6.そらみつ大和

 常に毅然としていて真昼の太陽のような輝きを放つ百合子と、どこか掴み所が無くまるで夜空に浮かぶ朧月おぼろづきのような神秘性を持つ桔梗。正反対の二人だが、その顔立ちとやや茶色がかった黒髪は他人とは思えない程に似通にかよっている。

 ――まるでのように、だ。


 だが、大和の記憶が確かならば、功一郎の娘は百合子一人である。鳳家の近縁に、桔梗に該当するような娘がいたという記憶もない。

 では、桔梗は一体何者で、何故あそこまで強い怒りを百合子に向けられているのか? 百合子の事をよく知っているつもりでいたが、実は自分は彼女の事を何も知らないのではないだろうか? そんな何とも言えぬ想いが、大和の胸中に渦巻いていた。


「お答えください、陛下!」


 「何故、桔梗がこの場にいるのか」を重ねて菖蒲あやめ――いや霊皇れいおうに問いただす百合子の声が地下に響く。その声音こわねには、抑えきれぬ怒りの色が浮かんでる。

 しかし、それでいて融合鎧武者の太刀を受け止める彼女の霊刀が纏う霊力には一分いちぶの乱れも無く、鎧武者の動きを完全に抑え込んでいた。

 怒りに声を震わせていても、霊力のコントロールが乱れる事は無い。百合子の技量の高さを如実に表す光景だ。恐らく、大和ではこうはいくまい。


「だから言っているだろう? 『見ての通り』だ、と」


 百合子の問いに答える気がさらさらないのか、実にぞんざいな答えを返す霊皇。だが、その表情はどこか愉快げで、百合子の反応を楽しんでいるようにも見えた。

 その傍に控える桔梗は無言を貫き、例の悪戯っぽい表情を保っていて余裕を持っているように見えるのだが……大和にはその表情が、内心の動揺を取り繕う為のもののように感じられた。

 「同調」で霊力を介して繋がっている為なのか、今の大和には、ほんの少しではあるが桔梗の感情の波が伝わってきているらしい。彼女の心中に渦巻く複雑な感情――動揺、喜び、迷い、そして悲しみ――がほんのりと伝わってくる。


(一体、この二人に何があったんだ――?)


 大和の疑問は深まるばかりだが、それを声に出して訊ける雰囲気ではなかった。


「……分かりました。この『しき』を倒した後で、ゆっくりと伺う事にします」


 このままではらちが開かぬと判断したのか、百合子は意識を目の前の荒魂あらみたま――融合鎧武者に切り替えた。


「ハッ!」


 ――気合い一閃、それまで融合鎧武者の太刀を受け止めていた霊刀に力をめると、百合子は一気にそれを振りぬいた。その斬撃は烈風を生み出し、融合鎧武者の巨体は抗う事も出来ず数メートル後方へと弾き飛ばされる。

 凄まじいまでの豪剣だった。


「ほうほう、調そやつを退けるか……また腕を上げたな、百合子よ」


 感心するような霊皇の言葉通り、百合子は巫女によるバックアップを受けていない状態だ。にも拘わらず、その剣の威力は桔梗と同調した時の大和のそれに勝るとも劣らない――いや、だけならば、大和のそれを遥かに凌駕していた。

 単純な霊力量だけで言えば、桔梗と同調した時の大和の方が遥かに上だろう。だが、それ以外の全て――剣技が、霊力の制御が、経験が、気合が、大和のそれを遥かに上回っているのだ。


(――なんて、遠い……)


 サムライの世界に足を踏み込んだ事で、少しは百合子に近付けたと思っていた――そんな自分の考えが甘かった事を、大和は思い知っていた。その背中は、まだまだ果てしなく遠くにあった。

 桔梗の事もそうだ。百合子と桔梗の様子から、彼女達の因縁が昨日今日のものではない事が窺える。幼馴染の自分でさえ知らぬ百合子の一面を前に、大和は否応なく彼女との距離を感じてしまっていた。

 だが――。


(でも、それでも……!)


 鉛のように重たくなった手足に、渾身の力を込める。ゆっくり、だが確実に、膝をついた身体に鞭打ち、大和は立ち上がろうとしていた。


「――ぬ、うぅぅぅぅぅぅっ!!」

「や、大和君!? 駄目よ! その体で無理をしては……」


 突然に大和が上げた気合の叫びに、戦闘中にも拘らず百合子が振り返り驚愕の表情を浮かべた。

 大和は知らぬ事だが、彼の精神は今、この地下に充満した濃厚な霊力の影響と訓練もなしに「形態変化」等の高等技術を振るった反動、更には荒魂の「陰の気」と長く触れ合った事による、ある種の霊的中毒症状等によって極度に疲労した状態なのだ。

 肉体の損傷や疲労は霊力の加護で癒やされようとも、精神的な疲労はそう簡単には回復しない。むしろ、身体に力を込めようとすればするほど大量の霊力を自らの体内に呼び込み、精神的疲労が増してしまうのだ。


(こんな所で、膝をついてなんていられないんだ! 遠い背中でも、俺は、絶対に、追いついてみせる!)


 百合子の背中が果てしなく遠い所にあろうとも、自分の知らぬ――あるいは明かしてもらえぬ――事情が彼女にあろうとも、それを引け目に感じているだけでは、永遠にその距離は縮まらない。それどころか、立ち止まったり膝をついたりしていては、距離が広がるばかりだ。

 だから、歩き続ける。止まってなんていられない。少しずつでも、彼女に近付く――そんな大和の強い想いは、遂に肉体を突き動かした。


 錆びついて動かなくなった機械のように折れ曲がったままの膝が、軋みながらゆっくりと伸びていく。小太刀を握る手に熱が宿る。浅い呼吸を繰り返していた肺に、深くゆっくりと空気を送り込む。

 ――いつしか、大和は再び立ち上がっていた。そしてゆっくりと小太刀を構え直し、融合鎧武者に向かってその切先を向ける。言葉にこそ出さないが、それは「俺はまだやれる」という大和のこれ以上ない意思表示だった。


「――ほう、あの状態から立ち上がってみせるか。百合子よ、彼はまだやる気だぞ? 見せ場を奪っては可哀想ではないかな?」

「なっ、……彼はもう限界です! 陛下もそれは十分お分かりでしょう!? 大和君、下がっていて! ここは私が――」


 どこか小馬鹿にしたような――しかし実に楽しそうな霊皇の言葉。当然それに反発した百合子は、これ以上の問答は無用とばかりに融合鎧武者に剣を向ける。だが――。


「――控えよ百合子! 陛下に対し不敬であるぞ、剣を引かんか!」


 地下に、百合子を押し留める声が響き渡った。入口である階段の方から発せられたその声に、その場の誰もが目を向ける。


「まったく……行く行くはが、そんな不敬な態度をとってなんとするのじゃ? 自覚が足らんのではないか?」


 声の主――姫子はゆっくりと階段を下りながら、その場に現れた。傍らにはメイド服姿の薫子も控えている。


「ひ、姫。でも……」

「『でも』もへったくれもないわ! サムライと巫女にとって、霊皇陛下のお言葉こそが至上。忠義ゆえの上奏ならば許されようが、わたくしの感情からお言葉を否定するとは、無礼千万であるぞ!」


 いつもは姉に叱られる妹のように百合子にたしなめられてばかりの姫子が、今は逆に百合子を叱りつけていた。姫子の言葉を受けた百合子は、どこか悔しそうな表情を滲ませながらも、霊刀を鞘に納め後ろに下がる。

 大和にとって、今日見てきた幾つかの信じられない光景の中でも、これが一番の驚きかもしれない。


「――さて陛下、失礼ながらご挨拶は後ほど……大和よ! よくぞ立ってみせた! 流石は我がサムライじゃ! じゃが、立ち上がった以上、見事そこなる荒魂を打ち倒さねばならぬぞ? 敗北は許さん、やってみせい!!

 ――桔梗殿、?」


 大和に発破をかけた姫子は、最後に念を押すように桔梗へと呼びかけた。桔梗が無言で首肯しゅこうしてみせたのを確認すると、姫子はゆっくりと「言霊ことだま」をつむぎだした。


『汝、八重垣大和。我が始祖の御霊みたまを前に、今、ここに汝の魂を解放する……我が剣となれ!』


 瞬間、大和の身体を桔梗との同調時を上回る霊力が包んだ。

 しかもそれだけではない。先程まで酷く重かった身体が、ほんの少しだけではあるがを取り戻し始めたのだ。十全とはいかないまでも、これならば十分に戦えるはずだ。


「――ほう。ふむふむ、なるほどな! いずれ『そら龍脈りゅうみゃく』に至る器というのは、本当のようだな! いい拾い物をしたじゃないか、姫子! しかも名前が『大和』とは、なんともおあつらえ向きだ。君の『そらみつ大和』という事か! こいつは傑作だ、まるで! ハハハッ!」


 何やら霊皇が一人で楽しげに笑い始めたが、今の大和にはその言葉の意味を考える余裕はない。少しだけマシになったとはいえ、身体はまだ万全ではないのだ。

 あまり長時間は戦えまい。出来れば一撃――ただ一太刀で荒魂を倒さなければならない。


 融合鎧武者の荒魂は、百合子に吹き飛ばされた所から一歩も動いていなかった。まるで、こちらが押し問答している間、空気を読んで攻め掛かって来なかったかのようにも見えるが、恐らくは百合子が放つ殺気によって抑えこまれていただけだろう。

 だが、百合子が剣を納めた事で、再び動き始めようとしている気配がある。


 今の大和の疲労困憊の状態ならば、荒魂が襲いかかってきた所を返し技カウンターで迎え撃つのが最善の策だろう。元々、受け上手な大和の戦法とも合っている。だが――。


(今は待つ時じゃない……攻める時だ!)


 ――果たして、それは大和の「立ち止まらない」という意地だったのか、それとも霊的直感が彼に告げたある種の予感だったのか。大和は荒魂を迎え撃つのではなく、自らが打って出ていた。


 全力の踏み込みにより数メートルをただの一歩で詰め、一気に荒魂へと肉薄する。その大和の動きに反応したのか、はたまた予めそう動こうとしていたのか、荒魂はその場を微動だにせぬまま、意外な行動に出た。


オン!』


 その「声」は、確かに荒魂から発せられた。おおよそ人間には発声不可能であろう、地獄の底から響き渡るような重低音。荒魂へと肉薄していた大和の身体にもビリビリと衝撃が伝わるほどの、強烈な響きだった――が、はその後にやってきた。

 荒魂の体内の霊力が膨れ上がったかと思うと、それが渦巻く奔流となって前方――大和へと放たれたのだ。


「ぐっ!」


 渦巻く霊力の奔流が大和を襲う。その奔流に込められた威力は太刀の一撃には劣るが、それでも大和の精神をじわりじわりと侵食していく。

 しかも、太刀と違い霊的な効果だけではなく、実際のをも備えており、踏み込んでいた大和の身体は危うく押し返されそうになる――が、大和は歯を食いしばり、なんとかその場に留まる事に成功した。


「ほほう、大和め。生意気にも『荒魂トルネード』に耐えておるわ!」

「姫、あの荒魂の技を知っているの!?」

「いや、今適当に付けた」


 ――大和の危機的状況にもかかわらずコントのような会話を繰り広げる姫子と百合子の声は、幸いにも大和には届いていなかった。もし届いていれば、それだけ心が折れていたかもしれない。


「ぐぬぬぬ……このぉっ!!」


 「荒魂トルネード(仮)」は収まる気配を見せず、大和はあと一歩という所で釘付けになっていた。少しでも油断すれば後ろに弾き飛ばされるであろう奔流の中を、必死に踏みとどまる。


(もし受けに回っていたら……近寄れもせず終わっていた!)


 そう、「前に出る」という大和の戦術は結果的に正解だった。もし、返し技狙いで距離をとったままだったなら、そのまま「荒魂トルネード(仮)」で押し切られていただろう。

 しかし今の位置からならば、あと一歩の踏み込みで荒魂に剣が届く――。


「――行くぞ!」


 自らを鼓舞する意味も含め、叫びとともに大和が踏み込む。剛弓から放たれた矢のように、大和の身体が駆ける。――もちろん、ただ踏み込むだけならば、この奔流には逆らえまい。

 だが――。


(イメージするのは、風を切って疾走はしる一本の矢!)


 大和が強く思い浮かべたイメージに従い、その身を包む守護結界が形態を変える。薄く、細く、そして鋭く。文字通り大和の身体を一本の矢の如く包む強固な結界が形成される。荒魂の邪悪なる霊力の奔流を引き裂くように、大和の身体が駆ける――。


はっ!」


 裂帛れっぱくの気合と共に、大和は渾身の突きを繰り出した。彼の身体はそのまま一本の矢となって見事に融合鎧武者の身体を貫き――。

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