、あまりにも知らな過ぎる。


「……なあ、母さん」


 ――大和が薫子を「母さん」と呼ぶ事は非常に少ない。普段は「オイ」だとか「ウチのアレ」だとか、何ともぞんざいな呼び方をしているが、それは見た目も実年齢もまだ若い薫子への遠慮と、そんな若い母への思春期の息子らしい気恥ずかしさによるものだった。

 だから、大和がわざわざ「母さん」と呼ぶ時は、決まってはぐらかしてほしくない、真剣な話をする時に限られていた。


 だが、今の大和の口調には深刻な真剣さは感じられない。ほんの世間話をするかのような、柔らかい雰囲気だ。しかも、その視線はいまだ車窓に向けられており、薫子の方を向いてさえいなかった。


「なあに、大和?」


 そんな大和の様子をどう捉えたのか、薫子も変に構えず、ごくごく自然に受け答える。その母の反応を待って、大和はやはり自然に、なんでもない事のように、その核心的な問いを口にした。


「俺の父親って、どんな人だったんだ?」


 それは、以前にも何度か尋ねようとして、薫子に悲しい顔をさせてしまった、大和にとって禁断の問いだった。

 サムライの世界に足を踏み入れた時――薫子もまた、サムライと巫女の世界に無関係ではないと知った時、確かめねばと思いつつもついぞ聞けなかった問いでもある。


 正面に座る百合子が、ハッと息を呑む気配があった。

彼女も八重垣親子の抱える複雑な問題を知らぬ訳ではない。大和の問いが、口調とは裏腹に重大な、薫子との親子関係の根底に関わる問題である事を理解しているのだろう。余計な口出しもせず、ただただ真剣に二人の様子を見守っていた。


 ――長い沈黙があった。車内は静まり返り、時折外から聞こえる他の車のエンジン音や走行音、そして姫子の静かな寝息だけが辺りを支配した。やがて――。


「……悪い人では、なかったよ? うん、むしろ悪人か善人かで言ったら善人。まあ、色々と問題のある人だったけど……嫌いじゃなかった――うん、嫌いどころか、ちゃんと好きだった。――好きだったよ?」

「……そうか」

「うん、そう……」


 ――それで、二人の会話は終わった。薫子の言葉は本当に短く、具体的な事には何も触れなかったが、それでも大和は「それでよし」とした。

 「悪い人ではなかった」「好きだった」、今はその言葉が聞ければ十分だった。きっとそれが、薫子が今、大和に伝えられる精一杯なのだろう。


(やっぱり「過去形」、なんだな)


 薫子の言葉は全て過去形だった。大和にはそれが、少しだけ寂しく思えた――。




(第四話 了)

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