第四話「サムライと荒魂」

1.或るサムライ

 鎌倉市中心部から少し北に行くと、「北鎌倉」と呼ばれる地域に辿り着く。

 何かと賑やかな市街地と異なり、そこは豊かな緑に囲まれ、「けんちん汁」の由来になったとも伝わる建長寺けんちょうじ等の古刹こさつが点在し、何とも静謐せいひつな雰囲気が漂っている。


 その外れに、ひっそりと人目を避けるように古い一軒のカフェが存在した。

 近年、鎌倉で流行している古民家を改築したようなカフェではなく、洋風の白壁を基調とした「いかにも」な感じのカフェ――喫茶店だ。店内には僅かなテーブル席とカウンター席しか存在せず、お世辞にも広いとは言えなかったが、レトロな内装はBGMとして流れるジャズと相まって何とも言えぬ趣があった。


 夕方過ぎという時刻も手伝ってか、店内には殆ど客の姿は無く、和装の男が一人、カウンター席ですっかりぬるくなったコーヒーをチビチビとすすりつつ新聞に目を落としている以外には、カウンターの内側で黙々とカップを磨いている老齢の店主マスターしかいなかった。

 その二人の間にも会話は無く、店内は程よい音量のジャズと天井のシーリングファンが回る鈍い駆動音のみが支配していた。だが――。


「――マスター、どうやらお客のようだよ」


 突然、和装の客が沈黙を破った。すると彼の言葉通り、カランとドアに付けられたベルが音を立てた――新たな来客がドアを開いたのだ。


御免ごめん――」


 新たな客は、低く硬質だがよく通る声で告げると、カツカツと小気味よい足音を立てながら店内へと入って来た。

 五十絡みといった年の頃の男だ。体格は中肉中背ながらもピンッと伸びた背筋せすじが実際よりも男を大きく感じさせる。そこそこ整ってはいるがやけにいかめしい面構えであり、射抜くような眼光は対峙しただけで相手を震え上がらせるのではないかという迫力と鋭さを備えていた。サラリーマン風の濃紺のスーツに身を包んでいるが、とてもではないがの人間には見えない。

 何とも異様な雰囲気を纏った男であったが、最も彼を異様足らしめているのは所だった。スーツ姿で釣りに行くわけでもないだろうに、何とも違和感のある風体だった。


 男は、迷いの無い足取りで店内を進むと、テーブル席ではなくカウンター席に――和装の客の二つ隣の席に座った。


「ご注文は?」


 それまで「いらっしゃいませ」の一言もなかった店主が、そこでようやく口を開いた。コーヒーカップを磨きながらという、見ようによっては何ともぞんざいな態度だったが、男は気にした様子もなく、一言「ブレンド」と注文を告げる。


 ――程なくして、男の前にコーヒーが差し出された。

 男はカップを手に取ると、まずは香りを楽しむようにそれを鼻先で揺らし、十分に堪能した後ようやく口を付けた。一口、二口と音を立てずにゆっくりと啜り、じっくりとその味わいを確かめる。

 そうやって、半分ほどまでコーヒーを飲んだ所で、男は大きく息を吐き、そして呟いた。


「――変わらないな、おやっさんのコーヒーの味は……。こいつを飲むと『帰ってきた』って感じがするぜ」

「ふん、里心がつくようなタマでもあるまいし。お世辞が言える位なら、もう少しマメに帰って来いってんだ。――お前もそう思うだろう、?」


 男の言葉に不機嫌そうに答えながら、店主は和装の客――鳳功一郎に同意を求める。二人のやり取りを聞いていた功一郎は、苦笑いを浮かべながらもどこか嬉しそうだった。


「まあまあマスター、『便りが無いのは良い便り』とも言うじゃないですか。康光やすみつも色々と忙しいんですよ。――? 康光は」

「――あそこはもう済んだ。今はアフリカを転々としている」


 男――康光は一瞥いちべつもせず、声だけで功一郎の問いに答えると再びコーヒーを啜り出した。

 その姿に、「やれやれ」と言ったような表情を浮かべつつ、功一郎も自分の残りのコーヒーを静かに啜る。そして、二人のカップが共に空になった頃、功一郎が静かに切り出した。


は、御霊東に入ったよ」

「……らしいな」

「会ってやらないのかい?」

「……今更、どのつら下げて会いに行けと? あいつも喜ばんだろう」

「でも、君は――。このままでいいのかい? 本当に」

「……くどい。もう、十年以上前に終わった話だ――それはお前が一番良く分かっているだろう? 功一郎よ」


 康光はそれだけ言うと、「話は終わりだ」と言わんばかりにそれきり口を噤んでしまった。数十年を経ても変わらぬ「親友」の頑なさに、功一郎は思わず大きなため息を一つ吐く。

 康光とは高校以前からの付き合いだが、こうなってしまった彼が決して首を縦に振らない事を、功一郎はよく分かっていた。恐らく、功一郎が言葉を尽くしても、もう康光がこの話題について答える事は無いだろう。


 何十回目かのが失敗した事を悟ると、功一郎は気持ちを切り替え「本題」に移る事にした。


「――今回、帰ってきたのはやっぱり絡みかい?」

「……ああ、ジジイ共に呼ばれてな。全く奴らめ、普段は俺の事を都合のいい時ばかり頼りやがって」

「まあまあ、御霊庁の長老達が政府に掛け合ってくれなきゃ、君、まともに入国すら出来ないんだから言いっこなしじゃないか? パスポートなんて何年も前に失効してるだろうに」

「……ふん、俺と桔梗ききょうの二人だけなら、出入国くらいどうとでもなるさ」

「――その桔梗ちゃんは、今日はどこに?」

。ついでに羽を伸ばしてくるとよ。まったく、あいつもこれを機に、俺なんぞ見捨てて日本に残ってくれればいいんだがな……」


 康光の瞳に深い憂いの色が浮かぶのを、功一郎は見逃さなかった。


 桔梗というのは、康光の長女の名だ。

 十数年前、将来を嘱望されたサムライだった康光は、を切っ掛けに、身分も国も家族も捨て出奔した。とある途方もない目的の為に、国に背いてサムライの力を振るい戦う必要があったのだ。

 国に追われる立場となった康光に、それでもただ一人、長女の桔梗だけは付いていった。まだ十歳にも満たぬ少女が、父を一人に出来ぬという一心で。


 もちろん、明日をも知れぬ道行に娘を伴おう等とは康光も思わなかっただろう――桔梗が、

 桔梗は巫女――それも次代の霊皇候補筆頭とまで言われた、強力な霊力を持つ娘だった。特に「先読み」――先視さきみとも呼ばれるある種の未来予知能力に優れ、幼少の頃よりいくつもの災いを予言し、それを未然に防いでいた。


 その桔梗が「わたくしにとっての最良は、お父様に付いていく事だと始祖の御霊みたまが申しております」と言ったのだ。それを無碍むげに扱う事は、康光には出来なかった――たとえそれが「先読み」ではなく、娘が父を想う心がもたらしたものだとしても。


 結局それから十数年、桔梗は次代の霊皇候補としての身分も、普通の娘らしい生活も捨てて、康光の旅に――世界各地の紛争地帯でサムライの力を振るう戦いの日々に同行し続けた。

 康光が戦う相手の殆どはテロ集団か途上国の独裁者であったが、彼の「目的」を阻む相手であれば欧米諸国の軍だろうが敵となった。

 その為、康光は一部の国から非公式ながらも「テロリスト」と認定され、時に命を狙われる立場にあった。絶大な力を持つ巫女である桔梗のお蔭で、霊脈に乏しい地域でも十全にサムライの力を振るう事が出来た康光だが、その内面では常に娘を危険に晒す事への苦悩が渦巻いていた。


 目的の為に桔梗の力が必要な自分と、娘の身を案じる父親としての自分。その二律背反が憂いの色となって康光の瞳に浮かんでいるのだという事を、功一郎は見抜いていた。

 「やっぱり君はまだ『父親』だよ」という言葉が喉まで出掛かるが、それを口に出さぬよう懸命に飲みこむ。――そんな事はきっと、康光自身がよく分かっているはずだから。

 もう一人の彼の「子供」にだって、本心では会いたがっているという事も。だから、功一郎はあえて康光の憂いに気付かなかった振りをして、話を続けた。


「――しばらくは、日本に?」

「……ああ、少なくとも一ヶ月程度は。どうやら、今回のは長くなりそうだからな」

「まったく、厄介なものだね。ってやつは」

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