5.好敵手

「竜崎、やっておしまいなさい!」

「負けたら晩御飯抜きじゃぞ大和!」


 大和と竜崎が木刀を構え互いに対峙すると、いつの間にか巫女課程の生徒達もギャラリーよろしく二人の様子を見守り始めていた。今の野次は言うまでもなく四宮と姫子のものだ。


「……別に勝負じゃないんだけどな」


 そんな二人の様子に苦笑しつつ、大和は改めて目の前の竜崎に意識を集中した。


 無難に正眼の構えを取る大和に対し、竜崎の構えは少々独特なものだった。

 半身に構え腰を落とし、木刀は顔の右側で地面と水平気味に構えている――一部古流剣術で「かすみの構え」とも呼ばれる事のある構えだった。現代剣道などでは殆ど使われない構えだが、本来は相手の目線を狙った突きや横薙ぎの斬撃、袈裟斬り等に有効な実戦向けのものだともされるらしい。


 竜崎の実家は、代々四宮家の護衛を務めて来た武士の家系だという。家伝の流派なのかどうかは不明だが、少なくともその剣は、現代剣道よりは古流剣術に近いものなのだろう。

 なんにしろ、油断できない相手には違いなかった。


「ではもう一度説明するぞ。時間は最長で五分、危険を感じたらその時点で私の方で止める事とする。木刀での打ち合いのみとし体術等の使用は不可。寸止めを心掛けた上で、禁じ手は特になしとする。……何か質問はあるかな?」


 藤原の言葉に、大和と竜崎が揃って首を振る。二人とも既に臨戦態勢だ。その様子に満足したのか、藤原は笑みを浮かべ開始の合図を叫ぶ――。


「始め!」


 まず動き始めたのは竜崎だった。鋭い踏み込みで大和に肉薄すると、突きを連続で放ってきた。

 その動きを予測していた大和は慌てず、最小の動きでそれら突きをあるいは躱しあるいは木刀で軽く弾き受け流す。

 竜崎も凌がれるのは織り込み済みだったのか、隙を見せぬまま一旦下がり、再び距離を取る。その表情はまだまだ余裕に満ちている。「今のは挨拶代わりだ」といったところだろう。


 返礼とばかり大和はがら空きの左胴を狙うが、やはり竜崎はそれを予測しており身を捻り大和の打ち込みを躱しつつ、逆にがら空きとなった大和の顔面めがけ鋭い突きを放つ。

 だが、大和もこれを予想しており、紙一重でそれを躱すと仕切り直しとばかりに距離を取った。


 僅か数秒の、大和と竜崎にとっては文字通り挨拶代わりの攻防だったが、ギャラリーである他の生徒達の大半は呆気に取られていた。剣道や剣術の経験者も少なくないサムライ候補生からしても、二人の剣技はレベルが一つ違うように見え、何より「寸止め」とは思えない緊張感があった。

 竜崎の突きも大和の打ち込みも、躱さなければ互いの身を確実に打ち抜いているのではないか、といった迫力があった。


 ――実際の所、生徒達の感じたそれは半分正しい。大和も竜崎も、お互いに「当てるつもり」で剣を繰り出していた。しかし同時に、「この程度ならこいつは躱してみせる」という確信も得ていた。

 それは二人の剣士としての力量がなせる業なのか、それとも「霊的直感」による未来予測の結果なのか……どちらにしろ、二人にとってまだまだ本気には程遠い状態であるのは確かだった。藤原が慌てた風もなく平然と見守っている事がその何よりの証左だろう。


 大和にとってまだたった二回目である木刀での地稽古だったが、その心中は非常に落ち着いていた。霊的直感を封じられていた以前とは違う状況だからというのもあったが、何よりという所が大きかった。

 幼少の頃から、大和の稽古の相手と言えば、年上の兄弟子たちや自分よりも遥かに才能で勝る百合子と言う「格上」の相手ばかりだった。先日、藤原と相対した時もそうだったが、大和は常に実力差のある相手に何とか食らいつくような戦いばかりを経験してきた。

 だが大和は、竜崎との立ち合いにそれらとは全く異なる感触を覚えていた。


 竜崎は強い、それは間違いない。だが、兄弟子達や百合子、藤原には及ばないだろう。その力量は、むしろ自分に近いように感じる――霊的直感の賜物か、それとも剣士としての勘か、大和は竜崎の実力を自分より少し上ないし同じ位であると感じていた。

 自分にとって初めての、近い実力を持った相手なのだと。


 そして大和は知らぬ事だが、竜崎もまた、大和に対し似たような感覚を抱いていた。


 主家である四宮の跡取り娘・卯月と同年に生まれた事により、その専属護衛となる事を定められた竜崎は、幼い頃から父の指導のもと厳しい訓練を課されてきた。

 剣術・体術・捕縛術・霊術・諜報から果ては時代遅れの暗殺術まで――決して自ら望んだものではなく、ただただ、定められた人生に必要な技術として淡々と学んできた。その為、「強くなる喜び」等と言った感情とも無縁に育ってきた竜崎だったが、それを当然の事として受け止めていた。

 何故ならば、自分に求められるのは「強さ」ではなく、あくまでも「卯月を守り通す技術」だったからだ。


 一歩間違えればただの「道具」として育ちそうなものだったが、竜崎にとって幸いだったのは護衛対象である卯月が実にだった事だろう。

 大きな才能に高すぎる気位、難儀だがどこか愛嬌のある性格……卯月は幼少の頃から「歩くトラブルメーカー」振りを発揮していた。容姿の良さも相まって、幼い頃から同性の嫉妬を買いやすかった卯月だが、本人の高飛車な言動が更にそれを拍車をかけ、物理的・精神的ないじめの対象となる事も多く、その都度、卯月本人に気付かれぬよう竜崎がに奔走していた。


 四宮家の令嬢を射止めようと、様々な手段でコナをかけてくるやんごとない家柄のマセガキにでお引き取り願ったのも一度や二度ではない。卯月が意識的・無意識的に振りまく諸々のトラブル、その解決を――竜崎は心底楽しんでいた。


 卯月が愛すべき主人――「出来の悪い子ほど可愛い」と言った意味において――であり彼女を守る事に喜びを感じていた面もあるのだが、何より竜崎は揉め事を正攻法や搦め手、そして時に荒技で解決する事それ自体を、ゲーム感覚で楽しんでいたのだ。

 ある種のマゾヒスト的嗜好――と言ってしまうと言葉が悪いが、つまり竜崎は迫りくる困難を身に付けた技の数々で打破する事に至上の喜びを感じる男だった。

 竜崎にとって磨き上げた「技」とは、自らの目的達成の為の道具でしかなく、他人と競うものではなかった。


 御霊東高に入学した事で、剣術と霊力については他の生徒達と競う事になった竜崎だが、やはりそこでも喜びを見い出す事は出来なかった。

 理由は二つ。一つは、サムライを目指すべく剣を磨いてきた者も多い御霊東高の新入生の中で、竜崎の剣の腕は当初からトップクラスであり、競うまでもなかった事。そしてもう一つは、その竜崎をして「絶対に剣の腕では勝てない」と悟らせた桁違いの実力者、鳳百合子と出会った事だった。


 百合子と相対した瞬間、竜崎は「どうすれば剣を交えずに彼女を倒せるか」に思考を切り替えていた。剣の腕を磨きあるいは工夫し勝つのではなく、手練手管をもってくだす、あるいは相手である、と認識してしまった。

 幼い頃より刷り込まれてきた、「強さ」ではなく「守り抜く」技術を希求する精神がそうさせていたのだ。


 「敵」に相対した時、竜崎の中にある判断基準は実にシンプルだ。相手が自分よりも強いのか弱いのか、その二極しかない。

 格下ならば正攻法で叩き潰す。格上ならば邪道な手段も厭わず勝利する。その徹底した姿勢の賜物か、竜崎がこれまでに「敵」の力量を見誤った事は無い。だから今まで、竜崎は勝つか負けるかギリギリのラインでの勝負に挑んだ事は一度としてなかった。何より、剣の腕で自分と「互角」である人間に出会った事が無かった。

 ――だが。


 八重垣大和という男と出会った時、竜崎は今までにない不思議な感覚に襲われていた。

 元々、から彼に関心を抱いていた竜崎だったが、実際に大和本人に会ってみると、より強く引き付けられるものを感じた。――果たして、この男は自分よりも強いのか弱いのか、と。


 学食で初めて会った時、大和の力を試す為に竜崎は気配を消して彼の背後を取ろうと近付いた。

 結果、あまりにも簡単に背後を取れた事に、当初は拍子抜けするばかりだった。傍にいた百合子がいち早く竜崎の存在に気付き殺気を放っていた事を思うと、とてもではないが彼女に伍する実力者とは言えないだろう。

 だが同時に、竜崎は大きな違和感を覚えていた。この男は邪道で倒すべき相手ではない、と。かと言って、正攻法で叩き潰せる相手だという確信も持てない、とも。


 初めての感覚に戸惑う竜崎だったが、こうして大和と剣を交えて見て、ようやくその謎の感覚の正体に気が付いた。大和の実力は自分よりも僅かに下か、それとも僅かに上か……実際にやってみなければ勝敗は分からない、「互角」のものなのだと。


 人生で初めて出会った、同年代の「互角」の相手。興味を覚えずにはいられない相手だ。しかも竜崎には、元より大和に関心を抱くに足る「ある私的な理由」もあった。その二つの感情が混じり合い、竜崎は大和に対して並々ならぬ感情を抱くに至っていた。

 それは――。


「――出会えるものなんだね、って奴に」

「……好敵手?」


 竜崎が我知らず呟いた「好敵手」という言葉に一瞬だけ首を傾げる大和だったが、すぐに竜崎の言わんとする事を察していた。

 ――いや、正しくは大和が竜崎の心中全てを察した訳ではないのだが、その言葉の意味する所――二人が共に抱いているであろう感情の正体を表現するのに、これ以上相応しい言葉は無いのではないか、と感じていた。


 ――初めて出会った「互角」の相手に、二人は共に静かな闘志を燃やしつつあった。

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