5.死闘! 荒魂 その二

「――くっ!」


 大和の口から苦悶の声が漏れる。鎧武者――荒魂あらみたまの太刀がまた体を掠め、意識が混濁しかけたのだ。

 巫女である桔梗との「同調」を果たした大和はより強い「守護結界」で守られており、荒魂の太刀もある程度防いでくれる。たとえ守護結界で防ぎきれず今のように太刀が体を掠めても、受ける精神的ダメージは先程よりも格段に少なくなっているはずだったが、それでも疲労困憊ひろうこんぱいの身には応えるものがあった。


 通常、霊脈接続を行い守護結界をまとったサムライは、強い回復効果を得る為、少々の傷はすぐに治癒してしまうし、疲労感も大幅に軽減される。たとえフルマラソンを完走したとしても、息一つ切れない事だろう。

 しかし、それは肉体的な疲労や損傷に限った話だ。いくら霊的な加護を得ているからと言っても、その精神は人間のものでしかない。霊的直感によりもたらされる膨大な情報の奔流に晒される事で、その精神的負荷は想像を絶するものになる。


 サムライが精神修養を重んじるのは、何も道徳上の理由からだけではない。霊的直感によりもたらされる情報の嵐の中でも自分を見失わず、己を律する強い精神が必要不可欠であるからだ。


 そう言った意味では、自称「平凡」ながらも、実際には非常事態に遭遇しても最低限の冷静さを失わず肝が据わった行動の出来る大和は、最初からサムライの資質を持ち合わせていたと言える。

 初めて姫子と「同調」した際に、サムライの力に振り回されず十全に能力を発揮した事からもそれは明らかだ。

 ――だが、その大和をしても、今の状況は精神の限界を強いる苦境だった。


 鎧武者の荒魂の数は七体。一体一体の能力は、先ほど大和が倒した個体と変わりないように見える。一対一であれば、桔梗との「同調」を果たした大和ならば最早苦戦する相手ではない。

 しかし、それが七体いるとなれば話は全く変わってくる。


 多対一の戦いの場合、周囲360度全てが敵となり全方位に気を配る必要がある。

 だが、多勢の方も数が多ければ多いほど同士討ちの可能性が高くなり、同時に仕掛けられる人数は自ずと制限されてくる。更に言えば、真剣での斬り合いの場合、いくら数で圧倒的優位に立っていても、相打ち覚悟で反撃されれば一人くらいは道連れにされる可能性があるのだ。

 そして多くの場合、最初に斬りかかった者がその道連れの餌食になる。よほど統率の取れた命知らずの集団でもなければ、たとえ多対一の有利な状況でも、ある程度の膠着状態が生まれる事になる。


 しかし今、大和が相対しているのは同士討ちや相打ちを恐れる心など持たぬであろう荒魂だ。躊躇なく容赦なく攻めかかる七本の太刀を躱し続ける事は容易ではない。

 更に大和にとって不利な事に、どうやらこの鎧武者達はそもそも


 何度か、躱した斬撃が他の荒魂に当たるよう誘導してみたのだが、太刀は鎧武者の体をすり抜けるばかりで、何のダメージも与えていないようだった。荒魂は互いを傷付け合う事がない性質を持つのか、それともこの鎧武者の個体特有の性質なのか、今の大和には判断が付かない。

 だが、少なくとも同士討ちを誘うという戦法が全く通用しないのは確かだった。むしろ、――。


「ようやく気付いたようだな、大和君。いくら人間のような姿をしていようと、荒魂はひとではない。たとえ剣術の真似事をしてこようとも、それは彼奴等きゃつらの中に渦巻く陰の気――怨念の中に残された誰かの記憶の残滓でしかないのだよ。そんなものとまともに張り合う必要などない。

 それにな、大和君。彼奴等の太刀を受けられぬと察したのは中々に慧眼けいがんだったが……それはあくまでも。今、君が纏っているもの、霊刀を包んでいるものが何なのか、よく考えたまえ」


 大和の内心を察したかのような菖蒲の言葉は、果たして純粋なアドバイスだったのか、それともそろそろ状況に飽きてきて場を早々に手仕舞いしたいが故の言葉だったのか――菖蒲のやる気の無さそうな口調から大和は後者だと感じたが、それでも十分なヒントには違いない。


 今、大和の体と霊刀である小太刀を包むもの――それは霊力によってまれた「守護結界」だ。あらゆる物理的・霊的な力から我が身を守る、鉄壁の鎧。ビル火災の際には、この守護結界のお蔭で大和は炎にも熱にも煙にも害されずに済んだのだ。

 そして今も、荒魂の斬撃を防ぎ、あるいはその威力をいでくれている。


 大和単独による霊脈接続時には、霊力が足りなかったのか守護結界は荒魂の太刀を防げなかった。

 だが、今は直撃以外は防いでくれている。桔梗と「同調」した事で霊力量が数倍以上に跳ね上がっている為だ。


(そして、防ぐ事が出来るのならば、逆に――)


 改めて自らの纏った守護結界に意識を向ける。

 体を包む温かで目に見えぬ膜のような存在。どこかフワフワとした不定形のイメージだが、これは大和が守護結界を。水鏡の如きリラックス状態になった時、大和の体を包む霊力――守護結界もまた、同じような静謐せいひつさを持つに至っていた。

 守護結界は、サムライの精神状態や頭の中のイメージよって、その様相を変えるのだ。穏やかな心持ならば静かに、烈火の如き闘志を燃やせば荒々しく……。


(ならば今、俺がイメージすべきは……)


 七体の鎧武者による間断なき攻撃を凌ぎながら、大和はある一定のイメージを頭の中に浮かべ始めた。

 柔らかな衣ではなく、堅牢な鎧を。手にした小太刀そのままではなく、長大な、鎧武者の太刀にも負けぬ白刃を――。


「破っ!」


 裂帛れっぱくの気合いと共に、大和が小太刀を横薙ぎに振るう。目の前の鎧武者達が小太刀の間合いの外にいるにも拘らず、だ。

 ――だが次の瞬間、鎧武者の内二体が突風を受けたかのように吹き飛び、そのまま霧散した。まるで大和がでもって触れずして鎧武者を吹き飛ばしたかのような光景だった。

 しかし、霊的な視覚を持つ者には全く違う光景が見えていた事だろう。即ち、大和の手にした小太刀が、さながら大太刀おおたちのような長大なる霊力の刃を纏い、鎧武者を薙ぎ払った光景が。


 を倒された鎧武者達だったが、菖蒲の言う通り彼らに感情などない。ひるむことなく、むしろ大振りで隙だらけとなった大和の背中めがけて殺到する。

 内二体が鋭い突きを放ち太刀が大和の身体を貫いた――かに思えたが、しかし鎧武者達の切先きっさきは、大和の背中の表面で止まりその身体を貫いてはいなかった。

 ――やはり霊的な視覚を持つ者は気付いたであろう、大和が体に纏う、極薄だが超圧縮され恐るべき防御力を誇る守護結界の鎧に。


「お前らの攻撃は、もう効かない!」


 雄叫びを上げながら振り向きざまに一閃、大和の刃は二体の鎧武者を両断し霧散させた。


「ほう、『形態変化けいたいへんか』を見事にモノにしてみせたか。なるほどなるほど、話に聞いた通り実戦に強いタイプだ。では、そろそろ仕上げと行くかな」

「……でも大和君、そろそろ限界みたいですが?」


 大和と「同調」している桔梗は、既に彼の体力が限界に近い事を感じ取っていた。

 恐らくこれ以上の過酷な戦闘は無理だろう。下手をすれば命にかかわる。そう思い「中止」を進言したのだが……そんな桔梗の言葉が聞こえているのかいないのか、菖蒲は「さあ、最後の試練だ」と実に邪悪な笑みを浮かべながら拍手かしわでを打った。すると――。


「な、なんだ!? 鎧武者が……一つに!?」


 菖蒲の拍手が合図となったのか、残る鎧武者三体は突然にその像を重ね始め、次の瞬間には一回り巨大な鎧武者へと「融合」を果たしていた。姿形は変わらないものの、そこから感じる威圧感は三倍……いや、それ以上だった。


「八重垣大和君、君が先程習得した守護結界の密度と形状を操る技術は『形態変化』という中々の高等テクニックだ。よくぞこの短期間でモノにしてみせた! まずは誉めておこう。

 では、次はいよいよ最後のお題だ。……荒魂も霊体である以上、『形態変化』の真似事が可能だ。延びたり縮んだり、分裂したり融合したりと様々だ。今回は、鎧武者くん達を融合させて私の霊力でちょっぴり強化してやった。デカい上に硬い逸品だ。楽しんでくれたまえ」


 「ハッハッハッ!」と渇いたわざとらしい笑い声を上げる菖蒲を横目に、ここまで来たら覚悟を決めるしかないと融合鎧武者に向き直った大和だったが――。


「……あれ……?」


 くらりと眩暈に襲われ、気が付けば大和は地に膝をついていた。

 急ぎ立ち上がろうとするも、足に全く力が入らない。視界も急激にぼやけ始め、小太刀を持った右腕もカタカタと震え出した――体力と気力の限界が訪れたのだ。慣れぬ「形態変化」とやらを行った影響か、積りに積った疲労が遂に誤魔化しきれなくなったからか、それとも……。


「……くっ! ふっ!」


 気合いの声と共に体に鞭打つ大和だったが、体はまるで言う事を聞かない。そうこうしている間にも融合鎧武者の巨体が迫る――守護結界は健在だが最早先程までの堅牢さは無い――融合鎧武者が太刀を振り上げる――体は動かない――鎧武者が太刀を――。


「あっ――」


 ――死んだ。これは死んだ。大和は唐突に己の死を確信した。

 最早大和には、神速で振り下ろされる融合鎧武者の太刀を避けるすべは残されていない。なけなしの守護結界も紙のように引き裂かれるだろう。あの太刀に唐竹割にされれば、肉体は傷付かなくとも、恐らく大和の精神が死ぬ。


 太刀はやけにゆっくりと迫って来ているように見えた。実際には恐るべき速さのはずだが、まるでスローモーションのようだ。噂に聞く、死の間際の人間が見るという「時間が圧縮された世界」とやらだろうか。


 そんな益体もない事を考えていると、今度は不意に、薫子の顔が浮かんだ。次に功一郎の顔が、夏彦や亜季の顔が浮かんだ。これが走馬灯という奴だろうか? とどこか他人事のように考えていると、次に姫子の顔が浮かんだ。とても怒った顔をしている。「姫のサムライになる」という約束を破ったからかもしれない。


 そして最後に……百合子の顔が――いや、何故か後ろ姿が浮かんだ。「ああ、今まで背中を追いかけていてばかりだったからかな」等とぼんやり考えていると、今度は「大和君」と自分を呼ぶ声まで聞こえてきた。どれだけ彼女の事が好きだったんだろうと自分に呆れ果てると、いよいよ終わりの時が来たのか段々と視界が白くなってきて――。


「――ん! ――くん! ――大和くん!! 気をしっかり持って!!」


 ――自分を呼ぶ確かな声に、意識を取り戻す。急激に回復した大和の視界に映ったのは――融合鎧武者の太刀を自らの霊刀で受け止める百合子の姿だった。


「……百合、子……? あれ、夢じゃなくて、本物、か?」


 そう、そこにいるのは紛れもない、本物の百合子だった。融合鎧武者の太刀が大和に届くその直前、颯爽と駆けつけた彼女が大和の危機を救っていたのだ。

 そして――。


「――これは一体どういう事ですか、?」


 問い質すような百合子の口調、そして投げかける鋭い視線の先に居るのは――菖蒲だった。


「どうもなにも……見ての通り、だが?」


 「一体何が不満なのだ?」とでも言わんばかりに不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げる「陛下」こと菖蒲。


(――ああ、やっぱり、か)


 いくら鈍い大和でも、流石に菖蒲の正体についてはおぼろげながらも気付いていた。

 入構証を持たぬ桔梗を「私の客」等と称して伴い、顔パスで「御所」へ入る事を許され、更には御所内の怪しげな施設を自由に扱える人物。これだけの材料が揃っていれば嫌でも分かる。

 「菖蒲こそが霊皇れいおうなのだ」という事実が。


「彼は――大和君はまだサムライの修業を始めて一ヶ月程度の初心者です! そんな人間を『しき』と戦わせるだなんて……しかも――」


 しかし、次の百合子の言葉は、大和にとって全くの予想外のものだった。


「しかも、!」


 大和も今まで殆ど聞いた事が無いような、激しい怒気を孕んだ百合子の叫び。

 怒りの矛先である「その女」――桔梗は、例の悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ただ百合子の事を見つめていた。


「――あっ」


 そして大和はようやく気付いた。ずっと桔梗に感じていた「誰かに似ている」という感覚、その正体に。


 対峙する百合子と桔梗、身に纏う雰囲気も表情の作り方も正反対な二人だが、

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