7.謁見

 大和の意識は闇の中にあった。

 右も左も、上も下も分からぬ完全なる暗闇――まるで自分だけが世界から切り離されてしまったかのような孤独感の中、ただぼんやりとした自我だけが漂っていた。


(――ここは、暗いな)


 ふと、そんな事を考えると、それが引き金になったのか、大和の意識は急激にその輪郭をはっきりとしていった。おぼろげだった記憶が蘇り、意識を失う直前までの出来事が浮かんでくる。


 霊皇れいおうに謁見するという姫子に付き従い、御霊庁ごりょうちょうへとやって来た事。

 そこで姫子達とはぐれ、菖蒲あやめ桔梗ききょうと名乗る二人の女性と出会った事。

 彼女達の案内のままに御所ごしょへと足を踏み入れ、そこでいきなり荒魂あらみたまと戦わされた事……。


 何とも酷い目に遭ったものだが、百合子や姫子の助けもあり、なんとか荒魂を撃退出来たのだ。

 だが、そのまま力を使い果たし、意識を失った――そこまで思い出した所で、大和は自分の身体の感覚が元に戻りつつあるのを感じた。


 未だ視界は暗いままだが、世界はまず上下を取り戻した。どうやら大和はどこかに仰向けに倒れているらしい。

 次に、触覚しょっかくが戻ってきた。背中には冷たい木の感触……どこかの板の間の上に寝かされているようだが、何故か後頭部だけは温かくも柔らかく心地よい「何か」に包まれているようだ――そう、ちょうど


(こ、この感触は、もしや!?)


 更に触覚が回復した事で、大和はようやく自分が置かれている状況を正しく理解した。

 大和は今、どこかの板の間に寝かされ、そしてのだ。


 問題は、「一体誰が膝枕をしてくれているのか?」だ。恐らくはあの戦いの場に居合わせた誰かなのだろうが……残念ながら後頭部越しの感触だけでは、一体それが誰のものなのかまでは分からない。

 あの場にいたのは、百合子と姫子、母の薫子、そして菖蒲こと霊皇と桔梗の五人だ。つまり、五分の一の確率で百合子の膝枕という事になる。

 流石に霊皇と桔梗は膝枕などしてくれないだろうから、実質三分の一。更に、後頭部に伝わる柔らかさや心地よさを考慮すれば、幼児体型の姫子も除外できそうだ。つまり、二分の一まで絞られる――。


 そんな馬鹿な考えを巡らしている内に、まぶた越しに光を感じ始めた。視覚も回復してきたのだ。

 このまま目を開ければ、大和を膝枕しながら心配そうにその顔を覗き込む百合子の憂いの表情が――。


「あ~、やっと起きた~。やまと、分かるぅ~? ママですよ~」

「……ああ、うん。分かってたよ、うん」


 それまで意識を失っていた人間とは思えぬ動きで、大和は素早く薫子の膝枕からした。

 冷静に考えれば、率先して膝枕をするような人間は一同の中で薫子くらいしかいないのだ。「もしや百合子が」等という淡い希望を抱いた自分を恥じ、大和は自然とその場に正座していた。



「大和君、気分はどう? どこか痛い所は? 体の感覚がおかしいとか、ないかしら?」


 そんな大和の様子を見て、薫子の傍らに座る百合子が心配げに声をかけてくる。


「百合子よ、今日のお主はやけに過保護じゃのう……いつもそのくらい優しいと私も助かるんだが」


 薫子を挟んで百合子とは反対側には姫子の姿があった。彼女には珍しく、きちんと正座をして何やらかしこまっている。


 改めて周囲の様子を窺うと、そこは見知らぬ部屋だった。

 板張りの、二十畳程はあろうかという部屋だが、その広さにわりに物が少なく、殺風景な印象を受ける。部屋の奥の方は一段高くなっており、そこだけ畳が敷かれている。

 そしてそこに、平安貴族が使っていそうな肘掛け――確か脇息きょうそくと呼んだか――にだらしなく寄りかかる霊皇の姿があった。その傍らには、桔梗の姿もある。


「――ようやく目覚めたかね、待ちくたびれたぞ」


 何とも気だるそうな霊皇の言葉に、「一体誰のせいで倒れたと思っているんだ」と内心憤りながらも、大和は何とかそれを表に出さぬようこらえた。相手はサムライと巫女の頂点に立つ、この国の霊的支配者なのだ。彼女に対し何か失礼があれば、それは「主」である姫子のにもなりかねない。

 大和は、霊皇に対し真っ直ぐ向き直り姿勢を正した。


 そんな大和の様子がどう映ったのか、霊皇は実に愉快そうな表情を浮かべた。


「さて、八重垣大和君。今更言うまでもないが……私が霊皇だ。何、かしこまった礼儀作法などはいらないぞ? 最低限、目上の人間への礼節さえ弁えてくれれば結構。『おう』だとか『陛下』だとか言われていても、私は別に国家元首という訳ではない。巫女とサムライの総元締めというだけの事だ。何なら気軽に『お姉様』と呼んでくれても構わないぞ?」


 何がおかしいのか「ハハハッ!」と哄笑こうしょうする霊皇。その姿は一見すると「ただ態度のでかいだけの女」にしか思えないのだが、大和は彼女が全身にまとう底知れぬ「何か」を感じていた。「菖蒲」と名乗っていた時には全く感じなかった、圧倒的な威圧感を。


(これが、霊皇……)


 曰く、この国の霊的象徴。曰く、巫女とサムライの頂点に立つ存在。

 戦前の一時期には、国家君主として文字通り国のトップであった事もある。家系や血統ではなく、巫女としての才能のみを重視され代々受け継がれてきた「皇」。国民の前には殆ど姿を現さず、神秘のベールに包まれてきた存在が今、大和の目の前にいるのだ。


「……普通に『陛下」とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


 湧き上がる様々な感情を押し殺しつつ、大和はなんとかそれだけを答えた。

 霊皇はと言えば「なんだ、つまらん」とでも言いたげな表情を浮かべつつも、「うむ、許す」と大和に告げると、その身をゆっくりと脇息から起こし、改めて大和達に向き直った。


「もう気付いているかもしれないが、君達を今日呼んだのは何も姫子や百合子の夏服が見たかったからではないのだよ。……目的は君だ、大和君。私の可愛い可愛い後継者が、遂に専属を選んだと聞いて以前から気になっていてね。早くお目にかかりたいと思っていたのだが、私も中々に多忙でね、今日まで都合が付かずにいたのだよ。

 ――まあ、そのお陰でが実現したわけだがね」


 「愉快なご対面」と霊皇が口にした時に、百合子と桔梗の肩が僅かにピクッと震えたのを大和は見逃さなかった。本人達の様子を見るに、全く「愉快」とは言えなさそうに見えるが、今は余計な口を開くべきではないと判断し、大和は口をつぐんだ。

 霊皇が油断ならない相手だという事は、先程までの件で心底思い知った。下手に隙を見せれば、そこから付け込まれ玩具にされるのは目に見えている。

 つとめて冷静でいなければ、と自分に念を押した大和だったが、その覚悟は霊皇の次の言葉の前に脆くも崩れ去った。


「しかし、まさか姫子が選んだ専属が……何とも因果な話だ。そちらのメイドは、確か薫子と言ったかな? 私とは初対面だったな」

「……はい。初めてお目にかかります、陛下」


 当たり前のようにかわされる霊皇と薫子の会話に、大和は内心の動揺を隠しきれなかった。

 「八重垣家の末裔」と霊皇は言った。今まで気にした事もなかったが、八重垣の家には何か曰くがあるのだろうか? 鳳家の遠縁なのだから、サムライや巫女に僅かながらでも関わりがあるのではないか、と考えた事もあるが、大和は自らの家系――血筋について、薫子から何も聞いた事がなかったのだ。


「――ほう、大和君。その様子では、自らの血筋について何も知らぬようだね? 何、複雑な話ではない。八重垣家も、それはそれは古い家系でな、多くの巫女やサムライを輩出してきた名家だったのだよ。だが、近年ではな。巫女やサムライの力に目覚めぬまま生を終える者が多くなってしまった。

 そんな事もあって八重垣の家は没落の一途を辿り、遂には当主夫妻――君の祖父母が早逝し、巫女の力もサムライの力も持たぬ、幼い一人娘だけが遺されて、事実上お家は潰えてしまったという事さ」

「そんな……事が……」


 霊皇に明かされた話の真否を問うように、大和は母の薫子へと目を向けた。薫子はただ「あまり面白い話じゃないからね」とだけ言って、霊皇の言葉が真実である事を息子に告げた。

 ――母が肯定した事で霊皇の言葉を真実として受け取った大和だったが、それでも一つだけ謎が残った。霊皇は遺された八重垣の一人娘――つまり薫子の事を指して「巫女の力もサムライの力も持たない」と言った。

 だが、大和の霊感は薫子が纏う常人ならざる霊力を確かに感じている。巫女のそれにも似た、強い霊力を。この矛盾は、一体どういう事なのか。


「ふむ、本当に何も知らぬのだね、君は」


 大和が思わず考え込んでしまったその様子を、霊皇は実に愉快げに眺めていた。大和が彼女の「面白そうな玩具が手に入ったぞ」とでも言ったような視線に気付いた時には既に手遅れであり、霊皇の口からは大和を惑わせる「魔法の言葉」が紡がれようとしていた。


「大和君、今日の私は実に気分が良いので――

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