3.扉の向こう

「……これが『御所ごしょ』ですか?」

「はい、これが『御所』ですよぉ?」


 大和に問われ、菖蒲あやめがにっこりと笑みを浮かべながら答える。が、大和はまるで狐につままれたような気分だった。

 ――菖蒲に案内されて辿り着いた「御所」、そこはどう見てもにしか見えなかった。


 中々に立派な瓦屋根が目を引くものの、それ以外の外観は戦後の日本で腐るほど建てられた一般的な和洋折衷の一戸建て住宅そのものだ。建坪も大和が以前暮らしていた鳳邸の離れに毛が生えた程度だろう。それが御霊庁内の雑木林のただ中にポツンと佇んでいるのだから、かなりの違和感だ。

 塀の類も見当たらない。いくらここが出入りの厳しく制限された御霊庁の敷地内とは言え、霊皇というかつては国主同然であった立場の人間の住まいとしては、何とも不用心過ぎるのでは、と大和は思ってしまった。


 流石に玄関口の両脇には制服姿の警備員――いや、帯刀したサムライが一人ずつ立って警護に当たっている。

 彼らの身に纏う、どこか昔の将校の軍服を思わせるやや華美な制服は、大和の記憶が確かならば「御霊警察ごりょうけいさつ」と呼ばれる御霊庁やその管轄する霊的要衝、そして霊皇の警護に当たる特別な警察組織のものだった。学校支給の資料集で見た覚えがあるので、恐らく間違いないだろう。


「ご苦労様ですぅ」


 菖蒲が御霊警察官達に笑顔を向けて会釈すると、二人の警官は一糸乱れぬ動作で敬礼を返した。


「お客さん方はもう、中に?」

「は! 七條姫子様とお連れの方二名様を、既に『謁見の間』へお通ししております!」


 菖蒲の問いに、向かって右側に立つ年かさの方の警官が敬礼したまま答える。

 警官の態度に、大和は今更ながら「あれ、菖蒲さんってもしかしてお偉いさんなのかな?」等と呑気に思い始めていた。


「ささ、中へ中へぇ……」


 玄関の扉を手ずから開けた菖蒲が中へ入るよう促す。しずしずと桔梗が入っていくのを見て、大和もそれに続く。

 扉が閉まる時、ふと外の警官たちの姿が目に入ったが、二人とも扉が閉まるまで直立不動で敬礼したままだった。


 「御所」の中に入ると、大和の想像とは少しだけ違う光景が広がっていた。

 玄関は一般住宅のそれとは違いやたらと広く、三和土たたきの部分だけで四畳以上はありそうだった。向かって左手には下駄箱らしき収納スペース、右側には納戸なんどの入り口だろうか、武骨な鉄扉があった。


 上がり口の先にはやや広めの廊下が延びており、奥まった所に両開きの立派な扉が見えた。

 「あれが『謁見の間』の入り口か?」等と眺めていた大和だったが、その予想に反して菖蒲は上がり口には向かわず傍らの鉄扉の方へと歩み寄ると、どこからか取り出した鍵で錠を解き、ゆっくりとそれを押し開けた。


 ギギギと音を立てて開いた鉄扉の向こうから姿を現したのは、何とも年季の入った階段だった。質感から見るとコンクリートではなく石階段だろうか? 室内にあるくせに苔むしてさえいる。

 菖蒲は無言のまま階段を降り始め、桔梗もそれに続いたので、大和も仕方なくそれに続く。


 カランコロンと菖蒲と桔梗の下駄が不協和音を奏でる中、三人は無言で階段を降りていった。

 階段は螺旋状になっているらしく、緩いカーブを描いている。そのせいか、どこか平衡感覚が狂ったような、眩暈にも似た嫌な気分を大和は感じていた。一歩一歩、階段を降りる毎に、何か、不吉なものに、近付いているような……。


「着きましたよ」


 菖蒲の声にはっと我に返ると、いつの間にか階段を降り切っていた。「迷子の件といい、今日はどうもぼうっとしてるな」と自分を戒めつつ、大和が視線を上げると、そこには――。


「洞窟……?」


 岩肌も露わな、「洞窟」としか言いようがない光景が広がっていた。

 しかも、とてつもなく広い。天井も高く、薄暗くて全景は窺えないが、御霊東高の大道場位の広さがあるかもしれない。


「ええと、菖蒲さん。ここが『謁見の間』……じゃないですよね、どう見ても」

「ええ、どう見ても『謁見の間』ではないですねぇ」


 ようやく違和感を抱き始めた大和は、それが呼び水になったのか、先程までモヤっとしていた頭の中が、急激にクリアになるのを感じていた。

 おかしい、何かがおかしい。御霊庁にやって来てから、大和の身に何か異変が起こっているのは明らかだった。――そもそも、いくら慣れない場所に来たからと言って、


 初めて会った時、姫子は「自分が迷子になるのはあり得ないはず」等と言っていた。

 その時は「しっかり迷子になっているのに大した自信だな」位にしか思わなかったが、後になってその言葉の本当の意味が分かった。


 サムライや巫女に備わった霊的直感は、「第六感」とも同一視されるものだ。

 簡単に言ってしまえば「物凄くが良い」状態と言える。拡張された五感に、霊力の流れを読む力が加わると、まるで空間認識能力を得られるのだ。

 その恩恵により、方向を見誤る事は無いし、漠然とではあるが自分の現在位置と周囲の状況を感じ取れるし、見知った人間の霊力であればある程度の距離があっても感知し位置を特定できる――かつてデパート火災の時、大和が電話越しに聞こえた音や霊力の流れを頼りに、薫子の居場所を特定したように。


 初対面の時、姫子は百合子ら護衛のサムライとはぐれて迷子になっていたが、あれは本来あり得ない事なのだ。サムライより五感の強化は劣るものの、第六感についてはサムライの追随を許さぬという巫女が、連れとはぐれたり、迷子になったりする事など……(あの迷子の原因は、姫子本人にもまだ分かっていないらしい)。


 菖蒲と桔梗にしたってあからさまに怪しい。

 菖蒲は自分の名前を名乗る時に「私の事は……菖蒲あやめと呼んで下さいなぁ」と何とも微妙な言い回しをした。まるで言外に「菖蒲というのは本当の名前じゃありません」と言っているかのようだ。桔梗にしたって、初対面の相手に下の名前で名乗るような人間は少ないはずで、何か意図があるように思える。


 何より、大和は今更になって気付いたのだが、職員用端末を持っていた菖蒲はともかく、桔梗は「客」のはずなのに入構証を――今、大和が首から下げているようなICカードを身に付けている様子が無い。大和は入構時、係員からクドイ位に「常に見えるような形で首から下げてください」と念を押されていたのに……。


「あらあら、どうしました大和君? 急に表情が硬くなりましたよ?」


 桔梗が例の悪戯っぽい笑みで笑いかける。だが、その瞳には先ほどまでのような無邪気さは感じられない。射抜くような――どこか大和を試すような光をたたえている。その様子が、「誰かに似ている」という大和の既視感をますます加速させる……が、やはり一体誰に似ていると感じているのか、大和自身にも分からなかった。

 分かるのは、彼女のその表情に覚えがあるのではなく、顔の造詣そのものが誰かを連想させるのだ、という事だけだった。


 警戒心をあらわにした大和をよそに、菖蒲は「洞窟」の奥の方へと進んでいた。思わず立ち止まる大和に対して、桔梗が「付いて行かないのですか?」とでも言いたげに首を傾げつつ歩き出したので、大和も仕方なくそれに続く。


 「洞窟」の最奥には、こじんまりとした祭壇のような物があった。質素な木製の台座の上に、大きな丸い鏡が鎮座し、両脇に掲げられた松明の灯りを鈍く反射している。

 大和は御霊東高の裏山にある洞窟の中で似たようなものを見た事があったが、あちらとは違い台座の上には更に、一本の刀が置かれていた。少々短めのその長さからみるに、一般的な打刀うちがたなではなく、恐らく小太刀こだちの類だろう。


「――さて、八重垣大和君」


 「洞窟」内に、冷たくも尊大な女性の声が響いた。声の主は菖蒲だったが、先程までとは打って変わった声色と口調に、目の前にいるにもかかわらず大和は誰の声なのかすぐに判断が付かなかった。それくらいの豹変ぶりだ。


「君は、『荒魂あらみたま』についてどのくらい知っているかな?」

「あ、『荒魂』……ですか? えーと、確か『行き場を失ったいんの気が集まって形を成し、様々な災いを引き起こすもの』でしたっけ?」


 菖蒲の豹変ぶりに戸惑いつつも、大和は反射的に覚えたての教科書知識を答えていた。

 実際の所、大和もまだ「荒魂」についてはよく理解できていないのだが、以前のデパート火災の時に目撃した「火の車」も「荒魂」の一種であり、あれはデパート経営者や従業員の「安全性を度外視して利益優先・経費削減を追い求めた強欲」が生み出したものであると、後に姫子から聞いていた。


 「陰の気」とは、そういった人間の負の感情の事であり、積り積ったそれらが霊力のと結びついて災いを呼び起こす「荒魂」を生み出すのだという。姫子曰く「俗っぽい言い方をすれば人間の負の感情が生み出す『妖怪』や『疫病神』の類」らしい。

 原因が判然としないあのデパート火災も、「荒魂」が呼び起こしたものだとかなんとか。


「……つまり、座学以上の事は知らないという事だね? 『荒魂』と戦った事は?」

「いえ、以前に一回だけ見た事がありますが、まだ戦った事は……」

「なるほど。転入早々、竜崎の跡取りと互角に立ち回って見せたと聞いていたから、もう少し厳しく鍛えられているものと思っていたが……手ぬるい、全く手ぬるいぞ……」


 菖蒲の口から突然に竜崎の名が出た事で驚きを隠せない大和だったが、それよりも今は、段々と不穏さを増していく彼女の言葉に対して感じる、言い知れぬ不安の方が重要だった。

 霊的直感ではなく、もっと根本的な大和ののようなものが、危険を告げている――そんな不安が大和の心を支配していた。


「ふむ。思いの外、初心者のようだし少々危険ではあるが……第一皇位継承者の専属がこんな体たらくでは、。やはりで勉強していってもらおうか――受け取りなさい、大和君!」


 何やら物騒な事を呟くと、菖蒲は祭壇の上の小太刀を大和に投げてよこして来た。突然の事に慌てながらも見事にキャッチした大和に、傍らの桔梗がパチパチと拍手をする。


「ええと、菖蒲さん、これってどういう――」


 訳が分からず菖蒲を問い質そうとした大和の背筋に、悪寒が走った。

 何かが、背後にいる。先程までは何の気配もなかったのに、今は刃を突きつけられたような剣呑な雰囲気が、大和の背後に迫っていた。


 ゆっくりと振り返る。果たして、そこにいたのは――。


「鎧、武者……?」


 鎧兜に身を包んだ、まさしく「鎧武者」と呼ぶにふさわしい人影がそこにいた。

 だが、その身体にはどこか実在感が欠けていて、存在自体が揺らいでいるような感覚がある。しかし、その鎧武者から放たれる剣呑な雰囲気――殺気は本物だった。

 大和が振り向くのを待っていたかのように、鎧武者が一歩を踏み出す。足音は――無い。その事実が、ようやく大和にこの鎧武者の正体を悟らせていた。


「こいつ……霊体? ――『荒魂』か!?」

「気付くのが遅いぞ、八重垣大和君! まったく、、美人のお姉さんに優しくされたからと言ってホイホイ付いてくるし……たるんでいる証拠だ。

 大和君、お察しの通りその鎧武者は紛れもない『荒魂』だ! 実体は無いから斬りつけられても肉体に傷は付かないが……精神が消耗する。最悪、肉体は無傷のまま廃人になる可能性もある。心してかかりなさい!

 ――桔梗! いざとなったら手助けしてあげなさい」

「かしこまりました」


 菖蒲の言葉を受けて、桔梗がスッと大和の背後に回る。

 一方の大和は、まだ状況がよく飲み込めていなかったが、目の前の鎧武者から感じる危険は本物だと判断し、小太刀を抜き放った。案の定、小太刀は霊刀であり、しかも大和の霊力とよく馴染み、意識する間もなく霊刀と大和の霊力は繋がった。日頃の霊脈接続の鍛練の成果もあったのかもしれない。


 鎧武者――「荒魂」も、大和に呼応するようにその腰の太刀を引き抜く。

 菖蒲の言う通り、その太刀は実体を持つ物ではなく霊体のようで、どこか蜃気楼のように揺らいだ雰囲気を持っている。だが、大和は太刀から放たれる圧倒的に危険な霊力を、確かに感じていた。「あれに斬られればただでは済まない」と大和の直感が囁いていたのだ。


 「やるしかない」、覚悟を決めた大和は精神を統一し、霊脈に接続するべく「言霊ことだま」を放った。


『――我が身は剣なり!』


 ――瞬間、霊脈から膨大な霊力が大和の体に流れ込み、サムライの力が解放された。

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