2.迷子の大和くん

「――迷った」


 八重垣大和(高一)は今、完全な「迷子」となっていた。


 事の起こりは数時間前に遡る。

 この日の御霊東高校ごりょうひがしこうこうは、時間割調整の為に午前中までで全ての授業が終わり、午後は自由時間となっていた。転入生の大和は、普段ならば放課後はサムライの専門科目の補習を受ける事になっているのだが、その日は教員達の全体会議があるらしく、ぽっかりと予定が空く事になった。

 ホームルームを終え他の生徒達が帰宅する中、降って湧いた自由時間をどう使おうか思案していた大和だったが――。


「何をしておる? 出掛けるぞ、大和!」


 姫子のその一言で大和の自由時間は脆くも崩れ去ったのだった。


 大和が姫子と百合子と共に校舎を出ると、最早お馴染みとなった七條家所有のリムジンが待っていた。

 その傍らにはこれまたメイド服姿の薫子が控えている。下校中の生徒達の何人かが目を細めるようにしてその姿に見とれ「おお薫子さん、今日もお美しい……」等と呟いている光景に、大和は軽い頭痛を覚えてしまう。

 ここしばらくの努力の甲斐もあり、大和はクラスメイトの何人かとは気軽に話せる仲にまでなっていた。その内の更に何人かには、薫子が「姉」ではなく「母」である事を明かしているのだが……むしろその事実を知った生徒達の中には以前よりも薫子に興味を引かれてしまう者が出る始末であり、大和を暗澹あんたんたる気持ちにさせていた。


「ささ、ど~ぞ♪」


 そんな大和の気持ちを知ってか知らずか、薫子はいつもの能天気な口調でリムジンのドアを開き、車内に入るよう促す。大和は小さく嘆息しながらも「やれやれ」と心中で呟きながらリムジンに乗り込むのだった。


「――で、今日はどこに行くんだ?」


 リムジンが走り出してしばらく、大和はようやく今日の行き先を姫子に尋ねていた。


「ん? 言って無かったかの?」

「全く聞いてないんだが……」

「そいつは失礼をした――今日はこれから、御霊庁ごりょうちょうに向かうぞ」

「……御霊庁に?」


 御霊庁というのはサムライ及び巫女を統括し、国内の霊脈管理を一手に引き受ける政府機関だ。その本庁は都心――かつて江戸城が築かれていた地にある。


「御霊庁って千代田区だよな? 鎌倉からだと結構あるんじゃ」

「何、高速を使えば二時間もかからんよ。運転手任せの気楽な道行だ。まあ、楽にせよ」


 言うが早いか、姫子は通学カバンから携帯ゲーム機を取り出すと、そのまま何かのゲームに興じ始めた。その傍らに座る百合子も、無言のまま何やら文庫本を取り出し読み始める。

 一方の大和は、普段の通学時間が実質ゼロである事も手伝って、通学カバンには時間を潰せる本やゲームの類は入れてはいない。さてどうしたものかと、一縷の望みをかけて母に視線を向けるが、薫子は「何かしら?」と言った笑みを浮かべて首を傾げて見せるだけで、頼りになりそうにはなかった。


「――で、御霊庁くんだりまで何しに行くんだ?」


 仕方なく教科書を取り出し黙読だけの予習復習を始めた大和だったが、行先だけで肝心の目的を聞いていなかった事を思い出し、今更ながら姫子に尋ねた。


「ん? ああ、ちょいとなー」

「ふーん、へーかにご挨拶ねぇ……。へーか……? って、陛下って、あの陛下か!?」

「そう何人も『陛下』がいてたまるか。霊皇陛下に決まっておろう?」

「マジでか……」


 霊皇れいおうは、伝承通りならば二千年以上に渡り日本の――いや、「日本」という国体成立以前からこの国の霊的象徴として君臨してきた、巫女達の長である。

 歴史の一時期では国家君主を兼ねた事もある、まさしく「陛下」と呼ぶに相応しい存在なのだが……その霊皇に謁見するという一大事を「ちょいと」の一言で済ませる姫子の態度に、大和は衝撃を受けていた。

 今更ながら「そう言えばこいつ仮にも第一皇位継承者だったんだ」と思い知る。


「つーか、陛下にお会いするのにこんな格好でいいのか? 俺達、普通に制服だぞ?」

「……ん? いやいや、その陛下が『夏服を見せに来い』と仰ったのだ。問題ないぞ?」

「な、夏服を披露する為だけに行くのか……」


 ゲームに熱中しているのか、どこか適当に答えた姫子の言葉に、大和は更なる衝撃を受けていた。

 つい最近まで一般人であった大和にとって、「霊皇に会う」等というのは人生に一度有るか無いかの出来事、という印象だった。第一皇位継承者である姫子の「専属」となった事で、いつか謁見する事もあるのだろうな、とどこかでぼんやりと考えていたが、それがまさか「制服の夏服をお披露目する」という、親戚や近所の知り合いにやるようなレベルのイベントになるとは、夢にも思っていなかった。

 が、姫子という特殊すぎる人物の「専属」をやっていく以上、こういった今までにない出来事にも慣れていくしかないのだろう。


(……にしても夏服、ね)


 月は変わって既に六月。大和が御霊東高校に転入してから数週間が過ぎ、衣替えの季節を迎えていた。

 大和は白い学ランからおさらばとなり上半身は半袖のシャツになったものの、ズボンは相変わらずの白一色で、目立つ事この上ないのに変わりはなかった。

 女子のセーラー服も半袖になり、生地が多少薄くなった以外には大きな違いはない。学校によっては、夏服と冬服でデザインをがらりと変える所もあるらしいが、御霊東高はそれには当て嵌まらないらしい。


 大和はふと、姫子と百合子の方を見やった。どちらもくだんの夏服――セーラー服姿である。

 二人共よく似あっているのだが、その趣は百八十度違った。百合子は顔立ちにまだ幼さが残る中にも彼女の「凛」とした雰囲気がセーラー服とよく合っていて、実に年頃の少女らしい、名前の通り白百合のような可憐さ――あるいは気高さをまとっているように見えた。もちろん、彼女に恋する大和から見た印象であり、贔屓目ひいきめがある事は否めない。

 だが、ある種敬遠されている中でも百合子に憧れの眼差しを向ける男子生徒が少なからずいる事は、転入以来の人間観察で大和が気付いた数多くの事実の内の一つだった。


 一方の姫子は……実に事この上ない――のだが、それは小学生や中学生が初めて制服に袖を通した時のような、初々しさというか、有り体に言ってしまうと「子供に向ける微笑ましいという意味での可愛さ」だった。

 最初に姫子のセーラー服姿を見た時、「親戚に小さい子がいたらこんな気分なのかな」と思った大和だったが、口が裂けても姫子本人には言えまい。


 余談だが、実は薫子のメイド服も夏仕様になっているらしい……が、大和には全く見分けがつかなかった。


 ――大和達を乗せたリムジンは、鎌倉市街を抜けて朝比奈峠方面へと向かっているようだった。恐らくはそこから横浜横須賀道路へ入り、いくつかの高速道を経由して都心に向かうのだろう。

 間仕切り越しに運転席の方を除くと、最早お馴染みとなった初老の運転手が実に綺麗な姿勢で運転に集中していた。

 インパネには最新型のナビが取り付けられているが、運転手曰く「ルート探索ではなく渋滞情報用に使っている」との事で、今もナビのルート案内機能は使われていないようだった。

 渋滞情報を見ると、幸いにしてそれ程混雑している様子は無いようだ。この分なら思ったより早く都心に着けるかもな、等と思った所で急激な眠気が襲って来たので、大和はそのまま到着まで寝てしまおうと決め、そっと目を閉じた。


 ――その後、見事に御霊庁到着まで爆睡した大和は姫子に叩き起こされ、寝ぼけ眼のまま入構手続きを済ませ、初めて御霊庁へと足を踏み入れたのだが……気付けば一人、御霊庁の敷地のただ中にポツンと取り残されていた。

 一体全体、どうやって自分は姫子達とはぐれたのか、そもそも今居るのが御霊庁の敷地内のどの辺りなのか、皆目見当が付かなかった。


 今、大和が立っているのは綺麗に舗装されてはいるが車一台分程度の幅しかない道路、もしくは歩道だった。周囲には都心とは思えない程の緑が溢れており、見通しは全く利かない。当然の事ながら人影は無く、案内板の類も見当たらなかった。

 まさか高校一年にもなって「迷子」なろうとは予想もしていなかったが、なってしまったものは仕方がない。お役所をウロチョロとするのも迷惑だろうからすぐに姫子達に連絡して合流を――と携帯電話を取り出そうとポケットを探るが……無い。そう言えば入構手続きの際に携帯電話は預けてしまったのだと思い出し、さてどうしたものかと大和が一人思案していると――。


「あらあら、随分と大きな迷子さんですね」


 突然の声にハッと振り返ると、そこには二人の女性の姿があった。

 共にかなりの美人であったが――重要なのはその部分ではない。直前まで、大和は人影が見当たらない事を確認していた。霊的直感により平時でも人の気配などに敏感な大和が、「周囲に人はいない」と感じていたのだ。それなのに、この二人は突然姿を現した。

 竜崎のように気配を殺すのに長けたサムライなのか、それとも――。


「そんな怖い顔しなくても、とって食ったりはしませんよぉ?」


 二人の内、やや年上に見える方の女性が大和に微笑みかける。何ともたおやかな笑顔だったが、同時にどこか底知れぬ気配を大和は感じていた。

 だが、少なくとも敵意があるようには見えない。少しだけ警戒心を解くと、大和は二人の人となりを探るべく、真っ直ぐに向き合った。


 二人共に和装である。姫子がよく身に付けているような花柄を基調とした小紋に身を包んだ二人は、一見して家の出である事を思わせる、何とも雅な雰囲気を纏っていた。


 やや年上に見える方の女性は腰まである豊かな黒髪が印象的で、恐らくは二十代半ばか後半に差しかかかる程度の年齢だろう。毛先を綺麗に切りそろえた髪型は姫子を連想させるが、比べるのが失礼なほど「女性」を感じさせた。


 もう一人の女性は、大和よりも少し上――二十歳そこそこに見えた。

 セミロングの髪は陽光に透けてやや茶色味を帯びており、隣の女性と何とも対照的な雰囲気を醸し出している。どこか悪戯っぽい笑みを浮かべたその表情は、大和の知っている誰かを連想させるのだが……それが誰なのかはっきりとは分からなかった。


「えーと、お二人は……御霊庁の方ですか?」


 まずは相手の素性を確かめるべきだと、大和はストレートな質問をぶつけてみた。


「――ええ、私はねぇ。こちらのは私の個人的なお客様ですけれども。長いこと海外に行っていてねぇ、土産話などしてもらっていたところなのぉ」


 年上の――黒髪の女性の方が大和の質問に答える。間延びした口調だったが、声色に何とも言えぬ艶っぽさがある為に、むしろ大人の色気のような物を大和は感じてしまっていた。

 そんな自分に気付き、イカンイカンと心中で気を引き締めつつ、大和は慎重に会話を続ける、


「――海外。留学か何か、ですか?」

「ええ、似たようなものね。父の仕事に付き添ってね。毎日が勉強の日々よ」


 今度はセミロングの女性の方が答え、何がおかしいのかクスクスと忍び笑いを漏らした。

 場合によっては馬鹿にされたようにも感じかねない態度だったが、大和には不思議と不快感は無かった。今もはっきりと分からぬ「誰か知り合いに似ている」という感覚がそう思わせるのだろうか? 少なくとも、敵意や悪意のようなものは感じない。

 大和は、自分の考えすぎだったのかもしれないと思い直し、素直に彼女達に道案内を頼む事にした。


「ええと、通りすがりの方に大変恐縮なんですけど、実は仰る通り『迷子』になってしまったらしくて……出来れば道案内をお願いできないかと……」

「あらぁ、そんな事ならお安い御用よぉ? ああでも、念の為に入構証を見せて下さるかしらぁ?」


 黒髪の女性の言葉に、大和は首から下げていた入構証を差し出す。一見すると表に「GUEST」とだけ書かれたプラスチックのカードだが、ICチップが埋め込んであり御霊庁職員が持つ携帯端末で読み取れば、入構手続きの際に届け出た情報が即座に照会出来るのだという。

 案の定、黒髪の女性はどこからかスマートホン状の機械を取り出すと、大和の入構証のICチップを読み取り始めた。


「――八重垣……大和君ねぇ。御霊東高の一年生、と。もう学校には慣れたかしらぁ?」

「あ、はい。お蔭様で……」


 何が「お蔭様」なのか自分でも良く分からなかったが、大和は気が付けばそんな事を口走っていた。この二人と話していると、どうにも調子が狂って仕方ない。

 黒髪の女性は続けて端末上に表示された大和の訪問目的を確認する。


「えーと、今日の訪問目的・場所はぁ……『御所』ねぇ。私も『御所』に向かう所だったから、丁度いいわぁ。付いてきて下さいなぁ」


 黒髪の女性の案内で歩き出す。

 しばらくすると、道沿いに木々の合間でひっそりと隠れるように佇む、小さな池が姿を現した。そのほとりには、季節の花だろうか、紫色の美しい花が咲いている。

 あの花は何て名前だったっけ? 等と大和が考えていると、黒髪の女性がおもむろに口を開いた。


「御霊東高ですかぁ、懐かしいですわねぇ。亀田先生はお元気かしらぁ?」

「亀田……? ああ、校長先生はお元気ですよ……って、御霊東高のご出身なんですか? ええと……」


 そう言えばまだ女性達の名前を聞いていないな、と大和が口ごもっていると、それを察したのか黒髪の女性が自ら名乗ってくれた。


「ええ、私も御霊東高のOGなのよぉ? それから、私の事は……菖蒲あやめと呼んで下さいなぁ。そちらの娘は――」

「私はと言います。どうぞよろしく、八重垣大和君」

「菖蒲さんと桔梗さん、ですか。こちらこそ、よろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げる大和には、もう警戒の色は殆どなかった。

 そもそも、迷子になる程気が緩んでいたのだから、二人の接近に気付かなかったのも自分の注意力不足だったのだろう。二人が気配を消して自分に近付いてきた等という事自体が考え過ぎだったのだ。

 大和はそう結論付けたが、それこそ彼の気が緩んでいる何よりの証拠だった。


 「菖蒲」と「桔梗」は共に、普通に考えれば苗字ではなく下の名前である。初対面の大和に、下の名前だけ告げて自己紹介とは何とも不自然だったが、大和は全く気付いていない。

 更に、これもまた大和は気付かぬ――知らぬ事なのだが、池のほとりに咲く紫色の花は、その名を「花菖蒲はなしょうぶ」と言い、時に「菖蒲あやめ」とも呼ばれるものなのだ。


 そして何より、「桔梗」という名は次期霊皇として期待されながらも、国に背いて出奔した父を支えるべく自らも国を出た巫女と同じであり、彼女は大和とも無関係ではない人物なのだが――今の大和には知る由もない事だった。

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