8.天と地と人と

『――君の質問に何でも答えてやろう』


 霊皇のその言葉は、まるでそれ自体がある種の魔法であったかのように、大和の心をじわりじわりと侵食し始めていた。


 予備知識もそこそこにサムライの世界に飛び込んだ大和は、霊皇に指摘されるまでもなく、自分の無知さを痛いほどに自覚していた。

 もちろん、教科書で得られるような知識については、日々自習を欠かしていない。中途入学した事で遅れている専門科目についても、毎日の補習で必死に追いつこうと頑張っている。


 だが、それで得られるのはやはり通り一遍の知識だけなのだ。幼い頃からサムライとなるべく勉学や修練、人間関係づくりに励んできたような人間――それこそ百合子のような――とは、サムライとしての下地からして天と地ほどの差がある。

 それは例えば様々な経験であったり、サムライや巫女の名家や人物についての知識であったり、業界の重要人物との縁故であったり、覚悟であったり……どれも一朝一夕で身に付けられるものではない。


 加えて、大和は自分自身の事や親しい人間の事について、あまりにも知らな過ぎた。

 古いサムライと巫女の血筋だという八重垣家の事。強い霊力を纏っていながらも「巫女でもサムライでもない」という母の事――しかも霊皇は、八重垣の末裔である大和が姫子の専属となった事を「因果な話」と評していた。未だ名も知らぬ自分の父親の事――それについて口を閉ざす母親の想い――も含め、霊皇は何か知っているような素振りを見せている。


 そして幼い頃から共に過ごしてきた百合子が抱える、自分の知らなかった事情――桔梗との因縁の正体、その全てを彼女は知っているらしい。


 もちろん、それらの話はどれも個人的な事情でしかない。

 大和がサムライとしての下地を持たぬのは大和個人の問題であるし、大和に話したくないからこそ――あるいは話す必要がなかったからこそ、薫子も百合子も今まで何も語ってこなかったのだろう。

 それでも大和が「本当の事」を知りたいと思うのならば、本人達に直接聞けば良い――いや、聞かなければならない。それが、親しい相手とはいえ、最低限通すべき「すじ」というものだろう。


 ――しかし、しかしだ。穿った見方をすれば、大和を取り巻くこの状況はとも言えるものだ。皆、自分に何かを隠している。自分だけが知らない。

 唯一の肉親が、幼い頃から家族同然に過ごしてきた大切な存在が、共謀して自分にだけ何かを隠している。理由が何であれ、自分だけを除け者にしている。この状況はちょっとそっとでは変わらないかもしれない。一生、自分は蚊帳の外のままかもしれない。ならばいっそ、霊皇のとやらを頂いて全てを無理やりにでも明らかに――。


 ――その時、パチンッと、乾いた音が周囲に響いた。


「――失礼」


 鈴の音のような声でそう言ったのは、姫子だった。見れば、その手にはいつの間にか愛用の扇が握られている。今の音はどうやら、彼女が扇を開け閉めした時のものだったらしい。


「――あ」


 大和の口から、声ならぬ声が漏れた。気付けば、背中にびっしょりと汗をかいてた。尋常な量ではない。

 今の今まで、自分がそんな異常な緊張状態にあったという自覚が全く無かった。まるで何かに魅入られたように、思考が袋小路に迷い込んでしまったかのように、何やら益体のない事を考えながら、大和は我を忘れてしまっていたらしい。

 それが今、姫子の扇の音によって意識を――理性を呼び戻されたのだ。


 ――霊皇の表情を伺う。

 相変わらず愉快そうな表情を見せているが、そこにはどこかイタズラが失敗した子供が浮かべるような、微妙な色が混じっているようにも見える。「ちぇ、失敗したか」とでも言う悪態が聞こえてきそうな風情である。


(――また、やられた!)


 この御所に連れてこられる際、大和は普段ならば気付くはずの様々な違和感に全く気付かず、のこのこと霊皇達に付いていってしまった。そして先程の地下洞窟に辿り着いた時、霊皇はこう言っていたはずだ。『多少霊力を乱してやっただけで簡単に迷子になるし、美人のお姉さんに優しくされたからと言ってホイホイ付いてくるし』と。

 つまり、そもそも大和が迷子になったのも、怪しさを微塵も感じずに霊皇の言うままに付いていってしまったのも、「霊力を乱された」から、という事になる。


 「霊力を乱す」というのが具体的にどういうものなのかまでは分からないが、どうやら霊的直感を著しく鈍らせ、注意力や思考も鈍くなるようなものらしい。先程までの、やけっぱちとも自暴自棄とも短絡とも取れる大和の思考を鑑みるに、もしかすると他人の思考をある程度誘導することまで出来るのかもしれない。


 そう、先程までの大和は全く正気ではなかった。

 いくら知りたいと願う様々な事柄についてとはいえ、自分で「個人的な事情」と割り切っている事を、この謁見の場で霊皇の力を借りて明らかにしよう等と考えるのは、矛盾以前の思考だ。霊皇が大和の思考をそのような方向に導いたのか、もしくは乱れに乱れた思考が支離滅裂な答えを導き出そうとしたのか……どちらかは分からないが、霊皇の表情から見ても、大和がまたしても彼女の術中にはまってしまっていたのは確かだろう。

 どうやら姫子が扇の音でもって呼び戻してくれたようだが、もしそれが無ければ――。


(――この人は油断ならない……いや、信用ならない!)


 敵意ギリギリの眼差しと共に、大和は改めて霊皇に向き合った。

 その大和の眼差しをどう捉えたのか、霊皇は一層愉快そうな表情を浮かべると「さあ、何でも訊いてくれたまえ」と、大和に催促してきた。


 ――さて、一体何を尋ねたものか。いっその事、嫌がらせとして実年齢でも訊いてやろうか――薫子との会話から察するに、霊皇もまた見た目と年齢が一致していないように見受けられる――等と考えた大和だったが、その質問をすると女性陣全てを敵に回すことになりかねないので、流石にそれは自重する。

 となると――。


「――では、一つ。『そらの龍脈』とは、どんなものですか?」


 霊皇自身が発した言葉の内、大和が今まで見た事も聞いた事もないその言葉。それについて尋ねる事が、今は一番無難であろう、と大和は判断した。


「なんだ、つまらん。今なら私のスリーサイズも答えてやるぞ?」

「いえ、そういうのは結構ですので」


 霊皇のセクハラ(?)はサラッと受け流す。彼女の言葉の大半が大和の心を揺らす為のものだ、という事はこの短い付き合いの中でも何となく察せられてきた。さりとてその全てが挑発の言葉か言えばそうではなく、要所要所で大事な言葉を織り交ぜてくる事もあり、油断できない。

 しかし同時に、霊皇にはそこそこ飽きっぽい面も見受けられる。こちらが面白い反応を見せなければ、途端にからかうのも面倒くさくなって話を次に進めようとする傾向があるようだ。

 ならば、ペースを乱されぬ為に大和がすべきは――出来るだけ「つまらない」反応を返す事だろう。霊皇のペースに巻き込まれてはいけない。


 ――そのまま、しばしの沈黙の時間が流れた。


「――ふむ、少々遊びが過ぎた、か。まあ、いいだろう。十分な暇つぶしにはなったからな。

 さて、八重垣大和君、『天の龍脈』とは何か、という問いだが……そもそも『龍脈』とは何なのかは知っているかね?」

「ええと……確か風水か何かで、山脈のような地形を表す言葉、でしたか? そういった地形はそれ自体がエネルギーの通り道になっているだとかなんとか」


 突然、愉快犯の顔を引っ込めた霊皇に面食らいつつも、大和は「龍脈」について自分が知っている知識を――殆どは漫画か何かで得たものだが――を答える。


「そうだ。山々の連なり――特に起伏のあるそれを風水では『龍脈』と呼ぶ。そして今君が言った通り、龍脈はエネルギー――霊力の重要な通り道、つまりは強力な霊脈とイコールでもある。険しい山脈の殆どには、重要な霊脈が通っているものなんだ。そしてこの日本と言う国……とりわけ本州には至る所に山脈が走っていて、それが訳なんだが……まあ、その辺りの仕組みは、おいおい御霊東高で学ぶ事になるだろう。今は『天の龍脈』の話だったな。

 ――さて、大和君。そもそもの話だが、『霊力』とは一体どんなものだったかな?」

「……万物に宿る生命エネルギー……でしたっけ?」

「――半分正解、といったところだな。確かに霊力は生命エネルギーであり、この惑星から生まれたもの全てが持つ……それは例えだ。非生物にも宿るものなのにエネルギーと呼ばれるのは、少々妙だと思わないか? 大和君。古代から崇められてきたありがたい巨石ならまだ分かるが、路傍の石ころにでさえ、霊力は宿っている……何故だか分かるかい? それは、霊力というものが元々はだからなんだ。

 この地球は生きている――もちろん、いわゆる『生物』の括りとは異なるが、巨視的に見ればある種の生命体と言っても過言ではない。そして、我々人間を含む全ての生物も、海も、大地も、全ては地球という生命の血肉であり骨であり、細胞の一つ一つ、つまりは地球の一部なんだ。一部である以上、地球の持つ生命エネルギーである霊力を、地球上の全てのものが宿しているのはごくごく自然な事だ……ここまではいいかな?」


 霊皇の問いかけに、大和はただ首肯でもって答える。


「――とは言え、やはり生物と非生物とでは大きな違いがある。非生物の持つ霊力は、地球本体から与えられたものであり、自分自身で生み出したものではない。だが、生物は己の生命活動の結果として、自ら生命エネルギー……霊力を生み出すんだ。もちろん、それは地球が持つものとは比べるべくもなく規模が小さいものだ。普通の生命が生み出す霊力は、たやすく地球から与えられるそれによってされてしまう。言ってみれば、地球の霊的支配下にある状態だ。『個』という概念は薄く、あくまでも母なる地球の一部でしかない訳だ。

 だが、生物の進化というのは面白いものでね、次第に……地球の一部でありながらも、自らを『独立した個』であると認識する生命体――そう、例えば人間のような生物がね。

 は、次第に地球から霊的に独立した存在となっていった。物体である肉体は少なからず地球の霊力の影響を受けるし、死して土に還ればその霊力は母なる星の大きな流れ――霊脈へと還っていくが、感情や自意識、つまり。『地球とは異なる個としての自分』という精神と、それに紐付いた霊力、言わば精神エネルギーとしての霊力――御霊みたまは、霊脈に戻る事はない――いや、出来ないと言った方が正しいな。一度芽生えた『個』の概念が、最早地球という『全』にとっては異物でしかないのだからね」


 「何だか壮大な話になってきた」と思いながらも、大和は霊皇の言葉に注意深く耳を傾けていた。どうやら彼女は、出会ってから初めて、ようやく真面目に話をしてくれているらしかった。


「さて、そうなると実に困った事が起こる。肉体が死滅すると、生命エネルギーとしての霊力は霊脈へと還っていく。しかし、精神エネルギーである御霊みたまの方は先程言った通り、霊脈には還れない。そうなると、幽霊のようにふわふわと漂うしかなくなるのだが……この先が面白い。肉体という寄る辺を失い彷徨さまよ御霊みたま達は、

 それが何故なのか、本当の所は分からない。『個』としての概念を獲得しつつもどこかで『全』に還りたいという意識があったのか、それとも『個』である事を維持する為に他の『個』と接し互いの違いを明確にし、それを存在証明としたかったのか……。ある人は『きっとみんなが寂しがり屋だったから』なんてロマンチックな事を言ったらしいがね、それは流石にメルヘンの領域だな。

 ……まあ、理由が何であれ、行き場のなかった御霊みたまの集まりは、やがて巨大なうねりになり、天に昇り、星の霊脈にも匹敵する大いなる流れとなっていったんだ。それが――」

「天の……龍脈……ですか?」

「その通りだ。人によっては天の龍脈こそがあの世――極楽やら天国やらと呼ばれるものの正体だ、等とのたまっているらしいが、そんな大層なものではないよ。どちらかと言えば、人類をはじめ『自意識』を獲得した生命体達の夢の残骸――記憶装置ストレージのようなものさ。そしてそれらも永遠のものではない。記憶も感情も、やがて薄れていくものだからね。やがては『個』としての意味を失い、ただ純粋な霊力として流転し、最終的には霧散する。『死後の世界』ではないのさ、あくまでも」


 そう語る霊皇の表情はどこか憂いを帯びており、大和は初めて彼女の中に人間らしい感情を見た。もっとも、一体どんな感情が彼女をそんな顔にさせているのかまでは分からなかったが……。


「――さて、大和君。天の龍脈についてのあらましは今語った通りだが……実は天の龍脈に合流せず、かといって大地の霊脈にも還らぬ御霊みたまもあるのだ。

 それらは、『個』である事に固執こしつするあまり他の『個』を否定するに至った感情……あるいは、自分以外も含めた全ての『個』を否定する破壊の衝動……総じて『負の感情』と呼ばれるものの具現――そう、我々が『荒魂あらみたま』と呼ぶ者達だ」

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